第38話 いつもの散歩道
大まかに今後の方針が決定された。沙也加は計画を立て、何をするかも決めたようである。沙也加はさも名案を思い浮かんだ、という様子で僕たちにそのアイディアを語った。悪い手とは言い切れないが、良い手と手放しで言い切れないものだった。
「やってみですよね。実際にどうなるかはその場の展開次第。いわゆる『考えるな、肌で感じろ』というわけです」
「そんなマイナーな方の訳文使われても」
燃えよドラゴンの台詞、『Don't think.Feel!』の寺山修司訳である。彼女も大抵、偏執狂の気があると思うのだが。
彼女の案は奇抜ではあったが、それを示されたことによって少し気楽になっていた。
実際にするべきことが定まると、それはそれで楽だ。少なくとも、したくないことが頭の隅にずっとあるだけよりは。
これからすることはきっと、退魔ではない。
つきもの落としですら無く、祓いでも無く、きっと解体でもない。
「セキくん」
帰り道。行きとは違い、僕たちは歩いて四谷近辺を練り歩いていた。
二人きりで歩きながら、ふと思ったことやなんてこと無いアイデアを語り合う。そんな意味の無い時間を、歩きながら続けている。
語っては押し黙り、かと思えばどうでも良い話が再開される。それが何度か続いた後に、ふと沙也加が僕の名前を読んだ。
彼女の顔はいつもどおり、何か良いいたずらでも思いついたかのようなドヤ顔である。
「そういえばこの近辺、四ッ谷駅とは言いつつ、東海道四谷怪談の舞台ではないのですよね」
「あれ?でもこの辺りに於岩稲荷とか無かったっけ」
「ありますよ。元々田宮家のあった辺りがこの四谷駅です。しかし鶴屋南北の書いた脚本においては伊右衛門とお岩の構えるお屋敷は雑司ヶ谷ということになっています」
……ああ、それは聞いたことがある気がする。
江戸時代の浄瑠璃や歌舞伎の演目には当時実際にあった事件や人物に題を取ったものが数多くあった。忠臣蔵などその最たるものだろう。
「……ああ、なるほど。聞いたことあるよ。当時は実際の事件に題を取った草紙や演劇が多くあったけど、実名を使うと色々差し支えるから、少し変えて上演するケースがあったって」
例えば真田信繁は真田幸村になるし、羽柴秀吉は真柴久吉となる。概ね、幕府の検閲を逃れるための言い訳であり、当時におけるセンシティブな題材の時に使われる印象があった。
「最たるものが大石内蔵助が大星由良之助になるっていう、忠臣蔵の変名だっけ。ああ、そういえば歌舞伎だと忠臣蔵と四谷怪談は初演の時は同時上演だったんだよね。この二作の設定が繋がってることになってたから、場所とか名前も少し変えてるのかな」
「……なんだ、知ってたんですか。マウント取ろうと思ってたのに残念です」
彼女の根性は相変わらずひん曲がっている。
「仮にも日本文学科だからね」
「では……えっと。そうだな……待っててくださいね」
彼女は一生懸命に何かを思い出そうとしている。
というより、何とかして僕にマウントを取れないか考えているようだった。
正直、こういう無駄なことに全力を出す彼女の屈託のなさはかわいらしいと思わないでも無かった。
「あ、そうだ。於岩稲荷。行ったことありますか」
「そういえば無いね」
「ええ-?やっぱり無いんですかぁ?仕方がありませんね。私が一緒にいってあげてもいいですよ?」
もはや僕をやり込めたという体裁を取ることが目的となっているとしか思えない言動を取る。一般的に言えばうざったい言動なのだが、こういう言動をわざと取って会話や行動の種にするというのがこの女性の常套手段であり、僕たちのコミュニケーションの形でもあった。
時々、疑問に思うのだ。彼女の言動はどこまで本気なのだろう、と。少なくとも、本気で僕にマウントを取ってやろうなどと思っている筈が無い。思っていたらマウントが取れなかった云々は言わないだろう。
とはいえ、この意味の無い会話を本当に楽しんでいるのかも少し怪しい。彼女の思考はどこまでも読めない。僕のことが好きである『と思っているフリをしている』『と思っているフリをしている』……と、どこまでも深読み出来るような気がしてしまう。
「そうだな。ひとつエスコート願おうか」
「お任せください。なにせ東京は私の庭のようなものです。下町育ちの江戸っ子ですからね。江戸仕草も完璧に身につけていますし」
「山の手生まれ山の手育ちじゃないのか……」
そもそも江戸仕草を批判する演説も打ってくれた覚えがある。あれは江戸東京博物館でのことだった。そういえばあの時もカチコミの直前だったな、と思い出す。瞬間、身体にやるせない感情が溢れ出した。あの時のことは思い出すだけで心臓に悪い。
沙也加は僕のそんな感情を余所に「うふふ」と、何を考えているのか分からない笑みを浮かべた。
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