第13話 お着替え

「やっぱり光里の血は不思議……」


 俺の血を吸ってから、不死宮さんの足が動くようになった。どういうことなのかさっぱりだけど、喜んでるからまぁいいかな。

 ひらひらの病衣の裾を靡かせるようにその場で1回転したかと思うと、そのままわざとバランスを崩して抱き着いてきた。

 なんで!!


「足に力が入るわ! 光里の血のお陰よ」

「あ、そ、そうだねっ」


 不死宮さん近いって!

 それに頬が当たって……長い髪の毛が首周りに絡みついてきて、何より甘い匂いがすっごいする。近いというか触れ合ってる。病衣越しからでも十分すぎるほどに伝わる温もりに、俺の心臓は張り裂けそうだった。


 不死宮さんは気にした様子もなく俺の背中に腕を回しているけれど、俺は不死宮さんの背中を抱きしめる勇気なんてなく、ただ腕をぶら下げることしかできない。


 不死宮さんにぎゅうっと抱きしめられる幸せな時間は、あることを思い出してあっという間に終わりを告げる。


「あ」

 

 俺は1つ大事なことを忘れていたのだ。

 もし病室を出たとして、病衣のままうろつけば通報されること間違いない。そしてあの看護師が迎えに来てボコボコ、俺はまた入院……あり得るから怖いところ。


「どうしたの光里?」


 不死宮さんはそっと俺から離れると、口元に指を添えて首を傾げた。


「不死宮さんって着替えとかある?」

「着替えならシイナに頼めば用意してくれるはずよ」

「よし、俺の病室に行こうか」


 こんなところであの看護師を呼ばれたらたまったものじゃない。

 けど不死宮さんはよくわかっていないようで、


「光里の部屋に私の着替えがあるの?」


 なんて言っている。

 もちろんあるわけがない。俺の着替えを不死宮さんに着てもらおうと思ってるだけだ。


「何日分かの着替えがあるから、それに着替えてから行こう」

「光里の服着てみたいわ」

「ただ、サイズが合うかどうか……」


 不死宮さんは背丈も小さいし小柄だから、子供が大人の服を着てる感じにぶかぶかになるだろうけど、ズボンにはベルトもついてるし調整すれば大丈夫だろう。


「まぁ、とりあえず俺の病室に行こうか」


 それから俺は不死宮さんを連れて病室に戻った。

 入院当日に、妹が怪訝な顔をしながら『重いわ~』なんて言って持って来てくれた着替え。結局、今に至るまで着ることはなかったが。


「不死宮さん、着替えるからちょっと目をつぶっててほしいんだけど」


 さすがに家族以外の女性の前で着替えるのは恥ずかしいし、少しばかり抵抗がある。

 

「わかったわ」


 不死宮さんはそう言うと、後ろに手を組んで静かに目を閉じた。

 俺は病衣を脱いで、着替えの入った鞄からジーパンと長袖シャツを取り出してそれに着替える。

 目をつぶっているとはいえ、やっぱりすぐそこに不死宮さんがいるのは緊張する。


 俺は手早く着替えて、不死宮さんに着替えを渡す。

 ベルトの通ったジーパンと外は少し寒いだろうからフード付きのパーカー。


「じゃあ、着替えたら言って」


 不死宮さんが着替え終えるまで、見張りも兼ねて病室の外で待っていた方がいいな。


「どこ行くの?」


 紳士を装って病室を出ようとしたところ、不死宮さんに止められてしまった。

 迷子になった子供のような顔をして、不安な視線を向けてくる。もしかして、俺がいなくなってしまうと思ったのだろうか。


「出てすぐそこで、不死宮さんが着替え終えるまで待ってようかと」

「どうして出る必要があるの?」

「え? いやだって着替えるからさ」


 もしかして気にしないタイプなのか。生着替えを見ていいのか。

 ちなみに妹の着替えはしょっちゅう見てる。恥ずかしくないのか? と訊いたことがあって、その時妹は『なんで? 家族でしょ』となんかカッコいい感じに言っていたのを思い出した。

 確かに、妹の裸体を見て興奮したことはない。妹は妹だ。


 だが、不死宮さんは違う。

 兄妹でもなければ、友達というのも少し外れている気がする。

 街中でこんな美少女が歩いていたら、誰しもが振り向くレベルであり、そんな彼女のお着替えなんて見たら、現実ではあり得るはずもない興奮して鼻血を出すことさえできるかもしれない。


「ひとりは寂しいわ」


 シャツの裾をつまんできた不死宮さんの目には、今にでも雫が垂れ落ちそうだった。

 邪なことを考えてしまった自分を殴ってやりたい。

 何が妹の裸体で興奮しないだ。

 不死宮さんは純粋に寂しくて、俺を呼び止めたんだ。

 

「後ろ、向いてるよ」


 いくら寂しくても、さすがに着替えを見るわけにはいかない。


「出て行っちゃ嫌よ」

「大丈夫、ずっとこうしてるから」


 不死宮さんに背を向けて、病室の窓から吹き込む風に靡くカーテンを眺めていると、後ろでごそごそと聞こえ始めた。

 病衣を脱いでいるのだろう。真夜中の病室は静かで、後ろで布の擦れる音、スリッパのペタペタ音が鮮明に聞える。それだけで想像が掻き立てられるものだから、首が後ろを向きたがって仕方がない。

 早く着替えてくれ~。

 あの看護師のことも気になるし、何より後ろの不死宮さんは裸だろう。振り向けばそのお姿を拝められるのだけど、そんなことしたら池のように血を全部抜かれてしまう。


「光里」

「な、何? どうしたの?」


 突然、不死宮さんが声をかけてきて、一瞬、着替え終えたのかと振り向きかけたが、早とちりはいけないとぐっと思い止まった。

 案の定、不死宮さんは「これどうやってもずれるわ」と言い出した。


「ずれる? え、ズボンのサイズ合ってなかった? ベルトがついてるはずだからそれで調整してもらえれば……」

「べると? この紐みたいなもの?」

「え、う、うん……」


 不死宮さんの言う紐がベルトのことなのか見えないからわからないけど、ここにベルト以外に紐と言えるものがないので恐らくそうだろう。

 まさかベルトを知らないとは予想外。

 そして、さらに俺を困惑させるようなことを不死宮さんは言う。


「調整の仕方がわからないわ」

「え、べ、ベルトを引っ張れば……」


 ベルトの扱い方なんてどう説明すればいいんだ。そもそも、自分がどうやってベルトを使ってたのかわからなくなってきた。

 

「わからないわ、光里がやって」

「な、何でわからないの……」

「だって足が動かないもの。服なんてスカートかワンピースしか持ってないわ、こんなの使ったことない」


 そうか、足が動かないからズボンなんてはけないよな。その点、スカートだったりワンピースだったりは上から着ようと思えば着られる。

 

 どうすれば、俺が調整するのは問題があるだろうし、かと言ってどう説明すればいいのかもわからない。

 カーテンだけが優雅に靡いていて、吹き込む風が頬をかすめて冷たい。


 覚悟を決めるか。

 なんて思っていると、背中を突つかれた。

 すぐ後ろに不死宮さんが立っている。上は着ているかもしれないけど、下は……ベルト調整ができていない今、不死宮さんはズボンをはいていないわけで、想像しただけで手に汗が滲む。


「不死宮さん……」

「目をつむってるから、その間に調整して。その方が光里が恥ずかしくないでしょ」

「そ、それは、不死宮さんが恥ずかしいと思うけど」

「だ、大丈夫よ」


 とても大丈夫だとは思えないほど、声が震えていた。ってか、不死宮さんが目を瞑ってどうするんだ。それだと俺が見放題になるだけで、それはそれで役得なのだけど、もちろんそんなことはできない。


「俺が目を瞑るよ、絶対に開けないから、信じて欲しい」

「目をつむっててできるの?」

「大丈夫大丈夫、毎日ベルト締めてるから余裕だ」


 主に制服のズボンについてるベルトだけど。でも何とかなるだろう。俺の手はベルトの締め方を覚えているはずだ。

 あとは緊張して手が震えないことを祈るしかないな。


「わかったわ」


 それを聞いて、俺は目をぎゅっと閉じた。少しの隙間もなく、視界が真っ暗な状態でゆっくりと振り向く。


「不死宮さん、ベルトのとこまで俺の手を誘導してくれないかな」


 そう言うと、宙を掻いていた手がほんのりと温かい感触に包まれた。不死宮さんの手だ。

 そのまま手を下げられて、ざらざらとしたベルトを掴む。

 俺のベルトは穴の空いていないやつで、どんな長さにでも調整できるガチャベルト。だから、金具の部分さえ掴めればあとは不死宮さんの腰に合うように長さを調整するだけ。

 冷たい感触が指先に当たって、ベルトの金具だとすぐにわかった。


「きつかったら言って」

「わかったわ」

「じゃあ引っ張るよ」


 少しずつきつく締めていく。何も見えないからか、永遠にベルトを締めている感覚に陥る。


「あ、ちょっときついわ」

「これくらい?」


 少し緩めると、不死宮さんは「ちょうどいいわ」と言ってくれた。


「ふぅ……」


 ここで少し考えるべきだったかもしれない。

 俺は不死宮さんのベルトを締めるという最大の緊張からの解放で、特に何も考えることなく目を開けてしまった。

 ちゃんとズボンははいていた。ベルトも締まっていてずれていることもなく。問題は、上だった。


「ふ、不死宮さん⁉」


 不死宮さんは上を着ていなかったのだ。

 水色のブラジャーだけが大切なところを隠していて、可愛らしいおへそは顔を出し、真っ白な肌が薄暗い病室内でも美しかった。


「きゃっ!」


 不死宮さんはその場にしゃがみ込んで、よっぽど恥ずかしかったのか目には涙を浮かべて俺を睨んでいた。


「な、何で急に目を開けるの!」

「ご、ごめん!」


 一瞬何が起きたのかわからなくて固まっていた俺は我に返り、慌てて不死宮さんに背を向ける。

 何で上を着てないんだよ……。

 でも、俺が目を開けたのが悪いよな。開けるよ、とか確認すればよかった。


「光里のえっち」

「うう、ごめん……」

「べ、別にいいわ、わざとじゃないもの」


 そう言ってくれると助かるのだけど、なんかよそよそしさを感じる。

 目を閉じた俺の視界は真っ暗なはずなのに、鮮明に映し出される不死宮さんの体。ほっそりしたライン、可愛らしいおへそ、形の整った胸、どれも俺の心臓を高鳴らせる。


「もう開けてもいいわ」

「そ、そう……」


 俺はゆっくりと瞼を開ける。それから恐る恐ると振り向く。


 フード付きのパーカーに、ほどよくダメージの入ったジーパン姿の不死宮さん。やっぱり全体的にぶかぶかだけど、めちゃくちゃ似合ってて可愛い。

 まさか俺のセンスなしな服装をこんなにも可愛く着こなせるとは。


「どう、かしら?」


 腕を軽く伸ばして、片足をほんの少し曲げてみせる不死宮さんの頬はほんのりと赤かった。

 まだ俺に見られたことを気にしているのかもしれない。


「うん、似合ってるよ」

「そう? ふふふ」


 不死宮さんは頬を赤らめたまま目を細めて笑った。

 俺の心臓はまだドクドクと激しく脈打って、あの光景が頭から離れないでいた。

 

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