第18話 卒論に向けての憂鬱

 大学生にとって卒業論文と言うものは大きな問題である。

 テーマ決めから執筆、指導教授によるダメ出しの数々。そして最後には発表。


 大学生活と言うぬるま湯に冷や水をぶっかけるがごとき最後の試練であり、難関である……というケースが多い。


 しかしながら、僕の選んだ創作関連のゼミにおける課題たちは、そこまで難しいものでは無かった。

 指導教授は「何かしら作品を提出すれば単位を出す」と公言していた。他のゼミにおける発表も要は論評会である。

 作品を提出して感想を言い合う。これだけでゼミの単位は取得でき、卒論も受理される。つつがなく大学生活を終えることが出来る。


 しかし、だ。

 そもそも、僕は何を書くべきなのか。それがいまいち思いつかない。

 僕がそういうと、教授はうーん、うなった。


「例えば……高校生の時のこと、書いて見るのはどう?」

「高校生、ですか」


 今度は僕がうなる番だった。

 僕の高校生活には小説に出来るような華やかな出来事も美談も無い。


「好きだった子のこととか、逆に嫌いだったヤツのこととか。君はねぇ、まず他人のこと書いてみるのが良いと思うよ」

「他人のこと」

「そう。それで卒論にする、とかじゃなくてさ。なんか書いてくれれば僕は読むし、ゼミのみんなで論評もできるし。そこから書きたいことが見つかることもあるかもしれない」


 そういうわけで、僕は小説のネタを探している。

 探しているのだが、思いつかない。


「なんですか?」

「え」

「顔をじっと見つめてるじゃないですか。やけに情熱的に」

「……そうかな。そうかも。落ち着くからね」

「なんと。私の顔にヒーリング効果が」


 ゼミが終わってからいつものように沙也加と学内のカフェで屯していた。

 架空存在学会からまたしばらく、新しい仕事も事件もない。まるで何事もない大学生のような日々を二人して送っていた。


 そんなに日常の中、学生らしい悩みを抱えて反芻していたのだが、いつのまにか沙也加の顔を見つめていたようだった。


「しかし、本当にどうしたんです?」

「……卒論のテーマのこと考えてた」

「ああ……今から憂鬱ですよねぇ。私も来年からは本格的に考えなくちゃです」


 僕たちは現在、二年生である。

 学部学科によって違いは出るが、我が校の日本文学科は二年次からゼミに所属することになる。したがって、指導等は二年次からスタートする。

 沙也加のいる英文学科は三年からゼミが決まるらしく、まだそこまで考えなくても良い時期のようだった。


「なんか考えてるの?」

「そうですねぇ……何となく思っているのは……幽霊屋敷でしょうか」

「幽霊屋敷」


 またらしいテーマを選んできた。


「そうです。例えば欧米では1800年代後半から、心霊現象研究が盛んになりました。フォックス姉妹によるハイズビル事件に始まり、神智学協会のヘレナ・プラヴァツキ―夫人によるスピリチュアルブームの勃興などのが原因ですね」


 そこそこ聞いたことのある名前が出てきた。

 ハイズビル事件はラップ音などの怪現象が家で起き、それを姉妹が『霊からのメッセージだ』と主張した事件。

 ヘレナ・プラヴァツキ―夫人は言わずもがな。神智学協会の設立メンバーにしてオカルティズムの大家である。


「まぁ、その功罪とか真偽はひとまずともかくとして、とにかくこれがきっかけとして心霊現象の研究が盛んにおこなわれるようになりました。有名なのはSPRなどでしょうか。あのアーサー・コナンドイルやキュリー夫人も参加したという高名な組織ですね。一般的に懐疑派と言われがちですが、検証したらトリックを暴いてしまった、と言うのが正確なところのようで――――」


 わ、と。彼女は水を得た魚のようにSPRについての話を語り始める。

 つまりは、そういう欧米における心霊主義の勃興と展開についての論文を書きたい……ということだった。

 どうなのだろう。英文学科の範疇なのだろうか。指導教授に弾かれたりしないだろうか。


「それがダメなら陰謀論ですね。アメリカというのは建国からして陰謀論の温床でした。イギリス、カトリック、インディアン……そうした外敵からの陰謀を常に警戒し続けてきた歴史があります。イルミナティやフリーメイソン、レプリティアンといった現代の定番陰謀論の原点がそこにある、というわけです」

「余計に胡乱になったね」

「それすらダメなら最後の手段としてゴシックホラーですね。『ねじの回転』とかの話でお茶を濁しますよ」


 テーマに色物感はあるものの、彼女なりに色々と考えているらしかった。

 ……さて、僕はどうなのだろう。

 書きたいこと、書きたい人物などはいるだろうか、


「……また、ヒーリング効果を期待してるんです?」

「ああ、そうだね。顔からマイナスイオンとか出てそうだし、声には神聖周波数の音域が含まれてるんだと思うよ」

「もはやちょっとした家電ですねぇ、私」


 割とおちょくった物言いをしてる自覚はあるのだが、奇特な感性を持っているらしい沙也加は妙にうれしそうだった。

 声から神聖周波数が出てる……おそらく最悪の口説き文句と言えよう。


 彼女の顔を見ているのはもちろんヒーリング効果を期待してのことでは無い。

 書きたいこと、と言われて真っ先に思いついたのが円藤沙也加のことだった。


 ……とは言え、どうなのだろう。

 彼女との会話は胡乱だし、彼女との間に起きていることも現実離れしている。

 それを果たして、言葉の中に封じ込めることなど出来るのだろうか。


「現実に起きたことをさ、小説にするってどう思う?」

「はい?……そうですね。えてして創作というものは現実を反映する部分がありますからね。どんな嘘でも創作でも、それを出力させるに至る本当がどこかにあるから何かを作るんじゃないですか。陰謀論の話も、誰かが恐い、誰かが憎い、誰かのせいで……とかが始まりなわけです」

「そっか……」

「はい。……つまりセキくんは何を書こうか悩んでいるわけですね?」

「まぁ、そういうことになるね」

「あ……ふぅん。なるほど?もしかして私のこととか書きたいんですかぁ?」


 そうですかそうですか、と沙也加はなにやら得心したような笑みを浮かべる。

 その様子は可愛らしくもあったが、僕の図星をつくものでもあった。そういうわけで彼女のことだけは小説にするまいと心に決めた。


 でも、本当にどうするべきだろう。

 僕には何か、書きたいことはあるだろうか?


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