第3話 夜盗


 勝悟がこの世界に漂流ドリフトしてから二月ふたつき経った。

 その間に小助を通じて、勝悟はこの世界が自分のいた世界と、いくつかの点において、大きく異なることに気づいた。

 まず戦国のいくさを大きく変革したとされる鉄砲が存在しなかった。

 勝悟のいた世界では、一五四三年に大隅国種子島にポルトガル船が来航し、鉄砲を伝来したとされているが、この世界ではそれから二十年近く経ても、鉄砲の存在は認識されていない。

 跡部勝資は武田家の官僚として、三ツ者と呼ばれる当時として最高の諜報機関を管理していたが、その勝資の郎党である小助が知らないのだから伝来していないことは確かだ。

 気に成るのは、ポルトガル船の漂着はあったようで、キリスト教はしっかり伝来している。しかも布教スピードは勝悟の知識と大きく異なり、当時日本最大の宗教団体である一向宗と同程度の勢力を、主として西日本を中心に持っていた。

 この事実からこの世界において鉄砲は西欧社会においても、まだ開発されていないと推測できた。


 また、戦闘における中心的な役割を果たすのは、古来から存在する弓矢と槍、刀などとなるが、戦闘においては気道と呼ばれる不思議な武術が大きな働きをしていた。

 気道とは勝悟の元いた世界では、念動力と呼ばれる概念に近かった。もちろん物理的なアプローチなしに、例えば手を触れずに物を動かすことはできない。物理的な作用を意志の力で強化、または変質させることが気道の使い方だ。

 例えば木製の棒で岩を叩いても、気道を使わねば棒の方が折れる。だが、強化系の気道を使えば、棒を強化して岩を砕くことができた。

 また変質系の気道を駆使すれば、物に炎を纏わしたり帯電させることができた。例えば炎を操る気道を使う者は、油を使わなくても金属の矢じりに炎を纏わせ威力の高い火矢を撃つことができた。電気系の者が帯電させた棒を川に差し込めば、魚をショック死させることができる。


 小助は類まれな強化能力の持ち主で、彼の放つ矢は秒速三百五十メートルを超え、音が後からついてくることから、音なしの射手と称されていた。平均的な矢の速度が秒速五十メートルだから七倍近いスピードに強化したことに成る。


 本来気道とは、農耕作業や土木作業の効率化を目的に開発されたものだが、これが狩に転用され、やがて戦闘技術として用いられるようになった。戦闘に用いられる気道を特別に武気と呼んだ。

 西洋でも気道は戦闘技術として研究され、キリスト教徒は複数人の気道力を合わせて、より大きな力に合成することができた。一人一人は弱くても力を合わせれば強力に成る。それは南蛮気道と呼ばれ、多くの大名がこの力を得るためにキリスト教布教を許した。


 勝悟はこの話を聞いて、この世界は気道が発達したために、火薬技術の発達が遅れたのかもしれないと想像した。需要がないところに技術革新は行われない。勝悟は、もしかしたらこの世界の産業革命は、もといた世界より遅れるような予感がした。


 ただ一つ気道には欠点がある。暗闇ではまったく作用しないのだ。逆に太陽の下にあるときは最も強力になる。小助は光が気道の力の源で、人間の身体が媒介となって光の力を集めているのではないかと考えているようだ。


 勝悟が気付いた三つ目の違いは天皇の位置づけだった。世の中の覇権を争うのは武士だったが、この世界の天皇は最大最強の気道を操り、神道系宗教団体の盟主であり、漂泊の徒と呼ばれる一カ所に定住できない浮遊民の長でもあった。

 天皇の一言で、これらの一党が一斉に武装蜂起し一揆を成した。天皇自身はもはや政治に対する意欲を失い、武家間の争そいに介入してこないが、決して無視することはできない存在と言えた。


 これらの違いを認識して、勝悟は自分の身に起きたのはタイムリープではないと思い始めた。思いが確信に変わるころ、中学時代に光一と話した一つの仮説が頭に浮かぶ。

 中学で座標の概念を学び、三次元の概念が定着したころ、光一は自分たちが存在する三次元の世界が、過去においても存在するはずはないと考えた。同様に未来もまだ存在しない。グラフの交点が一つのように三次元が存在するのは現在だけであり、映画のターミネーターのような過去に戻って未来を変えることはありえないとした。

 ただ、時間軸が四番目の軸として存在するなら、時間軸の座標が違う三次元がそこに存在し、時間が流れている。そこは自分たちの世界と交わらない世界であり、時間軸の違う三次元世界で何か起こっても、自分たちの三次元世界に影響はないとも言った。

 それを聞いたときは、光一の論理力と想像力は凄まじいと感心したものだが、いざ自分の身に起きたことを振り返ると、あながち間違った考えではないと思った。

 何にしても、それであれば自分がここで何をしようと、元いた世界に影響は与えないと、勝悟はホッとした。


 勝悟が二カ月という短期間で、ここまでこの世界を理解し考察することができたのは、全て小助の主である跡部勝資のおかげだった。


 勝資は元々甲斐国の出身ではない。晴信の正室である三条殿が京から甲斐に輿入れした際に、父親の三条公頼が執事として一緒に送った者だ。

 晴信は勝資の甲斐の田舎侍にはない、都会で蓄積された豊富な知識と、それを駆使できる頭脳を知って、このまま奥の執事でいるには勿体ないと考え、排斥されていた跡部家を継がせて自分の側近とした。

 排斥されるまでの跡部家は、信濃の国の守護である小笠原家の一族という血筋の良い家で、晴信の曽祖父信昌に滅ぼされるまでは、守護代として大きな力を振るっていた。晴信はその跡部家を復活させ勝資を当主として添え、甲斐の国政を強化する役目を負った官僚とした。

 役目柄勝資の下には国内外の様々な情報が入って来る。それを勝資が、自身の明敏な頭脳で分析した結果付きで小助に伝えた。役人タイプの勝資にとって、晴信から与えられた知行地の地侍であった小助の武勇は、戦場で後れを取らないためにどうしても必要だった。

 以後、小助は勝資の半士半農の郎党として忠誠を誓う。


 一方勝資は官僚としての才識だけではなく、武田軍団の一部隊を統べる武将としての資質も高く、小助を始めとした郎党の育成に熱心だった。

 単なる武力の担い手としてではなく、非情の場合に郎党それぞれが情勢を見極め、自身の裁量で動けるように、判断能力を向上させるためのケーススタディと、そのために必要な情報の伝達を徹底して行った。

 小助は当時としては一級の師を得て、生まれ持って備えていた資質を開花させた。その結果、現代人の勝悟と対等な意思疎通ができるほど、豊富な知識と柔軟で奥行きの深い思考力を獲得したのだ。


 小助の指導もあって、勝悟は苦労はしたが気道を徐々に体得していった。全てはイメージの作り方にあった。身体にエネルギーを集めて、真綿でくるむように優しく対象に送り込む。いったんコツを掴めば、上達は早かった。

 気道が上達していくにつれて、大きな力を発揮するときは肉体が疲弊することに気付いた。上達が楽しくて小助の指示した時間を超えてトレーニングをした日は、全身疲労に陥った。回復手段は睡眠しかないことも分かった。



 学ぶ楽しさのみを実感する平穏な日々が続いていく中で、勝悟はここが戦国の世であることを忘れそうになる。

 この日も農作業を終えて就寝につこうとしたとき、家の外が騒がしいことに気付いた。

「勝悟様、夜盗が村に現れたようです」

 離れに住む家人のげんじいが母屋にやって来て、騒ぎの状況を告げた。

 非常事態だ。

 小助は勝資の共で、村の戦士を連れて諏訪に旅立っている。

「村には戦える人間はどれだけいますか?」

壮介そうすけ権三ごんざとわしぐらいです。後は元服前の子供と女たちだけです」

「分かりました。壮介と権三はどこにいますか?」

「既に庭に待機してます」

「では源じいは飯富さまのところに応援を頼みに行ってください」

 勝悟が源じいに指示を出すと、奥から声がした。

「私が参ります」

 見ると恵那が立っていた。

「夜道は危険だ」

 勝悟が恵那の申し出を却下すると、恵那は普段の柔和な顔を引き締めて、勝悟に対し一歩も引かぬ決意を露わにした。

「源じいは大事な戦力です。使者なら私でもできます」

「野党の仲間が待ち構えているかもしれない」

「恵那も武田の女です。むざむざとやられはしません」

 もはや言い争う時間はなかった。

「分かりました。恵那殿に使者の役をお頼みします」

 恵那はいそいそと出て行き、勝悟は源じいと二人の若者を呼んで作戦の説明を始めた。


「夜盗は真っ先に一番蓄えの多い、この屋敷に向かってくるはずだ。源じいは屋根に登って弓矢で迎撃してください。当然敵も下から応射してきますから、高さの利があるとはいえ、一射ごとに身を伏せて様子を窺ってください」

 源じいは何も言わず頷いた。往年の激戦を思い出したのか頬が紅潮していた。

「次に壮太、敵の背後に回り込んで芝草を集め、敵が門の前に密集したら火をつけろ。周囲の枯れ草にも燃え移って、しばらくは火は消えまい。それでも強行突破する敵がいたら、構わず矢を射かけろ」

 壮太は真っ青な顔いろのままで頷いた。

「最後に権三、私と一緒に敵を迎撃する」

「承知」

 権三は六尺七寸の大男で、武気を使えない闇夜でもその膂力だけで大きな戦力になる。


 それから半時もしない間に、夜盗が襲撃してきた。敵の数は思ったよりも多く、二七人もいた。小助不在を知っているのか、一気に押し入ろうとする敵の前に、勝悟と権三が立ち塞がった。

「何の真似だ。たった二人でわしらを止めるつもりか」

 ひときわ身体の大きな男が、勝悟たちを見てせせら笑った。やはり小助が不在であることを知っているようだ。

 男のなめた口調に権三が怒って、今にも攻撃をしそうになるが、勝悟が左手で制する。


(まだだ、火の手が上がるまで抑えるんだ)

 勝悟は壮介に託した仕事の成果を待った。

「何、時間稼ぎしてやがるんだ」

 夜盗の中で一番若そうな男が、しびれを切らして勝悟に向かってきた。

 目が血走り口がぽっかりと開いている。


(やむを得ないか)

 冷静さを欠いた男は怖くないが、これを契機に戦闘が始まってしまうのが残念だった。

 男が勝悟に後一メートルの距離まで迫った瞬間だった。

 ボシュ。

 男の右胸に源じいが放った矢が突き刺さった。

 さすが歴戦の勇士、体力は落ちても腕の方はまったく衰えを感じない。


「お前ら、待て」

 大男が仲間を制す。屋根を見上げて源じいの姿を補足して、右手で屋根を指さす。

 三人の夜盗が弓を手にして源じいに向かって狙いを定める。

 ビシュ、ビシュ、ビシュ。

 たちまち三本の矢が、源じい目掛けて放たれたが、源じいは屋根に伏せてこれを交わす。

 その直後に夜盗の背後から火の手が上がった。

 かなり油を使ったのだろう。火の手はたちまち勢いを増し、夜盗を背中から赤々と照らした。


「今だ、権三、武気で攻めるぞ」

 叫ぶと同時に、勝悟は武気を左足に込めて跳び上がった。

 勝悟の身体はおよそ三メートルの高さまで上がり、大男との六メートルの距離を一瞬で縮め、武気で強化した槍を振り下ろす。

 まるで豆腐でも切るかのように、大男の身体は右の肩口から腰まで斜めに切り離された。勝悟が着地すると、大男の上体がゆっくりと切り口に沿って滑るように地面に落ちる。


 リーダー格が惨殺されて、夜盗の士気はいっぺんに下がった。逃げたくても後ろは火に包まれている。パニックになって向かって来る敵を、勝悟は小助仕込みの槍裁きで次々に斬り倒した。

 武気で強化された槍は、大木でも一刀で切り倒せる。人間の身体など斬った感触が残ることなく、サクサクと切り離していった。

 およそ十人も斬り倒しただろうか。その間に権三郎も三人斬り伏せていたので、敵の数も半数になっている。更に敵を壊滅しようと構えなおしたとき、炎が消えてその後ろから武装した騎馬集団が現れた。


「飯富源四郎、主の留守を狙う痴れ者を成敗するために参上した。我が槍の手に掛かりたいものは、向かって来られよ」

 その場の空気がビリビリと震えるような大音声が上がった。

 源四郎は武田家中でもトップクラスの戦人として知れ渡っている。

 戦意を失った敵は、バラバラと武器を捨てて降伏した。


 夜盗の捕獲は部下に任せ、源四郎は勝悟の下に近寄ってきた。

「炎を上げて武気を発揮するとは、なかなかよく考えたものじゃ。それにしても二人で十三人とは見事だ」

 源四郎に言われて、勝悟は改めて自分が倒した敵の惨状を見た。

 臓物や脳漿が飛び散り、単なる物体と化した身体を赤く染めている。自分の身体も返り血を浴びて真っ赤に染まっていた。

 突然胃から何かがこみ上げる感覚がして膝をついた。

 地面に向かって口から胃液を吐き散らす。


「おお、お主初陣か。何とも派手な手柄を上げたものよのう」

 吐き続けている勝悟を見下ろしながら、源四郎は高笑いを始めた。

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