第39話 天邪鬼
円藤沙也加は魔を退ける時、彼女なりの勝負着を身に纏うことにしているという。陰陽をイメージした白と黒の着物であることもあるし、魔を退けるモチーフ……五芒星や麻柄をあしらったものを着ることもある。
しかし、根本的にそれらは意味が無いものだ。すくなくとも、彼女にとっては。
彼女は魔に遭わない。魔を視れない。魔に魅入られることもない。故に、魔を退けるモチーフや印を用いる必要も無い。
それでもなお、現場に行くときにはそういう和装を欠かさない。なぜか、と問うと「やはり好きだからですよ」と答えた。
「好きであることに理由はありません。好きであれば、意味が無いことであっても手元に残し続けることでしょう。意味のあるものであっても、その意味を超えて用い続けることもあるかも知れません」
そう言った沙也加の表情はどこか寂しそうだった。
これはきっと、彼女にとってセンシティブな話題であるのかも知れない、と思った。もしかすると、今の彼女のこのスタイル……常に着物を着て、怪異を賢しらに語り、時に奉じ、時に冷笑する。そういうものは『沙也加の想像する退魔師』をというパッケージを実現するためにしているものなのでは無いか。だとするなら、彼女の行動はどこまでも意味が無いし、空虚ですらある。下手をすると、僕の存在もバディというパッケージにぴったりだから一緒にいる可能性すらある。
約束の日、彼女はいつも通り、勝負着を用意した。今日は真白の振り袖という、少し珍しいものであった。白い着物には結婚式か死に装束のイメージがある。町中でその姿をみればゾッとすることだろう。怪異に語られる、白いワンピースか白い着物の女性の類話そのものである。しかし、その物々しい雰囲気は胸元や帯に織り込まれているレースのモダンな雰囲気が緩和してくれているように思えた。レースが付いた着物を結構気に入ってるのかも知れない。彼女にそのように聞いてみたところ、「めざといですね。ポイント高いですよ」などとどうでも良い褒め方であしらわれた。
実のところ、僕も彼女に倣って和装をしようと準備をしていたのだが、沙也加は「今日は黒いスーツでお願いします」などと注文を付けてきいた。折角着物を買ったのに、はしごを外されたような気分になる。
「いわゆるメンインブラックのイメージですよ。対UFOにはぴったりでしょう?セキくん、黒い着物は持ってないじゃないですか」
などと嘯いた。
結局彼女の言うとおりの、真っ黒なスーツを身に纏って車に揺られている。
「退魔師なのかメンインブラックなのか、もう分からんね」
そもそもの話を言えば、UFOカルト系の言うUFOと陰謀論で語られるUFOとは多少意味が異なる。果たして、彼らを相手取る存在としてメンインブラックは妥当なのだろうか。日本だと宇宙人が出てくるコメディ映画として知られるが、元々はアメリカの都市伝説だったはずだ。政府が宇宙人の存在を隠蔽するために派遣してきたエージェント……という話である。スピリチュアルというより、陰謀論側の存在だった。
「良いんじゃ無いですか?都市伝説で語れるメンインブラックはアジア人の顔つきをしているとかなんとか。在米日本人の退魔師がUFO退治に乗り出したのがこの都市伝説の真相であった……という可能性だってゼロでは無いのではないでしょうか」
「いや、ほとんどゼロでしょ。というか、その理論でいくなら君だって黒い着物で行くべきじゃ無いの?」
「……そういえば前に似たような話をしませんでしたか?怪異に現れる女性の色がどうして白いのか、みたいなの」
彼女の連想はいささか突飛だと感じる。
僕の私的に対する答えにはなっていなかったし、話の繋がりがあるようにも思えなかった。
「あの時は死に装束のイメージを反映してるんじゃないか、みたいなので決着した気がする」
「はい。まぁもっぱら女性の怪異は白か赤のイメージで、一方は死に装束、一方は血のイメージが反映されているのではないかみたいな、そういう話でしたね。しかしメンインブラックの話ではありませんが、これが欧米になると黒が不吉になるイメージがあるのです」
まぁ、確かにそう感じられなくも無い。例えば鎌を背負った死神のイメージは黒いローブを羽織った姿だし、黒猫を不吉とするジンクスもヨーロッパ発祥だったと思う。
「鎌を背負った死神……いわゆるグリムリーパーですね。一説には死の擬人化そのものであるとか。これは喪服が黒であることも反映されているのでは無いかと思うのです」
「日本も喪服は黒じゃない?」
「時代によるはずですよ。養老律令の記録では白い喪服を用いた例が引かれていますし、ルイス・フロイスの残した記録でも白い喪服の話が出ています。一方で、明治以後は黒の喪服の例が多くなります。誰だったか……明治政府の要人が暗殺されて、その葬儀の際の喪服の色を黒と指定したことからそうなったと聞きますが」
「大久保利通?」
確か税金を着服したという噂が市井に流れて志士に暗殺された筈である。実際は東北地方の街道整備を私財を擲って行おうとしていたとか何とか。
「それです。それ以来、日本の喪服は黒と決まって今日に至るわけですが。ともかく、日本において黒服はそこまで喪服というか、死のイメージに囚われたものでも無かったわけです。黒の紋付き袴は礼服、今日で言うスーツですからね。そういうこともあってか、日本に於いては黒い服を着た怪異というのがあまり語られていないように思うのです」
まぁ、確かに。言わんとするところは分からないでも無かった。
少し調べれば反証は出てきそうな気がするが、すくなくとも日本に於いて、黒い服を着た男とか女とかがポピュラーな怪異として語られる例は少ない気がする。
そこまで考えて、ああ、と納得する。
これから向かうのは黒装束の集団。沙也加はその中で、一人だけ白い礼服でもって乗り込もうとしている。
生者の世界に、ひとりだけ、死に装束を纏って赴こうとしている。
もしかすると、彼女はこれから向かう、その空間における異物になろうとしているのではないか。そのために、僕にわざわざ黒い服を指定してきたのではないか。
常々、彼女には天邪鬼でズレた場所に立とうとする癖があった。それが個人の癖なのか、それとも人生に染みついた在り方なのかまでは分からない。ただ、そういう人間性であり―――それは魔を退けるときの流儀にも反映されているように見えた。
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