第22話 野望の実

 夏の湿った空気が、緊張した身体をどんよりと覆い、皮膚から噴き出した汗が、着物を肌にぴったりと張り付かせて気持ち悪い。

 真野勝悟まのしょうごは当主信玄からの急な呼び出しで、駐留先の曳馬ひくま城から馬を飛ばして、昨日の夜に高遠たかとう城に到着したばかりだ。


 武田家は今川家からの要請を受けた形で、遠江の防衛と称して曳馬城に五千の守備隊を駐留させている。勝悟は盟友保科正直ほしなまさなおと共に、守将の補佐として曳馬城に詰めていた。

 曳馬城駐留軍の主将に任命されたのは、断絶していた名門山県やまがた家の名跡を継いだ飯富源四郎昌景おぶげんしろうまさかげ。信玄の召集に対し、曳馬城の守備を正直に頼み、昌景と勝悟が遠江駐留軍の代表として高遠城に向かった。




 高遠城に着くと、諸将の集まる大広間に案内される。

 三二人もの武田の諸将が集まると、改築された高遠城の大広間でも、さすがに息苦しさを感じた。

 何よりも諸将の圧が以前とは段違いに強い。


 以前の彼らは自身の一族郎党を含めた、せいぜい三十人規模の兵を率いる小隊長に過ぎなかったが、今や五千人以上の兵を指揮する大身と成っている。

 地位が人を作るの言葉そのままに、大きな権限と責任を課せられたことにより、人格や思考が以前とは様変わりしたのだ。

 何と言っても、今や武田は甲斐、信濃の二国に上野半国と美濃の三分の一を領し、遠江を実行支配している大大名だ。制圧した国からの石高だけでも百万石を遥かに超え、兵三万の動員を可能にする。


 単純な石高だけではない。

 駿府に開いた武田の専売所が、武田をさらなる超大国に変えた。

 天才的な商才を持つ土屋十兵衛長安ながやすの手によって、主力製品である信州紬を始めとした甲斐、信濃の特産物販売は、開所以来の増収増益を続けていた。


 その主要因は、全国の消費者ニーズをマーケットリサーチした適正な値付けと、商品値崩れを防ぐ販売量の微妙な調整に有った。

 情報収集には跡部勝資あとべかつすけ配下の三ツ者の働きが大きかったが、集まった膨大な情報を元に損益分岐点を見極め、今後の販売戦略につなげる長安の分析能力こそ、現代のコンサルタントファームも顔負けの稀有なものだと、勝悟は大きく評価している。


 現在、専売所から上がる利益は、今川から支払われる遠江防衛負担金と合わせると、武田領の総石高に匹敵し、それにより武田軍団の動員兵力は倍の六万人を可能とした。

 加えて専売所の開設は武田の軍装備も一新した。特に今まで入手できなかった、南蛮気道用のクロスや、(英国式)大洋弓、そして最新の鎧などが、専売所経由で大量入荷した。これらを武田軍の兵士に支給することによって、武田の兵制は大きく変わり、より速くより強力になった。


 これらの施策の仕掛け人が勝悟であった。

 富士山の噴火によって二十一世紀の世界から、この世界に漂流した勝悟であったが、自らの力で歴史を創る手応えにすっかり魅了され、ホームシックなど感じることもなかった。



 襖が開き、信玄が大広間に入場した。

 集まった諸将の間に緊張が走る。

 昨年の遠江防衛戦後に開かれたのを最後に、武田家の全重臣を集めた会議は行われていない。

 それだけに、それぞれがこれから始まる話の内容に、期待と不安を感じても不思議ではない。


「この一年で当家を取り巻く状況は大きく変わった」

 信玄の少ししゃがれた低い声が、重々しく大広間に広がる。

「甲斐、信濃から始まり今は上野、美濃まで領土を広げ、遠江には軍を駐留させた。我が武田の勢力はこの三年で大きく広がった」

 その間に信玄は勝悟の献策を取り入れ、織田家との前線に近い高遠城に本拠を移し、各地への道を整備することで軍の機動性を充実させている。


 甲斐は嫡男の武田義信、上野は馬場信春、北信濃は高坂こうさか昌信、美濃と飛騨は武田勝頼が、それぞれ軍事に関する独立行動権を持って統治している。

 また遠江駐留軍の司令官である山県昌景には、軍権だけではなく今川との外交も一任されていて、両国の相互成長に大きな影響を及ぼしていた。


 その今川家は、武田の防衛網によって軍備増強の呪縛から逃れた上、当主今川氏真うじざねが執政官としての高い資質を開花させて、駿府を関東・甲信越の物産が集まる日本屈指の一大商業都市に育て上げた。

 駿府の人口は今や三十万人を超えなおも膨張し続けている。


 氏真は勝悟の助言により、増え続ける人口の戸籍管理を徹底し、所得税を儲けることにより、商業都市の財政モデルを作り上げた。

 さすがに源泉徴収とはいかないので所得は申告制だが、現代張りの税監査機能を充実させることにより、公平で安定した財政基盤を確保している。


 もちろん、税収に見合う福利厚生を充実させ、特に医療に関しては手厚い支援サービスを充実させた。

 戸籍の登録者で職のない者には、新設された職業安定所が職を斡旋し、失業した者には失業手当を支給した。


 これらの政策は近隣の噂と成り、駿府の都市としての魅力を増加させ、より人口増加に拍車をかけた。

 氏真はこうした施政に対する天賦の才が有り、何よりも民を愛する気持ちが人一倍強かったので、不正が少ないクリーンな政府ができあがった。


「駿府の専売所と今川からの防衛負担金が加わったことで、我が武田の蓄財は今や二百万両を超えた」

 甲州金二百万両は、現代の貨幣価値で言えば一兆円を超える。

「今川は今後も毎年三十万両を超える協力費を約束し、専売所から上がる利益も破竹の勢いで上昇している。さらなる版図拡大に向けて準備は十分に整った」

 諸将が思わず息を飲む気配で、周囲に異様な緊張感が漂う。

 いよいよ次の攻略目標が発表される。

 北の上杉か、それとも西の織田、徳川か――いずれも武田に負けない超大国だ。


「我らは西に向かう」

 周囲にどよめきが漏れた。

 西には足利義昭を将軍に奉じ、上洛した織田信長が畿内を中心に勢力を拡大していた。

 既に抑えた国は、尾張、美濃に加え、山城、南近江、伊勢、志摩、伊賀、大和、摂津、河内、和泉の十一か国に及び、その総石高は三百万石を超える。

 加えて堺、草津、大津など有力港湾都市を直轄地とし、そこから上がる膨大な矢銭が織田家の膨大な軍事費を支えた。

 その動員兵力は織田家単独で武田の三倍にあたる十八万人。これに同盟国である徳川と浅井のそれぞれ一万人の兵士が加わる。


「それは大戦おおいくさになりますな。しかし、信長は将軍を奉戴している。そこはどう折り合いをつけますか?」

 西上野を任されている馬場信春が、興奮気味の諸将を制して一番の懸念を口にした。

 これに対し、信玄は側近の跡部勝資あとべかつすけに説明せよと、目で促した。

「ここに将軍足利義昭様からの御内書が届いている。この中には、織田信長の独断専行を指摘し、上洛して信長を討つべしとある」

 再び諸将の間にどよめきが起こった。

 それを鎮めるかのように、小幡昌盛おばたまさもりが口を開いた。

 昌盛はこの年四六才になる歴戦の将で、今は高坂昌信の腹心として、海津城の副将を務めている。


「織田は十一か国を制し、総兵力は十八万とも言われています。それに比べお味方で西に動員できる兵士はせいぜい四万。織田が半分の九万をもって迎撃に出れば、徳川と合わせて十万の軍となります。これにどう対処されるつもりか?」

 昌盛の問いに対し、同じ北信濃を守る上田城の真田幸隆さなだゆきたかが、反論した。

「先年の朝倉討伐で、近江の浅井が信長に反旗を翻しました。これに呼応するかのように本願寺顕如ほんがんじけんにょが、一向宗の門徒を引き連れ摂津石山で兵をあげています。一向宗は他にも、信長のお膝下の長島でも一揆を起こしました。これらを抑えるために、かなりの兵力が費やされ、我らを迎撃する兵力は、せいぜい五万というところでしょう」


 幸隆はこの年五八才、第四次川中島の合戦を最後に家督を嫡男信綱に譲り、隠居生活を送っているが、三ツ者とは違う独自の忍者集団を使って、諸勢力の情勢分析は怠ってないようだ。

 昌盛は幸隆の物知り顔に反発を感じたのか、顔を紅潮させて反論しようとしたが、その声を遮るように別の場所から声が上がった。


「兵力論議は話を全て聞いた後でいいでしょう。こちらで織田兵力がいくらと皮算用したところで、現実は思いもよらぬ変化があるもの。大事なのは西上の侵攻路と我が軍の編成がどうなるかではないですか」

 信玄の幕僚の一人である穴山信君あなやまのぶただが、話を先に進めるように勝資を促した。

 信君は昌盛や幸隆のような年長者に比べ、まだ三一才と若いだけに、何とか工夫して現状を覆そうとする気概がある。才気煥発さいきかんぱつで信玄の信頼も厚いことから、古い考えに固執した老人をやや見下すきらいはあるが、議論においては家中でも対抗できる者はそう多くはない。


「侵攻路は三つ考えられます」

 勝資も長評定は今は不要と考えたのか、間髪入れずに説明を始めた。もしかしたら同じ信玄の幕僚同士、事前に老人たちの議論を封じるために打ち合わせ済みだったのかもしれない。

「侵攻路の一つ目は、加治田城から猿啄さるばみ城に向かい、これを落として木曽川の北を進んで岐阜城に侵攻するものです。この場合天然の要塞である猿啄城を、いかに早く落とせるかが成否を決めます。ここで手間取ると、織田方に十分な迎撃態勢を敷かれ、岐阜城に達したところで、尾張から挟撃を受ける可能性があります」

 確かに木曽川の南には尾張の織田方の城がひしめいている。これらの城に十分な時間を与えてしまえば、背後から追撃されて退路を断たれる危険がある。


「二つ目は、関城から長良ながら川を渡って北から岐阜城に進みます。この場合も猿啄城を抜けた尾張の織田軍に背後を襲われる危険があります」

 やはり、尾張の織田軍が健在な中での美濃侵攻は、かなりリスクを伴うようだ。

「三つめは、三河の徳川を痛撃し、戦闘力を奪ってから尾張に侵攻します。この場合徳川軍が野戦に出てこず、岡崎城に籠城してしまうと、背後から攻められることを警戒して、前に進めなくなります」

 前年に遠江での戦いで完勝しただけに、徳川が野戦を選ぶとは考えにくかった。

 こうなると美濃、尾張から京に進むのはかなり難しいように思える。かと言って、北から回り込むには、謙信というもっと難敵が待っている。


「それでお主はどうしようというのだ」

 信玄の異母弟にあたる一条信龍いちじょうのぶたつが、リスクばかり強調する説明に多少苛立ちを込めて問いかけた。

 信龍は甲州武者には珍しい洒落者で、尾張の織田軍に多い傾奇者のように華やかさを好む傾向がある。回りくどい説明の勝資に結論を急がせた。


「これは失礼しました」

 勝資が苦笑いを浮かべる。

 こういうところで笑顔を見せてしまうのが勝資の欠点だと、勝悟は思った。

 頭脳明敏な勝資には、訊くときも論理的な説明を好む。それに苛立つ甲州武者はやや愚か者に見えるのであろう。今の笑いには、その気持ちが無意識に表れていて、諸将の反発を招いてしまうのだ。


「それでは、今回の作戦を説明します。まず我々は全力で猿啄城を叩きます。この攻防がその後の展開を左右します。猿啄城を落としたら、ここからの侵攻はいったん止め、駐留軍を置き、主攻は岡崎城から尾張に攻め上ります」

「その策は、徳川が岡崎城に引き籠ったらやっかいだと、先ほどお主が言ったではないか?」

 信龍が腑に落ちぬ顔で勝資を問いただす。


「そこで猿啄城駐留軍が活きてきます。尾張に向かう岐阜からの織田の援軍を、猿啄城の駐留軍が足止めします。猿啄城は木曽川の最上流にあり、どの地点にも木曽川を伝わってすぐに向かうことができます。尾張の兵と徳川軍だけなら、挟撃されてもそれぞれ各個撃破可能です」

「フーム」

 信龍も納得したのか反論はなかった。


「それで、最も大事な猿啄城攻略は誰がするのだ?」

 訊いたのは重臣の一人である内藤昌豊ないとうまさとよだった。

「これなる山中小助が主将を務めます」

 勝資が自信満々に小助を紹介した。

「それはならぬ」

 勝資の意見を真っ向から否定する、きりのような鋭い声が広間を貫いた。

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