第189話 昵懇の友

 転移を使い成層圏まで跳び、その目の全貌を確認する。

 さらに近づくために転移を繰り返したが、不思議なことに一定の距離からは上に進むことが出来ない。


――まるで何かに阻まれている様だ。


 鶫は糸を操りハンググライダーのような物を作ると、その場で旋回を始めた。近づけない以上、この場で観察をするしかない。

 裂け目から覗く大きな眼球はジッと黎明の星跡地――儀式の台座がある方を見つめており、飛んでいる鶫の方に視線を向ける様子もない。

 そして遠くから見ていた時は気が付かなかったが、目と裂け目の間に触手のような物が蠢いており、それらは徐々に下に向かって伸びていこうとしていた。


 全体像はまだ分からないが、この様子だとかなり悍ましい姿形をしている気がする。

……これが元々自分の中に入る予定だったと思うと、少しだけ背筋がゾッとした。


 造形はともかく、エリスはこの神は意思がない機構そのもの・・・・・・だと言っていた。

 門を開ける――すなわち魔獣を降ろすための裂け目を作り出すのが、この神の権能なのだろう。

 尖兵やら何やらの意味は分からなかったが、あの話し方だと恐らく三十一年前よりずっと昔にも、空が割れたことがあったのかもしれない。

 その際に起こった不思議な現象を、昔の人々はミ■ャグ■様?と定義し、祀り上げることによって魔獣の侵攻を未然に阻止したのだろう。とんでもないファインプレーである。……未来視持ちの巫女でも存在したのだろうか。


 だが、定義が変わったとはいえ、その力自体は変わらない。

 きっと良くも悪くも空の裂け目に直接干渉できる存在は、恐らくこの神様しか存在しないのかもしれない。

 しかも不可抗力ではあるが、そんな存在が己の意思を持たないというのは、一部の者たちにはとっては都合がよかったのだろう。

 黎明の星がどうやってその情報を掴んだのかは分からないが、裂け目の管理を目的とするなら最適な選択だったとも言える。


――まあ、結局はこうして全部ご破算になってしまったわけだが。


 それはともかく、この意思が無いはずの神がこうして地上に降りてこようとしているのは、おそらくはそれを促すような術式が台座に刻まれているのだろう。

……何となくだが、吾妻が赤い砂を流し込んだ時点で術式は作動していたのだと思う。あの時点で止めることが出来ていれば、こんな状況にはならなかったかもしれない。


 ならば台座を破壊すればいいのではないか?とも考えたが、もし台座が重要な役割を担っているならば、破壊しようとすれば絶対にエリスが邪魔をしてくるはずだ。そうなってくると勝ちの目はほぼゼロになる。


……やはり、この目玉に直接攻撃を仕掛けてみるしかないか。

 そう考え鶫は糸の斬撃を目玉に飛ばしたのだが、ギリギリ糸が届いたかという所で、糸は目玉をするりとすり抜け、虚空へ舞った。それと同時に、ふらつきを覚えるほどの眩暈が鶫に襲い掛かった。


「……えっ?」


 急な眩暈のせいで集中力が切れた鶫は、解けた糸と共にゆらりと下に向かって落ちていった。


 そうして鶫は緩やかに落下しながら、なぜ糸が目玉をすり抜けたのかを考えた。


――あの目玉は、もしかして物理攻撃を無効化しているのだろうか。それに加え、どうやらデバフのような効果も持っているようだ。目の内側に糸が入った瞬間、体の中の力を吸われるような感覚があった。

……それに攻撃が通じないというのは、はっきり言って非常に困る。何か方法を探さないといけない。


 そうして鶫は地面に叩きつけられる直前にまた上空に転移すると、ジッと目玉の周辺を見つめた。きっとこういう時にこそ、赤い糸を見る力を使うべきだろう。

 出来るだけ上空に留まりながら、巨大な目玉を観察する。

 建物などに絡み付いた糸に比べれば見えづらいが、何色もの緑を基調とした巨大な虹彩の奥に、ぐるぐると糸が集まっている部分がいくつも見えた。恐らくはアレらが、この目玉を作り出している核だろう。


――だが、鶫では攻撃が核に届かない・・・・。どんなに力を振り絞ったとしても、核まで糸を伸ばすことが出来ないからだ。


 そして試しにベルから借りた杖を目玉に向けてみたが、何の反応も示さなかった。……もしかしたら、先ほどの奇跡で力を使い果たしてしまったのかもしれない。残念だが、使えないのならば選択肢から外すしかない。


 そうして試行錯誤の末に何度目かの落下を経験していた鶫は、突如襲来したモノに反応が遅れてしまった。

――ひぅん、という音を立てて何かが飛んできたのだ。


「……ん? えっ、うわぁぁ!!」


 それ・・が脇腹に突き刺さる前に何とか糸に絡めとってキャッチした鶫は、バクバクと心臓が鳴る音を聞きながら、その飛来物を手に取った。

 片刃の鈍い輝きを放つ短めの刃物――すなわち匕首である。

 どこかで見たことのあるデザインだなと思い刃を眺めると、金属部分に文字が彫られていることに気付いた。


【――東南のビルの上にて待つ。百合絵】


 その文字を読み、鶫はハッとしながら指示された方向にあるビルを確認した。

 そのビルの上には、轟々と燃える篝火と、こちらに手を振る壬生百合絵が立っていた。


 そんな普段通りに見える壬生の姿を確認し、鶫の心には動揺が走った。

……壬生が現時点で此処にいるということは、遠野が寄越した助けというのはきっと壬生のことだったのだろう。

――はたして、遠野は何処まで壬生に説明をしたのだろうか。そんな不安が心をよぎる。

 いや、そんなことを考えている場合ではないというのは承知の上だ。ただ、自分が抱えていた秘密のせいで友達を失うかもしれないのは、自業自得だが恐ろしいと……そう思っただけだ。


 そう考えながらも、鶫は転移で壬生の元へと降り立った。元々逃げるつもりはなかったし、何よりもあの目玉を相手取るには戦力が必要だったからだ。


 すると壬生はパッと花が咲いた様に笑い、鶫――葉隠桜に向かって告げた。


「良かった! 捕まったと聞いていたが無事だったんだな!」


「……はい。何とか脱出できました。壬生さんは、その、吾妻さんと戦いになったんですか?」


「ああ、吾妻さんは色々・・あって意識を失ってしまってな。ほら、そこで寝ている」


 そうして壬生が指差した方を見てみると、手足を蓑虫のように縛られた吾妻が床に転がっていた。

……鶫としても吾妻に思う所はたくさんあったが、流石にこの有様は哀れだった。


「さて、まずは上に見えるあの目玉について話を聞きたいんだが――その前に手短に言っておきたいことがある」


 壬生はそう告げると、鶫のことをしっかりと見て言った。


「遠野さんから話は聞いた・・・・・。葉隠桜というのは、鶫のことなんだろう? ああ、遠野さんは別に悪くないぞ? 私が気付いて問い詰めたんだ。今にして思えば、遠野さんには悪いことをしてしまったな」


「……そっか。バレちゃったか」


 まるで世間話をするかのように告げられた真実ひみつに、思わず諦めのような気持ちが浮かぶ。やはり、秘密はバレてしまったらしい。


「まあ、今回のことがなければ多分気付かなかったと思う。――葉隠桜と七瀬鶫に何かしらの関りがあるとは疑っていたが、まさか同一人物とまでは思わなかったからな」


 壬生はそう言うと、困ったように笑った。


「……色々と事情があったのかもしれないが、打ち明けて貰えなかったのは少しショックだった。まあそれは私の個人的な感情だから、そこまで気にしなくていい。――さて、私は鶫の隠したかった秘密を知ってしまったわけだが、鶫は私と友達のままでいてくれるのか? むしろ、私としてはそっちの方が重要なんだが」


 そんな壬生の言葉に、鶫は呆然としながら口を開いた。


「それは、その、むしろ壬生はいいのか? ……こんなのが、友達で」


 鶫が自分の正体を秘密にしていたのは、ベルから黙っている様に言われていたというのが一番の理由だが、ただ単に女の子のフリをしているのを知られるのが恥ずかしかったからというのも大きい。

 それに他人から見てみれば、吾妻のように女装癖の変態だと思われても仕方がない。


 鶫がそう控えめに告げると、壬生は不思議そうに首を傾げて言った。


「だって鶫は女の姿を悪用するような行いはしていないだろう? なら別に問題はないじゃないか。それにたとえその姿が鶫の趣味だったとしても、私の友情は特に変わらないぞ? ……まあ、今さら友達を辞めたいと言われても逃がすつもりはないが」


 壬生の最後の言葉は小声だったのであまり聞き取れなかったが、どうやら壬生は鶫の友人を辞めるつもりはないらしい。

 その事実に、ほっと胸を撫で下ろす。いくら鶫とはいえ、仲の良い友人から嫌われるかもしれないという状況は恐ろしかったのだ。


「あ、でも今回は仕方がなかったとはいえ、蘭ちゃんにはちゃんと自分から打ち明けた方がいいぞ。人伝に聞いたら絶対に拗れるだろうから」


「うん。――ここから帰れたら、鈴城にはちゃんと自分から話すよ」


 鶫はそう言ってしっかりと頷いた。

 こうなってしまっては、きっと他の人にバレるのも時間の問題だろう。だからこそ、その前に信頼できる人たちには話をしておくべきだ。

 ベルだってそう伝えればきっと話す許可をくれるだろう。


 そうして壬生は時間を気にするように空の様子を窺い、真剣な顔をして言った。


「時間もないし、個人的な話はここまでにしよう。――次は空の上のアレについて話が聞きたい。鶫は、何か事情を知っているんだろう?」


 壬生にそう問いかけられ、鶫は神妙な顔をして頷いた。


「ああ、手短に説明する。あれは――」


 そうして鶫が知りうる限りの情報を掻い摘んで話すと、壬生は考え込むようにして空を見上げた。

 そして空に浮かぶ目玉を見つめながら、静かな声で言った。


「よし、分かった。――吾妻さんを叩き起こそう」


 鶫はその唐突な言葉に一瞬だけフリーズし、困惑しながらも壬生に問いかけた。


「……どうしてそうなるんだ?」


「ん? ああ、それはな―――」


 そうして壬生は、自分の考えを話し出した。

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