第7話 夢
「終わって欲しくないなあ……」
今日の咲夜は溜息ばかり吐いていた。
部室に来てからずっとこんな調子だ。メイド服を着て項垂れて溜息を吐くその姿は、自分がこのままだと、メイドとして一生を終えていくことに初めて疑問を覚えた雇われ少女のようだった。
もちろん咲夜はメイドなどでは無いし、本職の(?)メイドなら、今隣でせっせとお絵かきしている。心なしかいつもより夢中になってる気がするのは気の所為だろうか。いや、最近はずっとそうだったか。
まあ、こいつがこんなに落ち込んでいる理由には心当たりしかない。俺にだってその気持ちは理解出来るというもの。
「終わって欲しくないよなあ……」
「そうよねえ……」
「さっきからどしたの? 二人とも」
そんな俺たちを見兼ねたのか可愛い先輩が尋ねてきた。癒やされる。が、今日ばっかりは、そんな薄紅先輩とも後一年とちょっとでお別れかという考えたくもない思考が頭を過ぎり、俺たちはより一層深く深く溜息を吐いた。
「鬱陶しい」
「林檎ちゃーん!」
きつい一言に咲夜が泣きつく。
「だからなに」
「らららを長年支え続けてきた私と香苗の大好きな四コマ漫画が終わっちゃう!!」
「……あっそう」
「冷たい!」
「想像以上にどうでもよかったし。ていうか終わるでしょ。漫画なら。いつか」
元も子もない。しかし、その通りだった。
『ガールズバンド!!』
そのまんまのシンプルなタイトル。学園物で音楽ネタ。萌え四コマ漫画特有のゆるいやり取りは勿論のこと、夢に向かって突き進む熱血要素も有り。高校で初めてバンドを組んだ四人が次第に音楽と真剣に向き合っていき、やがて音楽で食べていくという夢に向かって突き進むストーリー。数年前にアニメ化もされ人気を博した。
月刊らららを支えてきた看板作品の一つ。
「打ち切り?」
「打ち切りじゃないです! 円満終了です!」
「だったらいいじゃん」
咲夜は即否定した。そう。円満なのだ。萌え四コマ漫画で十巻も続いたのだ。相当な数字である。けれど。
「そうは言っても寂しいんですよー……はあ」
また何度目かの溜息。
そして咲夜がぽつりと呟いた一言に、今日も議論が沸き起こる。
「私、日常物の萌え四コマ漫画で主要キャラに明確な『夢』を設定しちゃうのってあんまり好きになれないんですよね」
「う、ん?」
「え? 夢って……目標のこと? なんで?」
さっきまで同調してたのに、途端に同調できなくなった。
意味を図り兼ねて薄紅先輩が訊き返す。
「そう。夢であり、目指すべき将来の姿、目標です。私はそれがあることで、終わりを意識しちゃうっていうか……ほら、明確な夢や目標がある以上、基本となるストーリーは示さなければならないじゃないですか。例えゆるふわな四コマでも」
『ガールズバンド』なら音楽で食べていくというのが、夢であり目標だ。
これが例えば他の漫画なら喫茶店を継ぐとか、絵を描いて生きていくとか、スポーツ系の漫画なら何かの競技で一番になるとかそういう物のことを言っているんだろう。
「うんまあ。でも、悪いことでもなんでもないじゃん」
「良い悪いを言ってるんじゃないんです。むしろ、夢や目標があるのは良いことだと私も思っています。けれど、萌え四コマ漫画って、例え夢や目標がきちんと設定され、作中で描かれていても、作品のコンセプトは女の子たちのゆるふわな日常であることが多いんですよね。
そうすると、音楽、スポーツ、絵とか……漫画ごとのそういう活動を描きつつ、女の子のゆるふわな日常を同時に描いていきますよね。この辺のバランス――どっちに力を入れるか――は、作者や作品によって勿論違いますよね」
「そうだね」
「これが例えば少年漫画なら、箸休め的なゆるふわな日常って、一つの大きな物語が終わった節目節目や、一遍と一遍の間……ほんの少し差し挟む程度に留まると思うんです。けれど、萌え四コマ漫画は、ゆるふわな日常の比率が圧倒的に多くなる」
全面的に同意するのは難しい意見だ。俺が知ってる四コマでも夢や目標にただひたすら突き進むみたいな作品はある。ただそういう作品が比率として少ないってのも分かる。
読者層の違いであり、形態の違い。求められている物も作者が描きたい物も違うのだ。
だが。
「で。結局なにが言いたいんだ?」
「だから、最初から言ってるでしょう? 終わりを意識しちゃうのよ。
そういう作品を読んでいて、ある時ふと気づくの。ゆるふわな日常の話の割合が減っていったなって」
あー。
頬杖を付いてる薄紅先輩を見て思い至る。
「もしかして卒業のこと言ってんのか」
「それもあるわ。学園物なら卒業というタイムリミットによる進路、スポーツなら大会、絵画や合唱ならコンクール? バンドならメジャーデビューとか? とにかく、夢や目標に向かって進んでいる姿を描く割合が作品の中でどんどん増えるに連れて、『ああ、もうこの作品も終わりが近づいているんだなあ……』
って、寂しい気持ちになるのよ。意識しちゃうのね。私は彼女たちの日常をいつまでも読んでいたいのに」
「咲夜って漫画読むの大変そうだね……」
感心とも呆れともつかない薄紅先輩の言葉。
ここまで作品を思われれば、作者も本望だろうな。
作品への深い愛が無ければそこまでの想いは普通、抱かない。
「終わりに向かっているって分かるその哀愁も良いじゃないか。
いつまでも読んでいたいって気持ちは分かる。特に萌え四コマ漫画の場合はな。贔屓目かもしれないが、日常の割合を多くすることによって、よりキャラたちへの愛着も湧く。そのキャラをもっと見ていたいという気持ちも十二分に理解出来る。けれど、作者も永遠にその作品を描きたいとは限らないわけだし、それに今まで描いていたキャラたちの夢や目標、そこに至る道筋を否定してしまうのも違うんじゃないか」
「そんなことは分かってるっ! でもやなのっ! 全部曖昧にしといて欲しいのっ!」
わがままだなあ……。
全部曖昧にしといて欲しいって、なんだか面倒臭い女みたいな台詞だな。まあ、面倒臭い女なんだが。
咲夜の言ってることを簡単にまとめてしまえば、寂しいから終わらないで。
もっと言うなら終わりを示さないで。
それっぽい描写さえしないでってことなんだが。
「大学生編とか社会人編描けばいいじゃん。ないの? そういうの?」
「無いことは無いですが、少ないですかねえ。人間関係一旦リセットされるんで。住む場所だってバラバラになる確率が高いですし。そうなると、それまでの友人たちと会う時間もめっきり減ります。また新しく人間関係を描かなきゃいけない。となると、その時点で結構な長期連載になるでしょうし、大抵は新しく別の漫画始めちゃうかと」
円満終了した幾つかの有名作が思いつく。あれもあれもあれもそうやって卒業を迎えて終わってきた。その続きがあることは本当に稀。あってもスピンオフとか後日談でちょろっと描かれるくらいじゃないだろうか。
「ああー……あたしもなんとなく咲夜の言いたいことわかってきたかも……ああーそっかあ、あと一年ちょっとで卒業かあ」
いかん。具体的に言ってしまったせいで、薄紅先輩にも卒業を意識させてしまった。寂しそうな顔をしている。
普段ならここで御神楽先輩のフォローが入るのだが、今日はいつも以上に一心不乱にお絵かきしていた。
ふと、隣を見れば宝来のキーボードを叩く手が止まっていた。
作品に悩んでいるのか、それともこいつも卒業を意識したのか。
都筑先輩でも思い浮かべているのだろうか。
「そうなんですよねえー……いくら学生時代に仲が良くっても、住む場所が違って、夢や目標も違えば、会う時間は絶対減っていくんだろうなあ、そうなればどんなに仲が良くっても疎遠になることもあるんだろうなあ……ああああ考えたくないいいいい終わってほしくないいいいうぎぎぎぎぎ、ってなるんです」
うぎぎぎは分からんが、俺まで悲しくなってきたから止めろ。あんまり具体的に言うなよ。
そういえば昔本で読んだことがある。
人間は会う時間が増えれば増えるほどに心を許す生き物である、と。
確か単純接触効果だったか。当たり前の話にしか思えないが、その考えで行くと、逆も有り得るわけで。どれだけ仲が良くっても会う時間が減ってしまえば疎遠になり、壁が出来ていくんだろう。
一度離れ離れになれば、いざ連絡を取ろうにも、相手の新天地での生活を意識して、迷惑になるかもしれないから、と連絡を取ることすら躊躇する……なんて話はどこにだって転がっている。連絡を取ってもなかなか予定が合わないなんてこともあるだろう。
そうなれば。
あれだけ楽しそうに長い時間を共に過ごしていたあの作品のあのキャラたちも。
もしかしたら。
「でもま。子供のうちだけかもね。そういうのって。これからこの先人生の中で色んなお別れとかたーくさん経験してけば、生きるって、そういうものなんだって割り切れるようになるんじゃない?
咲夜はまだ子供で経験無いから割り切れないだけ! 気にしないのっ!」
「……えー……あ、はい……わかりました……」
子供みたいな先輩に悟された。
あなたが言いますか。
咲夜は口をもごもごさせながら納得いってないような表情を浮かべた。
言ってることは最もな意見なのに、この先輩から言われると素直に受け入れられないのは何故だろう。
きっと、いざ卒業を迎えた時に、この先輩の泣き喚く姿が今から簡単に想像出来るからだろう。
「そうは言っても寂しい物はやはり寂しいですよね。日常物は特に。いつまでも続けられそうな気がしてしまう作品ばかりですから。その意味では終わりを予感させる夢などの要素を極力排除しておきたいという咲夜さんの気持ちも理解できなくもありません」
宝来が話に入ってきた。
またなんか認識が極端だな。排除って。
「排除しておきたいってのもまた違うんだけどね? キャラクターたちの成長は見たいけど、心がキュッとしちゃう……みたいな? 伝わるかしら」
「可能な限り引き伸ばして欲しい、と。そういうことですね?」
「う、うーん。違う……とも言い切れないのが悔しい。
元も子ない言い方だけどそういうことかしら。いっそ林檎ちゃんが言ったみたいに大学生編や社会人編に続いてくれるのがベターね。
難しいでしょうけど、全員同じ進路ってことで。要するにただ終わりが見たくないってだけなんだし。それが無いなら夢なんて最初から無い方が――」
要するにそういうことだよな。
夢や目標がどうとか言っているが、結局終わってしまうのが寂しいだけなのだ。人一倍感受性豊かというか、妙なところを考え過ぎてしまう質だから、例えば第一話段階で主人公の明確な夢、目標が出てきた時点で、その先にある終わりを意識してしまうのだろう。
そうは言っても――、である。
どうしようもない。
作品のコンセプトと直結しているんだし。
こいつの場合は、そういう作品を好きじゃないと言っているわけじゃない。現に『ガールズバンド!!』の原作はもちろんのこと、アニメのブルーレイや関連グッズ等まで集めてるくらいだし。
ただ単に好きだから終わって欲しくないだけ。
今回のこれはそこにアレコレ理由を付けて言ってみただけなんだろう。
うむ。なんと生産性の無い話題か。
このままこの話題を続けていっても、その先にあるのは『寂しい』『辛い』『終わってほしくない』という暗い言葉ばかりなんじゃなかろうか。
ならばいっそ『ガールズバンド!!』の何巻のどこそこが良かったとかそういうとりとめのない話題の方がまだ心休まるだろう。
目を逸らしているようでアレだが……ま、落ち込んでばかりの咲夜の雰囲気に当てられて部室全体が暗くなるよりはマシだ。
「なあ、咲夜、ガールズ――」
「出来た!」
バンッ!
「バン……って、え」
俺がバンドと言い掛けるのと同時にその音は響いた。
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