第43話 アーシャの視る世界

 芦屋は眞野ミコを視る。藪睨やぶにらみ、あるいは邪視とも言うべきか。眼球が歪に、ぐるんと動いた。

 しばらく見つめた後、「なるほどねぇ」と、何やら納得したかのような感嘆を漏らす。


「これが彼女の世界観、というわけだねぇ?」

「何を納得しているのです」

「何って、彼女から出ている”キ”さ。そこの剣の中に入ってる彼には視えるんじゃないかな?ああ、彼にしてみれば糸だったっけ?そこにあるものはあからさまに彼女を表しているはずだよ」


 芦屋の言葉に従い、視てみる。

 ああ、と理解した。刃を絡め取る糸の集積。その形状は確かに樹のカタチをしていた。22の小径が並列しながら一カ所へと伸びゆく六角形には、確かに見覚えがある。


「セフィロトの木……あるいは生命の木に僕には読めるんだよねぇ。かなり奇妙な話だけども」


 芦屋は眞野を観察し続けた。

 他者をまじまじと見ることに躊躇ちゅうちょがない……いいや、そうではなく、あれは他者を視ているのだろうか。

「ふぅん」だの「ああ」だのとわざとらしい感心した素振りをひとしきりした後、頬をゆがませて沙也加に話しかけた。


「あの子、そこの彼の友達なんだねぇ」


 見透かされている、という危機感と不安。万能の精神の彼方に切れ間のようにある『現実の僕なるもの』がそれを感じる。

 沙也加は逡巡を見せたが、やがて「……ええ」と肯定を返した。


「そうなると……あれかな。カバラ……いや、タロットかな?そういうものに傾倒していそうだけれど、そういう話、聞いてる?」

「確かに、セキくんの話ではタロットを愛好していると」

「やっぱり!となると起きているのは流出……王冠から王国へ世界が形成されいくという流出の考え方かな?」


 悠々と歌い上げるように語る芦屋。そんな彼に眞野ミコは警戒を持って接した。


「……誰なの、貴方」


 が、芦屋は彼女の声を意に介することもなく、何を考えているのか分からない曖昧な笑いで返す。


「そうだねぇ……陰陽師、錬金術師、カバリスト、占星術師……まぁ、どれでもいいがどれも正鵠を射ていないし煩雑でもある。わたくしめのことはただ、アーシャ・ミッチェル師とでもお呼びください。それが我が真の名であれば」


 芦屋から伸びる糸は空虚で散漫で、まとまりの無いものばかりだ。その言葉はどこにも繋がらず、何かを形作ろうとしていない。読み上げた肩書きも、名乗った偽名も。


「さて、今回はどうしようかな?これが君たちであれば王冠と王国の逆転を指摘して糸とやらを解れさせてから切るってところかな?。でも……肝心の剣がその体たらくだしねぇ」


 一瞬、視線が交差した。

 この自分に瞳は無い。視線が交差することなどありえない。ただ、沙也加の手元にある剣にやった芦屋の眼が、まるで目配せでもしたように思えた。


「……円藤くん、この案件、わたくしめが解決してもいいのかな?」

「……分かりました。セキくんも気が乗らないようですし、今回はお手並みを拝見いたします」

「ごめんねぇ?今回”も”君を助けるようなカタチになっちゃって!」


 じゃあ、と言うなり彼は柏手を打つ。

 ぱん、という大きな音が波の合間にうねるように鳴り響いた。


「しかし実に分かりやすいなぁ。シンパシーすら感じるよ」


 芦屋は視線と意識を眞野ミコに傾け、そう言った。言われた眞野ミコは当然のことながら困惑を見せた。


「……何が」

「何って、君の考え方さ。世界観と言ってもいいがねぇ」

「まだ何も話してなどいない。貴方、そこのセキヤを誑かした女の仲間でしょう。衣服などでは騙されない。そうやって私たちの中に入り込もうとする闇の勢力の手先に違いない」

「闇の勢力の手先!これはいいねぇ、貰っておこう。そうさ、わたくしめたちは闇の勢力、この世界の仮初めの秩序を守り、幻想の氾濫を抑止するもの。この世界に救いがもたらされうる可能性を潰して回る破壊者さ。でもねぇ」


 ふと、文字が聞こえた。

 声では無い。聞こえたのは確かに文字だった。発話された音声は聞き取れる。


 トキトマリワカミヲミヤルコトアタワス

 ワカコエフサクコトアタワス


 ただ、それは声として世界に発せられたものではない。

 その文字が聞こえた次の瞬間、芦屋はいつの間にか眞野ミコの真後ろからささやきかけている。まるで瞬間移動したかのよう。


「君、わたくしめと同じ絶望を知っているはずさ。わたくしめには読めるんだよ。君の頭上にあって、君の特別な友達を絡め取るその木。ああ、分かりやすい!君の脳内に書き込まれている『生命の木』!ところでさぁ、シールドオブスターのパンフレットはわたくしめも何度か読んだんだけれども、もっぱら神智学のようなオカルティズムの影響の強い団体でねぇ?だけれども、カバラの影響は少なかったような気がするんだよねぇ」


 眞野ミコの糸が揺れる。そこには驚愕の感情があった。

 彼女は頭上を見上げ、しばし呆然とした。

 どうやら彼女自身にもあの木は視えるらしい。当然だろう、なにせ彼女自身が生み出した木なのだから。


 眞野ミコという人物はオカルトを愛している。その中に耽溺することを求めている。別の物語を生きることを求めている。

 今、芦屋がやったことはその矛盾を突くことだった。いや、正確に言えば物語を受容する態度の矛盾をあげつらおうとしいている。


「つまりさぁ……君の求めるものをもたらしてくれるのならば、その手段は魂を運ぶ方舟でも流出でもなんでも良いってことだろう?」

「ち、ちがう……」 

「違わないよぉ。恥ずかしがることはない。わたくしめにも分かる。君はさぁ、ここじゃない何処かに行きたい、みんなとは違う特別な自分になりたい、それだけなんだろう。そのために君を認めてくれる他者が必要だった。そのためにカバラの体系を学んだり、シールドオブスターに参加してみたり……あるいは他者を……干乃君を利用していた。いずれも都合が悪くなると捨てちゃうんだけどねぇ」

「ちがう、そんなことない!」


 たまらず、両耳を塞ごうとする。だが。


 ワカコエニミミフサクコトアタワス


 また、あの文字が聞こえ出す。すると芦屋の声は先ほどよりもより明朗に響いていった。


「その他者だって、結局のところ誰でも良かった。君はねぇ、現実もオカルトも、そして誰ひとりの人間も愛してなどいないのさ。その時、自分に都合の良い何かがあれば良かったんだろう?」


 眞野ミコは頭を抱え、顔を真っ赤にしながら、金属をこすり合わせたような甲高い慟哭をどこに向けるともなくまき散らす。

 それと同時に、激しく糸が震えていく。樹上にまとわる生命の木は、張り詰めた弦が音を掻き鳴らすかのように。それと同時に銀色の円盤が進むスピードも上がっていく。

 この気に入らない人間の前から消えてしまいたい。

 自分を害しようとする他者から隠れたい。

 あの糸の震えは彼女の心の悶えのように視えた。


「芦屋さん、相手を刺激してどうするのです!」と沙也加がわめくが、芦屋は聞いてる様子も無く言葉を続ける。


「言っておくけど。あのUFOに連れられても君の望むものなど無いよ?君を待つ人など誰もいないんだ。なぜって、簡単なことだろう?誰も愛さなかった人間が、誰に待って貰えると言うんだい?」


 曖昧で何を言っているのか分からない言葉。しかし、それが契機となった。

 慟哭がふっと止まる。まるで神が訪れたかのような静寂。

 同時に、僕を捉えそして彼方に円盤を構成していた糸の集積が途端に解れだしていく。


 なんだか綺麗だ、と剣の中の僕なるものが感じている。

 それは鈍色の空の中で、どこまでも輝く花火のよう。どこにも存在しない幻想が、幻想がほどかれた瞬間に出現している。その皮肉事態に運命的なものが視える。

 

 眞野ミコはそのまま、力なく砂の上に崩れ落ちた。


 芦屋は彼方を見つめ、架空が消滅したことを認めて肩を竦める。沙也加はまだ何が起きたのかを理解できていない。そして僕は……


 僕なるものは、眞野ミコの友人である。

 苦しむ彼女の元に駆け寄って、何かの言葉をかけるべきなのだ、と思う。それが何の意味を持たないとしても、掛けるべき効果的な言葉が見つからないとしても。


 だが今の僕は剣。

 モノの中に意識だけが残るもの。

 眞野ミコに掛けられる言葉を持たない存在だった。

 出来ることはただ、終わりを見届けることだけだった。

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