第35話 芦屋との再会

 この件について最も詳しいだろう人物の内、一人とはすぐに会うことができた。あまり会いたくない方の人物、芦屋美智蜜の方である。


「おやおやおや。やはり来ていたのですねぇ?」


 ねっとりと、糸を引くような、人の怠惰を誘うような。そんな厭な響きと含みのあるような喋り方をこの男はする。

 しゃべり方だけなら我慢もできるが、そこには明確な当て擦りというか、僕たちを揶揄するような感情が含まれてもいた。


「前回はしてやられた上に私めに助けを求めたというのに。今回は私めは連中のチャネリングに参加する予定だからねぇ、助けてあげられないよ?」


 などと。

 まともに取り合うのは馬鹿らしい手合いなのだが、どうしても心を掻き立てられる。


「ええ、大変残念なことでせいせいしますね」

「おっと辛辣。しつこいが、前回助けてあげたのは誰かな?」

「ではなんと言えば満足なのでしょう?土下座でもすれば満足ですか?」

「いいや?君の頭など下げられてもさして面白くもなければ気持ちよくもない」

「じゃ、放っておいてくれませんか。これから打合せするので」

「ふーむむむ。しかしだねぇ、円藤くん?君が参加するだろう架学会の打合せには、もちろん私も参加しているのだよ。どうかな、それでも私を邪険にするのかな?」


 ふたりのやり取りがどんどんと熾烈になっていく。

 芦屋はこうして、言い争いをするのが楽しいかのように沙也加を煽り続ける。それに沙也加も僕も怒りを覚えている。

 ……下手に怒っても「煽り耐性低いのかい?」などとそれすらも揶揄いのネタにされてしまいそうだ。

 しかし、いつまでもこうしているわけにはいかない。僕たちはこの男とおしゃべりを興じに来たのではなかった。僕は二人のやり取りを遮って芦屋に質問する。


「……えっと、その。チャネリングに参加するんですか?」

「ああ、そのこと?うん、そうだねぇ、せっかく彼らの動向を間近で見れるチャンスだからねぇ。私めもこんなに早くXデーを持ってくるとは思わなかった。もっと長く楽しめるかと思っていたのだけれどねぇ、残念だよ」


 ……確かに。あからさまに自分の享楽の対象と言い放つことには同意できないが、こうした予言を目に見えた期日付きで行うのは、相当リスキーな行動ではあると思う。


「確かに、こうした予言を行う組織というのはその後はあまり振るわないのも事実ですね。例えば宇宙友好協会が1970年代に指定したXデーがあります。いわゆる『リンゴ送れC』事件ですね。この例は今回に近いものがあると言えましょう。しかし、その予言を行ったことと、外したこと。この二つで急速に勢いを失っていきました」


 沙也加は少し顔をそむけながら、しかし自分に興味のある話題だったからか、会話に加わってきた。


「あるいは。Z帝国の大地震についての予言の例をあげることもできるでしょうね。1994年6月24日に大地震が起こる。その後富士皇朝が政権を握るだろう―――というクーデターを示唆するような予言です。しかし、彼らの予言もやはり外れました。『カタカナで発せられた予言をひらがなで人々が知らせたから外れた』という言い訳が面白いとよく語られますが、ともかくこんなことを言われても『そうだったのか。次はカタカナで言うことにしよう』となる人は少ないでしょう」


 その何とか帝国のことは知らないが、彼女の話は2012年にマヤ歴の世界滅亡の予言が外れてがっかりしたことを思い出させた。

 古代マヤ文明は西暦2000年代まで緻密な暦を作っていたというのに、2012年までで途切れている。それは彼らが世界の終わりを何らかの方法で察知したからではないか……という言説である。

 だが、外れた。2011年まではドキドキして視ていた気がするが、2012年が終わる頃にはすっかり白けた気分になっていた。日本では2011年に大震災が起きて、それどころではなかったということもある。


「このように、外れるとリスクがあるのが予言です。が、予言が達成されてもしぼんでいくのがこうした集団というものでもあります。例えばオウム真理教の最終戦争。彼らは自身で毒ガスを地下鉄に撒いてその終末を演出しようとしました。結果はご存知の通り、教祖と首脳陣の逮捕と、極刑という形で終わっています。ここまで極端な例ではないとしても、UFOの到来による救済を掲げた組織であるヘブンズゲートなどは、実際に集団自殺を行って、やはり集団としては終了しました。当時はアメリカの社会を騒がせたみたいですが、今となってはかつてあったカルトのひとつとしてしか記憶されていません」


 ……確かに、分かる気もした。


「なんというか、明確な目標とかゴールを設定しちゃうと、それを超えてしまった時のモチベーションが無くなる……みたいな感じなのかな」

「まぁ、そういう側面もあるでしょうね。なので、私としても不思議には思っているのです。どうして予言などしてしまったのだろうか、と」


 沙也加と僕の疑問に対して、芦屋は「おや、それは簡単じゃないかい?」と嗤った。


「……では、芦屋さんはどう思われるのですか?」

「それこそモチベーションの問題だと思うよ?人間は理由とか目標とかゴールというものを好む。平凡な人間の日常において、いずれも得難いものだ。これを手に入れられた人間というものは、もうその時点で平凡じゃない。特別になるからねぇ?」


 芦屋の言うことも、やはり最もなことだった。

 誰もが理由を得られるわけではない。生きる理由、仕事を続ける理由、学校に行く理由……そのいずれも、人間は無理矢理見つけているようなものだった。


「しかし、宗教や集団生活に参加する人間というのは、それを生活の中では見出せない。もっともっと劇的で、刺激的な形で求めるんだよ。当初は教義やちょっとしたパラダイムシフトで満足していた人々は、やがてもっと直接的で刺激的なコトを望むようになる。それが、いついつに世界が滅びる―――という言葉が人々をひきつけて止まない理由さ」

「それでは組織が長続きしないのでは、と私もセキくんも思っているのですが」

「そもそも長続きさせるつもりがないのさ。予言とはそういうものだよ。消費者は目前に迫った終末を恐れ、楽しむ。供給する側は滅びを目前に富を回収する―――と。感情と経済、両方を使った焼き畑農業というわけさ」


 だとするなら、後に残るものは何もないということになる。

 命は消えてしまえばそれまでだし、富も使ってしまえばそれまでだった。後に続くものは何もない。ただ、消費されて終わりである。


「いよいよ追い詰められた時の狂言と一緒だよねぇ。私めとしてはそういう行き詰った集団の行く末というものに興味があるから見ごたえがあるのだけれど」


 なんて、芦屋の言葉。

 それに同意してしまいそうな自分がいる。

 彼とは違う……と、そういう言い訳が出来なくなる。


 沙也加を見れば、無理矢理な笑顔を作って対抗していた。彼女もまた、何らかの感情を掻き立てられているようだった。それが同族嫌悪なのか、それとも別の感情なのか。それは分からないけれども。

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