第5話 夢物語。

 少女はその日、夢を見た。

 ――色褪せない思い出の数々を。



「朝ご飯出来たわよ~! 早くいらっしゃい」


 鏡に写る自分の顔はどこか眠たさを感じさせるもので。

 肩口で切り揃えられたショートヘアーに残る寝癖の数々はもはや手のつけようがない。


「ごめんお母さん! 遅刻しそうだからご飯はいいや!」


「――だと思ったわよ。でも、リボンは真っ直ぐに寝癖はしっかり直すこと」


 再び連れられて鏡の前に立った。

 母は撫でるように私の髪を触ると二、三度櫛で髪をといただけで荒れ狂う有り様だった寝癖の数々は鳴りを潜めた。

 オカシイな、君たちの主人は私のハズなのに……


「それから、サッと食べられるものだから急いでいてもしっかり食べなさい」


「ら、らじゃ~……」


 迫り来る母の顔に気圧されて言われるがままに頷いた。

 時間に終われながらも朝食を摂らねばならない。

 私がとった行動は、


「――うぃってきぃます!!」


 口一杯に詰め込んで慌てて駆け出すことだった。

 本当に、今日の当番が私じゃなくて良かった!


「全く仕方がない娘ね」


 楽しげに笑う母の声が、私の背中を押した。


 それは母が願う在りし日の幻想。


 「――って、聞いてるの?」


 目の前の女の子はお弁当を広げながら怪訝な顔でそう言った。


「うん。で、なんの話だっけ?」


「やっぱり聞いてなかったか~」


 それ程気にした様子もなく、笑いながら椅子にもたれ掛かるように倒れた。


「駅前に出来る喫茶店の話よ。今月の末なのよ、だから一緒に行こうって誘ったのに……」


「――あぁ、そう。そうだったね! あはは……」


「……まぁ抜けてる姿も可愛いから許す」


 ふふっ、と彼女は上品に笑った。

 気を使ってくれているような、優しさを感じさせるような、そんな笑みだった。


「隙あり!」


「あぁ! 私の卵焼きが……」


 抵抗する間もなく私の愛する卵焼きは彼女の口へと姿を消した。


「代わりにほら、タコさんウィンナー。さっきから視線が釘付けだったよ」


 そんなことないと思うけど……。


「そんなことないと思うけど……」


 事実、すごく気になっていた。

 よって大人しく差し出されるタコさんウィンナーをパクついた。


「全く。可愛いんだから」


 彼女が笑って、つられて私も笑う。

 そうこれがいつもの光景。


 またはありふれた日常の一幕。



 「僕は君が好きだよ」


 暗闇のなか、ライトアップされた桜の木々が辺りを囲む美しい幻想的な場所で、気持ちを告げられた。


「どう、かな」


 突然のことで頭が状況に追い付けない。


「ど、どうして私を……」


 ようやく、絞り出せた言葉がそれだった。


「それは……。」


 周囲の桜のイルミネーションにすら今は興味も関心も湧かないけれど、告げられた彼の言葉には真剣さがあった。


 ……そう思いたいだけなのかもしれないけれど。


 今も、必死に私の好きなところを伝えようとしてくれているのだろうか。


 その姿が、堪らなく愛おしい。


「それはーーッ」


 彼の気持ちは凄く嬉しくて、私自身もすぐに返事を返したい。


 ……だけど、その続きは聞きたくなかった。


 聞いちゃいけない気がしたのだ。


 私は夢が見られないから。


「ごめんなさい。あなたの気持ちには答えられません」


 うまく伝えられただろうか。

 涙声で聞き取りづらくはなかっただろうか。


「――待って!!」


 静止の声も聞かず、駆け出す。

 何一つ嘘はなかったのに……私の瞳から涙が枯れることはなかった。


 或いは忘れ難い思い出の残滓。


 揺れるカーテンの隙間から差し込む日の光が、部屋で一人横たわる少女を照らした。

 眩しげに顔をしかめることも寝返りを打つこともしない。


 ただ、少女の寝顔は今まで見るどの顔よりも幸せそうで――。

 少女が目覚める日は、それほど遠くはないだろう。

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