第7話 僕と彼女のチュパカブラ孝

「また一仕事終わりですね。しかし今回の件はやや示唆的でした。存在自体は我々のいうところの架空存在でしたが……しかし、康太くんとご両親とで見えているものが違っていた。いや、どう捉えたいのか、という点が根本的に違っていたのでしょう」


 帰りの車内で沙也加が言う。

 特に感慨は無く、単なる世間話でしかないようだった。

 怪異を切り、その大本となっている一家から伸びる糸も切り裂いた。

 瞬間、夫妻は……特に陽太氏は、憑き物が落ちたかのような様子を見せた。

 これこそが、沙也加が……いや、この剣が行う退魔。怪異自体を切り裂く刃は、怪異に至る想像力すら切り裂くことが出来る。

 沙也加は夫妻に「もう怪現象が起こることは無いでしょう。動画のデータは処分しておいてください」と伝えたところ、驚くほどあっさりと納得してくれた。そこから一晩待ったが例のチュパカブラが現れることは無かった。


「ご両親にとっては幽霊であり、少年にとってはチュパカブラだった、というわけです」

「しかし、チュパカブラとは……あの少年、なかなか素質があったのかもな。オカルトマニアとしての素質が」


 しかし、その糸はもう切り裂いてしまった。そうなった時、どうなるかと言えば……ソレへの恐怖を失う。と、同時に、興味もまた失うのである。少なくとも、過去の例に関して言えばそうだった。今回のケースでどうなるかまでは分からない。一つ言えるのはあの剣を用いれば怪異を祓うだけではなく、裏を返すと人間の好奇心を殺すことができる、ということになる。それをし続けることは正しいことなのだろうか?

 康太少年を話題にしたのは言外に疑問を込めてのことだったのだが、意に介している様子は無かった。


「チュパカブラは割と古典的なUMAですよね。初出が1990年代頃で、私たちが子供のころの超常現象番組にはほぼ毎回出てたイメージがありますし」


 確かにそういう記憶は残っている。小さいころ、年末の風物詩とも言える某オカルト番組にかじりついて見ていた記憶があるが、そこでもかなり時間を割いてチュパカブラの取材をしていた。


「最近は定番化しすぎて、逆に陳腐になったのかあんまり出てこなくなったよね」

「定番化し、キャラクターになった時点で怪異は力を失うのですよ。リングシリーズの貞子とか顕著でしょう?そういえばチュパカブラブームと同時期ですね。あれは私たちの界隈では結構やばかったと聞いてます。と言うのも、存在しないはずの『呪いのビデオ』の呪いに掛かったという相談が結構来てたらしいんです」


 それは、なんというか。

 人間の想像力と言うのは、新ためて恐ろしいものだと言う他ない。


「しかし、やはり実在するかどうかは大切なことじゃないんです。存在する、と思う人が不特定多数現れる。その中には、存在しないものを実体化させる能力を持つ人間がいる。……そうすると、貞子の呪いが現実に現れてしまう、と」


 現在、貞子はキャラクターとして封じられている。

 貞子は元ネタのある創作のキャラクターとして人々に認知され、始球式に呼ばれたりカヤコと戦わせられたりしている。

 僕たちの生活の一部だったビデオテープはその役割を後発のメディアに譲り、過去のものとなったため、『呪いのビデオ』という呪い自体も意味を失った。

 ちなみに映画の貞子シリーズでは『呪いの動画』というアイテムが登場しているらしいが、しかし呪いのビデオの派生というのがあまりに分かり過ぎているためにそこまで恐怖の対象になっているとも思えない。


「日本においてチュパカブラの目撃例は聞きません。私たちに相談が来た、という話も無かったと思います。チュパカブラは日本においては初めから恐怖の対象では無かったんですよ」

「確かにUMAみたいなノリで見てた気がする。ネッシーとかビッグフットと同じカテゴリーで」

「でしょう?未知の世界のロマン、という扱いなわけです。しかし南米では割と現実味のある怪物でした。チュパカブラについては原型がいると言われていまして、それがマービングと言う、ラテン系の人々の間の伝説です」

「へぇ?」

「どういう伝説なのかまでは詳しくないのですが……つまりはチュパカブラが流行する下地があった、ということですね。しかし1990年代の日本において、チュパカブラが流行する素地は無かった」


 第一次産業の従事者は年々減り続けている、という。地方から都市への人の流入は長らく語られてきた社会問題だった。

 人々にとって、家畜を襲う怪物、というものは恐怖の対象となりえなかった、ということだろうか。


「つまり、90年代の日本人には家畜を襲う未知の怪物より、ビデオテープに宿った怨念の方が身近に感じ取れた……と。そういうことかな」

「そういうことです。いわんや現代をや、です。……とは言え、時折こういうこともあります」


 少なくとも、あの少年にとってチュパカブラは身近な怪異だった。

 両親が畜産業を営んでいる彼にとって、夜な夜な家畜を襲いに来る怪物は「ありえるもの」だった。……だから、現代日本のあの場所にチュパカブラは現れた、と。


「あの子も架空接続持ちだったのかな」


 架空接続。

 架空存在を一人で成立させるほどのイメージや回路を持つ特殊能力者。あの少年がそういう存在だった、と言う可能性がある。


「子供が架空接続能力を持つ、というケースはよく聞きますけどね。例えば超能力少年ブームとか、もっとさかのぼってフォックス姉妹事件とか」

「結構遡るな」


 前者は1970年代に少年たちの間で流行した超能力ブーム、後者は19世紀の心霊主義ブームを呼び起こした姉妹の話をしている。どちらもトリックやいかさまについての指摘が存在しているが、真実は分からない。


「子供にとって文脈は関係ない、と言うことかもしれませんね。あり得ると思えば、それはある。あることにできる。そういうものなのかも」


 だが、それももう消えてしまった。いや、僕たちが消してしまったのだ。


「ともかく、チュパカブラはレアケースですよ。今度、架空存在学会で発表できるかも知れません」


 その時はセキくんも一緒に登壇してくださいね、と沙也加は言った。そんな会合があることを初めて知ったのだが。


「何、その……学会って?」

「架空存在学会。通称『架学会』です。架空存在学説を支持する退魔師の集まりですね。カナさんも参加していますよ。架学会4大名誉会員のひとりです。基本的には事件の事例とか憑き物落としの手法について共有するという会になってます」

「円藤家も入ってるの?」

「あー……いえ。円藤お抱えの退魔師だと入ってるのは私くらいのものですね。基本的に家の流儀は『怪異とは存在するものである』という前提に立って行います。相手の文脈とか土俵に立って戦う、というわけです。祝詞とか祓えとか読経、呪具を用いた伝統退魔ですね。学会はそこに疑いを差し挟む人の集まりなので」


 ……よく分からないが、退魔業界も複雑であるらしい。

 ちなみに今回の依頼は円藤家に来た依頼であり、架空存在学会は絡んでいない、と言う。


「そういうわけで、セキくんが婿入りしてくれれば円藤流架空存在学説派が増えると言うことです。ふつつかものですがよろしくお願いします」


 さて、何と答えるべきだろう。そろそろ僕も腹をくくらなければならないのか。


 くく、と笑い声が運転席から漏れ出る。

 彼女は沙也加の会話に行きから帰りまで一切口を差し挟まなかったが、今になって急に笑い始めた。


「免田さん、なんで笑うんです?」

「だって沙也加さん、すごい楽しそうなんだもん。笑っちゃいますよ」

「そんなことは……まぁありますね」


 沙也加は言うなり僕の腕を組んでくる。着物越しの身体の柔らかさと吐息が僕の耳元をくすぐる。

 かなり恥ずかしい。あとかなりドキドキする。


「なにせ私たちは婚約者ですからね。フィアンセですよ」


 というか沙也加の距離感の詰め方はおかしいと思う。

 僕も大概人付き合いは苦手な方で、仲良くなれると思った人間にはかなりべったりする傾向があるのだが、彼女にもそれは当てはまると思う。それにしてもいきなり婚約者は行き過ぎでは無いか。

 安易な決定は黒歴史を生み出す温床である。

 もう少し交際を深めてからの方が良いのでは無いか。

 というか交際してないぞ僕たち。付き合って無いのにいきなり結婚はどうなのだろう。


 ……という話はあの突然の結納発言からずっと指摘していることであり、彼女が結婚を匂わせるたびに繰り返していることでもあった。

 が、彼女はそのたびに「いや、でも結婚ですよ?厭ですか?」ときょとんとした顔で聞き返してくる。

 厭ではないのである。むしろうれしい。

 ただ、心の整理を付けたいだけだ。


 しかし沙也加はそんな僕の心の整理などお構いなしにこうして婚約を既成事実にしていこうとしていた。とにかく彼女はこの件に関して押しが強い。


「ほら、ラブラブです。イエスフォーリンラブ」

「いつのギャグだ。というか免田さん運転してるし見えないでしょ」

「あ、バックミラーで見えてますよ」


 そういう話ではなく。

 僕のいたたまれなさと羞恥心はどこ吹く風と、免田氏の押し殺した含み笑いと沙也加のはしゃぎようが続いていくのだった。

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