第4話 夜に這い寄る

 真夜中の病室はとても静かだ。

 昼間とは違って看護師のかける足音や患者たちの喋り声がなく、この世に俺一人だけかなと思ってしまうほどの静けさ。


 いつもなら寝やすい環境だと思うのだが、今は違う。

 妹尾さんに献血を勧められ、協力したのが始まりだった。


 まさか針を血管じゃないところに刺すなんて思わなかった。その上、刺したまま血管までぐりぐりと針を動かされて、その痛さはバスケで突き指した以上だった。というか非じゃないくらい、叫ぶ力も持って行かれる痛さだった。


 お陰で今でも腕がジンジンする。

 お詫びにジュースを奢ってもらったけど、腕が痛すぎて飲めず、妹尾さんに飲ませてもらうという恥ずかしいことに……。

 それも自販機の前で、他の患者や看護師がいる中で。

 くすくすって笑い声が聞えたよ……。


 そんな俺は今は、ベッドの上でひたすら目を瞑っている。

 腕がジンジンして眠れない。

 目を瞑っていればいつかは睡眠に入れるとは思う。でも、何かもう頭が冴えて仕方がない。グラウンド五十週はできそうな冴え方をしてる。


 羊が一匹、羊が二匹、羊が三匹……。


 これで眠れる奴が果たしているのだろうか。少なくとも俺の周りでは聞いたことがない。

 要は試しと、ひたすら柵を飛び越える色んな色をした羊を数えている。


 五十匹近く数えたところで、俺の目もさらに冴え始め、幻聴なのか、ガラガラガラと病室の扉の開く音がした。


 ってか、こんな時間に誰だ……。


 見回り……にしてはスリッパのパタパタした音が迷いなく近づいてくるような気がする。


 もしかして、いや、まさか……。


 俺は目をギュッと瞑った。

 絶対に開けないと、寝たふりを決め込む。


 パタパタした足音がすぐ目の前までくると、ピタリと音が消えた。


 ちょ、ちょっと、いるよね? 目を開けたら何かしら立ってるよね?


 去ってくれるのを待つしかない。

 俺はひたすら寝たふりをしていた、のだが、突然だった。


「へろ……」


 首筋にザラザラとした舌の感触が伝った。


 うわっ! 舐められたんですけど! え、待って、何が起きてるんだ?


 開けたい。怖いもの見たさもあって、今すぐにでも目を開けたい衝動に駆られる。

 でも、もし、見てはいけない存在だったら……。


 ベッドが軋む音がして、俺の下半身が圧迫される。

 誰かが、俺の太腿に乗っている。


 俺は好奇心と恐怖心の狭間で、薄っすらと目を開けようと瞼を動かすと同時、またも首筋を舐められる。それもへろへろと、まるでアイスの棒を舐めるかのように何度も。


 思わず目を瞑ってしまう。


 それに髪の毛なのか、細い何かが俺の鼻をくすぐってくるものだから、痒くて仕方がない。それに甘い匂いがする。


「はぁ、はぁ、ん、へろ……」


 艶めかしい声と生温かな息が耳にかかって、少しくすぐったい。


 もう我慢できないっ。


 目を開けた先にどんな光景が広がっているのか、気になって気になって、俺は決意する。

 幽霊の類いだろうが何だろうが、このまま見ないで終わるのは勿体ないっ。


 と、俺が目を開けようとしたその時、


 かぷっ。


 確かにそう聞えた。

 そして、声にならないほどの激痛を首筋に感じ、俺は反射的にベッドから上半身だけを飛び起きさせた。


 ごつっ、と俺の額が硬い何かぶつかる。


「はうっ!」

「いってぇ~っ」


 気のせいか可愛らしい悲鳴が聞えたような。


 俺はヒリヒリする額を摩りながら、ゆっくり目を開けてみると、そこには、俺と同じく額を摩る不死宮さんがいた。


 俺の太腿を跨いでいたのは彼女だった。ベッドにまで垂れた真っ白な髪の毛は、月明かりに照らされて艶やかに色めいている。


 そんな彼女の口の端からは、赤い液体が細く滴っていて、やがてポタリとベッドに落ちた。


 まさかとは思うけど、俺の首の皮を噛みちぎろうとしたのって、不死宮さんだよね……。


「起きてたのね、それならそうと言ってほしかったわ」

「いや、そんなこと言われても……じゃなくて、どうしてここにいるんだよっ」

「いちゃダメかしら?」


 不死宮さんは不思議そうに小首を傾げる。

 

 先ほどかぶりつかれたせいで、首筋が物凄く痛い。指先で触ってみると、少量の血がついてきた。


 すると突然、不死宮さんが俺の指を咥えてきた。


 指先に伝う舌で舐められる感触は、妙にくすぐったい。


「ちょっ、何やってんのっ」


 指を抜こうとすると、不死宮さんに手首を掴まれて抑えられてしまう。


 何で血なんか舐めてんのこの人⁉ 


 それよりこんなところ見回りの人にでも見られたらやばいぞ……ましてや不死宮さんはここのお嬢様だし、あの看護師にでも見つかったら……絶対に殺される……。


「あの、不死宮さん、そろそろ離れてもらっても……?」


 俺の指先を舐めながら、ちらり、と不死宮さんが上目で見つめてくる。


 やばい……可愛すぎる……。


 反則級の上目遣いに、見つかろうが殺されようがどうでもよくなりかけた、そんな時に、不死宮さんは俺の指先から顔を離した。

 お陰で指が唾液でべちょべちょ。


 すると不死宮さんは人差し指を口元に当てて、眉を潜め、一言。


「不味いわ」

「え……」


 俺は、開いた口が塞がらなかった。

 


 

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