第4話 人を斬った
「だいぶ腕が上がったようだ。これなら次の戦は初陣かもしれぬな」
小助は嬉しそうに勝悟の上達を認めてくれた。
一方、褒められた勝悟の方はどこか浮かぬ顔で、当面の目標を果たそうとする覇気が見られなかった。先日の夜盗撃退からずっとこの調子だ。人を斬るとはどういうことか、頭では分かっていたが、実際に自分の手で行ってみて、その行為のあまりの凄惨さに戸惑いが生じてしまったのだ。
意気の上がらぬ勝悟の様子を見て、小助が稽古を中断した。
「どうされた。勝悟殿は戦に出ることは嫌になったか?」
特に非難するわけでもなく、自然な口調で小助は訊いた。
勝悟は何も言えず下を向いた。
「そこに座って話をしよう」
小助が畑に作った休憩所を指さした。
「これを飲め」
水の入った竹筒を受け取って、一口飲んだ。
「わしも闘っているときは自分が生きるために必死なもんで気がつかないが、終わった後でその日傷つけ殺した相手の顔を思い出してやりきれない気分になるよ」
「小助殿もそんな風に感じるのですか?」
「ああ、酷いもんだ。特に年若いのを殺しちまったときは、やりきれなくて心が沈む」
「私は甘かったのでしょうか? もっと軽く考えていた」
「わしはそんなことないと思う。確かに歴戦の強者には、戦において殺した相手のことは気にならなくなる者もいる。でもなわしはいつまでも悩む人の方が好きだな」
「でも戦に出るのが怖いと思ってしまいました。自分が死ぬことよりも、敵を殺してしまうことが怖いです」
思わず本心を吐露してしまった。そんな勝悟に対して小助は明るく笑った。
「大いに悩むことだ。もしどうしてもやりきれぬなら、防衛線以外は戦に出ることはない。家を守ってもらうだけでも十分だよ」
小助はどこまでも寛容だった。
勝悟はかえって自分のいくじのなさにやり切れぬ思いが募った。
「これを見てみな」
小助が着物の前を開き胸をはだけると、中には鎖帷子が見えた。
「えっ」
思わず驚きの声が上がった。それは平時の戦闘用武具だった。
「どういう理由か分からないが、勝悟殿の武気は異常に強い。最近はわしも着込みをつけてないと、命が危うくなるほどだ。これだけの実力があれば、戦に出れば大きな武勲を上げることは間違いない。しかしその後でもっと大きな悩みも抱えることに成る」
勝悟は自分の強さを知って、かえって恐怖を
その様子を見て、小助が勝悟から視線を外す。
「勝悟殿はどうして戦に出ようと思ったのかな」
「えっ、それは……」
勝悟は思わず口籠ってしまった。
なぜ、こんな勇ましい要求をしてしまったのか、自分でも分からなくなった。
「正直な話、もっと勝悟殿が弱ければ、生き残ることが一生懸命で、相手のことを思いやる余裕も無くなるのだがな。強ければこそ、戦う理由をしっかり持たないと苦しくなるのだろうよ」
「そうなんです。戦う理由が自分の中に見出せないのです」
小助と話すことによって、勝悟もだんだんと自分の悩みの原因が分かってきた。
「勝資殿に会ってみないか?」
「えっ」
思いもよらぬ言葉に勝悟は戸惑った。
跡部勝資、勝悟も知っている有名な武将だ。どちらかというと武田滅亡の要因として悪い印象であるが。
「戦に成れば我々の命は率いる将の器量に委ねられる。将に命を預けられねば、人を斬る以前の問題で
「小助殿は勝資殿に命を預けられるのですか?」
「預けられる」
このときは小助は厳しい顔で言い切った。
その顔を見て、勝悟は勝資に会いたくなった。
「よろしくお願いします。会わせてください」
久しぶりに勝悟の力強い言葉を聞いて、小助は満足そうに笑った。
(この人が跡部勝資殿?)
小助に連れられて勝資の屋敷に赴いた勝悟は、目の前のこの屋敷の主の姿に完全に予想を裏切られた。
小柄で猫背、部屋に入ってきた限りでは足が短く胴が長い。何よりも特徴的なのは、身体に似合わない大きな頭と広い額、そして小さな目のアンバランスだった。
ここに来るまでに小助から、新規性に富んだ施策を打ち出す明敏な頭脳や、重要な交渉で数々の成果を齎した人としての魅力などの話を何度も聞いているうちに、スマートで怜悧な官僚像を形成していただけに、実像とのギャップが大きすぎて挨拶の言葉もぎこちなくなった。
一方の勝資はにこりとも笑わず挨拶もそこそこに、睨みつけんばかりに小さな目を見開いて、勝悟をじっと観察していた。
いったい何を見られているのか分からず、勝悟は思わず緊張で身体を固くした。
「おお、確かに栄太に似て良い顔をしている」
勝資の第一声に勝悟は思わず全身に力が入った。
「あの、よい顔とはどういう意味ででしょうか?」
抽象的な表現に意味を知りたくて、思わず確かめてしまった。
「もちろん、
「はぁ、女子ですか……」
肩透かしを食らったような気がした。ここは戦国武将らしく、天下を狙う相をしているなどの言葉を期待していた。
「なんだ、不満そうだな。わしはこんな見てくれなので、まったく女子にもてん。お主のような顔を見ると、つい羨ましく思ってしまう」
勝悟は呆れて何も言えなくなった。小助の敬愛する主がまさかの容姿コンプレックスとは思いもよらなかった。
「まあまあ勝資様、顔の話はもうよろしいですから、新しく私の郎党になった勝悟の話をさせてください」
「なんだ、夜盗を初陣で十人斬った話か? それは凄いことだと飯富源四郎が申しておった。わしには武芸は分からぬから、どのくらい凄いのかはよく分からぬが、小助ほど凄いというわけではないだろう?」
勝悟はこの訪問に対して、後悔の気持ちが芽生え始めていた。
勝資に会えば気持ちの整理ができるかもしれないと、期待していただけに、先ほどからの頓珍漢な会話に失望したのだ。
このまま話しても拉致が開かぬと帰りたくなったが、小助はかまわず話を進める。
「実は勝悟は初陣で人を斬って、その凄惨さに悩んでおるのです」
「うん?」
勝資の表情が変わった。小さな目が糸のように細く成り、眉間に縦皺が現れた。
「そりゃあ、人を斬るのは気持ちのいいものではないな」
情けないなどと一喝されると思っていた勝悟は、勝資が同意を示したことに、おやっと思った。
「こんな体たらくでよろしいのですか?」
思わず訊いて、しまったと思った。いいわけがない。
だが、勝資の言葉はまたも予想を裏切った。
「いいのかと訊けれてもなぁ。お主の気持ちだからのう」
「私はこの情けない気持ちに踏ん切りをつけたいと思っています」
「そうは言っても、人を斬ることに慣れるのも、人としてとんでもない話ではないか」
「はあ」
「情けない顔じゃな。そんな顔をしたら女子にもてんぞ」
それはこの場合無関係だろうと、勝悟は心の中で毒づく。
勝悟の表情から気持ちを読んだのか、勝資はニヤリと笑う。
「お主、女子にモテることと、自分がこの先人を斬れるかということは関係しないと思っているだろう」
あまりにも勝資がそこに拘るので、勝悟はだんだん腹が立って来た。
「はい」
ついに本心を表してしまった勝悟に対し、勝資と小助は咎めもせずにニヤニヤしている。
思い切って言ってしまったが、二人の態度に勝悟は気味悪さを覚えた。
「本音で話すのはいいことだ。自分の気持ちを正直に言える相手でないと、信頼できんからのう」
勝資は腹を立てるどころか嬉しそうな顔をした。
勝悟はもしかしたら自分は試されてるのではないかと疑った。
「もしかして、先ほどまでの話は私に本心を繕わぬように配慮されてのことですか?」
「いや、まぎれもなくわしの本心じゃ。今、言ったろう。正直に話さないと信頼など生まれないと」
「勝資様は決して心を偽りなどしない方だ」
疑いを捨てきれない勝悟に、小助が言い添える。
「わしは元々甲斐の国の者ではないし、武士でもない。今一生懸命働いておるのも、女子によく思われたいからだ。わしは都で生まれ育ったが、そこで女子にモテたことは一度もない。と言っても甲斐でもモテたわけではないが。わしは晴信様の勧めで妻を娶った。よく尽くしてくれる妻だが、わしよりも晴信様の方が好きなようなのじゃ」
ついに主君迄登場してしまった。この話はいったいどこまで行くのかと、逆に勝悟は興味を持ち始めた。
「晴信様は、そんな美男子でもないし、どちらかというとわしに近い系統だと思うので、わしも対抗心が出てしまって、ついには妻に理由を訊いてしまったのじゃ」
なんと勝資は自分の奥さんに、なぜ他の男の方が好きなのか訊いたという。
答が気に成って、思わず勝悟は唾を飲み込んだ。
ところが勝資はすぐに答えなない。長い間を取って勝悟を焦らした。
「早く教えてください」
待ちきれずに勝悟は催促した。
「聞きたいか?」
「はい」
「うむ」
勝資が真剣な顔に成った。
「妻が言うには、晴信様は痛みを抱えて耐えてらっしゃる。甲斐の国を守るために父上を追放し、北条や今川などの大国と渡り合うために隣国に攻め込み、敵味方多くの将兵を死なせておる。しかしそれらを当然だとは思わず、心に痛みを感じながらも耐えている姿に、女子は自分が少しでも支えてあげたいと思うわけだ。だからわしも戦は嫌いだが、晴信様のために懸命に戦の準備をし戦う。その結果受ける痛みを必死で耐える。だから妻もわしを支えようと思うわけじゃ」
勝悟は分かるような分からぬような複雑な気持ちになった。結局女にもてるためにあの凄惨な光景に耐えるというのか? 疑問が胸に吹き上がる。
「つまらない理由だと思ったであろう?」
勝悟は正直に頷いた。
「それで良い。人を殺すことにちゃんとした理由などわしはないと思う。人を殺すことに慣れてはならぬ。だが国を守るためには必要だ。そのために自分なりに納得がいく理由を探すしかない。それがわしにとってのモテるということだ」
「しかし、他の者が聞いたら、そんなことのためにと思うのでは?」
「それがどうした。お主の心の痛みは他人にどう思われるかなど関係ないのだろう。だったらどうでもいいじゃないか。自分にとって納得できる理由であればそれでいいのだ」
目下の悩みの回答にはなってはいない。
なってないが、勝悟は心が少し軽くなった気がした。
勝悟はふっと笑った。
その笑顔を見逃さず勝資は言った。
「それでいい。今の笑顔を途絶さぬようにせよ。決して
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