第17話 UFOと救世主
―――これまでの芦屋の言動を見て、僕には二つの感情が表れている。
なぜだろう、という疑問。そしてそれに付随する恐怖。
まず、僕はこの男に嫌悪感を抱いている。
何もかもを信じているような態度と、何もかもを小馬鹿にしているような態度。
それが同居する在り方が僕には受け入れがたい。気持ちが悪い。そう思う。
だが、しかしその態度は僕にはなじみ深いものでもあった。
まさしく、僕が捉えた円藤沙也加の人間性もそういうものであった。何もかもを信じてみせる態度を、彼女はパロディとして用いている。そういう言動をする女性だった。
芦屋と沙也加。この二人は近しいものであるように思うのだが、しかし僕の感じ方はまったく真逆のものであった。
この違いは、いったいどこに起因するのだろう?そういう疑問が頭をよぎっている。
ただ単に僕にとっていけすかない人間というだけならば、無理に親しくする必要も無い。必要に応じて、適切な距離感で付き合っていけば良い。
だが、それだけでは済まない、恐怖のような感情があった。
何も芦屋を恐れていると言うわけでは無い。
それは僕がこの男に嫌悪感を抱いているように、いずれ沙也加に対して同じ嫌悪感を抱いてしまうのでは無いかという不安だった。
常々、僕と彼女の道はどこかズレていると思っている。
それでも、僕は彼女と一緒に居ても良いと思った。彼女が矛盾と付き合いながら生きていくと言うのなら、僕も同じようにしても良いと思った。
しかし、それがいつまで続くものなのか。それは分からない。
どこかズレている僕たちは、いずれどこかで決定的な決別をしてしまうのではないか。何か一つボタンが掛け違うだけで、僕は彼女のことを嫌悪するようになってしまうのでは無いか。
その、不安の具現こそ、この男であるように思えてならない。
「言い方は悪いが、厄介な案件を持ち込んでくれたものだと思ったよ。あんな強固な―――しかもカタカムナの模倣とはいえ固有架空存在と言ってもいいものを用いてあそこまでの上書きを行えるとは」
固有架空存在、というワードは初めて出てきた気がする。
人間の思考が生み出す存在しないはずの怪異。それを架空存在と定義するというのは、もう何度も聞いた。だが、そこに固有がつくとどう意味が変わるのだろう。
「その、固有がつくと何が変わるんですか?」
「ああ、そういえば君は全くの抵抗も出来なかったド素人だったねぇ」
「……私が説明しますので芦屋さんはちょっと黙っててください」
「うん?ああ、君の佳い人が悪く言われるのが我慢ならないのかな。ごめんねぇ、口が悪いもので」
「自分の口の悪さを自覚しているのなら直す努力をしたらどうでしょう。その方がきっと生きやすいはずですよ……と、話は戻りまして固有架空存在ですね。一般的に我々が観測する架空存在は、広く人口に膾炙するものが多いのです。例えば口裂け女やカシマさんと言った、都市伝説に語られる怪異。あるいは今日の芦屋さんの発表で語られたUFO。これも怪談や都市伝説とは趣を異にしますが、形成されたUFOや宇宙人に関する目撃談の文脈に沿った存在です」
しかし、と言いつつ沙也加はコップに口を付ける。
「こうした既存の文脈の延長や変形では語りきれない架空存在というのも存在します。そうですね、例えば私が『アビャビャンゴ』が恐ろしい、と言い出したらどう思いますか?」
「は?」
「『アビャビャンゴ』です」
「どうするって」
その訳の分からないアビャビャンゴなる存在がなんなのかをまず調べるところからスタートすることだろうと思う。僕がそう言うと沙也加も「そうですよね」と同意した。
「では試しに検索エンジンでアビャビャンゴと調べて見ましょう……と、意外なことに一件だけヒットしちゃいました。ネット掲示板のレスみたいです」
「はぁ」
生返事を返しつつ、彼女と同じように僕もスマートフォンのアプリでアビャビャンゴなるワードの検索を試みた。ヒットしたのは彼女の言うとおり、掲示板のレスにこの言葉が含まれている。
しかし、その掲示板は洒落怖でも怪談を語る会でも無い。アイドルやレースクイーンの個人撮影に関するスレッドのようだった。笑い声を文字化したものであるようだ。他のカメコを煽る意図を持って打ち込まれたレスであり、沙也加の怖がる何かと繋がりがあるのか無いのか、全く分からない。
「さて、実はこのアビャビャンゴとは私が夢で見た怪異なのです。全身に眼が生えた赤いナメクジのような姿をしていて、私の家中を徘徊していました。夢の中ではお母様はじめ家に住む私以外のが彼らを崇めるように『アビャビャンゴ!アビャビャンゴ!』と叫びながら踊っていまして。そこからおそらくあのナメクジも『アビャビャンゴ』という名前じゃないかと思ったのですが」
どうでしょう?と沙也加が問いかけてくる。
どうでしょう、と言われても困る。むしろ問いかけたいのはこちらの方だった。
「……このようにですね。既存の文脈や名称にとらわれない怪異のことを固有架空存在と呼んでいるのです。当然、名称からだけではその存在を特定することは出来ない。詳細を聞いても、もし夢から現れたものであったりすれば、複数の怪異や事象が絡まり合って生み出された存在となりますので、祓うにしても複雑な手順を踏む必要があります。なので厄介なケースです」
なるほど、とようやく理解した。
例えば僕たちが祓うことに成功したチュパカブラ。あれは既存の文脈に沿った存在だった。康太くんは南米で語られる家畜を襲う怪異そのものを恐怖していた。僕たちはその存在の文脈を把握すること―――すなわち、僕がチュパカブラなる存在が創作であることを認識することで怪異を祓おうとした。
だが、これが夢となるとどうだろう?
誰かの夢の中にしかいない怪異―――文脈の読めないそれを、僕は論理的に解釈したり否定したりできるだろうか?これは何々の影響で、これはその人物のこういう体験から引き起こされたもので―――と、チュパカブラを否定するよりも複雑な工程を踏む必要があることは間違いない。下手をすると心理学的な知見すら必要になることだろう。
「そんな必要があるのかな?」
と、納得しかけた僕に水を差す声があった。案の定、芦屋美智蜜だった。
「聞くところによると、君たちの退魔とは呪具の中に入った干乃くんの魂を用いるものなんだろう?呪具の中の干乃くんが怪異をどう解釈するか、それによって怪異を否定し、打ち消す。通常の退魔の過程と違って、架空存在を生み出した人物への対処を必要としないんだ。だとするなら、論理的な解釈とか複雑な工程などを経るのは時間の無駄じゃないかい?」
「そうですね。貴重なご意見ご感想、ありがとうございます」
「いいえ、どういたしまして」
沙也加は皮肉を込めた同意でそれを受け流す。
なるほど、この男と付き合うにはこういう在り方が大事なのかも知れない、と思った。
「そろそろやめとけ。手段手法は人それぞれだ。祓う側も、祓われる側によっても流儀は変わるんだからよ」
「おや?でも架学会の創設理念には魔を祓う手法を共有すること、というものもあったような。魔を退ける営みを隠されたものから解放する……とか、なんとかお題目を唱えていませんでしたかな?」
「共有することと強制することは別の話だろ。……テメェの言葉尻を捉えたおちょくりはどうでも良い。聞き飽きた。それよか、テメェが今日持ち込んだ厄介話についてもっと聞きてぇな」
芦屋の発表によるとシールドオブスターの構成員に保険金が掛けられている、という話だった。これが事実だとすると、確かに大変な話となる。
「……などと言っても、証拠をきちんと掴んだわけじゃないからねぇ」
「それでも、きな臭さを感じたから垂れ込んだんだろ。わざわざテメェが忠告に来るなんざよほどの事態だ」
「わたくしめとて、いたずらに人死にがでるのは望むところじゃないよ。……彼らの教義によれば善行を積んだ魂だけがUFOによって引き寄せられ、プレアデス星団へ導かれるのだという。この対象は今のところ信者……つまり救済の権利を与えられた清い魂だけだ」
しかし、区切った芦屋の後を沙也加が続ける。
「その範囲が広げられる可能性もある、ということでしょうか。例えばキリストや、あるいは中世神話における天照大神のように、人々の罪を肩代わりするような思想が現れれば……」
「そう。わたくしめが想像する最悪の事態がそれなんだよねぇ。そうなると厄介だ」
罪、と言う概念は様々な宗教に現れる。
なぜ我々は神を信じるのか?いや、なぜ信じなければならないのか?
それは我々が罪や業を背負うがためである……という論調で人々を脅したり信心を得ようとしたりする。そして、罪を犯した人間にとってそれは割れ鍋に綴じ蓋でもある。
罪を犯さない人間はいない。間違いと言い換えても良い。他者を傷つけたり、騙したり、不正を働いたり。やましいと思うことは大なり小なり多くの人間が抱えている。多くの人間はそれと折り合いを付けて生きているが、そうできない人だっている。
そういう人間にとって、罪を罰したり精算するための手段を教えてくれるというのなら、一も二も無く飛びつくことだろう。
しかし、規模が大きくなり、信者が増えるとそこまで本気で出来ない人間というものも出てくる。確かに自分に罪はあるのかも知れないが、しかしすべてを投げ出すには難しい……と。
あるいは『自分は信じているのだが、周囲の人間は信じていない』というケースも出てくるだろう。そうなると、彼の家族だったり友人だったりは罪をそそぐチャンスすら与えられない。
そんな時、あらわれるのが罪を肩代わりしてくれる救世主と言えるかも知れない。
ユダヤの民を救う教えが、やがて全人類を救うキリスト教を生み出したように。
個人が修行によって悟りに至ることを目指した部派仏教から、釈迦が前世において一切衆生の救済を行っていた……というジャータカ伝説を取り込み、他者の救済に重きをおいた大乗仏教へとシフトしていったように。
そして、もし。
件のUFOカルトに救世主が現れてしまえば?
「その、そうなったら誰も彼もが問答無用でプレアデス星団に連れてかれるってことになったりするってことですか」
「そうなったら呪いと一緒だな。まぁ、そこまで極端なことになる、と決まった訳じゃねぇけどよ」
坂田は「考えたくもねぇな」と吐き捨ててグラスを煽った。
「だからウォッチ対象として警告したわけだよ。まだ分からない。しかし可能性は否定できない。これほど面白いものもないだろう」
しれっと。
不謹慎なことを言ってのける芦屋に、坂田は呆れた様子で苦言を呈する。
「あのよ、いたずらに人死にがでるのは望むところじゃねぇんだろ?テメェは面白がってるのか、それとも警告してぇのか、どっちなんだよ」
「それはもちろん」
答える芦屋は沙也加と……なぜか僕に目配せをしてきた。
「両方ですとも。おぞましいものは面白いんだから」
その視線を、僕は直視出来なかった。
芦屋の視線は『君もそうだろう?』と問いかけるかのようだった。僕の心にある、押さえようも無い癖のようなものを見透かしてくるかのようだった。それが、言い様もなく不快だった。
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