ニ 見覚えのある景色

 病院を抜け出した俺は、恋人だと名乗る女性――岡田伊代の車で彼女のマンションへと逃げ込んだ。


 そのマンションは公安にも知られていないため、身を潜めていても安全だという話である。


「――それじゃあ、あたしは買い物と用足しに行ってくるから留守番しててね。ここはまだ知られてないとはいえ、どこに警察の目があるかわからないからぜったい外に出ちゃダメよ?」


 夜が明けて昼近くになると、彼女はそう言って俺を部屋に残し、一人だけで出かけて行った。


 まあ、記憶がないので外出したところで行きたいと思う場所もない。公安に見つかる心配もあるし、おとなしく引きこもってテレビでも見ていよう。


 ……そう、最初は思っていたのだが。


「……ん? この場所は……」


 昼過ぎに再放送らしきサスペンスドラマを見ていた俺は、そのロケ地に使われている場所になぜか見覚えがあった。


 どこかの高台にある展望台で、夜景がとても綺麗な場所だ。


 いや、見覚えがあるとは言っても既視感デジャヴュのようにただ見たような気がするというだけであり、そこがどこで、いつなんの目的で行ったのかも定かではないのだが、それでも今の俺には貴重な記憶の断片である。


 俄然、強い興味を抱いた俺は、連絡用に岡田伊代の置いていったスマホを使い、展望台というキーワードを入れて画像検索をかけた。


 自分のことはまったく覚えていないのに、こういった生活のための知識については忘れていないのでなんだか不思議だ。


「あった! ここか……」


 すると、ほどなくしてそれらしい画像の掲載してあるブログを見つけることができた。


 どうやらここからそう遠くない位置にある、小高い丘の上の展望台のようだ。


 もしかしたら、そこへ行けば何かを思い出すかもしれない……。


 俺は抑えがたい衝動に駆られ、気づけば体が自然と動き出していた。


 だが、玄関のドアを開けて出ようとすると、その扉には電子ロックがかかっており、中からでも暗証番号がわからなければ開かなくなっている。


 この電子ロックのことは今初めて知ったが、どうやら俺が誤って外出してしまわないようにと、岡田伊代は番号を教えていってくれなかったようだ。


 しかし、あの展望台へ行かねばという思いは最早、使命感のように俺の体を突き動かし、玄関がダメならと今度はベランダへと足を向わせる。


 そして、ここは10階というかなりの高層階であるのになんの躊躇いもなく、ベランダから飛び出すと壁に付いた雨樋やらパイプやらを伝って、スルスルと猿のように地上へ降りていった。


 意識もせずにさらっとしてしまったが、どうしてなのか? 俺にはそんな芸当が簡単にできた。


 やはり、プロの殺し屋として身に付いた運動神経なのだろうか?


 いずれにしろ鍵のかかった高層マンションの部屋から難なく抜け出すことのできた俺は、スマホの地図アプリを頼りにその展望台へと向かった――。

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