第6話 僕と彼女の怪異退治
名探偵、皆を集めてさてと言い。
探偵ものとかミステリー物の終盤、人々を広間や崖に集めて推理を披露する。そういうシーンのお約束を冷やかした決まり文句だった。確かに世に出回る探偵たちはこぞって人々を集めてさて、という。このお決まりのパターンは一体誰が行ったのだろうか、と、場違いな疑問を抱いた。
「さて」
今回、そう言ったのは沙也加だった。
彼女は黒と白が交差した配色の和服―――彼女曰く、陰陽の交差をイメージしているらしい―――に着替えていた。彼女なりのこだわりがあるらしく、架空存在を破壊する……彼女たちの用語でいえば架空解体をする際にはこの服を着るケースが多い。
ともかく、この空間における場違いさはそれだけでよく演出されていた。
いま僕たちがいるのは豚小屋の中である。
中央に通路があり、左右には豚用のパーテーションが何ブロック化に分けて作られている。
通路突き当りに円藤沙也加と僕が。
そして僕たちを養豚場のオーナー夫婦とその息子が観客のように遠巻きに見ている。
時刻は7時過ぎ。外はもう薄暗い。かすかなLEDの明かりが照らす仕切りの中で、豚たちはそれぞれの時間を過ごしていた。
彼らは人間に消費されるために飼育されている。その営みをグロテスクとまとめることもできるだろうけど、それによる恩恵を拒絶しないで享受している僕には文句を言う資格は無いだろう。
一つ言えるのは彼らはまだ生きているということだった。
これから消費される命だとしても、まだ生きている。問題は―――
パーテーションの一角。
そこは今、豚がいない。小屋の壁や床には血がべっとりとまき散らされた跡があった。件の動画が撮影された翌日に掃除はしたらしいが、それでも跡が残ってしまっている、という。
事件はここで起きた。
ここが事件の現場であり、すべての発端である。
この一角で、数頭の豚が死亡した。死亡した豚たちは毛が抜け、死因はいずれも首筋のあたりについた傷であるとのことだった。
本当であれば、最初にここを直接見ておくのが本当なのだろう。が、僕たちは今に至るまで現場に入り込んではいなかった。
「お集まりいただきありがとうございます。そろそろ本件の総括と参りましょう」
集まった面々に、沙也加は言う。
「まず、色々と整理しておきたいのです。まずはお父様の方から」
矛先を向けられた陽介氏は「はぁ」と曖昧に返事をした。
何を言われるのか、と不安そうな表情をしている。
「本件を円藤に依頼されることを決めたのはお父様でしょうか?」
「……私と、妻とで相談して決めました」
「なるほど。ちなみにですが、円藤という退魔組織について、どなたからお聞きになられましたか?———もちろん、我々は悉知しておりますが、確認のためです。申し訳ございませんが、お願いします」
陽介氏は知り合いの僧侶から聞いた、と言った。
おかしな出来事、奇妙な出来事を前にして、それについて相談したところ、円藤を紹介されたらしい。
「なるほど。では次の質問です。これはひとりずつお聞きしたいのですが……動画に写っていたという謎の影について。皆さま、あれは何だと思ってらっしゃいますか?」
「何って……」
陽介氏は顔をゆがませた。入ったバーがぼったくりだったことに気が付いた時のような、不安と不審そうな様子を見せた。「それを霊視するなりして特定するのはお前たちの仕事ではないのか」と言わんばかりである。
「ああ、質問が悪かったかも知れませんね。ジャンルの問題です。あれを幽霊———ないしは悪霊か怨霊のようなものとお感じになられたのでしょうか?それとも別の何かだと思っているのでしょうか」
「別の何か、とは?」
「宇宙人とか、UMAとかですよ。そういう可能性を考えたことはおありでしょうか?」
いよいよもって不審さが増してくる。わかり切ったことを聞くな、という不満そうな表情を浮かべていた。馬鹿にされていると思っているらしい。
「あるわけないでしょ。そんな、宇宙人とかUMAとか———下らないことを。大体なんですか。霊能力者じゃないんですか、あんたたちは」
あ、と声を挙げそうになる。
沙也加にとっては禁句である。まさか激昂することは無いだろうが、売り言葉に買い言葉で余計なことを言ったりしてしまうかもしれない。少なくとも僕が同じことを言ったら一時間は臍を曲げる。
だが、沙也加はあくまで冷静な表情を崩さない。
冷や汗をかきながら、そういえば、と康太少年の方を見る。彼は俯いていた。それはそうだ。彼は自分の趣味を下らないと言われたようなものだった。
家族からの嘲笑は逃げ場がない。自分自身を恥じるか、あるいは隠しながらこそこそと生きるか。あるいは嘲笑を承知で堂々とすることが出来ればいいが———そんな、強い人間ばかりではない。
沙也加は「お母さまはどうでしょう?」倫子氏にも聞く。答えは分からない、という簡潔なものだった。彼女は———あまり頓着していないというか、あくまで夫に合わせている、というような様子が見受けられた。本人が信じている、というのではない。パートナーが不安がっているから、納得するための儀式として拝み屋を呼ぶことを仕方なく了承している、という感じである。
彼女の答えを受けて、沙也加は「ふむ」と小さく笑った。
「ほんの確認なのですよ。これからすることが本当に正しいのか。最後の確認をさせていただきたかったのです」
確認したかったのは、この場にいる人物たちは、この現象をどのようにとらえているのか、ということだった。不審者なのか、幽霊なのか、宇宙人なのか、それともUMAなのか。
不審者であるのなら、まず我々に相談することは無いだろう。
人知の及ばぬ不可思議な存在である、という前提があったから、退魔師という職業に相談したのだ。とはいえ、円藤が扱う対象は広い。幽霊だろうとUMAだろうと宇宙人だろうと、すべてを架空存在として取り扱う。
依頼者にとって、それを何だと理解しているのか?幽霊なのか、UMAなのか、宇宙人なのか。それとも、そのどれでもないのか。それを知ることは重要なことだった。
ともかく、陽介氏はこの事件を幽霊として把握している。
先ほど、僕は一つの仮説を建て、それを沙也加に伝えたところ、おおむね納得してくれた。
この現象が康太少年由来であるとするなら、少しおかしな点があると言えばある。あのコンビニ本から得られた情報から言って、僕の仮説に間違いはないと思うのだが……この二人が由来である可能性もゼロではなかった。
しかし、こうなると簡単だ。
この二人は、この事件の直接のトリガーではない。間接的に関与しているという可能性はあるし、架空存在を補強している可能性もあるかもしれないが、完全なものではない。
僕たちが斬るべき相手は、もう一人しかいない。
「時に皆さん、幽霊に足はあると思いますか?」
沙也加の唐突な問い。陽太氏は多少イライラしてはいたが、「……無いんじゃないですか?」と応える。
「ありがとうございます。今回の事件―――すなわち連続豚襲撃事件ですが、ご夫妻が撮影された映像には何が映っていたのか。夫妻の言うことと私の助手の言うところによると、それは二足歩行の何か、ということでした。その映像をご夫妻は幽霊と解釈した。しかし、それを幽霊と判断するのはどうも違和感があるのです。というのも、幽霊というものは———イメージの上でいうのなら、足はないものなのですよ。そもそも、幽霊とは何か?平安時代から中世にかけては、必ずしも今のような怪異として扱われるものではありませんでした。死した人物の魂を反映したもの、とされることもあれば、死した人物の遺体、あるいは故人そのものを指すケースもあったそうです。そこにおいては足の有無はそう問題にはなりませんでした。しかし、我々の知る幽霊というものは一般的に二足歩行で現れることはないのです。近世以降の日本においては、円山応挙などの幽霊画の影響で基本的に足のない幽霊が一般的となっていました。死したものが怨念を伴って現れる怪異に、足は存在しない。逆を言えば、彼らが藁を踏み抜くのならそれは幽霊であるはずが無いのです。我々の学説によるならば、ですが」
沙也加の長口上に夫婦は圧倒されているようだった。
少年もまた、押し黙っている。だが、沙也加が視線を向けるとびくりと肩を震わせた。所在なさげな視線。
「康太くん、君には今、何か視えますか?」
「……」
沙也加の言葉に、少年はなお押し黙ったままだ。それは叱られることを恐れているかのような。
……別に、黙っていても別段困ることは無い。
すでにタネは割れている。この豚小屋で何が起きたのか。どうしてそれが起きたのか。ただ、この件で言えば答え合わせに彼という存在が必要だっただけのことだ。
「ええ、では一つだけ。撮影した動画では、どのあたりに移っていたんでしたっけ?康太くん、教えてください」
少年はしばし視線をさまよわせた。
それは沙也加の妹である沙巫がよくやる仕草によく似ている。逡巡し、視線を泳がせ、やがて観念したかのように、一匹も豚のいない、何も存在しない一角を指さした。
沙也加の手には例の剣がある。
鞘を引き抜かれると、僕の視線はその刀身へと注がれ、意識は剣へと引き込まれていく。遠いどこかへと、はるか彼方へと吸い寄せられていく感覚。どこまでも落ちていくかのような、あるいはどこまでも登っていくかのような。
ただ、完全に引き寄せられてはいけない。
意識の一端、感情の一端、感覚の一端。
それを身体へと残しておく必要がある。その繋がりを、何とかして残しておかなければこれから行う儀式は立ち行かない。
やがて、僕の体は糸が切れた人形のように倒れ伏した。
身体のほとんどの感覚が無くなっているのが分かった。
視界はその半分が体から失われ―――代わりの半分が、彼女の手元にある剣へ移っている。
僕の意識は、その9割が剣へと引き写されていく。
残りの一割―――片目の視界と、最低限言葉を発する機能だけを身体に残す。そのように専心する。実際にどうかは知らない。ただ、そうであるように心がける。
依然と同じように、自分の意識はどこまでも引き付けられる光のように、どこまでもどこまでも落ちていくような感覚、さながら極彩色のトンネルを抜けていくような感慨、そうして抜け出た先にあるのは、やはり糸と光によって彩られた作られた真実の世界であり、その先に人間が作り出した世界というものが影をなしているが、それは————
ああ、自分は夢を見ているのだ、と。俯瞰して自分を見る意識がある。
二重をなす意識。よく聞く幽体離脱体験の中には、自分を真上から見下ろす、というものがあるらしい。それに近い。僕の場合は、沙也加の手元にある剣と、体の中に残る自分が、どちらも同等のリアリティをもって存在していた。
少年の指さした先を見る。
ぽつねん、と。緑色の怪物がそこに立っていた。
全身は緑色の毛でおおわれており、口からは乱杭のような牙が覗き、瞳は赤く輝いていて、その見た目はまさにチュパカブラとしか言いようがない。
しかし、そのチュパカブラは近くにいる僕たちを襲おうという様子も無ければ、警戒する様子も無い。パーテーションの隅で、全身を弛緩させたように立っているだけだった。
まるで、人の入っていない着ぐるみのよう。
少年の言うことに間違いは無い。
僕にも彼が視ているものが視えている。
それを沙也加に伝えるべく、残された身体とのつながりをたどって声を挙げる。
「たしかに、そこに、いる」
体中の筋肉と言う筋肉が弛緩しているため、つぶれたカエルのような声だ。
夫妻と少年は僕の身体から出た声の異様さに身をひく、と震わせた。仕方のないことかもしれない。今の僕の声は神懸かりした霊媒のようなものだ。
「分かりました。では、始めましょう」
そういうと、沙也加はパーテーションの中へと入りこむ。
血と家畜の匂いが混じり合っているのだろうが、今の僕は嗅覚が身体から奪われているため分からない。
沙也加は少年が指さした方へ、ゆっくりと歩んでいく。
ぐねぐねと、縁を糸として視覚化した世界、世界というものが縁でできているという実感、それらは確かなものであり、それこそが確かさであるはずなのだが、しかし人間であるところの僕はそれを不確かのように錯覚している。
沙也加は歩みながら、声を上げた。
「……チュパカブラ。スペイン語で『吸う』『ヤギ』という単語を組み合わせた名前です。なので今回の例で言えばチュパセルド、とでもいった方がいいでしょうか。二足歩行、全身が毛に覆われ、赤い目をした怪物であり、背中にはトゲが生えている。ちなみに近年だと四足歩行のバージョンも聞くらしいですね」
オーナー夫妻は「何を」という顔をした。
しかし少年は核心を突かれたのか唖然とした表情をしている。
「このデザインですが、元ネタが特定されています。『スピーシーズ 種の起源』というSFホラーに出てくる宇宙人です」
その映画は僕が小さいころ、週末の映画番組で放映されていた覚えがあって、確かに、あれに出てくる宇宙人は緑色だったし、背中からトゲが生えていた。
「また、よく言われる説として病気のコヨーテを見間違えたのでは、という説もありますね。疥癬にかかったコヨーテはよく言われるチュパカブラそっくりです」
……もっとも、日本に野生のコヨーテなどいなくて、野犬も現代日本ではすっかり見ない。茨城だとどうかは分からないが、そこまでありふれた存在でも無いはずだ。
「ちなみにプエルトリコで実際にチュパカブラによる被害とされるケースを調査したらしいのですが、血は吸われていなかったとのことです。体に空いた傷も、野犬の牙によるものではないか、と言われているとか」
すなわち――――チュパカブラなる物は存在しない。
その姿は映画の借り物、その姿は動物の見間違い、その行動は弱った野生動物のものであり、血を吸うなどと言うのも尾ひれがついただけ。
康太少年の部屋を見せてもらったところ、彼の部屋には古いUMAの本が置いてあった。
恐らくオーナー夫妻のどちらかが昔購入したものではないか。発行年代は2000年以前のものであり、そこに描かれたチュパカブラは緑色で二足歩行のデザインをしていた。
そこが僕の引っかかった部分だった。
近年の図鑑などを見ると、そこに描かれているチュパカブラは灰色の体色に四足歩行の怪物として書かれている。もっと犬に近いデザインである。
だから僕は迷った。あの少年が出所だとするにはネタが古い。もしかすると、両親がその出所である可能性も無きにしも非ず、となる。あるいは、もしかするとあの怪物が本当に存在していて、この養豚場を餌場にしていたりするのではないか———
だが、それはない。もうなくなった。
あの少年には「ソレ」が見えている。両親には見えていない。
この土地にチュパカブラが現れる根拠は、少年の想像によるものしかない。
存在しないものは存在しえず、それゆえに消え去るのみ。
円藤沙也加は剣を振るう。
その姿は神に奉納される舞のように優雅であり、虚空を切る無様な剣士のようでもあった。
真実に永遠にたどり着けない惨めな存在が、真実をなぞる唯一の行動だ———と、剣の中の僕は嘲る。
僕には視えている。
彼女の剣は舞を奉じたのでもなければ虚空を切ったのでもない。
そこに存在しようのないチュパカブラを、確かに切り裂いた。
つながる意図は三つ。
夫妻から細く二本、少年から寄り集まった意図が一本。
だが、いずれもその強度は落ちている。
するり、と言う感覚。
僕はチュパカブラの存在を全く認めず、それゆえに簡単に切り裂いた。
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