第185話 追憶の憧憬

――吾妻と壬生が戦いを繰り広げている頃、大広間に残った朝倉は壁に寄り掛かり束の間の休憩をしていた。

 ここ最近の間は色々とやる事も多く、六十の後半に差し掛かった老体には少し堪えていたのだ。


 そうして鶫と千鳥の二人が何か話している姿を確認した後、朝倉はそっと肩の力を抜いた。

 たとえ彼らが逃げる相談をしていようとも、動きを封じる拘束具を付けている限りここから逃げだすことは出来ない。拘束具はネメシスから貸し与えられた物なので、人間の力ではそう簡単に破壊も出来ないだろう。そこに居ることさえ分かれば、そんなに力を入れて監視する必要もない。


 日が落ちるまで特にやることも無いので、朝倉はぼんやりと今までのことを思い返していた。


――朝倉という男を一言で表すと、【全てを失った者】と称するのが相応しい。


 家族を魔獣の襲撃によって失い、大義の為に所属した組織からは意見の対立で切り捨てられ、大事だったはずの友との関係は、紙きれのように自ら破り去った。

 長年築いてきた医師としての地位も、今回の一件が明るみに出ればあっという間に地に落ちることだろう。


 だが、そんなことは朝倉にはどうでも良かった。

 真っ当な人間としての朝倉は、あの大火災の日に炎に巻かれて死んだのだ。


 そんな風に死んだように生きていた朝倉が吾妻に手を貸したのは――きっと夢の続きを見たかったからなのだろう。

 あの大火災の日から、もし儀式が成功していればと思わない日は無かった。あの日の後悔が忘れられないからこそ、朝倉は吾妻の目的に同調したのだ。


――そうして吾妻と出会ってから、朝倉の人生は一変した。

 辛うじて残っていた儀式の資料を集めて内容を精査をしたり、吾妻の契約神であるネメシスや、その知り合いという黄金の女神に代替可能な儀式のやり方を教わったり、時には気が急いている吾妻を気晴らしに旅行へと連れ出したり、かなり精力的に活動してきた。


……今にして思えば、あの頃が一番穏やかな時間だったのかもしれない。

 もし孫がいたらこんな感じなのだろうかと思う時はあったが、自分ごときが鳥滸がましいとその想いを口に出すことはなかった。所詮今の朝倉は、吾妻蘇芳の願いを叶えるための道具に過ぎないのだから。


――此処まで来るのに、色々なモノを犠牲にして踏みにじってきた。

 散々大義の為だと口にして誤魔化してきたが、結局のところ岐ノ神の制御が成功したとしても、失われた命が帰ってくるわけではない。

 結果的に神の降臨が成功し、魔獣の統制が出来るようになったとしても、被害者たちからの怨嗟の声は避けられないだろう。


 それに加え、神の器の制御権を巡って政府の老獪な古狸たちとの腹の探り合いや、権力のおこぼれに預かろうとする利己的な人間への対応など、人間の汚い面を嫌でも間近で見ることになる。


――あまり考えたくはないが、どう転んだとしても吾妻の未来は良いものにはならないだろう。

 それが分かっていて吾妻に協力した以上、大人として責任は取るつもりだが、願わくはあの炎に焼かれた子供が夢から覚めないままでいられればいいと、朝倉は強く思った。


 必要であれば罪は全部己が被り、吾妻は自分に唆されただと主張するつもりだが、そんな言い訳がどこまで通用するかは分からない。こればかりはその時になってからしか分からないので、静かに沙汰を待つしかないだろう。


……真っ当な大人であれば、吾妻のことを何としてでも止めるべきだったのだろう。

 吾妻の掲げる大義も復讐もそのやり方も、今の時代から見たら決して正しいものではないのだと説得をするべきだった。


 けれど吾妻を説得するべきか迷う朝倉に、ネメシスは囁く様に告げたのだ。


――本来贄として死ぬはずだった子供の中に、沙昏の魂が生前の意識を保ったまま隠れ潜んでいると。

 それを聞いた瞬間、朝倉の胸に宿ったのは紛れもない歓喜だった。


……意見の行き違いがあったとはいえ、朝倉は沙昏のことを優秀な指導者として尊敬していた。

 沙昏の采配は神の導きのように滑らかに進み、語る言葉は砂糖菓子のように甘く、彼女に従っていれば全てが上手くいくかのような全能感すらあった。

 誰も口には出さなかったが、現人神がいるのならきっとこんな姿をしているのだろうと思ってしまうほど、沙昏という指導者は完璧な存在だった。


 そして沙昏はあくまでも立派な教主という振舞いを徹底しており、初期からのメンバーである朝倉に対しても、決して気安い態度を見せることがなかった。


……そんな沙昏が唯一個人的な意見を通そうとしたのが、鶫――生贄の変更である。


 黎明の星の他の信者たちは、最初は生贄の変更に難色を示したが、沙昏と面と向かって少し話をしただけでコロリと意見を変えていった。やっぱり血の繋がった家族は大事だものね、と言ったのは、確か吾妻の母親だった記憶がある。なんとも皮肉な話だ。


 だがそれを強固に反対したのが、朝倉だった。

 生贄の変更だけならば、まだ引き下がることが出来た。――沙昏が鶫の代わりとして連れてきたのが、大事な友である夜鶴の孫でなければ。


 千鳥が選ばれた理屈は理解できる。あの朔良紅音の娘であり、山の麓で俗世と離れ暮らしていた七歳の無垢な少女は、まさに生贄として相応しい器を持っていた。

 だが、それでも朝倉には認めることが出来なかった。

 当初の計画を急遽変更することへの不安。友の孫が贄となる事への動揺。そして心から崇拝してきた教主が弟可愛さ・・・・に他人の子供を犠牲にするだなんて、そんな凡夫・・のような真似をして欲しくはなかったのだ。


 そうして意見を曲げなかった朝倉は儀式から外され、結果的に命を拾う事となった。

――もしあの時、千鳥を連れて夜鶴たちのもとへ逃げ帰っていたら。それとも粛々と沙昏の言う事に従っていれば。もしくは沙昏を説得し、元の予定通りに儀式を進めることが出来ていたら。きっと今とは違った未来になっていたに違いない。


……まあ、今更そんなことを言っても仕方がないのだが。


「だが廻り回って、また此処に戻ってくるとはねぇ。まさか、流石の沙昏君もこれは想像していなかっただろうに。……こんな私を見て、君はなんて言うのかな」


 朝倉はそう呟くように口にした。


 罪のない人々を傷つけ罪悪感を抱えていた朝倉に、ネメシスは慰めるようにこんなことを口にした。

 宿主である七瀬鶫を精神的及び肉体的に追い詰めれば、必ず沙昏の意識は浮上してくる。大事な弟が再び生贄にされそうになっているのだから、沙昏は絶対に朝倉の前に現れるだろう。そうネメシスは言った。

 その言葉だけを支えに、朝倉は今日という日を迎えたのだ。


――ああ、愚かな男だと笑ってくれてかまわない。

 朝倉は願ってしまったのだ。十年を超えてなお、瞼の裏に焼き付いているその少女――女神あくまの様なその人に、再び相まみえることを。


 そうしては叶うのであれば、朝倉は今一度沙昏に問いかけたい。

――貴女が全てを犠牲にして救うほどの価値が、本当にこの子供つぐみにあったのかと。


 朝倉がそんなことを考えていると、急にガタンという物音が聞こえてきた。

 思わず朝倉が二人のいる台座へ目を向けると、千鳥が幽鬼の様な表情で鶫を見降ろしているのが見えた。


――朝倉が七瀬千鳥をこの場に連れてきたのは、半分は吾妻に話した通り善意で、もう半分は千鳥をこの場に連れてくることによって鶫の精神が疲弊することを狙っていたからだ。

 鶫が追い詰められれば追い詰められるほど、沙昏が出てくる可能性が高くなる。

その為ならば、友人を騙してその孫を拉致する――長年の友情を踏みにじるのは容易かった。


 二人が話を始めた当初は期待外れだったと判断し意識を外していたのだが、この様子だと想定通り仲が拗れたのかもしれない。


 朝倉がそう思いながら二人を観察していると、千鳥は黙り込んだまま、徐に鶫の腹を強く蹴った。

 そうして苦しそうな呻き声を上げる鶫を見降ろしながら、千鳥は何度も、何度も、何度も、何度も繰り返すように鶫のことを蹴り始めた。


 初めはその行為を黙って見ていた朝倉だったが、倒れ伏す鶫が血の混じった物を吐き出す様子を見て、流石にこれはまずいと声をあげた。


「……は、ちょ、千鳥君? 流石にそれはやり過ぎというか、手心というものをだね、ええと、まだ彼に死なれては困るんだが……」


 そう声を掛けるも、千鳥はそんな事などお構いなしに鶫のことを蹴り続けている。

 そんな千鳥の様子に焦りつつも、朝倉は千鳥に駆け寄ってその背中を羽交い絞めにした。


「いい加減にしてくれ!! 気持ちは分からなくもないが、これ以上は計画に支障が出る!!」


「イヤっ!! 放して!! ……こいつがっ、こいつがお母さんをっ!!」


 身を捩って子供のように暴れながら、千鳥がそう声を荒らげる。

 その両目には涙が浮かんでおり、今にも泣きだしてしまいそうだった。


……確かにこういった展開になることを望んでいたが、これは明らかにやり過ぎだ。

 鶫は執拗に腹を蹴られていたせいか、身を丸くしながらゲホゲホと血の混じった液体を吐き出している。もしかしたら内臓に傷がついたのかもしれない。


 だがなおも暴れて鶫の元へ行こうとする千鳥に、朝倉は仕方がないと思いながら自身のポケットに入っている鍵をギュッと握った。

 すると、それと連動するように千鳥が喉を押さえ、苦しそうにその場に蹲る。ネメシスに与えられた拘束具の効果の一つだ。対となる鍵に意思を持って触れることで、首を絞め相手の動きを抑制することができるのだ。


……拉致した際に、念のため魔法少女としての能力を封じた上で、拘束の首輪を付けておいて本当に良かった。


 蹲る千鳥を無視し、鶫の診察をしようと朝倉が歩き出したその時、床に倒れ込んだ千鳥がぬっと両腕を伸ばし朝倉の右足を掴んだ。思わずその場でたたらを踏む。

 足を引き抜こうにも、渾身の力で掴んでいるのかまったく離す気配がない。


「はあ、千鳥君いい加減に――」


 そう言って苛立ちながら千鳥を見下ろした朝倉は、ふと違和感に気付いた。


――この状況で、なぜ笑って・・・いる?


 千鳥は、ボロボロと大粒の涙を流しながら笑っていた。

 そうして、掠れた声で静かに朝倉に告げた。


「ばかみたい。わたしが、つぐみのことを嫌いになるわけないじゃない」


――そこでようやく、朝倉は焦ったようにバッと鶫の方へと振り向いた。


 鶫は自分で出した血だまりの上で、手足を使わぬまま器用に上体を起こしていた。

 その胸元と白い手術着にはべっとりと赤い血が付いており、出血量の多さが見て取れる。


――ゆらり、と俯いていた頭が上がる。


 そうして朝倉は、顔をあげた鶫が真っ赤な棒の様なモノ・・・・・・を咥えていることに気が付いた。

 それを認識した瞬間、全身の痛みと共に朝倉の意識は闇へと刈り取られた。





あとがき

ようやく伏線を一つ回収。

最後に出てきたのはベルから借りた杖なんだけど、没収される事を察した鶫が気絶する直前に隠し持ってた。

隠し場所はたまに本文で匂わせてたけど、気づいた人はいるかな?

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