うつほ船を探しに
第8話 うつほ舟を探して
帰り、と言ったが免田氏の運転する車は東京へは向かっていない。
霞ヶ浦から続く利根川を沿うように車は進んでいる。方向としては銚子市の方に近い。行きに話した通り、舎利浜に向かっている。
「常陸国の舎利浜。これが例のうつほ舟の蛮女の漂着地であるという説があります」
利根川の流れを見ながら、沙也加が言う。
「世界最古のUFO目撃談、でしょ?」
「ええ。1800年代後半に書かれた『兎園小説』と『梅の塵』と呼ばれる随筆集にそのエピソードが載ってます。いわゆる『うつほ舟の蛮女』というエピソードです」
江戸時代、常陸国の原舎浜沖合に謎の船らしきものが見えた。
それは円形かつ、上部にガラス製の窓がついており、底面には鉄板が敷かれているという奇妙なデザインをしていた。
船の中にはカーペットと食料らしきものたち、見慣れぬ謎の文字、そして60センチほどの箱を抱えた髪の長い女性がいたのだという。
「見慣れぬ謎の文字は漢字の王に似たデザインをしていたとか。これはスペインに現れたウンモ星人の円盤に書かれていたものと酷似しているのです」
沙也加はそう言うとスマートフォンに保存していた画像を僕に「ほら」と見せつけてくる。
『兎園小説』の挿絵を撮影したものだと言う。
右に円盤状の舟と謎の文字を拡大したものが、左側にその中に居た女性を描いた図が描かれている。
確かに宇宙文字と言われるとらしいデザインをした文字だったし、舟のデザインもUFOと言われるとらしいデザインをしていた。
チョコレート菓子についていた宇宙人フィギュアのデザインを思い出すと、たしかにウンモ星人にはこのマークがついてたように思う。
「この記事によりますと事件は享和3年―――西暦になおすと1803年に起きたことである、ということです。定説における最古のUFO事件が1947年のケニス・アーノルド氏の空飛ぶ円盤の目撃談であることはセキくんもご存じのことと思いますが……」
まるで彼女は一般常識を確認するかのような口調で語った。
正直、一般的な知識とは言いがたい話である。UFOについての熱狂はもはや世間から失われている。改編期の特番か、さもなくばTOCANAの記事くらいしか取り上げないネタだ。
世界最古のUFO事件がどこの何か、などという話はそこまで人々の知る情報では無い。
ただ、悔しいことに僕は知っていたので「常識だね」と合いの手を打つ。
「はい、ありがとうございます。ええ、そのアーノルド事件から遡ること140年前に日本に第三種遭遇事例が存在したことを示した証拠なのです。面倒を恐れて海に流してしまったので証拠も残っていないというオチまで完璧です。ちなみに『兎園小説』の作者はあの滝沢馬琴です。どこかの馬の骨が書いた与太話では無く、歴史に名を残す作家の書いた与太話ですので、信頼におけると言って良いのでは無いでしょうか」
結局与太話には変わらないようだった。
「さて、ところでセキくんは柳田国男氏の著作は読んだことはありますか?」
「遠野物語を少しだけかな。そこまで読んではいない」
誰もが賞賛するが誰も読もうとしないものが古典である……と言ったのは確かマーク・トウェインだったろうか。僕にとって柳田氏の著作群がそれだった。
「えー?セキくんそんなにわかだったんですかぁ?」
「僕は一体何についてマウントをとられてるんだろうか」
「オカルトマニアとしてのマウンティングです。妖怪や民俗学についていっちょ噛みしようというのなら必読ですよ?」
「残念ながら僕は民俗学の学生じゃないんだ。いっちょ噛みするつもりもない。せいぜい甘噛みだよ」
「あらあら。セキくんったら向上心がないのですねぇ。……と、そんなセキくんのために教えてあげましょう。かの柳田国男もこのうつほ舟事件について考察を残しています。UFO事件との関連について……ではもちろんありません。『うつぼ舟の話』という論考が書かれたのは大正年間の話で、当然のことながら時期が合いません」
柳田国男がUFOブームについて論考を残していたら何を言うのかは気になるところではあった。
「ここにおいて柳田はこの話を嘘であると切って捨てています。その上で、日本各地に残るうつほ舟の類話についての考察をしています。例えば……そう、加賀国の海岸に漂着したうつほ舟の事例ですね。このケースだと舟は円形ではなく箱型と伝えられており、中に入っていたのは三人の男性の遺骸だった、となっています。もうひとつはこれまた常陸国の砂浜―――つまりいま私たち向かっているあたりですね。そこにうつほ舟が漂着し、中から女性が現れる。この女性は天竺の御姫様がお家騒動で流されたものであり、彼女は漂着してまもなく死んでしまう。彼女の霊は蚕へと変わり、それが日本の養蚕のはじめである……という説話です」
「それ何時の話?」
「欽明天皇の時代ですね」
神武綏靖……と数えていく。有名どころで言うと聖徳太子を摂政にした推古天皇の五代前だった。
「となると500年代くらいか」
「古代史の範疇ですね。と、柳田が紹介したケースからも分かるとおり、うつほ舟というのは我が国において典型的な民話だった、ということなんですね」
「江戸時代のUFO事件ってことでよく都市伝説本とかで『衝撃の真実!』みたいに言われることが多いけど、元々日本でこの手の話が別の文脈で語られてたってことか。その中のひとつがたまたま円盤状の舟だったばかりに、UFO論者に眼を付けられた……と」
「柳田は言ってないですけど、私個人としては記紀神話のヒルコ伝説に近いものも感じます。よく分からないものや厄介なものが現れ、それを海に流してしまう……という部分ですね」
「そういう心理が日本人にはあるってことなのかな。ニューネッシーも海に捨てちゃったと聞くし」
「アレは腐敗してて臭いが酷かったから捨てたんじゃなかったですっけ?」
こういう、益体のない会話が延々と続いていく。
怪異を解体するための必要に駆られたものでもなく、他者の幻想を破壊するための準備でもなく、ただ、語りたかったから語っている。その事実が妙にうれしい。
結局のところ、僕たちの行う退魔とは元ネタを解説して意味を失わせるような営みだった。お笑いで言えば他人のギャグの意味をいちいち解説するようなことは興を失わせる行為である。
物語やロアについても似たようなことが言えて、元ネタを指摘したり意味を解説したりすると、それを批判と捉えて怒り出す人もいる。
例えば今回のチュパカブラ事件について言えば、チュパカブラというUMAについて否定的な説を紹介することで意味を失わせた。
彼女の用いる呪具は「僕の物事への解釈」によって怪異を無意味化させるものだ。
だからチュパカブラへの否定的な説を調べたりあの場で唱えたりしたのも、それが怪異の意味を失わせるのに必要だから行ったことである。
単純に楽しむ。
ものごとをあるがままに受け止める。
そういう在り方を美徳とする人がいる。そういう楽しみ方を至上のものとする人がいる。
それによって怪異のある世界を享受する人々にとって見れば、僕たちの退魔は忌々しいものに違いない。
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