第20話 僕と彼女の風水都市考

 目的地は仲見世通り商店街にあるらしい。

 大学最寄り駅から総武線を用いて浅草橋駅まではいける。そこから浅草線に乗り換えて浅草駅まで行くのが一番速いルートだった。しかし時間と元気が有り余っていた僕たちは、隅田川沿いに20分ほど掛けて歩くことにした。


 隅田川の傍を通る沿道をふたりで歩く。

 話の始まりであるところの眞野ミコに関するあれこれについて、彼女はまるで忘れたかのように平然としていた。出発してから、彼女はそれについて何も追及してこない。

 ただ、彼女のまるで嫉妬しているかのような、あのリアクションに対して、僕はどうしていいか分からなくなる。それに触れない、というのなら好都合だった。


 水辺であるためか、通り抜ける風が心地良い。

 川の上にはいくつかの屋形船が盛況の様子を呈している。対して川向かいには向島線が通っていて、せわしなくコンテナやトラック、一般車などが通り抜けていく。そしてその二つとも違う時間のなかを僕たちは歩んでいる。彼方と此方とで、流れる時間が異なっているかのようだった。


 前方にはスカイツリーが見える。灰色のゴツゴツとした東京のランドマークは、こうしてみると現実感を伴わないほどの大きさを誇っている。こうなるともはや月と同じだ。


「そういえば」


 ふと、沙也加が口を開く。


「スカイツリーが風水都市としての東京の結界を寸断している―――という話があったじゃないですか」

「あったね」


 一部の風水家や都市伝説本が良く取り上げていた話題である。

 ちなみに近年の都市伝説本でも新世界秩序やレプティリアンと並んでこの話題が取り上げられていた。すっかり定番化している。


「スカイツリーのせいで二等辺三角形が破壊されるんだっけ?そのせいでよからぬことが起こるんじゃ無いか、いや、もう起きているんじゃ無いか、とか。良く聞くけど」


 しかしスカイツリーがあろうと無かろうと、悪いことは起こる。

 そして良いことも起こる。人間という生物はバイアスの掛かっている生き物だ。

 とにかく何かと何かを繋げて、因果関係を作りたがる。スカイツリーほどの巨大な事業ともなれば、凶事と結びつけたがる人間が一定数現れるのも当然であるかも知れない。


「そもそもの話をするなら、江戸が四神相応の土地である―――という言説自体に嘘がありそうなのですよね。江戸が風水都市である、という説が現代で有名なのは加門七海氏の『大江戸魔方陣』が大きな要因であるのは異論がないところでしょうが」


 加門氏をはじめとして、江戸=風水都市を語る言説は数多くある。

 その根拠として語られるのは、東京中に存在する神社仏閣などを線にして繋げて、そこかしこに三角形の結界が張られていること。

 また、鬼門の方角に寛永寺と浅草寺が存在することや、江戸五社を繋げると五芒星が出現することなどから、江戸という都市は切開段階から風水的な知見が盛り込まれているのだ……というのが主な趣旨であった。


 ただ、風水都市と三角形によって作られた結界がどう関係があるのかは疑問である。

 江戸という都市はかなりの人口密集地だった。

 その土地にある神社の数を繋げれば、何らかの図形が出てくることだろう。

 そもそも二等辺三角形が風水や陰陽道にどれほど関わりがあるのか、少し分からない。五芒星や星形、あるいは碁盤の目のようになるというのなら分かるのだが。


 また、江戸五社は確かに繋げれば五芒星になりはするものの、かなり不格好なものとなる。都市計画の中に組み込まれたのだとしたら、もう少し綺麗な五芒星を描くように思う。正直、あれを結界と呼ぶには少し苦しいものがあった。


 ちなみにこの神社仏閣を繋げて霊的な意味を見いだす……という論調について、大家である加門氏は、実は明治維新以後に創建された神社を勘定にいれてしまっていたらしい。そうなると、そもそもの前提から崩れ出してしまう。


「江戸は四神相応の土地である、という説を唱えた最初は慶応年間、役人の心得などを書いた書物だったとか」

「……つまり、侍のマナー講師ってことか」

「言い得て妙ですね。徳利の注ぎ口を使うのはマナー違反みたいな、嘘八百と同類です。さもそういう話があるかのように、まことしやかに語り始めたトンデモ説が始まりでした」


 何時の時代も、そういう言説は流行るものであるらしい。

 そしてそれは、必ずしもオカルトとか与太話のような分かりやすい形で現れる訳では無い。まことしやかな歴史とか、マナーとして現れることもある。その境目を見つけることは容易では無い。


「他にも……そうですね。加門氏が繋げる神社仏閣は、縁起だけを見れば古い神仏や僧侶に求められています」


 この事実だけを見ると、江戸がそういう土地だから選ばれたのだ、と考えることもできるかもしれない。


「しかし、なぜ江戸の仏閣にそうした古い縁起が求められるのかと言えば、江戸幕府が新たな神社仏閣の建立を規制したからです。前提が逆なのですよ。新たな神社仏閣を作るにあたり、昔からあったものを再建した、という建前を出す。そうすると許可が下りやすくなる。つまり、法の抜け穴をついたということです。こうした文脈が忘れられると、江戸は風水都市である、というような話の支流として用いられてしまうわけですね」


 本来、意味の無いはずのものに意味を見いだす。

 あるいは、別の意味を見いだす。

 人間という生き物の性であり、そういう営みが人間を発展させてきた面もある。明らかな虚構であっても、それが楽しいものであれば人間には意味がある。


 江戸が風水都市として創建されたという事実は、おそらく無いのだろう。しかし、そう考えると楽しいから、人々はこの説を唱え続ける。


 ―――やはり、わからなくなる。

 それが『楽しいもの』『虚構』である限り、僕はそれを受け入れる事ができる。しかし、これが人々にとっての『現実』となったら?

 きっと僕は受け入れられない。間違っていると感じてしまうだろう。

 嘘であるとわかって遊ぶのでは無く、現実として前提にしてしまったとき、オカルトは楽しさを失ってしまう。少なくとも、僕にとっては。


「まぁ、分かりませんよ?これから天海僧正が風水に通じた人物だったこととか、江戸を風水都市にしようとした歴史的証拠が出てこないとも限りませんしね。江戸っ子大虐殺で全部失われたという可能性もあります。そうなれば、間違っていたのはこうして小馬鹿にしていた私たちの方ですよ」


 なんて、彼女は嘯く。きっとそんなこと思ってもいないだろうに。

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