第3話 ありふれた日常。それが貴方へ贈る夢物語
目を閉じて視界にあの日の景色を回想する。
色褪せていない思い出に、心の内でそっと呟く。
――大丈夫、まだ彼女は生きているのだ、と。
三階の教室、その窓際の席に私は居る。
本に向けていた視線を移すと、その人影は朝だと言うのにいつも慌ただしい。
たまにパンを咥えながら走っている事もあって、人知れず笑っている。
遅れてきたというのに、少女は私に先生に謝る訳でもなく、開口一番こう言うのだ。
「おはよう!!」
「うん、おはよう」
その万遍の笑みに私の心はいつも和む。
「――って、聞いてるの?」
聞いていないだろう。
少女の視線はお弁当に固定されているのだから。
自分で話しかけておいてちょっと悲しくなる。
「うん。で、なんの話だっけ?」
「やっぱり聞いてなかったか~」
ぽかんとする少女の可愛い顔を見れば、些細なことなんてどうでもよくなるのだ。
「駅前に出来る喫茶店の話よ。今月の末なのよ、だから一緒に行こうって誘ったのに……」
「――あぁ、そう。そうだったね! あはは……」
「……まぁ抜けてる姿も可愛いから許す」
頑張って取り繕おうとしている少女に口元が緩む。
「隙あり!」
「あぁ! 私の卵焼きが……」
ただ少し。ほんの少しだけ、私を無視した彼女にいじわるしたくなった。
「変わりにほら、タコさんウィンナー。さっきから視線が釘付けだったよ」
「そんなことないと思うけど……」
言いながらも口を開けて待っている少女は愛らしい。
「全く。可愛いんだから」
変わらない少女の姿に思わず笑みがこぼれた。
私は思い出の数々をひたすらに回想し涙を流した。きっと枯れることのない涙を。
「話したいこと一杯あるんだよ……」
そうだ。彼女は知らないだろう。
「学校に遅れる度に貴方を叱っていたあの先生、一番貴方を心配していたんだよ。
『はいココ、今いないバカ娘にしっかりと教えてお
くように。テストに出るからね』って。」
「それから私が誘った喫茶店の話を覚えているかな? 今そこで私バイトしてるんだ。店長さんに相談したら退院祝いしてくれるって」
少女の手をとり小指を絡める。
彼女は約束を破らない娘だ。なら勝手に結んだ約束
も、きっと守ってくれる。
「今度は絶対、約束だよ」
命あることがどれだけ嬉しいことか。
未だ目覚めなくても、いつかはきっと。
私が伝える夢物語は、代わり映えのないありふれた毎日だ。
そう、いつもの日常でいい。私が大事にしてきたってことを今も寝ている少女に伝えるのだ。
揺れるカーテンの隙間から差し込む日の光が、部屋で一人横たわる少女を照らす。
その少女はただ静かにそこにいた。
眩しげに顔をしかめることも寝返りを打つこともしない。
安らかに眠る少女の命は機械的に流れる電子音によって周知される。
抑揚のないソレから発せられる音は少女の眠る姿と相俟って儚げで存在感の希薄さを感じさせる。
少女はいつも独りで、一人で、眠っている。
大丈夫、私がいる。
彼女の眠る傍らには、包み込むように手を握る、友達の姿があった――。
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