カフェイン

@eyecon

カフェイン





 迫力あるギターサウンドと、心音のようなバスドラの音を奏でる目覚ましで、僕は覚醒する。流れているのは、オアシスの『モーニング・グローリー』。朝の寝覚めにはピッタリの曲。コイツの良い所は、下手に目を覚ませと急かさず、「起きるのに少し時間が欲しい」と僕の気持ちを代弁してくれる所だ。その歌詞が出るサビまでは、僕は絶対にこの曲を消さない。

ㅤそんな事はさておき、餅を潰したような表情の僕の寝ぼけ顔。コイツが消えるまでの僕のモーニングルーティンを説明しよう。


ㅤ早朝、窓から飛び込んでくるのはいつも、寝室の白い天井と、目を背けたくなるような眩しい日差し。僕は日差しを手で隠しながら、霞がかった意識の中で、ベッドサイドテーブルに置いてある『アデッサ』製の木時計を見る。時刻は朝の七時。いつも通りの起床。

 ここはとあるマンションの六階。マンションを正面から見て、一番右にある、階段の側の部屋が、僕の自室である。



「ふぁ~あ……」



 僕の意志とは反して、大きなあくびが出てしまう。そんな時に気を緩めると、意識が遠くなっていく。僕は朝に弱い。寝起きはいつも夢心地。現実はおぼろげ。脳内は空色ネモフィラ畑。実際に見たことは無いけど。



 『サイモンズ』の羽毛マットレスのホワイトベッドは、寝心地が半端ない。そこに『アシュリー&ベロニカ』のラベンダーの香りのアロマキャンドルと、『ドリームベイ』のコンフォートジェル仕様低反発枕も加わるとなると、言うことなし。特にこの枕はオススメだ、疲れは吹っ飛び、すぐさまお気楽瞑想世界。だから起床には苦労する。しばらくの間ベッドの上から離れられず、寝転がってあちらへこちらへ。そして『ふっ』とアロマキャンドルの火を消して、鶏冠のような寝癖を携え、こう思うのだ。



――洗面所へ行こう。







「へックション!」



 寝室のドアを開けると、必ずくしゃみが出る。廊下から吹き込む涼しい風によって、ハウスダストが鼻に運び込まれるのだろう。いわゆる通過儀礼のようなもの。

 洗面所は目の前。前に三歩進むと即到着。そこのモザイクガラス扉を開け、電気をつける。すると辺りは一瞬にして、橙色の空間へ早変わり。

 僕は早速、流し台の鏡を覗く。そこには、瞼が重く垂れ下がり、いかにも眠そうな僕の顔。コイツに少し水をかけてやると、たちまち頬が引き締まり、瞼はすっきり。だがすぐに眠気が襲う。またぼんやり。

 

 洗面所から出て、フローリング床材の廊下を抜けると、そこはキッチンと一体型のリビング。部屋に入ってすぐのところには、『カッシーナ』製の抹茶色ソファ。僕はそこに腰掛ける。

 「ふぅ」と息を吐きながら上を見ると、目に優しい薄緑の天井と、楕円型の蛍光灯の景色。それを眺めながら、数分ほど呆けタイム。


 僕は基本的に、淡い色を好む。壁はベージュ。床には北欧柄の水色絨毯。掃き出し窓には純白のカーテン。DIYのチェリーブラウンの棚。手前のロングテーブルは、上質な焦げ茶。これは例外。

 淡い色は生活に溶け込む。そう、家具であるという主張をしないのだ。だからビビッドカラーのような主張が強く、明るげのある色は好まない。


 あっという間に呆けタイム終了。僕はテーブルに置かれたリモコンで、テレビを付ける。僕の液晶テレビは8K対応の55V型。ディスプレイの光色信号は乱れがなく、朝の寝覚めにグッと効くものだ。あまり集中すると目が疲れてしまうが、何かをしながら見れば特に問題は無い。



『今を彩る流行のファッションは――』



ㅤ画面には、ピンク系のアンサンブルコーデに身を包んだ、これぞ清楚系女子アナという感じの女性が喋っている。

 『流行のファッション』は間違いだ。なぜなら、ファッションという言葉自体が、『流行』を意味するから。つまりそのまま訳すと、流行の流行。ある意味、我々消費者にサブリミナル効果を諭すには、いい方法かもしれないけど。



『魚座のラッキーカラーは「赤」! 今日は素敵な人からのお誘いがあるかも!?』



 テレビの星座占い。僕は魚座。しかし赤は苦手だ。『THE 主張の強い色』だから。血だとか炎だとか、赤が主色のものは刺激の強いものが多い。その刺激とはつまり、『違和感』と同じ。違和感は日常のリズムを崩す。淡い色が好きなのも、生活の中に自然と溶け込んでくれるからだ。だがアロマキャンドルの火は好きだ。こじんまりとしてて可愛げがある。


 不意に腹の虫が鳴いた。壁にかかった時計を見ると、七時半。もう朝飯の時間だ。いつもこのタイミングで腹が減る。僕はソファから立ち上がると、キッチンにある冷蔵庫へと向かう。


 冷蔵庫の中も外もスパイスだけ、食べ物はほとんど入ってない。扉に取り付けられた棚には、三つの透明なペッパーミルに入った、それぞれ違う色のカンポットペッパー。その他バジルやナツメグ、ローズマリー、クローブ等の香辛料。やたら種類がある割に、特に使いもしないものばかり。ちなみに胡椒を透明なペッパーミルに入れているのは、単に見た目が綺麗だから。

ㅤもう何年も一人暮らしをしてきたが、未だに料理というものが苦手。自炊出来る人間に憧れる。実際に冷蔵庫の扉を開けると、中は余白だらけ。ケチャップやマヨネーズ、バター、マーガリン、あとはヨーグルトとか缶ビールとか。ちらっとジュースが入っているくらい。そして、コンビニで買った卵のサンドイッチ。僕はサンドイッチを取り出して、扉を閉める。



『ご覧下さい! 見事な絶景です!』



 再びソファに座る。テレビを見ると、どこかの山の頂上から見た、空の景色が映っている。僕はそれを眺めながら、サンドイッチを頬張った。

 美味い。僕の朝食はいつもサンドイッチ。それも卵サンド。ツナとかカツが入ったものもあるが、基本卵で固定している。レストランとかでも、僕はいつも決まったメニュー。しかし新作には弱い。大体の人はそうだろう。



『夜は激しい豪雨になりますので、傘をお忘れないように』



 天気予報を聞き流しながら朝食を食べ終わると、僕はすぐに歯を磨きに、洗面所へ戻る。そして再び鏡を覗き、歯を見せつけるように口を開き、歯ブラシを取り出す。僕の歯磨き法はアナログ式の『ダブルブラッシング』。歯磨き粉はシトラスミント。スースーして気持ちいい。しかしそれだけではなく、この歯磨き粉はフッ素濃度が強い。というのも、フッ素は虫歯になりにくくしてくれる効果があり、使用する意味もあるのだ。僕はこの工程を、『フッ素コーティング』と呼んでいる。

ㅤそして一回目の歯磨きが終わり、二回目に突入。今度は歯磨き粉を入れ替え、牛乳由来の『CPP-ACP』という成分が含まれる歯磨き粉を使用する。これはフッ素が含まれた歯磨き粉の使用後に併用する事で、歯を強化する効果をもたらしてくれる。ちなみにコイツもミント。おかげで口内は、アルプス山脈の丘の上でダンスでもしている気分だ。


 この後、僕は身支度に入り、部屋を出ることになる。そして車で仕事場へ出勤。これが僕の、だいたいの朝の流れだ。


 ちなみに僕は歯の汚い人間が嫌いだ。歯垢が溜まってたり、ヤニが歯にこびり付いてたり。そういう奴を見ると、その歯を思いっきり磨きたくなる。それかそいつの歯を全部抜いて、入れ歯かオールセラミックにしてやりたくなる。

 歯は口ほどにものを言う。いくら外見がしっかりしていても、歯が汚ければ僕はドン引きだ。その人のだらしなさが露見する瞬間である。

 なんでここまで気にするかって言うと、理由は簡単。


 僕が歯医者だから。







「ステインだよ」



 僕は診察用の椅子に座る彼に向かって、そう言った。

 ここは歯科医院の診察室。そして、僕が働いている職場。今の僕はビシッと医療服を着こなし、胸には『佐原良幸さはらよしゆき』と書かれた名札を掲げている。これが僕の名前。



「ステイン?」



 彼は聞く。東京湾景時代の和田聰宏似の男。名前は矢塚敏浩やつかとしひろ。『理由なき反抗』のジェームズ・ディーンや、『ファイトクラブ』のブラッド・ピットを彷彿とさせるような赤色のジャケットに、カラフルなペンキ柄のアンダーシャツ。それとダメージジーンズ。相変わらずの派手な格好。


 矢塚は僕の幼なじみ。家が隣同士という、異性だったら青春真っ只中なシチュエーションだが、残念ながら彼は男。小さい頃からずっと一緒で、中学まではずっと同じ学校に通っていた。一度高校から離れたものの、それでもまだ関係が続いている。いわゆる腐れ縁ってやつ。

 矢塚は度々この歯科医院にやってくる。別に歯の病気ってわけではない。ましてや予防ってわけでもない。ただの暇つぶし。『スケーリング(歯垢の除去)』目的と言って、僕に会いに来るのだ。



「そう、君の歯にこびり付いてるそれのこと。飲み物や食材に含まれてる色素の成分が、汚れとして歯にくっつくんだよ」



 僕の嫌いな歯が汚い奴。矢塚も正にソレ。



「タバコ、コーヒー。矢塚、君のお得意だろ?」


「ああ、カフェインを愛してるからな」



 矢塚はそう言って笑う。お熱いな、カフェインとのロマンスか?



「まぁそれはいいとして、コーヒーにはタンニンってのが含まれてる。それが歯のタンパク質と化学反応を起こして、ステインになるんだ」


「じゃあコーヒーじゃなきゃいいのか? エナジードリンクとか」



 こいつはどうしてもカフェインが摂りたいらしい。愛に溺れた彼の血液は、きっとカフェインまみれ。



「まぁそうだな、汚れに関してはそうだ。だけどエナジードリンクの方が、結果的に歯を悪くするんだよ」


「マジかよ」


「ああ。エナジードリンクは酸性の飲料。糖分も含んでる。それが歯のエナメル質を侵食して、歯を溶かすんだ」


「じゃあ俺に何飲めってんだよ」



 知るかよ。自分で考えろ。



「まぁ……そうだな。牛乳とか、カルシウムが多いものかな」


「はっ、給食の時代に逆戻りだな」


「嫌なら飲まなきゃいい」



 僕がそう言うと、矢塚は人差し指を突き立て、『それだ』と言わんばかりの表情を浮かべる。そしてこう言う。



「だな、俺はこれからもコーヒーを飲む」



 何の為に診察に来てるんだか。ああ、暇つぶしか。



「ところでよ……」彼は続ける。「今日の仕事終わり、どっか出かけようぜ」



 出た。暇な時はいつもそう言う。不意に今朝の出来事を思い出す。



『ラッキーカラーは「赤」! 今日は素敵な人からのお誘いがあるかも!?』



 そういえば星座占いでそんなことを言ってたな。彼も「赤」いジャケットを着ている。まさかこれが素敵な人からのお誘い?ブロマンスはお断りだ。



「別にいいけど、どこに行きたいんだ?」


「コーヒーが飲めるとこ」



 僕が聞くと即答。カフェイン好きが高じて逆に清々しい。



「コーヒーが飲めるとこねぇ、じゃあ――」







「お前も流行り病だな」



 矢塚は僕の行動に悪態をつく。僕らは窓側のカウンター席で、外の通行人を眺めながら喋っていた。ここは最近、テレビやSNS等で話題になっているコーヒーチェーン店、『BLOCKS』。外観も内装もおしゃれで、味も美味しいと噂の店だ。



「なんだよ、コーヒー飲めるだろ」



 僕は世間でイチオシの『チョコレートモカフラッペ』を飲みながら、矢塚にそう言った。コイツは甘い。とにかくチョコが強い。トッピングでチョコチップを乗せているので尚更だ。しかし意外とスッキリとしていて喉越し爽やか。いや、やっぱり甘ったるい。だがそれが良い。やはりイチオシとされるだけはある。

 ちなみに矢塚は何も頼まなかった。理由はこれらしい。



「よく聞け。こういう流行りの店に来るってことはな、資本の奴隷になるのと同じだ」



 陰謀論に万歳。矢塚の言葉に、僕は顔をしかめる。



「どういうことだよ?」


「考えても見ろ? 商品はやたらと高いし、フランチャイズ展開であちこちに店を持ってる。そう、これは貧困層と富裕層の格差を決定づける『資本』が、自律しあちこちに侵食してるかのようにな。それをてめぇから首突っ込んでくってことは、奴隷になるのと同じなんだよ」



 僕がストローの定位置を変えている間も、彼の話はまだまだ続く。



「知ってるか? 海外のメディアや映画じゃ度々、コーヒーは資本主義の象徴として描かれる。今じゃファッションブランドとのコラボもあるくらいだ。例えば、映画の劇中で悪役が某ブランドコーヒー店を買収して金儲けに使ったり、サブリミナルとして映画に登場させたりな?ㅤこれは皮肉とも取れるが、裏を返せば劇中広告と同じさ」



 眉を片方上げ、ドヤ顔で話す矢塚。そういえば、矢塚は映画好きだった。彼の家に一度行ったことがあるが、自室に映画のDVDコレクションがズラリと並んでおり、まるで一つのレンタル屋のようになっていた。僕もたまに見るが、彼の映画知識には叶わない。

 しかし、矢塚はコーヒー店に何か恨みでもあるのか?カフェイン中毒者がコーヒー店に噛み付くってのも、なかなか珍妙な話だ。



「しかも知ってるか?ㅤこれだけブランドが定着しても、元の生産者には安い額しか入らない。なぜかって?ㅤ全部企業が搾取してるのさ」



ㅤへぇ~と言いながら、僕はチョコレートモカフラッペを飲む。にしてもこれ美味いな、資本主義最高。



「こういうコーヒーの売上の90パーセントは、小売業者・焙煎業者・輸入業者へ行く。だがな、肝心の豆を生産してる農家への利益は、高くてもたったの3パーセント。しかもそれはただの再生産費でしかない。労働基準法なんてあったもんじゃねぇ。これじゃ農家はせっせと働かされる奴隷だ」



ㅤまぁよくある話だな。そもそも労働を自発的に行う、行わせる所が資本主義の搾取の強みであるのだから、矢塚の言う奴隷とはまた違う話だ。彼らには少なくとも「選ぶ権利」があるのだから。むしろ、資本主義経済の真骨頂と言っていい。

ㅤ労働力を市場原理で公平に売買したとしても、剰余価値(過剰な労働)を資本に搾取されるのは既に何度も言われている事。前に経済を学ぶ為にマルクスの資本論を買ったと言っていたが、どうも変な影響を受けたらしい。奴はすぐに知識を披露したがる。自己顕示欲の塊みたいな奴だ。


ㅤと長々と語ると、おそらく矢塚のプライドが傷つきそうなので、この独り言は甘いチョコレートと一緒に喉へ流し込む。飯が美味いとはまさにこの事だ。



「しかもあの某ブランドコーヒーのロゴ、あれにサブリミナル効果があるのは知ってるか?」



ㅤおいおい、ロゴにまでケチつけるつもりか。終いにはネーミングセンスにまで文句を言うんじゃないか?



「あれは都市伝説レベルの話だ」


「いや、実際そうだ。世界規模でチェーン店を開き、流行りを独占してる。これがサブリミナル効果以外にどう言い訳する?」


「宣伝と布教活動への努力」


「いいや違うね。俺たちから金を巻き上げようとしてるのさ。すがりつく物がないと、流行りに乗らないと、生きていけないようにな。俺たちを『物質主義者』へ洗脳してんだよ」



 そんな映画あったな。広告に物質主義の思想を秘密裏に刷り込んで、人間を支配するとかいう。

 まぁそんなことよりも、『君も映画のDVDを買い漁ってるだろ』というツッコミを入れてやりたがったが、僕は敢えて言わなかった。理由は分かるだろ?



「ゴダールの『ウィークエンド』って映画で、夫妻が車で事故った時に、夫よりも命よりも先に、妻はエルメスのカバンが燃えちまったことを嘆くシーンがある。結局昔も今も世の中おんなじさ。精神より、流行のファッションやブランドを気にする」



 『流行のファッション』は間違い。


ㅤつまり彼が言いたいのは、ル・グィンの小説に出てくるような世の中だと矢塚は言いたいのだろう。『所有せざる人々』も正に、資本主義に塗れ、物質社会となった国々が出てきた。読んでみるといい。



「お前だってそうだ。なぜこういう場所に来る? なぜブランドコーヒーを飲もうとする?」矢塚は僕に聞く。


「そりゃあ……美味しいし落ち着くから」


「違う。お前は知らず知らずのうちに、ブランドに踊らされてる。そしてこう呟くんだろ?『○○でかかってる音楽を聞きながら、一人で飲むのは最高』とかなんとか」


「な――」



 何も言えない。図星。



「図星って顔だな?」



 また図星。



「結局お前もファッションに溺れて、上の連中に踊らされてんだ、ピエロみたいにな? それを奴ら、お高いお立ち台から見下ろして、嘲笑ってやがる」



 僕は彼の意見に怪訝な顔を向けながら「そうかい」と言った。



「だいたいここに関しては、BLOCKSって名前が気に入らねぇ。見るからに邪魔な名前しやがって」



ㅤホントにネーミングセンスにまでケチをつけてきた。イライラしてるあたり、喉が渇いてきたんじゃないか?

ㅤそろそろ横槍を入れるか。



「で、満足したか?」



 そう聞くと、矢塚は呆れた様子で「真面目に聞けよ」と言った。



「今の話のどこが真面目なんだよ」



 僕はそう言いながら、チョコレートモカフラッペのコップを手に持って、矢塚の方へ向ける。矢塚の場合、世界はコーヒー店に支配されてるとか言いかねない。



「とりあえずさ、飲んでみたら? 結構美味いよ」


「そんな脳までスイーツになりそうなもん、飲めるかよ」


「つべこべ言うのはいいから、一口だけ」



 僕は矢塚に、半強引にチョコレートモカフラッペを渡す。彼は渋々といった表情を見せながらも、こう言う。



「……まずかったら金払えよ」



 矢塚は僕を睨みつけながら、チョコレートモカフラッペを飲む。すると、矢塚は少し驚いた表情を見せる。



「……うま――」矢塚は途中で言葉を止めた。「まずい」


「嘘つけ、今「うまい」って言いかけたろ」


「うるせぇ、言ってねぇ」



 矢塚はムッとした表情で、僕から目を背ける。図星。



「あっそ、じゃあジュース返せよ」



 僕はそう言って、矢塚からコップを取り上げようとする。



「いや、待て。もう一口飲んで判断する」



 矢塚は、そう言いながらコップを自分の方へ引く。飲みたいって素直に言えばいいのに――いや、単に喉が渇いてるだけか。



「どうぞ、ご自由に」



 僕は少し嘲りを含めた口調で矢塚に言った。彼は悔しそうに舌打ちしたが、すぐにチョコレートモカフラッペを飲む。そして机に置くと、こっちを向いて笑った。



「やっぱまずいな」矢塚は言う。


「はいはい」



 僕は笑いながら、チョコレートモカフラッペを自分の方へ戻す。



「マジだぞ」



 矢塚はどうしてもまずかったと思ってほしいのか、僕に何回も、「マジだぞ」「マジだからな」と言い聞かせる。



「分かってるよ」



 その度、僕はそう返していた。しばらくそんな会話が続くと、矢塚はそっぽを向いて、小さく「くたばれ」と呟く。僕はその様子が可笑しくて、にやけながら残りのチョコレートモカフラッペを飲み干した。




ㅤおいちょっと待て、これじゃまるでブロマンスじゃないか。





「……飲み終わったか?」矢塚は僕に聞く。


「ああ。全部飲んだよ」


「よし――」



 矢塚はそう言うと、即座に立ち上がる。そしてこう言った。

 


「お前の家に行くぞ」



 いつその予定が決まったんだよ?







「最初っから決まってたさ」


 矢塚は答える。ここは僕の自宅のマンション。僕達はコンビニで買ってきた弁当やらジュースやらを袋に抱えながら、自室の玄関前にいた。

 陽は完全に沈み、今はもう夜の7時。6階から覗く住宅街は、人工照明の星が瞬き、なかなか感慨深い景色である。



『ご覧下さい! 見事な絶景です!』



 そこまでではない。



「そんな約束してないぞ」僕は矢塚に言った。


「当たり前だ、そんなもんしてねぇんだから」



 思わずため息を付く僕。正に自由奔放。矢塚の為にあるような言葉だ。



「なんで家に来る必要がある?」僕は聞く。


「聞かなくても答えはわかるだろ?」


「暇だから」


「ご名答!」



 ピンポーン♪



 矢塚は僕の家のチャイムを押す。ご機嫌だな。まだコーヒーもまともに飲んでないのに。



「中は誰もいないよ」



 僕は呆れながらそう言って、玄関の鍵を開けた。矢塚はすかさずドアを開いて、中に入っていく。今夜は騒がしくなりそうだ。



『夜は激しい豪雨になりますので、傘をお忘れないように』



 誰か僕に、大きな傘をくれないかな……。








ㅤと、僕はスマホで書き込み、コメントの送信ボタンを押す。







ㅤれき(RAYLEIGH垢)@Rekiki_Gunz・1分前

ㅤ返信先:Yoshi_sound


ㅤYさんの話面白いですね!


ㅤコメントㅤ1ㅤㅤㅤRTㅤㅤㅤㅤ♡ㅤ5ㅤㅤㅤ共有



ㅤ✿さくみゃ✿@myamya_Cat・30秒前

ㅤ返信先:Yoshi_sound


ㅤこの呟き見たら相手泣きそうwww


ㅤコメントㅤ ㅤㅤㅤRTㅤㅤㅤㅤ♡ㅤ3ㅤㅤㅤ共有



ㅤあっちん@DMXガチ勢@killing_rex0312・30秒前

ㅤ返信先:yoshi_sound


ㅤこいつの愚痴ばっかだな

ㅤ自分に酔ってそうな文章


ㅤコメントㅤ ㅤㅤㅤRTㅤㅤㅤㅤ♡ㅤ2ㅤㅤㅤ共有



ㅤ闇病みYummy@yamiyami_8383・たった今

ㅤ返信先:yoshi_sound


ㅤ誰得モーニングルーティーン


ㅤコメントㅤㅤㅤㅤ RTㅤ1ㅤ ㅤ♡ㅤ1ㅤㅤㅤ共有



ㅤねるこ@オヤスミ爆睡中@oyasumi_life_・たった今

ㅤ返信先:yoshi_sound


ㅤうちもチョコモカ飲みたくなってきた。BLOCㅤKS行ってこよ。


ㅤコメントㅤㅤㅤㅤ RTㅤㅤㅤ ♡ㅤㅤㅤㅤ 共有



ㅤSFP9@元自衛隊員@military_2000・たった今

ㅤ返信先:yoshi_sound


ㅤなんか色々と広告感凄くて草


ㅤコメントㅤㅤㅤㅤ RTㅤㅤㅤ ♡ㅤㅤㅤㅤ 共有







ㅤ矢塚についてSNSで呟くと、よりどりみどりのコメントが返ってきて、通知が溜まっていく。ファンやらアンチやらが有象無象に、僕のコメントに虫のように群がるのだ。所詮ただの独り言だと言うのに。

ㅤそんな僕のくだらない愚痴に反応する君たちを見るのが、僕にはやめられない。自己顕示欲ってやつだ。



「なーに笑ってんだ?ㅤ気持ちわりーな」



ㅤ矢塚は僕に、訝しげな顔を向けてそう言った。スマホの画面をロックすると、黒くなったスクリーンに僕の顔が反射した。楽しそうな僕の顔が。そう、これも僕だ。目は十分に覚めている、はずだ。



――自己陶酔、誰得、それの何が悪い?



『――さんがあなたの呟きをいいねしました』



ㅤ僕のスマホに、再び通知が来る。



「……」



ㅤ起きるのに少し時間が欲しい、ただそれだけなんだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

カフェイン @eyecon

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ