第190話 呉越同舟

「吾妻さんを起こす理由は、彼女の能力が有用・・だからだ。あの目玉に対抗することを考えると、手数は多い方がいい」


「いや、でも、そんな簡単にそいつが言う事を聞いてくれるのか? この感じだと、ついさっきまで二人は戦ってたんだろう? 大丈夫なのか?」


 鶫がそう問いかけると、壬生は小さく頷いた。


「それはそうなんだが、どうやら吾妻さんは契約神に手酷く裏切られたみたいなんだ。だからこれ以上こちらに敵対する理由もないだろうし、使えるものは使った方がいいと私は思う。――まあ、私はあまり説得が得な方じゃないから、鶫には適当な所でフォローしてほしい」


 そう言って笑う壬生を見て、鶫は渋々といった風に頷いた。

 吾妻と協力することには少し釈然としない気持ちはあるものの、壬生の言い分は理解できたからだ。

――鶫とて、壬生と二人だけであの目玉を退けられるとは思っていない。壬生の言う通り、使える戦力があるなら使った方がいいに決まっている。


「まあ、そこまで言うなら……。でもフォローはあまり期待しないでくれ。俺は吾妻に死ぬほど嫌われているから、何を言っても逆効果にしかならないと思う」


「そうなのか? なら仕方がないな。よし、とりあえず吾妻さんを起こそうか」


 壬生はそう告げると、すっと吾妻の前に移動し、吾妻の丸まった背中に手を置き、バチンと音を立てて吾妻の背中に電流を走らせた。いわゆる電気ショックである。……あまりにも雑な起こし方だ。


 白い光が走ると同時に、「ひゃあ!?」と小さな声を上げながら吾妻が目を開ける。


「えっ、痛っ、な、なに? わっ、私を拷問でもするつもりっ?!」


 吾妻は縛られたまま、壬生を見て怯えるようにそう叫んだ。

……そんな反応をされると、まるでこちらが悪いことをしているかのようだ。


 そして壬生の後ろに控える鶫の存在に気付いたのか、吾妻は一瞬だけ驚いたような顔をした後、何かを察したように悔しそうに呟いた。


「……あーあ、この様子だと儀式は失敗しちゃったんだ。ホント、最悪」


「恨み言は後にしてくれ。でも、幸いなことに意識はしっかりしているみたいだな。――吾妻さんは現状が理解できているか?」


 壬生はいつの間にか手に持っていたハサミをクルリと弄びながら、吾妻の目を覗き込んでそう言った。

……恐らくは拘束を切るための物だろうが、吾妻からしてみれば脅すための武器にしか見えないだろう。


「現状って……私が負けたってことでしょ? それとも私が神様の玩具おもちゃにされてたこと? どうでもいいから、さっさと政府に突き出せば?」


 吾妻は不貞腐れたようにそう言うと、大きなため息を吐いた。だが、ふてぶてしい態度とは打って変わって、表情や身体は怯えるように震えている。……大広間で鶫と相対していた時とはまるで別人のようだ。


「随分とやさぐれてるなぁ。うーん、とりあえず話をする前に上を見てくれ」


 そう言って、壬生は空を指さした。それに釣られ、吾妻は怪訝そうな顔をしながらも素直に上を見る。

――遥か空高くに出現した目玉は、なおも不気味な存在感を放っていた。その悍ましき怪物、もしくは神を認識した吾妻は、顔を真っ青にして悲鳴のような声を上げた。


「ヒッ、なに、あの目玉みたいなのは……。もしかしてあれが、女神さまが言っていた岐ノ神なの? あんな――邪悪なモノが?」


「時間が無いから端的に説明するが、吾妻さんの契約神はアレ――鶫が言うにはミ■ャグ■様だったか?それを地上に降ろして、この国を滅ぼそうとしているらしい。その様子だと、吾妻さんはあの女神から何も聞かされてなかったみたいだな」


「この国を、滅ぼす? なんで、そんなつもりは、私はただ、両親が正しかったって証明したくて……」


 呆然とした様にそう呟く吾妻に対し、壬生はいつもの調子で告げた。


「残念だが、吾妻さんはきっと女神のいいように使われてたんだろうな。――そして混乱しているところ悪いんだが、あの女神に賛同するつもりがないならこちらに協力をしてほしい。私たちは、あの目玉がこれ以上下に降りて来るのを止めたいんだ。もちろん、協力してくれるならその拘束も解こう。どうだ?」


 すると吾妻は、困惑したように壬生を見上げ、怯えたように口を開いた。


「……協力? 本気で言ってる? わ、私がこれまで何をしてきたのか知ってるんでしょう?」


「いや、今は冗談を言っていられる状況じゃないだろう? それに、吾妻さんが今まで何をしてきたのかはこの際どうでもいい・・・・・・。今はそんなことを問答している時間も余裕もない。協力するかしないかだけ簡潔に答えてくれ」


「で、でも、わたしは……」


 そう答えを渋る吾妻を見て鶫は、このままだと説得は無理だろうなと思った。壬生の説得の仕方が悪いわけではない。――ただ単に、吾妻の心が折れているのが問題だった。


 信じていた神様に裏切られ、心の支えだったものが全て偽りだったと知ってしまったのだから、立ち上がることが出来なくても仕方がない。

 だが、今はそれを許していられる状況ではなかった。


 鶫は小さくため息を吐き、空を見上げた。

 立ち上がれないのなら、無理やり立たせるしかない。たとえそれが、正しくない行いだったとしてもだ。


――なに、憎まれ役・・・・は慣れている。きっと上手くやれるさ。


 そう思いつつ、鶫は壬生の肩にそっと宥めるように片手を置き、小さく頷いた。選手交代である。

 そして壬生と入れ替わるようにして吾妻の前に立ち、口を開いた。


「――なら、尻尾を巻いて逃げるのか?」


 吾妻を見下ろしながら、鶫はそう静かに告げた。


「俺は別にどうでもいいよ、お前の事なんて。でもさ、ここまで人に迷惑をかけておいて後は知らんぷりだなんて、俺にはそんな恥ずかしい真似は絶対にできないよ。――まあ、でもしょうがないか。お前は矜持プライドなんか無い負け犬・・・だもんな。はは、無様で惨めで無責任のまま此処で腐っていればいいさ」


 鶫が嘲るようにそう告げると、震えて焦点が定まっていなかった吾妻の瞳が、やがて鶫を射抜くようにして見開いた。


 たとえ女神エリスが憎悪を煽った結果だとしても、きっと吾妻は鶫のことだけは何があっても許すつもりがない。もはやそれは、理屈ではないのだろう。

 だからこそ・・・・・、吾妻は鶫の言葉を無視することが出来ない。


「わたしが、負け犬?」


「そうじゃなければ何なんだ? ああ、女神に唆されて何の罪のない人々を踏みにじって、そうまでしたのに何にも得ることが出来なかった哀れな敗北者とかでもいいかもな。本当に可哀想な奴だよ、お前は。ま、別に同情するつもりはないけどさ」


 そこで我慢の限界を超えたのか、吾妻はギッと鶫を強く睨みつけ、目にギラギラと怒りを滲ませながら叫んだ。


「――どの口がそんな事をッ!! お前なんかにッ、お前にだけはそんなこと言われる筋合いはないッ!!」


 まあ、それはその通りである。だが吾妻からしてみれば、大広間での応酬をそっくりそのまま返された形となるので、きっと腹が立って仕方がないだろう。


……行貴であればもっと上手く話を進められたのだろうが、あの煽りスキルは天性の素質が必要なので、鶫にはこれが限界である。

 だが、あとはこんな状況下でも捨てきれない吾妻の鶫への対抗意識を煽るだけでいい。きっと吾妻は、鶫が此処に留まる以上、逃げ出すことも怖気づくことも出来なくなる。

――鶫への怒りと憎しみが消えない限り。


 そうして鶫は吾妻の前にしゃがみ、グッと吾妻の首元を掴んで言った。


「なら四の五の言ってないで壬生に協力しろ。それがやらかした奴の責任ってやつじゃないのか? ――俺が逃げないんだから、お前も逃げるな」


 鶫がそう圧を掛けると、吾妻はグッと怒りを堪えるかのように歯を食いしばり、小さく頷いた。


……自分で誘導したのにこんなことを言うのもアレだが、本当に吾妻は損な性分だと思う。いや、ここはそれほどまでに自分が憎まれていることを嘆くべきなのかもしれないが。


 鶫はそんな事を考えつつも、吾妻が承諾したのを見届けると、吾妻の首からするりと手を放し、見えないように後ろ手で壬生にヒラヒラと手を振った。

 そうしてスルッと吾妻の前から退き、壬生へと場所を譲る。悪役ヒールの出番はこれで終了だ。


「協力してくれる気になったか? なら、確認したいことがある。――この街から、転移で外に移動することは出来るか? 可能であれば、政府に行ってあの目玉に対抗できそうな人か神を連れてきて欲しいんだが」


 壬生がブチブチと吾妻の拘束具をハサミで切りながらそう問いかけると、吾妻は上体を起こして軽く身じろぎをした後、首を横に振って答えた。


「……街の中なら自由に移動できるけど、たぶん外には出れない。女神さまがこの街に結界を張っているせいで、正しい座標が分からなくなってるから。……アンタもそうでしょ?」


「まあ、そうだな。俺も転移自体は使えるけど、一定以上の場所へ行こうとすると壁に阻まれたみたいに先に進めなくなる。上は目玉の近くまで行けるけど、横は街を覆う壁までしか無理だと思う」


 鶫がそう答えると、壬生は考え込むように俯き、再度吾妻に問いかけた。


「そうか……。たしか、吾妻さんは他の人間と一緒でも転移することが可能だったな? なら、私を連れてあの目玉の側まで転移することはできるのか? 試してみたいこともあるし、一度アレを側で見てみたいんだ」


 すると吾妻は、バツの悪そうな顔をして口を開いた。


「それは、できるけど……。ただ、壬生……さんとの小競り合いの所為でかなりの枠を消費したから、一緒に転移するのは二回までが限界だと思う。……なに、その目。私のこと使えないとでも思ってんの?」


 吾妻はそう吐き捨てるように言って、黙って聞いていただけの鶫のことを睨みつけた。……流石に被害妄想が過ぎる。


「別にそんな風には思ってないけど。――それにしても、二回か。なら、行きと帰りで使い切るのはもったいないから、下に降りる時は俺が糸でパラシュートを作るよ」


「ああ、それは助かる。――それと鶫には、他にもやって欲しいことがあるんだ」


 そうして壬生は、空を指差して言った。


「――私の為に、どうかを作ってくれ」

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