第3話 呪剣へ潜る意識

 猿田養豚場は家族経営の養豚場である。

 オーナーである猿田陽介氏とその妻である猿田倫子氏、長男の猿田康太くんの三人家族。そこに従業員が数名、通いで通勤しに来る。

 二階建ての一軒家が事務所兼住居となっており、その隣に三軒の豚舎が備え付けられている。さらに豚を運動させるための広いスペースもあった。

 オーナーとその奥さんはかなり疲弊した様子を見せていた。彼らの話によると、ここ数月で豚が5匹も殺されているという。それも、不審な影の襲撃によって、である。被害額もさることながら、その正体の分からない影の存在に神経をすり減らしているようだった。すり減らしすぎてついには退魔師に相談までしてしまったということになるらしい。

 というのも、証拠動画は誰に見せても、どうしたことか砂嵐しか映っていないという扱いを受けるのだという。本来であれば猟友会とか警察の領域の話では無いかと思っていたが、どうやら既に相談して袖にされていたらしい。


「例のビデオは私たちも見せていただきました。それで、申し訳ありませんが、確認のためにオリジナルの動画も見せていただきたいのです」

「その、やっぱり……あなた方にも……?」

「正直に申しましょう。私たちにも砂嵐でした。しかし、視るモノが視れば、何か分かる可能性もあります。それも視るのであればオリジナルである方が望ましいのです。何卒、お見せいただけませんでしょうか」


 沙也加は視るモノ、という言葉を言ったタイミングで僕に目配せした。何をしようというのか、大体察せられる。つまりはまた、アレをしろということなのだろう。彼女の持つ呪具、あの剣の中に僕の精神を入れるということを。

 

 今干将と名付けられたその呪具は、大正年間に作られたものであると言う。円藤家にいつ頃からあるかは沙也加にも分かっていないらしい。その経緯も、書庫を漁れば出てくるだろうが、詳しくは知らないという。色々あって円藤家に流れ着き土蔵に封印されていたのを沙也加が持ち出して使い始めた。

 長さ20cmほど。教科書に出てくる古代の銅剣のようなデザインをしている。ただ、素材は鉄製であり、強度もそれなりだ。

 この呪剣の最大の特徴は、人間の魂を写し取るところにある。

 波長の合う人間の魂を剣の中に閉じ込め、本来であれば視えないものを視せ、この世ならざるモノを斬る機能を与える。


 なぜ沙也加がこの呪具を用いるのかと言えば、それは彼女に霊能力が無いからだった。彼女には怪異が視えない。代わりに、助手である僕が魂を呪具に移し替えることで霊を視る必要がある。


 沙也加は猿田家の面々が見守る中、儀式という名目で僕を寝かしながら例の動画を見る許可を取り付けた。畳敷きの部屋に、座布団を枕に横になる。目線はモニターに固定してある。

 すべての感覚を刀身に移してしまっては、何も視ることが出来ない。思考や嗅覚は身体になくても何とかなる。聴力に関しても振動は刀身に伝わってくるのか感じ取れる。しかし、外に声を発する、ということに関してはどうしようも無いので身体に残しておく必要があった。

 どうしてそう言うことが出来るのか、そのメカニズムというか由来に関して、僕は何も分からない。出来るからやっているだけだ。沙也加も先述の通り、由来も仕組みも知らない。ただ、霊能力者ならざる彼女が唯一、怪異に干渉出来る方法だから用いているだけだ。

 ワケの分からないものを分からないまま使用する……この在り方は、とても呪術的なものと言えるかも知れなかった。


「助手のトランスが始まりましたら、動画を再生いたします。さて、いけますね、セキくん?」


 ああ、と僕は答える。

 彼女が握った剣の上から、掌を重ねる。

 ―――刀身が、光った気がした。僕の意識が反転していく。




 緑のような、赤のような、それはまるで玉虫色であるかのような、それはつまりいかようにも視える光であるかのようで、プリズムに導かれる魂の色であり、魂の次元は七段階に分かれると言う説もあり、それは人間のチャクラと照応していたりするのだとすると、すなわち、七番目のチャクラ、サハスラーラその意識を移し替え、写し取るということに他ならず、物事を平等に、すなわち円環の花弁と糸の集積として捉える視点がこの第七次元にあって、宇宙と世界と、自分なる嘘をまとめて俯瞰することこそ、ものの正しい見方であるとも言えようが、太陽光のように、七色の光が寄せては返す波のような糸のように、すべての世界は捉えられていき、言葉なるものでは表現しきれず、人間の意識においても感じ取れないもの―――しかしながら、そういう嘘によってしか人間はその意識を保てないのだ!!!!


 内なるものは宇宙の真理を捉えていて、だが、しかし視覚は相も変わらず世界という嘘に囚われて離れず、中途半端に肉体に残しているからで、嘘と宇宙の間をいったりきたり、溢れかえるような思考の渦と言葉の波がうっとおしく、そうすることでしか肉体はこの世界を理解しえないのだから、そうしたところで理解し得ないのだから、ただ、その情報の本流は確かに心地よいところもあって、ならば宇宙の成り立ちだってわかろうもの、バナナが如何して作られたのかも又、分かろうモノで―――


「セキくん。見えますね」


 ―――ふと、声が聞こえた。

 それは連想の世界に飲み込まれようとする僕を諫める沙也加の声だった。

 ああそうだった、この「僕」なる嘘は、その嘘を愛していて、そういう酔狂で無意味で悪趣味なことをしたがる性質であり、その嘘に付き合ってあげても良いだろうか、としばし思案するところであって、いずれすべての魂は大なる宇宙にたどり着くにしても、目の前の個体はその偉大なるものには近づけないのだから、すべてが一に、すべてが前へとたどり着き、やがて偉大なる霊性を獲得する道筋を与えられるのが魂であるのだけれど、目の前の人間にはそれが与えられていないのだ―――なんと憐れなことだろう、その憐憫があればこそ、僕という嘘は戯れに現世との繋がりを残しているのだが、いや、そうじゃなくて。

 そう、僕は元の身体に戻らねばならない。沙也加にここで視えたものを伝えなくてはならない。彼女を蔑んだりしている場合ではないのだ。

 ここは糸と光の集積の世界、としか言い様がない。人間と光と糸の繋がりが重なり合って存在している。言葉にしにくいが、そうとしか言い様がない。ともかく、ここにおいて僕は僕たちの知りたい情報を得なくてはならないのだ。意識を集中させる。向けるべきはあの家族たちに連なる糸。

 この糸はとてもかほそいものの、しかし糸には違いなく、七色の光を湛えているのもまた事実であり、第七の次元にはほど遠いが、しかし確かに現世からはずれた場所にあって、第六のチャクラを開いていない人間にはそれを視ることは出来ないし、寄る辺なき魂ならばなおさらのことで、この家族は、その意味で言えば覚醒に近い場所に魂を置いていて、この世界の真実に限りなく近い場所へとたどり着いているのかも知れないが、しかしやはりすべては嘘であり、結局のところ、彼らもまた、ありもしないモノを視ているのに違いは無いのだから、それが低次元の肉の世界に囚われたものなのか、ひとつ上の次元において幻覚を見ているかの違いしか無いのだ―――これをどのように表現するかは存在によるところであり、自我という嘘というフィルターを通せば最後、一目瞭然の真実ですらその意味を分裂させてしまう。



 糸がどこから発しているのかがどうも見えてこないという問題があるにはあって、それはこの世界の理……すなわち7次元における高次の意識から思えば、人間という肉の器に過ぎないモノから発せられるものがすべてを形作るなどいう幻想と迷妄は誤りであると今となれば分かり、赤と黄色と青と、それはバランス良く光を発し合っていて、それらはこの場にいる人間たちそれぞれと繋がりを持ってこそいるのだけれど、それがすなわち彼らが形作っているということを意味しているわけでは無いだろうと感じないでも無いところで、すなわちどこかにこの意識を形作る触媒のごときモノがあるはずであった。


「セキくん。どうでしょう?」


 ―――またも外から声が聞こえる。

 彼女はなおも諦めず、嘘のカタチを現実に引き戻そうとしてくる。いや、情報に飲み込まれつつある僕の意識を戻そうとしているのだ。身体に残るわずかな繋がりと意識に集中する。沙也加に僕が感じ取ったこと、いま見えていることを伝えなくてはならないのだが、しかしそれはあまりに膨大な情報であり、伝えきれるものでも無いのではないか?


「みどりいろの、かげ、わらをふみつぶす、にくをむさぼる」


 錆び付いた喉から出る声は、痙攣した楽器のように世界に音を響かせていく。

 出力される情報は少なく、もっと伝えられるのに、もっと伝えることがあるのに、その上場はとてつもなく矮小化されていてもどかしく、この精神は多くのことを知って、今多くのことを理解していて、そうしてカノジョを導けばきっとこの些末な事件を解決することが出来るというのに、それをなすことが出来そうも無く


「なるほど。皆様に見えていたものと同じですか?」

「は、はい。色はちょっと見えにくいですが———緑に見えなくもないです。そういう映像の筈で―――」


 言いながら、沙也加は剣を鞘にしまう。

 先ほどまで抜き身にしていた刃を鞘にしまい込んで、世界と世界との接続を容赦なく断ち切っていき、僕はそれを名残惜しく、また怒りを感じながら眺めることしか出来ないでいて、その間にも刀身がしまわれる、世界が閉ざされる、反転した世界は再び反転していく。


 するり、と糸を切るかのような。意図を失ってしまったかのような。そんな風に簡単に。僕は僕の中に戻っていた。


 今干将が鞘にしまわれたことで僕の意識が元の肉体に戻ったのだ。


 あっさりと目覚めた白昼夢に似ている。この間隔にも随分となれてきた。

 最初に使ったときには、入るときにも戻るときにも意識の喪失があったのだが、今となってはシームレスに思考が移り変わる。さきほどまで世界のすべてを知っていたような全能感すらあったのに、人間の身体に戻ればそれらはすべて失われる。―――同時に、人間の世界に戻れた、という安心感がある。

 閉じ込められた場所から助け出されるような。あるいは悪夢の最中に、急に目を覚ますような。

 ともかく。視るべきモノは視えた。緑色の―――爬虫類のような人形があの場所を歩き回り、豚を襲っていた。

 おおむね、予想が付く。このタイプの怪異は定番だ。名前くらいは誰だって知っているはずである。



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