第44話 後始末の後に

 こうして、シールドオブスター事件は幕を閉じた。

 蓋を開ければなんてことはなく、誰一人UFOに連れていかれることも無く終わった。首謀者も架空接続者のたぐいではなかった。

 ただ、あちこちでUFOらしきものが目撃された、というのは事実であるらしい。

 そのうちのひとつ、かつ最大規模のものが僕たちの赴いた舎利浜のUFOだった。

 つまり全くの杞憂、というわけでも無い。


 後始末をどうするべきか。それで学会や協力者たちはかなり紛糾した、という話を沙也加や円藤家の人々からは聞いた。首謀者自身は単なる詐欺師だが、その周辺には多くの架空接続者たちが存在している。

 首謀者の処遇、ネットニュースなどで取り上げられたUFOの映像について、警察を関与させるべきか否か……そうした問題が一気に噴出し、人々を悩ませた。


 ただ、僕たち末端の人間にはさして関係のある話でも無く、というか定期試験の時期が差し迫っておりそれどころではなく、そのまま大学生活の方に戻ることとなった。


 ただ。


「概ね満足な事件だったよ」


 ある時、芦屋美智蜜がそう嗤ったことがあった。それは妙に印象に残っている。

 事件の後始末で学会員や協力した退魔師たちが散々バタバタした後、偶々会う機会があり、その時に言われたのだ。


 彼は妄想と欲望とが絡まってぐちゃぐちゃになった事件を好むと公言して憚らない。その観点から言えば僕にはあの海岸で起きた一連の出来事が、そう満足に足るものであったとは思われなかったのだが。


「それは君、視えているものの違うというヤツさ」


 芦屋はそれだけ言って去って行ってしまった。何か含みを持たせたような笑みを向けて。僕はそれがどうしても気になってならない。


 事件が終わってすっかり落ち着いた夏盛りのある日、沙也加にそのことを相談してみた。定期試験が終わり夏休みが訪れてはいたが、僕と沙也加は相変わらず大学までノコノコ出向き、大学の中でも比較的カフェに近いタイプの食堂で向かい合ってコーヒーを飲んでいた。そろそろアイスコーヒーが主流になる頃だったのだが、沙也加は「自律神経が整いますから」とわざわざホットコーヒーを飲んでいる。湯気を立てる白いカップを一口啜ってから「おそらく、ですけれども」と話し始めた。

 彼女には少しばかりの心当たりがあるようだった。芦屋にも一種の霊視能力、あるいは千里眼ともいうべきものがあるのだという。


「例えばスーちゃんはその人物のオーラが視えると言います。他にも前世が視えるとか関係する人物やモノが浮かび上がる、という人もいます。セキくんの場合は糸のように視える、でしたね。それで芦屋さんの場合は……文字が読める、ということなのです」

「文字」


 その言葉に当初、ピンと来るモノが無かったのでオウム返しにする。


「ええ。彼は世界を文字と捉えて霊視する。実際に視たことが無いのでなんとも言えないのですが、おそらく本でも見るように他者を視ることができるのではないでしょうか。彼が言葉にまつわる呪術を用いて退魔を行っているのも、それと彼自身の能力の相性が良いからです」


 海岸での出来事をおぼろげに思い出す。彼が数回発した言葉。剣の中で聞いていたソレを、僕は「文字が聞こえる」と感じていた。つまり、そういうことなのだろうか。


「あの人が唱えていた言葉ですが、私にはただの古語っぽい日本語にしか聞こえませんでした。単なる文章です。既存の教義や文脈に寄った呪文や真言の類いでは無かったはずです。しかし……」


 眞野ミコはその言葉に逆らうことが出来なかった。

 そして僕自身も、まるで彼が瞬間移動したかのように視えていた。沙也加は「私にはただ歩いているようにしかみえませんでしたけど。……そういえば妙な間があったのはそういうことだったんですね」と苦々しげな顔をしている。


「それで、神代文字使いを自称してらしたのを覚えていますか?」

「ああ……あの、学会で」

「そうです。おそらくですが、あの人は何らかの『神代文字を唱えている』つもりで言葉を発することによって架空接続を行うのではないでしょうか。それがカタカムナかヲシテか阿比留文字か、はたまたあの人の脳内にしか存在しない文字なのかは分かりませんが」


 だが、僕にはあの人の糸がどこにも繋がらず、何かを形作ろうとしているのも視えなかった。これまで架空接続能力なるものを持った人物と相対した時、いずれも糸として形作る過程を感じ取ることができたのに。


「やはり私には視えないので仮説として語るしかないのですが。おそらくあの人は嘘しか言ってません。嘘でしか無いものを神代文字という媒介を挟むことで、音だけで真実を浮かび上がらせる……」


 さながらタクスヘイブンですね、と分かるような分からないような例えを言う。


「それにあの人はああいう性格ですし、積極的に呪いを掛けたりもするので呪い返し対策も兼ねているかも知れません」

「……そういえばしきりに真名がどうとか言っていたけど、あれも本名を回避するためってこと?」

「どうでしょうねぇ。そもそも芦屋美智蜜が本名なのかどうか。一般的な考えで言えば芦屋が本名でアーシャ・ミッチェルが偽名、オカルティックに考えれば逆となるわけですが、そもそもどちらも公言してます。全く対策にはならないわけです。となるとどっちも偽物である可能性が高いように思えます」


 確かにそうだ。

 真名とか忌名とかの考え方は「名前を知られると相手に攻撃を受ける」というアジアに特有の呪術的な思想である。アーシャ・ミッチェルとだけ名乗っていたり、あるいは芦屋美智蜜とだけ名乗って片方を隠していれば成立するが、どちらも名乗っている場合、その意味が無くなる。


「それで、あの陰湿エセ陰陽師の意味深な表情についてですけれども。おそらく彼には眞野何某の過去か考え方の一端が文字として見えたのでは無いかと思うのです」


 それがどういうものかはわかりませんが、と断りをいれつつ、言葉を続ける。


「誰でも良かった、誰も何も愛してなどいない……一般的に考えればただの人格否定です。見知らぬ誰かに言われても反発することでしょう。が、直前まで強気に振る舞い空飛ぶ円盤まで顕現させた眞野何某が簡単に崩れ落ちたことを考えると、おそらく彼女自身にしてみれば図星を刺されたものだったはず」


 眞野と芦屋は初対面の筈である。二人ともそのように振る舞っていた。だというのに、彼女の心を的確に刺す言葉を発することが出来たのは……ひとえに、彼自身が眞野の過去を読んでいたから。


「誰も愛していない。何も愛していない、か」


 高校時代の眞野ミコのことを思い出す。彼女はそれまで、必死になって作っていたキャラ……オカルト趣味を持って奇矯な振る舞いをする自称魔女というもの……をある日、あっさりと捨て去って、僕とも没交渉になった。 捨て去った後、彼女はまた別の人生を……別の楽しみを得た。恋人とか、社会からの承認欲求とか……そういうものを満たせるものを手に入れることが出来たのだろう。

 それが悪いこととは思わない。眞野ミコに悪いところがあったとすれば、片方にのみ自分の重心を置いてしまったことだ。


 彼女はきっと、どちらも心に置いておくべきだった。現実も、オカルトも。多くの人々はそうやって生きている。そうやってバランスを取っている。

 だが、眞野ミコにはそれが出来なかったのだろう。極端なヤツとも言えるし、ある意味では誠実な人間だったのかも知れない。

 僕がつい、しみじみとした苦笑を漏らす。すると何を思ったのか、沙也加までしみじみとした表情をし出した。


「その、そうですね……なんというべきでしょうか。すべては私の想像でして、あなたの大切な思い出を否定する、というつもりもありませんで……えっと……あ、私は、セキくんのことは愛していますよ?」


 言葉を詰まりに詰まらせて、最後にはまるで製造に失敗したテスラ缶のごとき爆弾まで投げ込んでくる。

 いや……僕のしみじみはそういう意味では無かったのだが。狭いカフェでそういう台詞を言わないで欲しい。案の定回りがえっという顔をする人と不自然に目をそらす人とで分かれている。


 正直なところを言えば、今の僕には眞野ミコへの怒りとか失望とか嫌悪は無い。むしろ安堵している。結局、僕は眞野ミコの感情を切り捨てずに済んだ。同時に、それに伴う自己嫌悪もある。彼女へのショックよりも、自分自身の狡さを突きつけられたことの方がショックが大きい。

 結局、自分は自分が大切に思っていたことについて、自分で決着を付けることが出来なかった。そして、それに安心しているのだ。

 この感情を沙也加に打ち明けるべきか、どうも判断が出来ない。彼女ならきっと、僕のことを慰めてくれるだろう。

 今のままでは、またどこかでまた過ちを犯すのではないか?それは自分自身のこと、あるいは他人のこと……あるいは、円藤沙也加にまつわることでもあり得る。


「そうだ、以前約束した文化村海岸の話をしましょう!楽しみですよね、私スクール水着しか持っていなくて……それで、今度水着を新調しようと思うのですが、セキくんも一緒にいかがですか?」


 そんな僕の心を知ってか知らずか、彼女は無理にはしゃいだような雰囲気で今後の予定について語り始めた。結局文化村海岸に行くつもりは変わらないらしい。あそこは遊泳禁止だと言っているのに、そこら辺のところが記憶からすっぽ抜けているようだった。

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