第1話 ベンチの天使
「どうです? 右腕痛みますか?」
朝日の陽光が照りつける病室内で、黒髪ショートの、少しやる気のなさげな瞳をした看護師は、好意のない笑顔を俺に向けてそう言った。
ギプスを嵌めた右腕に痛みはない。でも、女性看護師の眼差しを受けた俺の心は痛がっている。
「それより、食べづらいです」
朝食を出されたが、普段使わない左手では箸を持つことすらままならない。
だから俺は、右腕のギプスを少し掲げて見せ、食べさせて欲しいアピールを全面に押し出してみる。
けれど、返ってくるのは淡々としたもの。
「左利きになれるかもね、良かったじゃん」
俺は思った。この看護師、絶対に独身だ。
「食べさせてくれてもいいのに……」
「古瀬さんと同い年の子がいるから、その子にでも食べさせてもらったら?」
とても投げやりにそう言うと、看護師は朝食を運んできた台車を押して病室を出て行った。
残された俺は、この朝食をどう食べ切ろうかと考えるのだった。
期末テストが終わってすっかり気持ちも抜けていたのだろう。自転車で横断歩道を渡っていると、赤信号を無視してトラックが緩やかながら突っ込んできた。
幸い下敷きにならなくて済んだが、勢いよく自転車から落ちてしまい、下手な受け身を取ったばかりに、右腕を骨折してしまった。
別に入院するほどでもなかったのだが、厳つい顔をした先生になぜか入院することを勧められてしまった。
まぁ、堂々と学校がサボれるのだから断る理由もないのだが。
ここは不死宮病院と言ってかなり大きな病院。患者もそれなりで、看護師もそれなり。先ほどの愛想のかけらもない女性看護師もいれば、優しい看護師もいる(男だが)。
と、噂をすれば何とやら。
病室の扉をガラガラと開けて、微笑みながら男性看護師が入って来た。
「妹尾さん。左手じゃ食べれないですよ」
俺がそう愚痴をこぼすと、男性看護師こと妹尾さんはニッコリ笑顔で、お茶碗の横に転がった箸を手に持った。
「そう思って来たよ。前みたいにひっくり返されたら大変だからね」
そう言って妹尾さんは、箸で器用に生姜焼きを丸めて、俺の口へ運ぼうとする。
「はい、あ〜ん」
食べさせてもらってなんだけど、なんだこの地獄風景は。
ただでさえ薄味な生姜焼きが、妹尾さんの濃い顔に圧倒されて味がわからなくなる。
ラグビーでもしてそうな体格に180はあろう身長。そして、血管の浮き出た剛腕。口調は非常に滑らかで優しさが滲み出ているのだが、見た目とのギャップがありすぎだ。
そんな妹尾さんは俺の髪の毛を見て口を開く。
「高校生で金髪はヤンキーだね〜、僕も昔は色んな色に染めてたけどさ」
「ヤンキーじゃないですよ。ただ、黒髪の方が目つき悪く見えるって言われたから染めただけです」
「確かに細目な上に切れ長で、目つきは悪いかもね。でも、寝顔はとっても可愛い顔してたよ」
「寝顔……」
あれ、これは逃げるべきか。
あんなに優しかった妹尾さんが、なぜだろう、恐ろしく見えてしまう。
「あ、勘違いしちゃダメだよ。夜勤で見回りしてた時に偶然ね」
偶然にしても、暗闇で妹尾さんが立っていたら、お化けでも逃げ出すレベルだ。
「はい、これで最後ね」
丸めた生姜焼きを俺の口に運ぶと、妹尾さんは空になった食器を持って、くしゃくしゃな笑顔と共に病室を出て行った。
その後の俺はというと、屋上のガーデニングスペースに向かっていた。
それにしてもこの病院、やけに大きい。屋上にガーデニングがある病院なんてそうそう聞いたことがないぞ。
屋上の扉を開けてガーデニングスペースに入る。
少し朝日で眩しいけれど、体の横を吹き抜ける風が心地いい。
それに、色とりどりの花たちが花壇の上でにこやかに咲いている。別に花が好きではないし、名前もわからないけれど、こうも鮮やかに咲いていたら、なんだか心が落ち着く。
特に用もなく花壇に囲まれた道を歩いていると、俺は、見つけてしまった
鮮やかな花たちよりも、木製のベンチに眠る美しいお姫様を。
石畳の地面に垂れた真っ白な髪の毛に、一度も日に焼けたことがないのか、純白の肌。それはもう、同じ生き物とは思えない美しさで、気がつけば俺はスマホを片手に、ベンチに眠る天使を写真に収めていた。
自分でも何でこんなことをしたのかわからなかったが、珍しい模様の蝶々がいたから写真を撮ったような感覚で、ベンチの上に美少女が眠っていたら、それはもう撮るしかないわけで。
同級生にでも見せて自慢しようかと……。
そして、俺がシャッターを切って数秒後のこと、トントンと肩を叩かれ誰だろうと振り向くと、鬼の形相を浮かべた看護師が立っているのだった。
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