血を吸われるだけと言っても、顔を顰めて不味いと言われるのは少し傷つきます
私犀ペナ
プロローグ
白の目立つ清潔感溢れた病室で、吹き抜ける風が、半透明のカーテンを靡かせる。
窓から伺えるのは丘の上に聳える建物。そこには大きなグラウンドと右側にはテニスコートが見え、パン! パン! と、ラケットでボールを打つ音が、ここまで微かに届いてくる。
琴乃はその音に耳を澄ませて、気持ちよさそうに目を閉じて聞いていた。
あそこは中高一貫の砂川学園。全校生徒1000人を超えるマンモス校として知られ、夕方のこの時間帯は特に、部活組の声や雑音がよく響く。
琴乃はその音が好きだった。
琴乃が耳を澄ませ聞いていると、病室に1人の女性看護師が入って来た。
艶やかな赤髪を靡かせて、看護師は髪色と同じ赤い瞳を少女に向ける。
「お嬢様、お体の調子はいかがですか」
看護師の声色はとても暖かく、琴乃に寄り添うようなものだった。
けれど琴乃は、少し寂しそうに応える。
「いつもと変わらないわ」
本当にいつも通りの日常。
下半身が麻痺して動かせないのも、琴乃にとっては日常である。
物心ついた頃から、自覚し始めた不自由。立つことはもちろん、足の指すらも動かすことができない。たまに、腰から下に何もないかのような錯覚を覚えてしまう。
だからこうして時折、太腿を撫でてやることで、そこに下半身があることを再認識している。
「おやつでもいかがですか」
そう言って看護師は、白衣のポケットから赤黒い液体の入ったスパウトパウチを取り出して、それを琴乃に差し出した。
それを受け取った琴乃は、上目遣いで愛らしい視線を看護師に送る。
「外に出たいわ」
「おやつ食べたら一緒にお庭でも行きましょう」
「それは外じゃないわ。わたし、学校に行ってみたいの」
美しく光るアメジスト色の瞳に見つめられ、看護師は困ってしまう。
「お父様の許しがないと……」
「見学するだけでもだめなの?」
琴乃はうるうると瞳を滲ませる。
「うぅ、お嬢様、そんな悲しい目で見つめないでください」
「だって、一度も行ったことないもの。パパは過保護すぎるわ」
「お父様はお嬢様のことが大好きですから」
「む〜」
琴乃は拗ねたように唇を尖らせて、小さく呻いた。
いくら大好きだからといっても、病院から出してもらえないのは窮屈でしかない。例えこの病院に公園並みの庭があったとしてもである。
一度、少女は脱走しようと考えたこともあった。しかしながら足が動かせないため、早々に断念。しまいには目の前の看護師に脱走の手助けを頼み、やんわりと断られてしまう始末である。
琴乃は手に持ったスパウトパウチを開けて、中の赤い液体をまるでゼリーを飲むかのように一口すすった。
「とっても甘いわ」
口の中に広がるとろっとした甘味に、琴乃は頬を緩ませ、美味しそうに赤い液体をすする。
「糖尿病患者の血ですよ、お嬢様。前は血糖値200mgとかなり甘かったですが、今日は120と少し抑えめなのですよ」
「あれは胃がもたれそうなほど甘かったわ」
甘いものが好きな琴乃だが、血以外を口にしたことがないので、甘いかどうかは完全に主観である。
血というのは高栄養なドリンクであり、それを好む吸血鬼という種族は、血以外を受けつけない体になっている。
飲み込めない、あるいは不味すぎて吐き出してしまう。
そういった具合に、血の他で栄養を摂取することができないのだ。
スパウトパウチに入っていた赤い液体──糖尿病患者の血液を飲み終えた琴乃は、満足気な顔を看護師に向ける。
「お散歩したいわ。今日は屋上の気分」
「かしこまりました、お嬢様」
病室の隅っこに寂しく置かれた車椅子を、看護師は引いてくると、琴乃を抱っこしてそこへ丁寧に座らせる。
琴乃と散歩に行くつもりだったのだろう、看護師は日傘を腕にぶら下げて、車椅子を押し始めた。
「日差しが強いですからね」
「私は気にしないわ」
「お嬢様が気にしなくても、私はとっても気にしてしまいます。お嬢様の真っ白な肌は何としても守らなくては」
使命感とは違う、看護師はただ、琴乃の純白の肌が好きなだけだった。
そして、二人は病室を後にした。
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