第2話 恋バナ2

「なんですか? これ」


 一人部室でいつもの定位置に座っていると、宝来が扉を開けてやってきた。狭い部室。扉は一つしかない。部室は通常の教室の二分の一くらいの広さであるが、左右に天井まで届くようなでかい本棚を設置している為、より狭く感じる。本棚にはぎゅうぎゅうに詰め込まれた過去の部員が残していった絵や同人誌や漫画や落書きの数々。そこに長机が向かい合わせで二つ並べられているせいで部屋は非常に圧迫感があった。

 今日はそこにさらに物が増えている。

 窓側には比較的物が少ない為、普段だったらスペースがある……のだが、今そこには謎の衝立が置かれていた。

 部屋を区切る為のパーテーションだ。来客を迎えるスペースを区切る為に会社などでよく置かれているやつ。学校ならば職員室などにあるだろう。

「数学の横島先生がさっき、ここに荷物置かせてくれって言ってきたんだよ。後で回収するって」

「へえ。なんだってこの部屋に? 他に置き場所など幾らでもあるでしょうに。そもそも階数違うのにわざわざ運んできたんですか?」

「俺が知るか」

 嘘である。横島先生からそんなことは言われていない。

「ま、いいです。咲夜さんたちは今日はまだ来てないんですね? 一緒じゃなかったんですか?」

 そう言いながら、宝来は普段は座らない俺の真正面に座ってきた。部室に二人しかいないのに隣並んで座るってのも変な感じだとでも思ったのかもしれない。

 好都合だ。話しやすくて助かる。

「咲夜はクラスで頼まれごとしてるから大分遅くなるらしい。もしかしたら来れないかもだとさ。先輩たちは知らん」

「へえ」

 嘘である。

 咲夜はここに来るまで一緒だったし、先輩たちは既に部室に到着していた。今はその衝立の裏の狭い空間に隠れている。下から見える足で、裏に誰がいるのか分かりそうなものだが、ご丁寧に衝立の下はダンボールなどでこちら側からは一切見えないように塞がれていた。

 徹底している。

 どっから持ってきたんだこんなもん、と訊いたら普通に職員室で先生から借りてきたとのこと。漫画の参考にしたい、暫く使いたいからという理由で。そして、たまたま職員室にいた横島先生に運ばせたのだとか。咲夜も咲夜だが、それで貸す横島先生も横島先生だ。

 というか、応接間の横にあったパーテーションだよな? 大丈夫なのか?

 まあいい。

 しかし、幾ら宝来でも盗み聞きするのはどうかと思うぞ。と指摘したら、

「わかってるわよ、そんなこと。今日聞いたことを誰かに言うつもりは無いし、仮に私たちの知ってる人が宝来の好きな人だったとしてもそれで何かするつもりは無いわ。私はただ恋バナに興味があるだけよ。他人の恋路を茶化したいわけでも邪魔したいわけでもないの。

 むしろ応援してやろうと思っているくらいよ」

 と、言ってきた。

 横にいた薄紅先輩と御神楽先輩が、「咲夜ちゃん……」「咲夜……」と、感じ入ってる様子だったが、いや、良い風に言ってるだけでやってることは結局盗み聞きだろうとしか俺には思えなかった。

 ま、宝来だしいいか。


 さて。

「なあ」

「なんですか?」

 宝来が鞄の中から水筒を取り出していた。マメな奴。

「お前って好きな人とかいる?」

「っ! ごっほ、げっほ!」

 まあ、こうなるよな。宝来はいきなりの俺の質問にむせていた。机に水滴が飛び散る。

 汚え。俺にも掛かった。

 男二人で何だいきなりと思うだろう。唐突である。しかし俺には会話を自然に運ぶ為のアイテムがあった。

「もう。なんですか? いきなり」

 少し警戒した表情の宝来。ハンカチを取り出し机の上を拭いている。

「ああ、これだよこれ。今月の月刊らららに載ってる漫画の内三つ、なんと修学旅行ネタが被ってるんだよ。こんなことないだろ普通。それもどの漫画も恋バナしてたからさ。

 よくあるじゃないか。修学旅行、夜に布団を寄せ合い、暗い中、みんなで恋バナをするってシチュエーション。それで思いついてなんとなく聞いてみたんだ……ほら、お前とも長いが、こういう話はしたこと無かっただろ?」

「ああ、漫画の話ですか。僕はてっきり……そんなに、長いですかねえ?」

 微妙なところだな。一年に満たない。この部活に入ってからの付き合いだし。四月の中旬からだから、実際には半年くらいだろう。

「ふむ。いいでしょう。良い機会ですね。あなたに語って聞かせるのもやぶさかではありません。どうせ、あなたには咲夜さんがいらっしゃいますし」

「……」

「おや。ノーコメントですか。自分から振っておいてつれないですね」

 すぐそこにいるしな。

 ていうか、その謎の上から目線はなんだよ。

「あなたは僕がこの部活にいる理由をご存知ですか?」

「小説家を目指すにあたっての参考になるかもしれないとかそんな理由だろ?」

 宝来の夢は小説家になることらしい。

 しかし、うちの学校には小説好きの為の部活や同好会なぞ存在しない。そんな宝来が何故漫画部に所属しているのかと言えば、本人曰く「何が刺激になるかわからないから」だ、そうだ。実際一人で悶々と小説を書くより、この部屋でこうして話しているだけで、アイディア、創作意欲が結構湧いてくるらしい。喫茶店みたいな雑然とした場所の方が勉強に集中出来るのと似たようなもんかな、と俺は思っている。

 宝来がこの部室に来てすることと言えば、小説を書いてるか読んでるか、雑談してるか、咲夜や御神楽先輩の絵にケチ付けてるかだ。

 俺は創作しないからその辺の表現者のメンタル事情はさっぱりわからん。

「実は、当初はもっと別の理由があったんですよ」

「当初?」

「そうですね。八月くらいまではそれも理由の一つでしたね」

「三年生がいた頃か」

「ええ」

 運動部が夏の大会などを持って引退し、学業に専念するように、文化系の部活である漫画部でも八月に三年生は引退した。

 と、言っても、今でもたまーに思い出したように遊びに来る人もいるのだが……。

「僕は三年の都筑先輩に一目惚れしてこの部活に入部したんですよ」

「は!? 都筑先輩!?」

 都筑初芽(つづきはつめ)。今でもたまーに部室に遊びに来る俺たち漫画部の先輩である。咲夜のスケールが大きくなったバージョン。美人だが、やることなすこと無茶苦茶な先輩。真逆、あれに惚れる奴がいるとは。

 ガタンッ! と、パーテーションの裏で音がした。

「……!」

「あれ?」

「ど――おしたんだ?」

「そこ、何か音がしませんでした?」

「ああ、俺がびっくりし過ぎて机蹴ったんだよ。それより宝来、お前本当に都筑先輩が好きなのか? ……マジで?」

 そこで宝来は注意をまた俺に向けた。上手く躱せたようだ。

 俺の問いに大きく手を振って否定してみせる。腹の立つ動作だ。

「いえいえ。正直、憧れに近い感情でした。好きとはまた違うと良いますか。向こうから来てくれたら、僕も付き合うのはやぶさかではありませんが、こちらからアタックを掛けることはないでしょうね」

「……随分上からだな」

「いいじゃないですかべつに。都筑先輩がいるわけじゃないですし」

「……」

「? それに、僕は都筑先輩で学んだんですよ」

「学んだ?」

 宝来は水筒の蓋をコップ代わりにして、飲み物を注いだ。そして舐めるように口に含む。

「都筑先輩――見てくれは最高ですよね?」

 見てくれて。もっと他に言い方あるだろ。

「ああ」

 まあ美人だからな。否定はできない。

「しかし、僕たちは学生だからまだ良いです。が、あの性格のまま二十代三十代になった時、どう思うでしょう? 付き合っていて楽しいとは思いますが、実際付き合っていれば些か疲れると思いませんか? 僕が恋人に求めるのは癒やしであって、刺激では無いんですよ。分かり合えませんね」

 お前はどの立場から相手を批評してるんだよ。

「お前、恋人らしい恋人いたことないだろう? 付き合ってみなけりゃわかんないんじゃないか? そんなこと」

「いましたよ。失礼ですね」

「付き合って一週間もしないうちに振られたのが三人だっけ? それも数に含めるならそうかもな」

「ふむ……その意味でいくと、咲夜さんも同じカテゴリーですね。パワー型と言いますか」

 聞いちゃいねえ。

「パワー型?」

「ええ。パワー型。僕の造語です。ああいう人たちは、人生を自らの力だけで切り開いて行くでしょう。そうするだけの力を持っています。将来的にも仕事に生きることになると思うんですよ。恐らく、僕の未来予測で言えば、二十代後半になるまで特定の恋人は作らず、例え付き合っても彼女たちと合わずに短期間で終わることになります。そして、やはり自分は仕事に生きるんだと心のどこかで割り切っていくんですよ。咲夜さんの言葉を借りれば、そういう時代でそれが当たり前になっていく。その体現者と言いますか。いえ、僕は女性の社会進出には声を大にして賛成意見を述べますが」

 やべーな。裏の方が凄いことになってそうだ。そろそろストップを掛けたいが、宝来は自論にヒートアップしている様子。

 そして、相変わらず咲夜の言った言葉の意味を変な方向に捉えている節がある。

「つまり、価値観の相違です。これまでの生き方が違うんです。そして、この先もきっと。

 例え、僕が都筑先輩や咲夜さんと付き合うことになったとしても、僕はたぶん付いて行けない。仮に僕が彼女たちに言い寄られ、なんとなしに付き合うことになったとしましょう。しかし、やがて僕はこう思うんです――ああ、この人に僕は必要とされてないんだな――と」

「……今の時点でそこまで考える必要あるか? 好きなら付き合ってみてそれから考ればいいんじゃないか? 俺たち、まだ高校生だぞ?」

 他にも言いたいことは山程あるが。なんとか普通の恋バナに持って行けるよう務めよう。

 しかし。

「何を言ってるんですか、香苗さん。ただただ相手とフィーリングが合ったから、顔が気に入ったから、お試しで、なんとなく好きになったから――なんて理由で、付き合うよりもきちんと将来を見越して相手の人となり、共に過ごした場合のシミュレーション等、判断に判断を重ねてから相手と向き合った方が遥かに良いではありませんか? その方が相手にとっても失礼がないでしょう?」

「失礼ね」

 やはり無駄か。すまん咲夜。まるで参考になりそうにない。

 こういうところなんだろうなあ。こいつのモテない理由って。相手からすれば、見定められているようで気分が悪いだろう。

 宝来はこんな見た目だから結構一目惚れはされやすいのだ。しかし、こいつは返事をすぐにはせずに一旦保留する。

 そして、相手をきちんと宝来なりに調べた上で返事をするのだ。

 それが告白した相手とただ交流を重ねて行くだけならまだ良いのだが、宝来は周りの人に聞き込みをしたり、俺たち漫画部や告白してきた女子の友人にまで判断を仰いだりするもんだから、次第にそれが相手の耳にまで伝わって、宝来が返事をする頃にはむしろ向こうが気味悪がって断ってたりする。

 そしてこいつはそれを反省しない。いや、反省はするのだが、世間の常識と照らし合わせずに宝来の中の常識に基づいて反省する。調べ方が甘かった、判断基準をもっと明確にすべきだったろうか、とかそんなんだ。

 以前、その例の付き合った三人を属性別にA~Eの五段階評価にした表見せられた日にゃあ流石に俺もドン引きしたもんだ。

 漫画部の女子連中はなんだかんだそれを肴に盛り上がっていたが。

 小説なんて書いている奴だ。色んなことを宝来なりに考えていて、宝来なりに真剣なんだろう。しかし、変な方向に真面目で、それを隠すのでも無く、ガンガン周囲に伝えるもんだから、いつの間にやら宝来は我ら一年生の中でも五指に数える程の変人扱いだ。

 ちなみに咲夜もその内の一つ。

 似ているっちゃ似ている二人。

「ふむ。とすると、御神楽先輩はどうでしょうね?」

「どうって」

 すぐそこにいるのに、部室にいる面々をガンガン見定めに入る宝来。

「スタイルは良いですよね」

「……ソウデスネ」

「おや? どうして敬語なんですか? まあ、いいでしょう。胸やお尻が大きいのは女性にとっては美徳です。顔も僕が見てきた女性の中でも、都筑先輩に……はちょっと敵いませんが……かなり良い方でしょう」

「都筑先輩も御神楽先輩もみんな美人だと思うぞ」

 悪いな宝来。俺は保身に走るぜ。

「ええ、そうです。しかし、御神楽先輩、少し露出が大きいと思いませんか?」

「そ――うだな」

 すいません。御神楽先輩。これは否定したくてもなかなか否定できません。否定したら逆に怪しまれます。

「あのスカートの短さ、そして男子にもやたらとボディタッチが多く、誰に対してもお優しい。そして知ってますか? 彼女、最近アルバイトを始めたようですよ? どこだと思います?」

 ガタタッ! また音が鳴った。

 宝来はちらりと音のした方を向く。

「ごっほ、ごっほん……あー風邪っぽいな……アルバイト? 知らん。初耳だ」

 流石に不自然だったな……今の音は御神楽先輩か? 何を動揺してるんだ? 俺たちにも伝えてないってことは隠したいバイトってことか?

 そういえば最近、部室に顔を見せただけで早々に帰ることが多くなった。

 と言っても週に一、二度だが、それ以前はそんなことなかったのだ――が、そうか、アルバイトを始めていたのか。だったら納得がいく。別に漫画部は強制参加でも無いし、アルバイトくらい構わないだろう。しかし、話の方向性がわからん。恋愛とスカートの短さとボディタッチとバイトに何の関係がある?

「僕もそっち関係に詳しい友人から聞いたのですがね。なんと彼女、メイド喫茶で働いているようなんですよ。ふりっふりの衣装に身を包んで。来店した男どもにあの笑顔でモエモエキュンとかやっているんですよ。どう思います?」

「……そりゃあ是非とも一度行ってみたいな」

 本心だ。

 なんだそれ羨ましい。

 今頃あのパーテーションの裏では、御神楽先輩が顔を真っ赤にしながら俯いて、すぐ隣にいる三人の好奇の視線に晒されていることだろう。

「御神楽先輩はまだ特定の付き合ってる人はいない筈です。しかし、この先はどうでしょう? もし、彼女が一度男を知ってしまったら?」

 考えたくもないね。

「そりゃあもう。一度抵抗が無くなれば、あとは彼女、もう取っ替え引っ替えだと思いますね。これは予想じゃないです。予言です。あの容姿であのボディタッチの多さ。男を勘違いさせる言動の数々に、自分の容姿を最大限に活かしたような仕事を自ら選びに行く彼女のその感性。彼女は絶対にもう大学に上がった途端、ビッチ化します。ヤリまくりですよ。間違いありません」

「……」

 怖い。パーテーションの裏の沈黙が怖い。

「ご相伴に与りたいものです」

 こいつ、本当にわざとやってんじゃないだろうな。

「いやいやいやいや。絶対にそんなことないって。御神楽先輩に限ってそんなことは絶対にないって!」

「するとどうなると思います? もし、僕が御神楽先輩と付き合うことになったらですよ? 僕は堪えられない! 僕のメンタルが保たない! 彼女に言い寄ってくる男たちを見て見ぬ振りを出来そうにもない! ……嫉妬で気が狂いそうになります。

 心労は溜まる一方でしょう。そうして、何年か付き合った頃に、ふと彼女は、己に言い寄ってくる男たちと僕とを比べることになるんですよ……。その時、御神楽先輩が僕を選んでくれる保証はどこにも無い訳です」

 人の話を聞け。

 そして止めろ。いちいち俺に同意を求めるな。

 聞いてて悲しくなってくるからマジで止めろ。

 しかし、宝来の未来予測という名の妄想は留まることを知らない。

「ならば林檎先輩は? 我ら東十条第三学園(ひがしじゅうじょうだいさんがくえん)の誇るマスコット! 幼い小さい可愛い子!! 特定の男子には刺さるでしょう……と言いたいところですが……」

「言いたいところですが?」

 何を言い出す気だ。

「全ての男子に刺さると言っても過言ではありませんね。男はみんなロリコンです。万国共通です」

 いい笑顔で何言ってんだこいつ。世界に謝れ。

「そうですね。僕が林檎先輩と付き合ったとしたら最初の内は本当に楽しいでしょうね」

「最初の内は?」

「ええ。なんてったって無邪気ですからね。一緒にいるだけで楽しいでしょう。しかし、まず彼女の体に満足できなくなります。男はみんなロリコンと言ってもやはりふくよかな女性を好むものです。具体的に言うとおっぱいが大きい方が僕は好きです」

 お前がおっぱい星人なだけだろ。

「彼女と一緒にいても他のおっぱいに気を取られるでしょう。そうして、だんだん他の女性に気を取られる僕に彼女はやがて言うわけです。

『わたしの体ってそんなに魅力ない……?』と」

「……それで?」

「僕は言うわけです。『ええ。ありません』と。そうした方が僕の為でもあり、彼女の為。やはり本能には逆らえない。なんだかんだ言って僕はやっぱりおっぱいの大きい女性が好きだった――」

「……」

 宝来は窓の外を見上げてアンニュイな微笑みを浮かべていた。

 咲夜。これで満足か? これがお前の望む恋バナだったのか?

 そして、一瞬の静寂が部室を支配した後――。


「う、う、う、うああああああああああああああん!!」


 非常に聞き慣れた泣き声がパーテーションの裏から聞こえてきた。

 ガタッ。ガタタッ。

 それまで隙間なくぴっちりと閉じられていたパーテーションの形が崩れ、隙間から三人の女性陣が姿を現す。

 絶賛大泣き中の薄紅林檎。

 顔を真っ赤にし、不満そうに唇を尖らせた御神楽みか。

 何故かしたり顔でふんふん頷いている西蓮寺咲夜。

「う、うああ、あああ、あああっ。ふぐっ。あた、あたしの体、魅力ないってええええっ」

「わたし! そんな風には絶対になりません! ビッチじゃないですっ!」

「ふむふむ」

「あの、みなさん……いつから?」

 流石の宝来も冷や汗を浮かべている。

「ずっとよ」

「ずっと……? ――……って、はあ!?」

 そして、パーテーションの裏からさらにもう一人。

「よお。宝来。いやあ、意外だったな宝来。真逆私に惚れてるなんてなあ」

 都筑初芽。

 一八〇は超えているだろう身長に、背中まで届く黒髪ストレートロングは綺麗ってのよりも先に迫力の方が勝ってしまう。目鼻立ちはくっきりとしていて、日本人というとり外国人っぽい。そして言った通り見てくれは最高だ。

 今し方話題に上げていた今年八月部活を引退し、今でも時々部室に遊びに来ている先輩がそこに居た。

 そう――。

 俺と咲夜が二人で部室に入って来た時点で既に部室の中に居たのだ。一人部屋で漫画を読んでいた。そして、既に部屋に運び入れてあったパーテーションに目を付けて、咲夜が何をしようとしているのかを聞き出すと、遅れて部室にやって来た御神楽先輩と薄紅先輩と共にパーテーションの裏に入って行ったのだ。

 だからこいつが都筑先輩に惚れていたと言った時は大層驚いてしまった。咲夜が事前に言っていた宝来の恋路をもしかしたら邪魔することになるかもしれないとひやひやしてしまったのだ。その後、宝来はそんな俺の心配を他所に、予想だにしない異次元の方向へとひやひやさせてくれたが。

「そういえば、宝来。私に対してなんて言ってたっけ? 三十まで恋人ができないとかなんとか? 私から告るんなら付き合ってやっても良いとかなんとか? 随分、偉そうだったなあ、おい」

「二十代後半です」

「なんならお前に交際を申し込んでやろうか?」

「謹んで、ご遠慮させて頂きます」

 ドスの利いた声。胸元のリボンは三年生を示す青。スタイルは御神楽先輩以上だ。恐らくだが歴代の漫画部、どころかこの学校に所属していた誰よりも良いんじゃないだろうかってくらいの抜群のプロポーション。漫画部みたいな陰気な部活には相応しくない人物。

 なんとこの歳にして現役の漫画家。少年漫画誌で昨年デビューを果たした。ネタ集め、実地調査の為ならば、どんなことでも平然と行う危険人物。

 咲夜がカラオケの時のように、会話、こういう地味な実験でネタを仕入れたり調べたりするのに対してこの先輩はバンジージャンプとかパラシュートとかスキューバ、実際に運動部に試合を申し込んだり、時々街で見かけた不良に喧嘩売ってみたりといったことを平気でする。よく俺たちも巻き込まれたものだ。

「いやあ、みんな散々言われてたなー。おー、林檎よしよし。ほらほら、これで涙拭いて……おい、どこ行く宝来」

 ハンカチを差し出し、薄紅先輩の涙を拭う都筑先輩を他所に、宝来はそそくさと水筒を片付け、鞄を引っ掛け、部室の扉に手を掛けていた。

「それではみなさん。ごきげんよう」

「宝来、てめえッ!」

 ダッシュで逃げ出した。

「構いません。都筑先輩。殺っちゃって下さい。キルですキル」

「あいよ、咲夜。じゃーなお前らも。面白いもんが見れたわ。――待て! 宝来。百メートル十秒フラットの私から逃れられると思うな!」

 とんでもない速度で廊下を掛けていった。あれで宝来も足速いからどうだろうな。十秒云々は信じないにしても、都筑先輩が追いつけるか宝来が逃げ切れるかはわからない。

 やれやれ。

 なんだったんだろう。

「ふぐ、ふぐう。あたし、もっとおっぱい育てる。ぐす、ぐすん。おっきくなるっ」

「林檎はそのままでいいんだよ。明日は宝来くん縛って熱いおでん食べさせてやろうね?」

「絶対やるっ!」

 なにやら二人は恐ろしいことを企んでいた。なんですかそのバラエティ番組みたいな罰。




「なあ」

「なに?」

「女子中学生がするような、あまーい、ふわふわーっとした恋バナの参考にはなったか?」

 一人、宝来に対し怒らずにいた咲夜に声を掛けた。

 自分で言ってて虚しくなる。

 期待にまるで応えられていない気がする。

 今更だけど女子中学生がするような恋バナってなんだよ。

「全然ならなかったわ! と言って、オチを付けたいところだけど、実はかなり参考になったわね」

「……今のが?」

「香苗。そもそも私が描いてるのって、月刊ららら向けの萌え四コマ漫画よね?」

「そうだな」

「ラブコメの要素。なくない?」

 ある作品もあるにはあるが……。

「無い作品の方のが多いな。基本的に女の子四、五人が中心の日常コメディだし。男の要素は極力排除している作品も多い。現に咲夜の描いてる漫画だって――……待てよ。だったら何でこの阿呆みたいなやり取りやらせたんだ?」

「萌え四コマ漫画における恋バナイベントって、基本的にこういう流れになるでしょ?

『じゃあ女子四人だし恋バナしてみよーよ』『○○ちゃんは好きな人いる?』『あたしはいないかなあ』『私はいます!』『え? 嘘々!? 誰々!?』『ここにいるみんなのことが好きなんです。こんな私と仲良くしてくれて感謝しても仕切れないんですっ』『なーんだ』『あははー』『○○ちゃんにはやっぱり早かったかあ』『わたしはいますよー! わたしの恋人はー……ここにある○○さんの作ってくれたあまーいお菓子が何よりも好きー!!』

 みたいな」

 小芝居しだした。

「わかる、わかるぞ。すげーわかる」

 超見るよな、それ。

「これ、発展しようが無いじゃない? 作品のコンセプト的に男出すわけにもいかないし、似たようなパターンになっちゃって面白味に欠けると思ってたのよね。それでね? 宝来の恋バナで閃いちゃって」

「……言ってみ」

 咲夜はきらきらした瞳でこちらを見上げてくる。嫌な予感がする。

「例えばね? もし『私が○○ちゃんと付き合ったら?』みたいな感じで掘り下げて行くのよ! これだってありがちかもしれないけど、宝来並みに掘り下げたら結構面白いと思わない?」

 ……それ、あんまり深くやりすぎると百合っぽくならないか?

 やり過ぎると、咲夜の投稿してる雑誌からはズレてくるように思うのだが。

 しかし、咲夜は一人ぶつぶつと今後の創作イメージを呟いている。

 それに俺、結構好きだけどなあ。

 発展しようがない恋バナイベント。キャラそれぞれの恋愛に対する考えや性格を知れる良い機会だと思うのだが。

 まあ、咲夜はそんなこと百も承知で言ってるのだろう。


「……!」「捕まえたあああ!! 私から逃げるなんて百年はやーい!!」


 窓の外を見れば下駄箱から校門までの道すがら、宝来が後ろから走って来た都筑先輩に羽交い締めにされているところだった。おぶさるように宝来の背中に飛び乗っている。

 ……スカート姿でそれ、あんまりやらない方が良いと思うんですけど都筑先輩。

 下校途中の生徒もそんな二人を奇異の視線で見ていた。しかし、相手が都筑先輩と知るやみんな何事も無かったかのように帰って行く。

 この学校での扱いが知れるというもの。

「わたし、都筑先輩が今でも部室に遊びに来るのって、宝来くんのことが実は好きだからじゃないかなあって……ずっと、思ってるんですよね。さっきも裏で――」

 御神楽先輩が夕日に暮れる部室の中でぽつりと呟いた。

 最後の方は薄紅先輩が隣で喚いていてよく聞き取れなかった。

 ま、それでも良い。


 他人の恋路だ。

 邪魔するものじゃない。

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