週末の遊園地
百目鬼笑太
第1話
口笛に似た風の音がすぐ耳元でしていた。
眼下に広がるは不夜の摩天楼。人も機械も社会を体現する歯車の一部だ。
「ふ、あは、あははははっ!」
濃紺の夜闇に浮かび狂ったように高笑いする影を空の月だけが見ている。
銃弾の雨が地上に降り注いだ。
▲▽▲
青空高くに太陽が輝いて、今日も天気がいい。油汚れを手の甲で拭う。
緩んだボルトを締めなおして修理を終えた。
そこは錆びれた遊園地。
全盛期には、どこもかしこも人の笑い声であふれたものだが、今ではときどきやって来る鳥たちの鳴き声が響くばかりだ。
閑古鳥が鳴くとは、おそらくこういうことを言う。
客が来なくなり、従業員を雇う余裕もなくなった遊園地である。
動く動かないに関わらず、年季のはいった遊具はあちこちが錆びつき、ときには蔦が生い茂り、めっきりと廃れていた。
それでもまだ動くものもある。
「あー、今日も働いた」
ガタのきていた観覧車の修繕を終えたシンゴは工具箱を持ち、鉄のように硬い肩を叩く。
この遊園地が廃墟にならないのは、ほとんどシンゴの功績だった。
毎日、毎日、誰もいない園内を歩き回り、目ざとく遊具の不備を見つけては直していくのだ。
「誰か、一人でも遊びに来てくれないかなあ」
嫌味なほど青々とした空をぼんやり見上げてシンゴがぼやく。
シンゴへと給金が出ているわけではない。そもそも遊園地のかつてのオーナーは今では、遊園地と同じようにほとんど動かない。
日中のほとんどを遊園地に費やすシンゴの暮らしは当然だが、苦しいものだ。
それでも遊園地に尽くすことをやめないのは、この遊園地が産まれたときからシンゴとともにあったからだろう。
遊園地とともに成長してきた──とシンゴは思っている──シンゴにとって、ここはどうしたって捨てきれない存在だった。
「馬鹿だネエ。こんな小さな遊園地になんてもう誰も来るわけないさ」
兄弟が小馬鹿するように囁く。
シンゴはむっとしながら少しも働かず寝てばかりの怠惰な兄弟を睨む。
「そんなことはない! 目玉の観覧車も、回転木馬も動くんだ。お客のためにレストランや狭いけど、ホテルだってある! まだまだこの遊園地は頑張れるはずだ!」
「バカバカ、そんなこといって最後にお客がきたのはいつだった?」
「ホントにお前は頭が悪いんだねえ、自分の頭のねじを締めなおしたほうがいいんじゃナアイ?」
けらけらと笑い続ける兄弟の意地悪な言葉を聞かないよう大急ぎでシンゴは従業員用の扉を通り、用務室へと駆け込む。
疲労の積み重なる関節が走るたび嫌な音をあげるが、それよりもシンゴは兄弟たちと一緒にいたくなかった。
兄弟たちもシンゴと同じように遊園地とともに成長し、長い年月を過ごしてきたはずなのに、なんて言い草だろうか。
口ばかり達者でシンゴを見るたび、シンゴが通りかかるたびにああして意地悪な言葉ばかりを投げかけてくる。
(きっと兄弟たちは、遊園地に人が来なくなって諦めてしまったんだろうな……遊園地は来た人に夢と希望をあげる場所なのに……)
用務室に工具箱を置き、次に手に取るのは掃除用具だ。遊具の修繕が終われば、掃除。
園内をきれいに保つのもシンゴたちの大切な仕事だった。
ゴミばかりの遊園地で遊びたいなんて誰も思わないだろう?
「ふふ~、ふふふ~ん」
鼻歌を口ずさみながら園内の清掃を行う。蔦をはがし、アスファルトを磨く。
アスファルトの下からも植物の芽が芽吹き、ひび割れてしまっている。
一つ、一つ抜いていくとして、どれだけの時間がかかるか……。気が遠くなり、シンゴは肩を落とす。
落ち葉や腐った花弁がいくつも落ちていた。花壇を見れば空っぽで、もうずいぶんと前から花を植えていないなあ、と気が付く。
「花、苗はどこで手に入るかな……近くに花屋はあったっけ」
呟く。そのときだ。
低いエンジンの音が聞こえた。勢いよく顔を上げる。
掃除用具を投げ捨てて、音の方へ走る。
また関節の軋む音が続くが、気にする余裕はない。
そんなことより人が来た!
▲▽▲▽
シンゴがたどり着くと、すでに塗装のはがれた遊園地の入り口の前に一組の男女が車の前で何やら話し込んでいた。
カップルだろうか。
彼氏の方は黒髪で長袖のジャケットとカーキーのカーゴパンツに、ごついブーツを履いている。
露出が少なく重装備な彼氏とは対照的に彼女の方はデニムのホットパンツに薄手のカーキー色のジャケットを羽織っている。
素足を惜しげもなくさらし、目深にキャップを被り、さらにはサングラス。
腰までの長い金髪が日差しにキラキラと透けている。
(……もしかして不良だろうか?)
人が多く来ていたころ、金髪の者たちが駐車場にいくつも車を止めて集会場にしていたことを思い出し、シンゴは警戒をしてしまう。
入り口の柱の陰に身を隠し、二人を窺う。彼氏の方が顔を上げて、シンゴの方を見た。
それに釣られてか同じように顔を上げた彼女もシンゴを見つけた。
「ワオ! もしかして出迎えてくれているのかな?」
シンゴを認めると弾けるように笑顔を浮かべて、彼女がサングラスを外しながらシンゴのそばへと近づいてくる。
サングラスの下から覗いた彼女の眼は薄青で、シンゴは己の予想が無礼なものであったことを知る。
『ようこそ。夢と希望の国へ! たくさん遊んで楽しんでいってね!』
「わ! もしかして、まだ動くの? すっごーい! ねえ、寄ってこうよ!」
久しぶりの客になるだろうかと、ドキマギしながら決まり文句を告げれば、彼女は青い瞳を輝かせて、彼氏の方を振り返ってそう言った。
「案内をしてましょうか? この遊園地の目玉は観覧車と回転木馬――」
「やめとけ。さっさと先に進むぞ」
「えー!」
「そ、そんな……」
彼氏の取り付く島もない反応にシンゴは落胆する。
彼女の方も抗議の声をあげた。
彼氏の方へ、歩み寄るとその手を掴み、シンゴのもとへと戻ってくる。
「別に急ぐ旅じゃないんだからさ。少し寄って行ってもいいじゃん! 人生には楽しみも必要だぜ? な。君もそう思うよなあ?」
「ええ! ええ! 思います!」
「ほーら、彼も楽しめって言っているぞ? 寄るよね?」
「……ここでガソリンが手に入るなら、寄ってもいいがよ」
「ありますとも! もちろん! 駐車場にガソリンスタンドがあるのです! ご入用ならそこをお使いください!」
「よし! 決まりだ!」
ため息と呆れ混じりの彼氏の言葉に彼女は満足そうに笑い、指を鳴らした。
カップルとシンゴはともに園内を歩く。その間、彼女は興奮気味にしゃべり続けるのでシンゴは喉が渇きやしないか少し心配になった。
動かないままの兄弟たちが、二人もつれて歩くシンゴを驚いたように目を丸くして見つめている。
シンゴは内心で諦めてしまった兄弟たちに胸を張った。
(ボクは間違っちゃいなかった……! 諦めないでいれば、いつか昔みたいにお客が来てくれるんだ!)
「わ、わ! メリーゴーランド! 動くかな?」
「もちろんです!」
回転木馬に足を止めた彼女は意気揚々とフェンスと乗り越えて作り物の馬にまたがる。
シンゴもまた彼女が乗るのに合わせて、メリーゴーランドを動かすスイッチを押す。
調子の外れた軽快なミュージックが流れ出したのをきっかけに木馬がくるくると回り出した。
少し動きがぎこちない……久しぶりの稼働であるためミュージックの合間にギギギと歯車の軋む不穏な音が混じってしまっていた。
動かなくなった遊具の修繕ばかりに気を取られて、まだ動く遊具の整備にまで気が回っていなかったのだ。
シンゴは己の至らなさを恥じる。
しかし、それでもフェンスの前で待つ彼氏の前を通るたびに彼女は楽しそうに手を振っている。
その様子のおかげで久しぶりにシンゴの胸はあたたかいもので満たされていくようだった。
「うんうん、一人きりのメリーゴーランドというのも中々に味わい深いものだね! 君も一緒に乗ればよかったのに」
「いらねえよ……」
頬を紅潮させる彼女であるが、彼氏はつまらなそうに低いテンションのままだ。
どうにか、彼女と同じくらい彼氏にも楽しんでもらいたいものでが……シンゴは少し考える。
カップルと言えば……観覧車へ目を向ける。
「なんだなんだ? 観覧車? あれも動くの?」
「当然です。当遊園地の観覧車には伝説がありまして、頂上でキスをした恋人は永遠に幸せに暮らせるのだとか」
「はっ……くだらねえ」
「そういうこと言わない! じゃ、次は観覧車にしよっ」
シンゴの言葉に悪態を返した彼氏をびしっと指差して彼女がいさめる。
弾む足取りで彼氏の腕に腕を絡めると引きずるようにして観覧車へと向かっていく。
「おい! 俺は乗らねえぞ! あんなオンボロ!」
「もー、平気、平気。君は本当に怖がりだねえ。いざってときには私が守ってあげるってば」《ルビを入力…》
「そういう問題じゃねえ! おいっ、離せ! この馬鹿力……!」
「GO! GO!」
強引に彼氏を連れ込み、恋人たちは観覧車のゴンドラに入っていった。
その扉を事故がないようにシンゴはしっかりと確認して閉める。
スイッチを入れると再び、歯車の軋む不穏な音を立てながら観覧車は回り出す。
ゴンドラのカップルに視線を移せば、それに気が付いた彼女が朗らかにシンゴへ手を振った。
夜であるなら夜景も楽しめたが、昼間でも遊園地周辺の景色が一望できるはずだ。
ゴンドラを見送りながら、そんなことを思う。
ぎい、ぎし、ぎぎぎぎぎぎい。がっ。
嫌な音が頭上から聞こえた。観覧車全体が揺れ出している。がくん、がくんと、揺れはだんだんと大きくなる。
ぎ、ぎぎぎぎぎぎぎぎぎいぎっぎ。
耳障りな金属の擦れる音。
――甲高い悲鳴。泣き叫ぶ声。立ち上る土煙。
今にも崩れようと揺れる観覧車に、壊れていた記録が再生された。
「あ、あぁああぁ……思い出し、た」
いつまでも遊園地に人が来ないわけを思い出した。
かつてこの地は争いに巻き込まれたのだ。
戦火を逃れようと少なくない人々が隠れるために遊園地を選んだ。
それを追って、やって来た金髪の人々が駐車場に集まり遊園地はたちまち戦場となった。
戦場どころではない。あれはまさしく虐殺だった。
容赦なく降り注ぐ銃弾の雨に人々は、多くは子供を持つ親たちだった。
なすすべなく動かなくなっていったのだ。
それでも遊園地だった矜持から事故だけは起こしてはならないと、錆びつく指でスイッチを押す。
何度も何度も押すのに観覧車の回転は止まらない。
崩壊もまた加速し、揺れは音は大きくなるばかり。
大きな土埃をあげてついに観覧車のゴンドラが地面に落下した。
「あぁ……なんてことを……」
絶望からシンゴは顔を覆う。
ぎぎぎと、錆びが軋む音は、すぐ耳のそばですら聞こえてくる。
あれだけ心待ちにしていた最後のお客を、遊園地として何より不名誉な事故で失ってしまうなんて……。
山になった観覧車の瓦礫を分け入りながら、恋人たちの亡骸を探す。
あの、戦いで亡くなった彼らと同じように、せめて供養だけでもしてあげたかった。
瓦礫を見下ろすシンゴの頭上に影がかかる。
「あー、びっくり! まさか壊れるなんてね! こういうのって絶叫系っていうんでしょ? すごいスリル!」
「……だからヤダって言ったんだよ、俺は。くそが」
見上げると、彼氏を抱え上げて、空中を歩く彼女の姿があった。
シンゴの思考が停止する。
瓦礫の山に降りたつと、彼女は彼氏を下ろして軽い様子で頭を掻いた。
広がった金髪が傾いてきた日を反射してキラキラと輝きを放つ。
「ま、でも。一回だけで十分かな。空を飛ぶなら私のサイコキネシスの方が刺激的だし、安全だもんね」
「……はあぁ、まるっきり無駄な時間だったな……おい、さっさとガソリンをもらって出発するぞ」
「あらやだ。もうどこにあるか、わかってるの?」
シンゴには目を向けず会話をする二人。
彼女の問いに彼氏が一瞬だけシンゴへ目を向ける。
「駐車場にスタンドがあるんだと」
「ひゅ~、いつの間に情報収集してたわけ~? さすがサイコメトラー!」
「馬鹿、最初から案内人がいたろうが」
「案内人って……」
彼女がシンゴを振り返る。青い目にシンゴが映り込む。
「まさか、この案内ロボットのこと? 案内もなにも、ずっと同じ言葉しか繰り返してないじゃない! まさかロボットもサイコメトリーできるわけ?」
青い目に、シンゴの丸いフォルムがはっきりと映っている。
鯖だらけの丸いボディにSIN-05と掠れた文字が辛うじて読めた。
『ようこそ。夢と希望の国へ! たくさん遊んで楽しんでいってね!《ええ! ええ! あなたたちが無事でよかった! ガソリンスタンドまで、ボクが案内をしましょうか?》』
機械音声を繰り返す。
ぎぎぎぎ、動こうとすれば、錆びた関節が悲鳴をあげる。
「いいや、いらねえ。楽しかったよ、ありがとう」
『ようこそ。夢と希望の国へ! たくさん遊んで楽しんでいってね!』
彼氏の言葉にシンゴの胸に喜びと満足が満ちていく。シンゴは満たされて、がくん、とそれまでボディを辛うじて支えていた何かが抜けていく。
ぎぎぎぎぎ、ぎぎ。
シンゴの体の軋む音はどんどん大きくなっていく。
動く、動かないに関係なく遊園地に残された機械は全てが錆びつき、廃れてしまっている。
すでに動くことをやめた、寝てばかりのシンゴと、同型の兄弟たち。
同型の案内用ロボットたち。
動かなくなっていくボディを最後の力を振り絞って背中を向けて去っていく二人を見送る。
シンゴはもうじきに他の兄弟と同様に動かなくなるだろう。
それでもシンゴは今日の青空のように晴れやかな気分だった。
「ようこそ。夢と希望の国へ! たくさん遊んで楽しんでいってね!《ありがとう、ありがとう》」
シンゴはきっと最期に、その言葉を聞きたかったのだ。
▲▽▲▽▲▽
古い遊園地でガソリンを給油した車に揺られ、彼女ことアシュレイは助手席に寄りかかる。
「ねーえ、本当にあのロボットにサイコメトリーできたの?」
「あ? ロボット?」
かつて戦地となり人が捨てた廃墟ばかりの続く道路を、彼氏こと高明は煙草をふかしながら運転している。
二人は当然のことだけど、恋人なんて関係ではない。
「さっきの遊園地のロボだよ。話しかけてたじゃん。サイコメトリーが出来たってことは、心もあったわけ?」
「ああ、……まあ、あったんじゃねえの。知らねえ」
「は? なにそれ」
「心がなんだよ、ンなもん。あるって思えばあるし、ないならない。そういうもんだろ」
「意味わっかんねえ!」
曖昧な高明の返答にアシュレイは大きく伸びをする。
後部座席には旅の荷物が積んであるため、車内はそれなりに狭い。生まれて初めての遊園地で、メリーゴーランドに乗れたことはアシュレイにとって忘れがたい思い出になるだろう。
「はあ~、メリーゴーランド、楽しかったなあ……他のアトラクションでも遊んでみたいなあ、空飛ぶブランコとか、ジェットコースターとかさ。遊園地には普通にあるんでしょ?」
「あるところにはな」
戦争が起きて久しい、この世界でまともに動く遊園地を探すことすら難しい。
生き延びた人も社会の瓦解した世界で日々を生き抜くことに必死で娯楽などに興じる暇もないはずだ。
煙草の煙が充満してきた車内の空気を入れ替えようとアシュレイが窓を開ける。
窓枠に肘を立て、窓からの風に目を細めた。
「ま、残ってるわけないか。どこもかしこも私たちみたいな異能兵士がぶっ壊して回ったんだし」
「おい、窓閉めろ」
「じゃあ、煙草やめろ」
強く車内を吹き荒らす風に辟易した高明が舌打ちとともに煙草の火を消す。
アシュレイも窓を閉めてまた、座席に寄りかかる。
「ん、人間の集落が近いな」
「お、いいねえ。そろそろ携帯食以外が食べたかったんだあ。美味しいものがあるといいけど」
人の記憶を感じ取った高明の言葉にアシュレイは座席を座りなおす。
「食わなくても、そうそう死なねえだろ、そういう風に改造されてんだからよ」
「も~、何度も言わせんなって。せっかく軍から自由になったんだ。この体を楽しまなきゃ損ってもんだぜ」
にしし、とアシュレイは歯を見せて笑う。
とある軍にて、アシュレイと高明は非人道的な改造を受けて作られた超能力を有する兵士だった。
命ぜられるまま壊し、命ぜられるまま殺し、ある日、祖国を裏切り逃げ出した脱走兵だ。
当然、軍から追手はある。
それでも目的もなく、目標のない気ままな旅を楽しんでいる。
いつか行いの対価を支払うときが来ることを知りながらも、楽しまなければ先に心が死んでしまう。
だから二人はいつかが訪れる、そのときまで自由を謳歌し、生きていく。
アシュレイと高明の旅はまだ終わらない。
週末の遊園地 百目鬼笑太 @doumeki100
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