第2話 現場へ到着

 円藤邸は麻布十番駅最寄りの、仙台坂の頂上の少し先にある。

 朝7時に集合し、車で2時間ほどということだった。

 僕が円藤邸につくと、沙也加は浅葱色の着物の上から米寿色の羽織、さらに暖かいファーのついたストールを纏って僕の前に現れた。概ね、仕事をするときのいつもの服装であった。

 僕は、と言えば最近購入したばかりの紺色のブレザーにオレンジ色のネクタイとという、なんだか時代がかった服装をしている。何を着ていくべきか迷ったが、結局このスタイルが一番無難に思えたからだ。沙也加は僕の服装を見て


「まるでオリンピック選手団みたいですね。そうだ、オリンピックと言えばこの間見に行った千駄ヶ谷トンネルですよ。あの上には紀州徳川の菩提寺があることは有名です。そして徳川とオリンピックの関わりと言えば幻の東京オリンピックの組織委員会長を務めたのが徳川家達氏なのですが、そこにはなんとも因縁がかった奇妙な符号が……」


 と、間断なくオカルト話に以降した。朝からエンジン全開である。


 円藤邸は周囲をぐるりと塀に囲まれている。その一角に玄関口があり、その目の前に駐車場が置かれていた。そこは数台、車が停められていた。黒一色の高級車―――車種はよく知らないが、そういう雰囲気がある―――と、選挙かさもなくば右翼団体の活動に使うようなスピーカー付きの街宣車、それと日産セレナが駐まっていた。僕が知っているのはセレナだけだった。

 そのうちの一台、黒塗りの車の中にはスーツを着た女性の運転手が既に乗っている。彼女は沙也加と僕を認めると軽く会釈してきた。免田瑠璃子、彼女は円藤家お抱えの運転手だという。


「遠出するときは免田さんに頼んでいるのです。それで、どこまで話しましたっけ?」

「えっと、徳川家達が総理大臣と東京市長の地位を見送って、満を持してオリンピック委員会長に就任したところまでかな」

「そうでした。それで、そう、ご存じの通り1940年のオリンピックは太平洋戦争の影響で見送られてしまいます。その後、徳川家はそうした要職につくことも無かったのです。無念だったことでしょうね。加えて戦後の1964年のオリンピックの際、先ほども話題にあげた千駄木トンネルが紀州徳川の菩提寺の真下をくりぬく形で開通されるわけで―――」


 沙也加は彼女の紹介もそこそこに東京オリンピック都市伝説の方へとすぐさま話題を戻した。彼女にとって運転手の存在は極めて当たり前の存在であるらしい。


 円藤邸を出発し駒込から常磐自動車道に入る。高速道路の代わり映えのしない様子を約1時間ほど眺めれば、あっという間に目的の養豚場にまで付ける。こういう景色を見ていると、昔家族とキャンプに行った時のことを思い出させた。天気は良い。空気は冷たいが、雲ひとつ無い空から陽光が降り注ぐため暖かさを感じさせる。

 その間にはオリンピック話も終わり、また別のオカルト話に移っていた。


「―――それでですね、近年、うつろ舟の蛮女で語られた舎人浜は茨城県の舎利浜ではないかという説が唱えられていまして。私としては今回の調査が終わったら帰りに行ってみたいと思うのですが」

「ああ、あの良くオカルト雑誌とかで取り上げられるヤツ」

「そのヤツです」

「うつろ舟といえば良くUFO話扱いされるけど、仏教の補陀落渡海と関係があるんじゃ無いかっていう説を聞いたことがあるよ」


 補陀落渡海。密教の儀式で、渡海船にわずかな食料と身ひとつで乗り込み、補陀落とよばれる浄土へと向かうことを試みる修行法である。語源はポータラカ、というサンスクリット語らしい。観音菩薩の浄土であるという。

 僕自身は仏教にさして興味はないが、この修行法については耳に挟んで調べたことがあったのだ。この儀式のグロテスクさというか、息の詰まるような感覚が僕の琴線に触れたからだった。小さな小舟に閉じ込められ、その船は中からは開けられないようになっており、中にはわずかな水と食料しか積まれていない―――その最後に、渡海を試みた修行僧がどのように感じたのか。果たして仏教の世界観に準じて、補陀落にたどり着いたと信じたのか。それとも苦しみとともに生への執着と後悔によって死んだのか。


「補陀落渡海に使われた舟が親潮に乗って常陸の国の浜に流れ着いた、という説ですよね。普通であれば黒潮に押し流されて戻って来れないはずが、ごくまれに日本に戻ってくることがある……もちろんこれも面白いとは思いますが、しかしことうつろ舟の話となりますと、別のメタファーが入り込んでいると考えるべきです。この事件は1803年に起きたとされるわけですが、その前後にはロシアのラクスマンが日本に現れる事件が起きていましてーーー」

「沙也加さん」


 沙也加の舌がひょっと回り出した頃、免田さんが口を挟んだ。


「ご歓談中のところ申し訳ありませんが、到着しましたよ」

「なんと。楽しい時間はあっという間に過ぎるものですね、セキくん」


 どうやら会話にうつつを抜かすうちに目的地に到着したようだった。

 表札の掲げられた小道の前に車は駐まっている。さて、どのような話になるのだろう、と身構えながら車を出た。

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