第40話 顕れるモノ

 砂浜を白い車が走っていく。

 スタイリッシュとは言いがたい、白いバンである。さらに不格好なことに車体にはスピーカーが出っ張っている。選挙街宣か政治団体が主張する際に使われるような車に近い。 円藤邸にあった三台の車の内の一つである。乗っているのは、前回の出張の際と同じメンバーだった。僕と沙也加、それと運転手の免田氏。そしてまた奇しくも、というべきか。向かっている先もあの時と同じ場所だった。

 僕たちが割り当てられた場所が、まさに舎利ヶ浜だった。僕と沙也加がそこでスターオブシールドと接触した、という報告を坂田氏にしたところ「ちょうどいい」とそのまま割り当てられてしまったという。

 違うのは既に車が砂浜の中に入っているということである。車が入って良いのかどうかは分からない。その点を指摘すると

「まぁ、日本国民である前に退魔師なので」

と、分かるような分からないような説明をされた。

 砂の足場は不安定で、時折車体が上下する。右手には海が見えるが、波の音は車が立てる唸りに掻き消されて耳に届かなかった。

「もし、さ」と僕が声を出すと、沙也加は「はい」と応える。

「UFOとやらが来て、彼らの魂を連れて行ったとして。そうしたら、何が起こるんだろうね」

 文字通り、UFOが彼らを身体ごと連れて行くのだとしたら問題は起こらない。奇妙な行方不明事件としてのみ終わる。そう言う形で終わってくれれば……


「最悪、死人の山でしょうね」


 沙也加は僕の楽観を切って捨てた。


「彼らの理屈で言えば、魂が救われるためには死が必要なのですよ。おそらく、UFOが見えたりした瞬間に自殺を図るか……あるいは、何か超常的な力が働いて死亡する、という可能性もあります。あるいは、超常的な力が働いたかのように見せかけた自殺という線もありますね」


 もちろん、わかりきったことだった。そういう可能性があるから、僕たちは動いている。多額の保険金が掛けられた信者たち。魂だけが救われるという教義。これらの点をつないだとき、容易に導き出せる結論である。

 

 窓の向こうにテトラポットが見える。その先に、奇妙な影が見えた。数は30人ほど。あの時と同じく、彼らは両手を空に掲げていた。はじまった、と思った。


「始まりましたね」


 沙也加もそう呟く。彼女は、おもむろに口元に手を当てた。掌には黒い樹脂性の外装にポツポツと小さな穴の開いたマイクが握られている。拡声器や無線機などに用いるタイプのマイクである。彼女は肩を張って姿勢を正しすぅ、と勢いよく息を吸い込んだ。


「衆生の皆様にィ、お伝えェ、致しますゥ」


 大音量が外に響いた。この車に積み込まれた拡声器から発しているものである。沙也加は独特の節回しで声を吹き込んでいる。音程がしきりに上下し、語尾が糸を引くように伸びる。絶妙に不安を煽るが、しかし無視しきれない据わりの悪さがある。


「皆様のォ、行われていることはァ、人々のォ、救済をォ、謳っているもので御座いますがァ……」


 ぐわんぐわん、と車内の中にも彼女の異様な声が響いてくる。

 沙也加の口元を見ると、口角が上がっていた。発声を気にしてのことか、それともこの状況を楽しんでいるのか。僕には分からない。

 概ね、彼女がマイク越しに語りかけていることは次のようなことだった。

 シールドオブスターは構成員に保険金を掛けている、この集まりは人々の魂を高位の場所へと導くためのもの、と説明されているのだろうが、それは低俗な現世利益を求める間違った指導者による妄言である。即刻解散するべきだ……と。


「今からでもォ、遅くはないからァ、即刻ゥ、解散しィ……」


 基本的にまともなことを言っている筈なのに言い方があんまりにもアレだった。正直言って相手の神経を逆なでしているのでは無いか、という気がしてならない。

 これが沙也加の『作戦』。現地に拡声器の付いた車両で乗り付けて連中に演説を一席打つ、ということである。


「私の言説とディベート力を持ってすれば彼らも即刻投降することでしょう」


 と、本気なのだが冗談なのだか分からない物言いで提案した。話を聞いた坂田はサングラス越しにも分かるような微妙な反応を返したが、最後には「ま、やってみろや」と投げやりなゴーサインを出した。そんなことでいいのだろうか?

 一つ言えるのは沙也加が作戦と言い出したらそれは何か突飛なことをしでかす合図ということである。今後、沙也加がドヤ顔で作戦などと言い出したときはひとまず異議申し立てから始めたい。

 意外と言うべきか何というか。彼女のその独特の声は群れる人影の動揺を誘っていた。先ほどまで一心不乱に手を天にかざしていた彼らは、色めきだっている様子が見える。恐怖心からか、それとも彼女の演説の内容に同様したのか。


 影はまばらな草叢のように、まばらに揺れている。僕は感心と期待の半々の気持ちでその様子を見つめる。もしかすると、僕があの剣に入るまでも無いかも知れない、と。

 しかし。


「動ずる必要は無いわ」


 声が響いた。かなり離れているし、沙也加がうるさくがなり立てているのだから聞こえる道理はない。声が聞こえるはずが無い。だというのに、その声は確かに聞こえたのだ。

 ゆらゆらと揺れる人の群れの中に、ぽつねんと屹立する女の影が見える。装飾過多なゴスロリ衣装なのに、完全に黒一色の特徴的なコスチューム。眞野ミコの姿に間違いない。


「悪は真実にたどり着こうとするものを常に誘惑し惑わす。あの車体を見なさい。あの白いバン……あれこそ独善の顕れ。有害電波をあえて弾き、救済のための善行を妨害しようとするものであることは明白!連中が行動を起こしたということは、いよいよ次元上昇が迫っている証拠に他ならない!」


 沙也加を見た。彼女の顔には動揺は無い。何かに気がついた様子も無い。相変わらず、不安になる声音をマイクに吹き込み続けている。

 彼女には聞こえていない。ならばあの声は、もしかすると。

 眞野ミコが行った何かが功を奏したようで、先ほどの動揺は収まってしまっているようだった。黒い群れは再び、両手を天に向かってかざし始めた。


「む。動揺が収まりましたね」


 沙也加にもその様子は見えたようだった。マイクのスイッチを切りながら呟く。


「ここで決めるのが架学会員としての本懐だったのですが……まぁジャブ程度にはなったでしょう」


 切り替えていきましょう、と言うと座席に置いていた剣に手を伸ばした。

 架空と現実を切り分ける呪具・今干将。詳しい原理や由来までは分からない。しかし怪異が現れる想像の源を断つ切り札であることは確かだった。

 沙也加には聞こえなかったらしいあの声が人々の動揺を納めたのだろう。だとすれば、この剣を持って彼女たちの繋がりを断てば、また騒音まがいの演説で混乱をもたらせるかも知れない。

 剣を帯に差すと「敵陣に乗り込みます。適当な位置で停車を」と免田運転手に支持を出した。僕もいつでも外に出れるように腰を浮かした。

 一団と20mほどの地点で車が停車するやすぐさま車から飛び出る。決着を付けなければならない。気は進まない。良いことだとも思わない。幻想と現実を容易に切り分けるなど、簡単にして良いことでも無い。

 だけれども、これはやらなくてはならないことだった。

 覚悟を決める。肉眼が眞野ミコの姿を捉えられる地点に足を留め、何時倒れても良いようにポジショニングを整える。沙也加は僕の様子を確かめると、すぐにでも剣を抜ける体勢に入る。

 その、刹那の間に、ふと光が見えた。

 反射する七色の光。虹のような、太陽光のような。赤青黄色紫緑と、様々な色がきらきらと右の視界の端をかすめる。

 一瞬のことだったが、その光が妙に気になってしまい、僕はそちらを振り向きーーー


 阿、という声が出る。サンスクリット語において、阿は原初の言葉であるらしい、ということを思い出す。もっとも単純な感嘆の言葉だと。

 そう、感嘆だ。

 青い空と海に挟まれた境界線の上にひとつの異物が見えた。流線をつなぎ合わせたかのようなシルエットは鏡面のように磨かれている。まるで太陽と海と空と、あらゆる光を反射したかのようだった。その光はどこかで見たようなデジャブを引き起こしている。

 小説で、映画で、テレビドラマで、あるいは人々が撮影した写真の中で。多くの人々がイメージするだろうカタチ。誰もがそれを見れば、それが何であるかを答えることが出来るだろう。まごう事なき空飛ぶ円盤、あるいはUFOと呼称されるものーーーそれのパブリックイメージとも言うべきモノがこの世界に出力されていた。

 テトラポットの上の一団はざわめき始めた。当然だろう、彼らが待ち焦がれていたものがついに現れたのだから。

 僕もまた、呆然としながら沙也加にそれを指さす。


「何を、見ているんです?」


 しかし沙也加はその場でただ一人、心底困惑した様子で明後日の方向を見つめていた。


「何って……見えないのか?UFOだよ!銀色に……いや、七色に光ってる!こっちに向かってきている!」


 飛び出た声は自分で思ったよりも興奮の熱を帯びていた。僕はあれを視て喜びを感じている。

 少し前、僕と君とで探し歩いたものだよ。見つかるはずなんて無いと思いながら、君も僕も心のどこかでそれが現れることを期待していたはずだ。探していたモノが、確かにあそこにあるんだ。

 僕は彼女にそう伝えたい気持ちで一杯だった。


「……見えません。何も、見えないです」


 だが彼女にそれは見えなかった。待ち望んだものを知覚し、理解する能力が彼女には欠落している。

 彼女の顔を見て、僕は自分が異常な興奮状態にあることを自覚した。彼女の表情はあちこちに皺が刻まれている。今にも泣き出しそうな、埋めようのない寂寞の情をせき止めているような。

 ふぅ、と息を整える。

 いつかの自分を思い出す。前にも同じようなことがあった。僕のような凡人には感じ取れて、彼女には感じ取れないものがある。今、この状況において、それはあのUFOであるに違いない。間違えてはいけない。眞野ミコをあちら側に行かせては行けないのと同じように、僕が沙也加を置いていくべきでも無い筈だ。


「ごめん、ちょっと落ち着いた。あそこに……海の向こうにUFOがいる。アレとあそこの連中とが繋がってるはずだ。……剣を抜いて」


 僕の言葉に沙也加は頷いた。帯に留められた鞘から鈍い刃が引き抜かれていく。銀色の光、世界のすべてを反射するような光……そうか、と得心する。先ほど、あのUFOの光を前にしてデジャブを感じた。それは如何にもなあのUFOの出で立ちによって惹起されたものだと思っていたが……この刀身に似ていたのだ。

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