第26話 僕と彼女の作戦会議

 スケジュール帳を取り出して日程を詰めようとする眞野ミコを振り払うように「トイレに行く」と立ち上がった。


 そのまま帰ってしまうのも手だったかも知れないが、大切な友人にそんな不誠実なことは出来なかったし、したくなかった。


 結局、僕は便器に座りながら頭を抱えている。どうするべきか、と思考を巡らせる。酔いで頭の働きは鈍っているが、それどころでは無い、と無理矢理思考をまとめようとする。


 眞野ミコは、シールドオブスターの一員。芦屋美智蜜が発表した、あの厄介な団体のメンバーである。僕と沙也加が仕事の帰りに寄った舎利浜でチャネリングをしていたあの一団に彼女もいた。


 ……そういえば、黒いゴスロリ服の女性もあそこにいた。熱心に、真言のように呪文を唱えていた―――今から思えば、彼女が眞野ミコだったのだ。なぜ、僕は気がつかなかったのだろう。そうすれば―――


 そうすれば、どうなるというのか。

 話を聞く限り、あの時にはもうあの団体の一員だったのだ。出来ることと言えば、彼女の誘いに乗らないことくらいだ。しかしそれは解決にはならない。ただ、面倒ごとに蓋をすることでしかない。


 ぐるぐるぐるぐる、と。意味の無い悔恨が頭を回っていく。そうするうちに時間は過ぎていく。やり過ごすことなどできない。外には眞野ミコが待っている。答えを先送りにすることなど出来ない。


 そうこうしていると、個室トイレにノックする音があった。

 は、と頭を上げる。考える時間がもう無いという事実を突きつけられてしまった。


「……すみません、今でます」

「いえ」


 慌ててでようとした僕に対して、返ってきたのは否定の言葉だった。

 甲高い、女性の声。まさか眞野ミコがしびれを切らしたのか、と一瞬思ったが、しかしその声は眞野ミコのものでは無かった。


「でる必要は無いのです。私も中に入れてくれませんか?」


 何を、と頭が混乱する。どういう意味なのか、図りかねた。

 ただでさえ考えなくてはいけないことが多いのに、それ以上に不可解な言葉が掛けられて混乱する。


「えっと、それはどういう……?」

「まだ分かりませんか?ではヒントをあげましょう。えから始まりかで終わる、干乃赤冶くんの婚約者の円藤沙也加。さて、答えは?」

「……沙也加さん」

「正解です。さ、扉を開けてください」


 それはヒントでは無く答えと言うのでは無いか。

 そんなツッコミが頭を過ったが、しかしそれ以上に僕は混乱状態に陥っていた。僕は沙也加に言われるがまま、個室の扉を開けてしまった。




 個室に入ってきた円藤沙也加はいつも通り着物を着ている。

 今日はベージュを基調にした着物に袴姿だった。レースが縫い付けられた襦袢を中に着込んでおり、どこかモダンな雰囲気を感じさせる。足下はいつもの下駄では無く、黒いブーツを履いている。偶然だろうが、眞野ミコと似た雰囲気を醸し出していた。


「男女共用で助かりました。もしこれが男女別れていたら、痴漢かあるいは盛ったカップルの所業となっていたでしょう」


 開口一番、そんなことを平然と言い出す。

 いつもの沙也加のペースだった。そのいつも通りさが、僕の心を安心させた。


「……なんでここに」

「もちろん、あなたをつけていたからです。眞野何某とどこで逢うのか教えてくれたでしょう?その場所に先んじて入り込み、ひとりで一杯やりながら様子をうかがっていたのですよ。いいですね、ここの自家製ハム。まぁハムと言うよりチャーシューでしたが。ビールが進みます。あ、でもセキくんここで出してる銘柄はあんまり好きじゃ無いんでしたっけ?メニューに書いてありましたが、瓶ビールはインド製のペールエールでしたよ。あれならセキくんも好きだったと思いますのでおすすめです」


 経緯から店の感想、ビールの頼み方まで教えてくれた。


「それは親切にどうも。……つけてたってマジで?」

「ええ。心配でしたから」


 ストーカー一歩手前……いや、ストーカーそのものだった。見る人が見れば嫌悪感を募らせる所業だった。幸いと言うべきか何というか、僕は呆れこそすれ嫌悪はしなかったが……大抵、円藤沙也加も頭のネジが吹っ飛んでいる。


「それで。案の定でしたね」

「なんで妙にうれしそうなの」

「……いえ、そんなつもりはありませんでした。すみません、不謹慎ですね。まぁでも付けてきて良かったです。このままだと良からぬ団体にセキくんが入会するところでした。ちよろずのつどひの二の舞です」


 それを言われると弱い。

 以前、僕は彼女の危惧するとおり、カルト団体の精神攻撃にまんまとしてやられている。そのまま記憶を失った上、沙也加に暴言を吐いて、かつあまり借りを作りたくないタイプの人間に借りを作ってもいた。かなりのやらかしだ。


「……それで、どうなのです?私はカウンター席から様子を伺っていたのですが、やはりここからだと良く聞こえません。ただ、拾った限りだと……あの方、随分熱心に何か教義のようなものを語っていましたね。何を言われたのです?」


 沙也加には今知り得ている情報をなるだけ伝えることにした。

 眞野ミコが件のUFO団体の一員らしいこと、舎利浜で遭遇した一団の中に彼女がいたらしいことと、そしてその組織に僕が……その上沙也加まで勧誘されそうになっていること。

 僕が語り終わると、沙也加はふぅむ、と小難しい顔をして顎に手を押さえた。


「なるほどなるほど。それはまた。そうですねぇ、いっそのこと誘いに乗るというのは?何か手がかりがつかめるかも知れませんし」

「却下で」


 僕にも前科があるように、沙也加にも前科がある。

 素人染みた潜入をやってミイラ取りがミイラに囲まれて動けなくなった事件は記憶に新しい。正直、あの二の舞も僕はごめんだった。


「良い作戦だと思うのですがねぇ……じゃ、次の作戦です。私が出向いて話を付ける、といのは」

「ええ……」


 正直、気乗りしない。

 話を付けると言ったって、どうするというのだろうか。


「でも、このままだとこのままでしょう?」

「それは、まぁ」


 沙也加はトートロジー染みた物言いをしたが、しかし今現在の状況がトートロジー染みていた。彼女の言うことは妥当だった。

 いつまでもトイレに沙也加と引きこもっている訳にも行かない。

 何らかの行動を起こさなければならないのだ。


「……でも、眞野は大切な友達だ。関係を壊すようなことはしたくない。そうでなくても色々苦しんでいるのに……彼女を否定して追い打ちを掛けるようなことは」

「そう言う気持ちを利用されているのに?」

「……」


 またしても、言い返せない。沙也加の言うことは正しい。ただ、その正しさに納得できるかどうかは別の話だった。


「いえ、すみません。今度もあまりよろしくない物言いでしたね。もちろんです。苦しんでいる人間に寄り添うことも退魔師の仕事です。……そうですね、それじゃああなたと眞野何某の関係があまり傷つかない方向で調整します。それでどうでしょう?」


 私に任せてくれませんか、と沙也加が言う。

 ……正直、円藤沙也加の押しの強さはこの場においては戦力となるように思えた。眞野ミコの世界観を打ち破るだけの詭弁力も持ち合わせている。彼女の自信に溢れた言動からいって、何らかの策を持っているらしいことともうかがえた。

 ……だったら、任せてみても良いかもしれない。

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