第187話 崩壊の音

――不和と争いの神、エリス。その名前だけでもう嫌な予感しかしない。

 鶫は頭を抱えたくなる気持ちを堪えながら、静かに話だした。


「……以前こんな話を聞いたことがあるんだ。天照が規律ルールを敷く前に、地上に降りた神々がいると。その神々は、この国に蔓延った絶望や怨嗟の声に惹かれて降りてきたらしい。――だからかな。気まぐれに分霊を降ろした神々は、人々から【悪】と呼ばれる神が多かった。その殆どは政府に属する神によって排除されたらしいけど、もしかしたら隠れ潜んでいる悪い神様はまだいるのかもしれない」


 鶫は考え込むような顔をしてそう言った。

 現に鶫は、フレイヤという例を見ている。フレイヤは逸話からみると邪神とまではいかないが、それでも問題を起こす側としての側面が強い。偏見だが、あの女神はこの国に起こった悲劇を肴に酒を飲むくらいは普通にしていそうだ。


「天照のルールから逃れた神は、ちゃんと決まりを守っている神よりも遥かに強い力を行使できる。やろうと思えば下界への干渉だって好きに出来るんだ。たとえば――この儀式みたいにさ」


 普通であれば、管理外の神が好き勝手している所を政府に属する神が見つけて対処してくれるのだが、今回のように魔法少女を隠れ蓑にして隠れられては見つけられない。さすがの彼らも、魔法少女の契約神を再度調べたりはしないだろう。


「――それが、エリスだと?」


「あくまでも推測だけど。少なくとも、アンタらの語る神がネメシスじゃない事だけは断言できる」


 神が降ろす分霊というモノは、個体差はあるが、その地に生きる人間のイメージに影響を受けるケースが多い。

 鶫の契約神であるベルが食事に強い関心を示すのも、そういった要素が大きいのだろう。

 つまるところ、義憤を司る女神――つまり正義をなす側として広く知られているネメシスが、イメージを無視して今回のような行動を取るのは、かなり負荷がかかる行為となる。ならば最初から違う神様だったと考えた方が辻褄が合う。


……だが鶫と同じ教育を受けているはずの吾妻がそれに気づかなかったのは、ある意味では仕方がないことなのかもしれない。

 魔法少女にとって、契約神とは絶対の存在だ。鶫とて、もしベルが急に自分は北欧神話の最高神オーディンなのだ、と言い出したとしても普通に信じると思う。おや?と思う所があったとしても、きっと疑う事だけは絶対にしないだろう。


……それよりも、偽装の事実に気付いてから嫌な予感がまったく消えない。

 たとえ吾妻の契約神がエリスじゃなかったとしても、別の悪しき神だという可能性は高いのだ。

 そうなってくると、全ての前提がひっくり返される事になる。


 そもそもの話、吾妻の契約神は何のために正体を偽ってまでこの儀式の実行に手を貸したのだろうか。きっと禄でもない理由に違いない。


 鶫は嫌な想像に泣きたい気持ちになりながら、朝倉に問いかけた。


「さっきアンタは、この儀式は女神の管理下にあるって言ってたけど、これって本当に岐ノ神とやらを降ろすための儀式なのか? もしかしたら別の効果に書き換わってるんじゃないか?」


――以前とは違う血なまぐさい工程を必要とし、正当な手順を省いた儀式。

 そこから呼び出されるものは、本当に前と同じ神様なのだろか。


 鶫がそう告げると、朝倉は見るからに動揺した顔になり、両手で頭を掻きむしりながら言った。


「そんな、まさか、全部が嘘だったとでも? 私はもう彼女には――沙昏君・・・には会えないのか? なら、何のために私はあんなことを――」


「……え? ちょっと言ってる意味がよく分からないけど、そもそも死んだ人・・・・には会えないんじゃないか? そんな事よりも、俺は儀式の話を聞きたいんだけど――」


 鶫が怪訝に思いながらもそう答えると、朝倉は自身の頭を抱えたままブツブツと良く分からない言葉を紡ぎ始めた。……やはり、杖の攻撃の当たり所が悪かったのだろうか。


 鶫が怯えながら朝倉を見ていると、朝倉は急に力を失ったかのようにガクンと体の力を抜いて項垂れた。もしかしたらショックで気を失ったのかもしれない。


……鶫としては手足の縄のことなど、まだ朝倉に聞きたいことがあったのだが、こんな状態ではまともな言葉が返ってくるとは思えない。


「また振り出しに戻るのか……。はあ、台座の周りでも探索してみるか」


 そうして鶫は、何か手掛かりのような物が無いかを探るため、台座の方へと足を進めた。




◆ ◆ ◆




 鶫がエリスの事に気が付いた頃、壬生と吾妻の戦闘は終盤に差し掛かっていた。


「ふむふむ。――たぶんそれはネメシスじゃないぞ。エリス辺りに騙されてるんじゃないか?」


 戦闘中、壬生に鶫に問われたことと似たような質問をされた吾妻は、堂々とネメシスの話をした。正義はこちらにあると言ったのだ。

 すると壬生は、何の前振りもなく唐突にそんな奇妙なことを言いだした。……こちらの動揺を誘うにしては、あまりにもお粗末な煽りだ。


「アンタ何バカなこと言ってんの? そんな訳ないじゃない」


 吾妻は傷口を影で塞ぎながら、苛立ったようにそう返した。

……壬生はあの変態的発言以降、雑談交じりに戸惑いもなく吾妻の肌にナイフを突き立て始めた。

 しかも本人は無自覚だろうが、吾妻がちゃんと返事を返さないと剣戟の速度を上げてくるのだ。なんてはた迷惑な特性なのだろうか。

 吾妻が逃げに徹していたため深手こそ負っていないものの、このままでは押し切られるかもしれない。


 そんな吾妻の焦りを気にもせず、壬生は話を続けた。


「いや、だってどう考えてもそれはネメシスじゃないだろう? まさか義務教育を受けてこなかったのか? 駄目だぞ、勉強はちゃんとやらないと」


「……話が通じない。ホントになんなのコイツ」


 吾妻が馬鹿を見る目で壬生を見ると、壬生はピッとナイフの血振りをしながら淡々と言った。


「ふむ。無意識に気付かないようにしているのか? それとも契約神に思考を弄られているのか……。うーん。――まあいいか! 時間も無いし、ついでに叩いて・・・みよう!」


 壬生はそうひとり納得した風に言うと、スッと手に持つナイフの数を増やした。そのナイフは苦無のような形をしており、どう考えてもこちらに向かって投げてくるような素振りを見せている。


 そう判断し吾妻が身構えた瞬間――壬生は苦無を全て空高くへと放り投げた。


 そうして投げられた苦無は四方八方へと飛んでいき、あっという間に影も形も見えなくなった。


「……は?」


 壬生の唐突な行動に一瞬だけ呆けた吾妻だったが、その隙を見逃さず弾かれるように吾妻の元へと飛び込んできた壬生に、吾妻は急いで迎撃態勢を取った。


 眼前へと迫った壬生を、影で地面を滑るようにして躱す。

 だが、あっという間に影の速度に対応した壬生は半身を捻るだけで吾妻に刃が届く位置まで移動してくる。


 さすがに埒が明かないと思った吾妻は、一度仕切り直しをするために転移でその場から離れることを決めた。


――それが最大の判断ミスだとも知らずに。


 そうして転移によって壬生の目が届かない場所に移動し、吾妻が上がった息を整えようとしたその瞬間、ちくりとした痛みを足から感じた。

 不快に思いながら下に目を向けると、靴の端の方に細長い針のような物が刺さっているのが見えた。

恐らくは、刃を捌いている時に刺されたのだろう。本当に油断も隙もない。


――壬生はどう考えても馬鹿にしか見えない癖に、戦闘センスだけは群を抜いている。本当に厄介な敵だった。


 そうして吾妻苛立ちながら針を抜こうと足に手を伸ばすと、指先にピリリとした痺れのような物を感じた。

……きっと血を流し過ぎたのだろう。貧血になりかけているのかもしれない。

 そんな風に思いながら針に触れると、突如景色が揺らぎ、地面が目の前にまで迫ってきた。ガン、という鈍い音が耳元で聞こえる。


――自分が地面に倒れていると気付いたのは、それからすぐのことだった。

 手足がビリビリと感電したように痺れ、指先一つ動かすことが出来ない。

 吾妻が一体自分の身に何が起こったのかと混乱している最中、血で染まった薄汚いコートが、視界の端でひらりと揺れた。


「やっぱりここで合ってたのか。吾妻さんは行動が分かりやすいなぁ」


 倒れ伏す吾妻を覗き込むように、壬生がそう告げる。


――何故こうなったかというと、答えは単純。

 壬生は戦闘の合間に吾妻が移動しそうな場所に罠――帯電した刃物をいくつか置いておき、避雷針が刺さった吾妻がそこに移動するのを待っていたのである。


 今まで電気を目に見える形で使わなかったのは、油断させる為だった。


 最初に苦無を上に放り投げたのは、同時に飛ばした避雷針に気付かれないためと、吾妻の逃走経路を狭める為である。

 吾妻の性格上、苦無が飛んでいった方向は転移の際に無意識に除外するはずなので、罠を仕掛けるのは簡単だった。


 壬生としても、吾妻が最初の一回で罠に嵌るとは思っていなかったが、恐らく運が良かったのだと思うことにした。まあ、吾妻にしてみれば運が悪かったとしか言いようがないのだが。


「……う、あ」


「うんうん。クマが昏倒するレベルの電撃だからな。無理して動かない方がいい」


 壬生はそう言うと、スッと自身の右手を吾妻の頭に向かって伸ばした。

 そうしてガッと頭を掴むと、頭がい骨の形を確かめるようにするりと指を動かし、小さな声で呟くように言った。


「――ああ、此処・・だな」


 そうして壬生は、何の前触れもなく吾妻の脳に電流を流した。


……もしもこの場に壬生の契約神がいれば、きっと悲鳴を上げて止めていたはずの暴挙である。

 だが壬生には、こうすれば何かが断ち切れる・・・・・という確信があった。

 今まで沢山のモノを切り刻んできたが故の直感である。


 この壬生の目の離せない言動が、一部のファンの心を鷲掴みにして離さない要因の一つなのだが、それは今は関係ないので置いておくことにする。


……そうして人間の体の中で一番繊細な場所に電流を流された吾妻は、痙攣しながら走馬灯のように過去の出来事を思い出していた。


 まるで廊下に飾ってある絵画を眺めるように、吾妻の人生が再生されていく。


――まだ十歳にも満たない子供の頃。吾妻は養護施設の中でひとり泣いていた。

 大火災の数少ない生き残りという肩書と、全身に広がる醜い火傷の跡。そんな特異な事情から、大人からも子供からも距離を置かれていた吾妻はいつだって孤独だった。


 そんな吾妻に手を差し伸べたのが、有翼の女神――ネメシスである。

 幼い吾妻と契約を交わした女神は、大火災の真実を教えてくれたのだ。儀式を再度行うように仄めかされたのもその時だった。


……こうして冷静になって外から眺めてみれば、あの頃から巧妙に復讐心を煽られていた様に思う。


『可哀そう』『あんなことがなければ』『カワイソウニ』『生贄は逃げて今は幸せに暮らしている』『貴女はこんなにも不幸なのに』『かわいそう』『両親は無駄死にだったね』『儀式が成功さえしていれば、貴女は成功者の子供だったのに』


『ああ、なんて可哀想なの』


 そんな女神の降り積もるような言葉の数々は、吾妻を気遣うようでいて、いつだって独善的だった。

 けれど吾妻は、それを疑問に思わないほどに女神に依存していた。だって、吾妻を肯定してくれる人なんて――もう誰もいなかったのだから。


 ゆっくりと、真綿で首を絞めるように思考を誘導されていく。学校でギリシャ神話を学んだときは少しおかしいなとは思ったけれど、女神本人からそれを否定されれば、もう二度と疑うこともなかった。


 歪んだ思想も、壊れた願いも、女神に目隠しをされた吾妻にとってはキラキラした宝物に見えた。


――ああ、けれど。


 吾妻は今まで歩いてきた道を振り返る。そこは誰とも知れない血と臓物にまみれ、物も言わぬ眼球が、恨みがましそうにこちらを見ていた。


――顔も知らぬ他人を踏みつけにしてきたこの人生は、本当に正しい・・・ものだったのだろうか?


「――……うっ、オぇっ、ごほッ」


 頭と腹がかき混ぜられるかのような痛みに、思わず胃液を吐き出す。

 ぐわんぐわんと揺れる視界の先で、女神さまがこちらの様子を窺っているのが見えた。

 そして隣にいる壬生も何故か女神のことが見えているようで、ナイフに手をかけながら女神に険しい目を向けている。


 か細い呼吸を繰り返しながら、吾妻は女神に問いかけた。


「……ど、して、女神さ、まは、わたしのことを、選んだ、の?」


――ずっと、気になっていた。

 幼かった吾妻にとって女神様の存在は救いとなったが、女神はなぜ吾妻の元へと現れたのだろか。


 そうして女神は、考え込むように人差し指を顎に当てると、こてんと首を傾げて言った。


『泣き顔が、とっても可愛かったから?』


「え……?」


 吾妻が思わず困惑したようにそう声をあげると、女神はクスクスと笑って言った。


『哀れで』『無様で』『火傷の跡が愛らしくて』『でも醜くて』『矮小で』『単純で』『頭が弱くて』『流されやすくて』『滑稽で』『凡庸で』『幼稚で』『愚かで』『浅はかで』『それがとても可愛くて』『だからね』


『――ずっと側で見ていようと思ったの。貴女が壊れていく様を』


 そう言って、女神は悪びれもせずに綺麗に笑った。


 手足が震え、心臓がバクバクと音を立てる。なのに、体だけはとても冷たく感じた。

――ぜんぶ、今までの自分の人生は、何もかもが、女神さまの玩具おもちゃだった。


 そう完全に自覚した瞬間、吾妻の体は限界を迎え、ぐらりと意識を失った。感電のダメージを含めて考えると、暫くは起きることができないだろう。


――そうして動かなくなった吾妻を横目で見ながら、壬生はその場にすくりと立ち上がって言った。


「話も済んだようだし、もう行ってもいいか? この後は、人質を確保して儀式とやらを止めに行かなきゃいけないから忙しいんだ」


 この時の壬生の心境としては、首謀者の一味である吾妻との戦いも終わったし、次は人質を助けに行こう、という単純な思考しかなかった。

 元々吾妻の境遇にはそんなに興味が無かったので、壬生としては残当な思考である。


 もちろん目の前の性格が悪そうな鳥っぽい女神が襲いかかってくるならば戦うつもりであったが、何となくそんな展開にはならないだろうと確信していた。


 すると女神は、ひどく嫌そうな顔をして壬生を見つめた。


『あなた嫌い』『面白くない』『つまらない』『気持ち悪い』


「うんうん。で、もういいか?」


 何を言っても響かない壬生に対し、女神は呆れたように言った。


『儀式は止まらない・・・・・』『行っても無駄』『台座を起動した時点でもう始まってる』『籠から出る理由が無いと月は来ない』『器が絶望すると星は出てこれない』『魔獣の管理とかどうでもいい』『だから道だけ作った』『全部壊してからまた遊ぶの』『子供たちも一緒に』『だから賭け・・は私の勝ち』


『――ほら、もうすぐ出てくるよ』


 つらつらと訳の分からないことを話していた女神は、そう言って空を指さした。

 その瞬間、濃い青紫色に染まっていた空が、中心部にある建物――目的地である黎明の星の真上からバリバリと罅割れていく。


その隙間から見えたモノ・・に、壬生は言葉を失った。




◆ ◆ ◆




 鶫が台座の辺りを探索していると、突如頭上からパリンとガラスが割れるような音が響いた。

 その瞬間、全身に圧し掛かってくるような濃密な気配を感じた。そして頭の中に直接話しかけるかのように、何者かの声が聞こえてきた。


『ほら、上を見てごらん』


『止められないなら』『お前の負けだよ』『私の勝ち』『ね、■シフ■ル?』


 くらくらとする頭を押さえ、鶫はふらりと何かに導かれるように淡く光る台座に足を進めた。そうして頭の中から響く声の通りにゆっくりと頭上を見上げると――、


「――……いや、もうこれ以上の面倒事は勘弁してくれよ」


 絶望を通り越し、うんざりとした心地でそう呟く。


 天井から覗く大穴から見える、濃い青紫に染まった空。

 その真上に見える空の亀裂から、巨大な眼・・・・が鶫のことを見下ろしていた。


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