第10話 餌

 ギプスを外して1時間くらい経ったけど、まだ少し右腕に圧迫感が残っていて、それにずっと動かしていなかったから、思うように力が入らない。

 そこで妹尾さんが右腕のリハビリと言ってハンドグリッパーを持って来てくれたのだが、言いたいことがある。

 そのハンドグリッパーは、まさかの80キロという男子高校生が握りきれるレベルではなかったことが判明。何を基準で80キロを持って来たのか……。


 俺は早々にギブアップして、気分転換でもしようと病室を出た。

 すれ違う看護師を見ていると、誰が吸血鬼なのかが見た目では全くわからない。ただ不死宮さんは、あの透き通った肌といい、さらさらな真っ白な髪といい、そして宝石のような紫色の瞳といい、どこを見ても人間離れした美しさが溢れている。

 吸血鬼だとわからなくても、何となく人じゃないことだけはわかる。


 屋上に続く階段を上りながら、俺は密かにわくわくしていた。

 また、あのベンチで天使のような寝顔で寝てやしないか。そう思うと今から鼓動が速くなる。

 そんな期待を胸に、扉を開けて屋上に出る。

 強い日差しを受け、俺は思わず目を細める。

 花壇に咲いた花たちを見る振りをしながら、俺はあの日見たベンチへと歩いて行く。

 けれど、ベンチが見えてくるにつれて、知らないお婆さんが座っているのに気づく。目を細め、うとうとと頭を揺らして寝ているようだった。


 薄々は気づいていたけど、本当にいないとわかると胸が寂しかった。

 俺はとぼとぼと来た道を引き返す。

 気分転換に来たつもりだったが、気分は少し落ち込んでしまった。

 屋上扉の取っ手を握る俺の手は沈んでいたが、いないのは仕方ないと、勢いよく扉を開ける。


「うわっ」


 驚くほど甲高い声で叫んだ俺は、その場から反射的に飛び退いた。

 なぜならば、扉を開けた先に人が立っていたからだ。その人は、真紅色の髪の毛を結んでいて、俺を見るなり目を細める。いつも不審者呼ばわりしてくる看護師シイナが、そこには立っていた。

 驚いて口を開けたままの俺に、彼女は言う。


「探しましたよ。病室に行ってもいなかったので、余計な体力を使わされたのですが」

「いや、そんなこと言われても」

「まぁいいです。それより少しお話があります。もちろん聞きますよね」

「俺に拒否権はないんですね」


 嫌な予感しかしないけど、そもそも断るという選択肢は用意されていなかった。

 看護師シイナは腕を組むと、「こっちに来なさい」と言って、近くのベンチに腰掛けた。

 陽に照らされて輝く真紅色の髪の毛と、透き通った肌。よくよく考えれば、彼女も人間離れした美しさがあるんだよな。


 あまり乗り気じゃないまま俺もベンチに腰掛ける。そんな俺の心を読んだのか、看護師シイナはあからさまに眉を潜めた。


「面倒臭そうな顔をしててもいいですが、話と言うのは、お嬢様のことです」

「え、不死宮さんのっ」


 不死宮さんの話となれば、学校がもうすぐ始まるとか、宿題がどれくらい溜まっているかとか、お見舞い誰も来なかったなとかそんなことよりも、今一番気にしていること。


 看護師シイナは嫌そうに溜息を吐くと、ゆっくりと顔を上げ、どこか黄昏れたように雲一つない空を眺める。


「今からあなたに話すことは、私からではなく、お父様から預かったものです」

「お父様……」


 何だろう、今から殺すとでも言われるのだろうか。寝顔を撮ったこと、もしかして話が伝わっているのか。

 陽が出て暖かいはずなのに、ぞわっとした悪寒に襲われる。

 そんな俺を他所に、看護師シイナは独り言のように言う。


「お嬢様は、また歩くことができなくなってしまわれた」

「どういうことですか。あんなに嬉しそうに歩いてたのに、俺の病室まで来たんですよ」

「それが、あの日の朝です。急に足に力が入らなくなってしまわれて、お嬢様は相当ショックを受けたのでしょう、それからずっと布団に籠られている」

「そうだったんですね……」


 嫌われたわけじゃないことがわかってほっとした半面、不死宮さんのことが心配だった。物凄く嬉しそうな顔で、病衣を靡かせて華麗に回る不死宮さんを思い出す。

 看護師シイナが俺の顔を見つめた。


「あなたの血は稀血まれけつ、それもⅠ群に属するもの」

「え? え、稀血」


 突然何を言い出すのか。稀血って、何? Ⅰ群? 訳がわからず首を傾げてしまう。


「稀血とは、我々からすれば凄まじい力をもたらしてくれる高栄養の血のことです。あなたの血がどんな力なのか、それはまだ詳しいことはわかりかねますが、実際にお嬢様の足を一時的にですが、回復させるという効果があります」

「俺の血がですか」


 そう言えば、俺の血を飲んで立てるようになった、って不死宮さんが言ってたような。あと不味いと言われた……。


「そこでです。あなたをお嬢様専属の餌になっていただきたいのです」

「え?」


 とんでもない発言だった。何を言うのかと思っていたら、餌と……。ま、まぁ、不死宮さんの餌になるのは全然かまわないのだけど、俺、死なない? 血を吸われすぎて干からびない? 意外と不死宮さんけっこう吸うよ?


「いやぁ、う~ん……」

「もちろんただでとは言いません。毎月それなりのお金が支給されます。餌というお仕事と考えてくれて結構です。ただ、こちら側に身を投じるということですから、我々に関する情報は秘密厳守でお願いします。友達はもちろんのこと、家族にも言ってはなりません」

「そこはいいんですけど、餌って、俺の血そんなにないですよ」


 まだ高校生になって一年も経っていないのに、まだ青春を謳歌してないのに(これからする予定)、死因が血の吸われすぎって悲しすぎないか。


 そんなことを考えていると、看護師シイナは本日2回の溜息を吐いた。


「そんなことですか……たった一人のお嬢様に吸われて死ぬようなことは絶対にありません。あなたの体重は60キロですから、出血による致死量は約5リットル、そんな大量の血を飲むことはまずできませんから、安心なさい」

「な、なるほど」

「で、お嬢様専属の餌になるのですか? まさか断ろうだなんて命知らずなことは考えていないでしょうね」


 なんと恐ろしいことを。断ったら俺の命がないって言っているようなものじゃないか。

 とはいっても、専属ってことは、不死宮さんと一緒にいられる時間が増えるってことだし、俺としてはただただ嬉しい申し出だった。


「不死宮さんのためなら、喜んで」

「そうですか」


 そう言うと看護師シイナは一瞬何やら暗い顔をしたかと思うと、静かに立ち上がり、ビシッと俺に突然人差し指を突きつける。


「では早速、あなたの初仕事です。お嬢様を元気にして来なさい!」


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