第12話 月光に照らされて

 病室の扉を開ける。

 三歩程度の通路を歩いて行くと、真っ白なベッドが見えてきた。布団が枕元まで被っていて、中に不死宮さんがいるのは容易にわかった。

 眠っているのか、布団がゆっくりと一定のリズムで起き沈みしている。

 俺はしめしめと、あの時の仕返しだと不死宮さんを起こさないようつま先立ちで近づいていく。

 さてさてどう驚かそうか。

 あまり長居はできないしな。

 いっそのこと俺も首筋に噛みついてみようか。あの時はめっちゃ痛かった。血を吸われてるから力も入らなかった。

 でもさすがに俺はな、そもそも吸血鬼じゃないから無理だな。


 結局、俺は普通に起こすことにした。なぜなら、もし不死宮さんがさらに拗ねたら嫌だからだ。

 布団を少し捲ってみる。

 真っ白な髪の毛が見えた。見ただけでわかるほどにさらさらしていて、蛇のようにくねらせてベッドの上に垂れている。

 もう少し捲ってみると、小さな手が見えた。細く綺麗で、整った爪先。あの時、俺はこの手に掴まれて病室を出たんだ。

 思い出すだけで柔らかく温かなあの感触が蘇って、気がつけば手に汗を掻いていた。


「んん……」


 捲った布団の中、まだ光の当たっていない闇の中から小さくて可愛らしい声が聞こえた。

 起きてしまったかもしれないと、俺は数秒固まった後、恐る恐るとさらに布団を上へ捲る。

 苦い顔をしていた。

 少しムッとしたように口元が下がって、眉が寄っている。それでも天使のように可愛いのには変わりないけど、いったいどんな夢を見たらこんな寝顔になるのか。


「んん……にがぁ……」


 寝言だった。

 苦い? と言ったのだろうか、本当にどんな夢なんだ。


「不死宮さん」


 軽く声を掛けてみると、不死宮さんの手がぴくっと反応した。

 ゆっくりと右手が動いて、俺の病衣の裾をかるく摘まんできた。起きているのかと思ったけど、その手はすぐにずるりと落ちて手首がぶらぶらと垂れ下がった。

 白くて小さな手が、窓から差し込む月の光に当てられて美しく輝いている。

 こうまじまじ見ていると、やっぱり綺麗な手だ。ほんのり冷たそうで、指の一本一本が細く、すらりとしている。

 もう少し眺めていたいけど時間もないので、俺は不死宮さんの肩を揺さ振って少し強引に起こしてみる。


「不死宮さん起きて」


 んん、と呻いては体をくねらせて避けてくる。

 とんとん、と優しく肩を叩いてみたり、おーい、と声をかけたりしていると、とうとう不死宮さんは顔を背けてしまった。

 真っ白な髪の毛がこちらを向いて、艶やかな色を見せつけてくる。


「困ったなぁ」


 あと二十分くらいであの看護師が様子を見に来てしまう。

 それまでにはここを出たいんだけど、予想外に不死宮さんが起きないし、しまいにはそっぽを向いてしまった。


 そんな時、誰かのお腹が鳴った。

 俺じゃない。

 晩御飯を食べたのは早かったけど、生姜焼きとご飯、そしてみそ汁とそれなりに量はあったし、今はお腹は空いていない。

 だとすると……。

 俺は不死宮さんを見た。


 病室には俺と不死宮さんしかいない。

 あの看護師も妹尾さんも言っていた。ここ最近、不死宮さんは食事をしていないと。

 少しだけ月の光が強くなった気がした。

 満月でもないのに、半分欠けた月だったはずなのに。


 右腕に痛みを感じたのは、血が出ていることに気づいた時だった。

 手首よりも少し下、細く綺麗な手に掴まれ、形のいい先の尖った爪が皮膚に食い込んでいた。

 不死宮さんが布団から手を伸ばしたのだ。

 目は閉じているし、眠っているはず。

 ただ、開いた口から覗く鋭い犬歯は飢えているように見えた。

 耳を澄ませると、呼吸も少し乱れているような気がする。


「ふ、不死宮さんっ」


 細い腕からとは思えないほどの握力。腕が思いっきり締めつけられて、血が止まりそう。


「あ~ん」


 腕をがっと引っ張られて、俺は体勢を崩しそうになる。

 不死宮さんは大きく口を開けて、俺の腕に躊躇いもなくかぶりついた。


「いっ!」


 注射を失敗された時のように、ずっしりと突き刺さる激痛。思わず腕を引きそうになるも、不死宮さんは俺の腕をがっしりと掴んで離さない。

 これ、不死宮さん起きてるよねっ?

 吸血鬼って皆そうなのっ? 妹尾さんはわかるけど、まさか不死宮さんもこんな力があるなんて……。


 全ての血を吸われそう。

 それほどに吸う力が強くて、長い。


「不死宮さんっ、そろそろ」

「ん、んん、んっ」


 ごくごくと飲んでいるのがよくわかる。

 俺は貧血で倒れそうだ。頭が徐々に回らなくなってくる。

 やばいかも……。

 まじでぶっ倒れる……。


 ずっと血を吸っていなかったからか、空腹も限界を超えたのだろう。でもまさか、眠ったままかぶりつかれるとは思わなかった。

 役得……不死宮さんに血を吸われて死ぬのなら、悔いはないっ。

 うまいこと思考が回らないから、変なことを考えてしまう。


 膝が床につきそうなくらいに力が抜けていく。倒れそうな寸前で、不死宮さんは驚いたように俺の腕から顔を仰け反らした。


「はふっ! にぎゃいっ!」


 口元から垂れる血。

 顰めた顔を見れば苦いのはわかるけど、せめて飲んでくれ……。

 俺はベッドに手を突いた。


「ふ、不死宮さん……起きた、ね」


 鼻息荒くそう言うと、不死宮さんは口の中に残っていた俺の血を苦しそうに飲み込んだ。


「ひかりなの……?」

「そう、だよ」

「ど、どうして……それに私なんで光里の血を……あ、光里怪我してるわ」


 不死宮さんは、俺の腕から垂れた血をざらっとした舌でペロリと舐めてきた。


「勿体ないわ」


 そう言う不死宮さんの顔はとても苦そうだった。


「不死宮さん、出よう」

「え、出るの?」

「もちろん。不死宮さんを迎えに来たからね」


 俺は左手で不死宮さんの手を取った。

 けれど不死宮さんは状況が理解できていないのか、少し力を入れて留まろうと抵抗する。


「ど、どこに行くつもりなの?」


 それは決まっている。

 不死宮さんが笑顔になるところ。

 

「学校に行こう。そのために迎えに来た」

「がっこう……」


 その言葉を呟いた不死宮さんは、胸に手を当てて俯いてしまった。けど、不死宮さんは俺の左手を強く握り返してきた。

 やがて顔を上げると、目を細める。


「行くわ! 光里、私を学校に連れて行って!」


 不死宮さんの後ろ、窓から差し込む月はよく輝いていた。

 嬉しさを抑えきれないと言った笑みを浮かべた不死宮さんを、宝石のように美しく照らす。

 俺は、貧血など忘れるほどに、彼女の満面な笑みに目が離せなかった。

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