第184話 紫電の襲来
――現在の時刻は十六時を少し回った頃。日没まであと一時間を切っている。
影から影へひっそりと移動を始めた吾妻は、黎明の星の跡地に向かって隠れる様子もなく進んでいる少女を発見した。
その少女は小柄な体躯に黒のショートカット、そして真っ白なコートを着て片手に大振りの刃物を持っている。
……吾妻の見間違いでないならば、そこに居るのは十華序列第三位である壬生百合絵だろう。
その予想外の人物の登場に、吾妻は首を傾げた。
吾妻の予想では、派遣されてくるとしても風車の様な移動能力持ちの人間か、もしくは複数人を連れて転移ができるタイプの魔法少女だとばかり思っていたのだが、壬生はそのどの条件にも当てはまらない。
それに壬生は戦闘特化型のタイプであり、敵地への潜入捜査や人質を救出したりするのには全く向いていない。強いて言うなら、ヤクザの事務所にカチコミを仕掛けている方がしっくりくるくらいだ。
――人質の存在を無視して殲滅でも行うつもりなのか?
吾妻はそう考え一瞬だけヒヤリとしたが、日和見の政府がそんな選択をするわけがないと頭を振った。
それに殲滅が目的なら、素直に最高火力である遠野を派遣した方が早いだろう。
「そうと決まれば、排除するに越したことは無いか。――別に壬生さんに恨みはないけど、大事な儀式を邪魔されたくはないからね」
そう言って、吾妻は影を操り壬生の背後から攻撃を仕掛けた。
影は音もなく死神の鎌の形に変わり、壬生の背に振り降ろされる。
今まで
すると背中に鎌の先が届くその刹那、壬生は何かを察知したかのように横へと飛び、瞬く間に背後の影を手に持った刃で切り捨てると、そのまま間髪をいれずに吾妻の隠れている場所へとナイフを投げつけてきた。
吾妻は想定外のことに焦るも、何とか顔面目掛けて飛んできたナイフを薄皮一枚で避けきり、バッと転移をして別の岩場の影に隠れた。
「う、嘘でしょ。なんでこっちの位置が分かったの?」
――そもそも壬生を攻撃した影は遠隔操作で出しており、それからこちらの位置を読み取るなんて不可能なはずだ。
もしあるとすれば、壬生の能力である電気を辺り一面に張り巡らせ、こちらの出す僅かな振動を感じ取ったという可能性があるが、体に不調が出ている状態でそんな風に力の無駄遣いをするのは自殺行為に等しい。
……もしかして何らかの対策を講じてきたのだろうか?
吾妻はそう考えたが、ネメシスが以前に行っていたことを思い出し、首を横に振った。
ネメシス曰く、神の力に触れた際の拒絶反応は、魔法少女であるかぎり逃れられない現象らしい。
いわば特効薬が無いアレルギー反応のような物なので、一時的に何らかの道具で凌ぐことが出来ても完全には防ぐことはできない。そして神の力はじわじわと浸食し、体を不調へと追い込んでいくそうだ。
――つまり、壬生が今まともに動けているのも一時的なことで、時期に浸食が始まり動けなくなるはずだ。
だが、問題はその「一時的」がどれくらいの間続くのかだ。
……あまり言いたくはないが、吾妻は結界の外では能力が極端に弱体化するタイプの魔法少女なのである。結界の外と中では、能力で出来る範囲がかなり変わってくるのだ。
鶫には大口を叩いていた吾妻だったが、結界の外で互いに万全の状態での戦いになった場合、相手がA級の魔法少女ならば正直勝つ確率はそんなに高くはない。
そんな有様なので、吾妻としては壬生が弱ってくるまでなんとか時間を稼ぐしか選択肢がない。
まあ、吾妻の能力はかく乱や隠密に向いているので、時間を稼ぐこと自体は容易だ。
……儀式に立ち会えないのは残念だが、壬生に限界が来るまで中心地から引き離しつつ足止めをする、というのがこの場における最適解だろう。
吾妻がそう作戦を考えていると、ざり、と砂が擦れるような音が上の方から聞こえてきた。
上を見上げ、震える声で
「……なんで、私が此処にいるのが分かったの?」
「はは、――それは内緒だ」
そこには真っ赤な夕日の逆行を背にし、吾妻を見下ろすように壬生が立っていた。
◆ ◆ ◆
吾妻が壬生に完全に捕捉されたことを皮切りに、戦闘が開始された。
吾妻が使用できる能力は影による攻撃と移動と妨害、そして転移である。
影での移動と転移は混同されやすいが、影での移動はあくまでも地続きのものであり、空間ごと移動する転移とは全くの別物である。
そして吾妻の転移能力は葉隠桜の転移とは異なり、結界の外では重さによる回数制限もある上、転移させる物の条件も厳しくなっている。
だが、それでも戦闘における使い勝手においては葉隠桜よりも上だと吾妻は自負していた。
たとえば葉隠桜は自分自身+αのパターンでしか転移ができないが、吾妻は自分自身は転移せず、物や現象だけを移動することができる。
つまり何が言いたいのかというと、たとえば相手が何かを投げつけてきたとして、それを相手の背後に出現させてぶつけたり、進行方向に障害物を出して攻撃を妨害したりすることができるのだ。
……まあ自分の神の結界内だったなら、相手の腕ごと転移で飛ばすことも可能なので、むしろ魔獣戦では影による攻撃よりもそちらの方がダメージが大きかったりする。
だが残念ながら、現在の場所――結界の外では相手の体を千切るような転移はできない。
それは恐らく政府にも知られているので、恐らく壬生にも情報は共有されているだろう。
そうなってくると壬生が飛び道具を使用することはまずないと吾妻は考えていたのだが、壬生はそんなことお構いなしに斬撃の間にナイフや針などを投げつけてくる。
もちろん吾妻も、そのナイフを投げられた勢いもそのままに壬生の死角に送り返すのだが、コンマ数秒のタイムラグの間に、まるで獣のような察知能力でひらりと避けられてしまう。
……こちらとしても、事前に壬生が移動しそうな場所を推測してナイフを転移させているのだが、何故壬生は平気な顔をして避けられるのだろうか。
結界の補助も無いというのに、はなはだ疑問である。
壬生の得体の知れない動きに怯えながらも、吾妻は横にある廃墟を影でなぎ倒し、壬生から距離を取った。相手の攻撃のペースに飲まれるのは避けたかったからだ。
一方壬生は降り注ぐ廃墟の破片を難なく手に持った刃で軽く振り払い、静かに吾妻の方を見つめて言った。
「いつまで逃げ続けるつもりなんだ? もうすぐ日も落ちてしまうし、うっかり切り刻む前に投降してほしいんだが」
平然とそんな台詞を言ってくる壬生に対し、吾妻は苛立った風に答えた。
「……ふん、軽口を叩くのは別にいいけど、貴女もそろそろ体が限界なんじゃない? 降参するなら、こっちだって命までは取らないけど?」
――戦いを始めてからすでに十分が経過している。
いくらやせ我慢をしようとも、壬生だって大した時間は残されていないはずだ。
「限界? まあ、吾妻さんがそう思うならそうなんだろうな。存分に手加減をしてくれてもいいぞ!」
壬生はいつものように溌溂に笑ってそう告げた。
――そこで吾妻は、壬生の動きが戦い始めてからまったく鈍っていないことに気が付いた。
懐に切り込む刃は重く鋭く、走る紫電は影をかき消し道を切り裂いていく。生ける雷神が如きその有様は、まったく輝きを失っていなかった。
「どういうこと? いくら対策を取っていたとしても、拒絶反応の浸食は進んでいるはずなのに……!」
壬生の猛攻に押され気味な吾妻は、そう焦ったように叫んだ。
そして壬生は手に持ったナイフをくるりと回しながら、平然とした顔でこう答えた。
「ああ、それならもう既に
◆ ◆ ◆
――時は遡ること九ヶ月前。
遊園地での失態を恥じた壬生は、十華になってから初めてその権力を行使し、政府へ要望を出した。
――それが、結界内における拒絶反応克服計画である。
政府にどうにか頼み込み、戦闘中の魔法少女の結界内に立ち入る許可をもぎ取った壬生は、普段の仕事や学業の間に、秘密裏に検証を進めていった。
協力を依頼した魔法少女は、主にE級やD級の魔法少女だったが、決して迷惑を掛けないことを条件に何とか許可を得たのだ。
その中には検証中に魔獣に負けそうになり、壬生が無理を押して参戦して事なきを得た魔法少女も何人かいたのだが、それはまた別の話である。
検証回数は九ヶ月で約百回。五十回を超えてからは、発現する拒絶反応の傾向が分かってきたので、克服のために親しい魔法少女――鈴城に相談し、拒絶反応と真逆の効果がある毒を用意してもらったのだ。
後の五十回は、飲む毒の量や、結界から出た後に必要な解毒剤の量の調整をした。
時には毒の量を誤り血反吐を吐くこともあったが、まあ死ななければ安いものである。
そうした地道な検証と努力の期間を経て、壬生は他人の結界の中でも無理なく動き回れる方法を手に入れたのだ。
無論それは壬生の超人的センスと、鈴城という毒のエキスパートの全面協力があったから可能だっただけで、他の魔法少女は真似したとしても失敗する可能性の方が高い。
……まあ結局のところ、拒絶反応を克服したところで他の魔法少女の結界内ではサブスキルしか使えないので、戦闘の役には立たないのだが。
――だが、今回の派遣に限ってはその特異性が上手く嵌った形となる。
派遣場所は赤口町――禁足地となっている場所であり、降臨に失敗した神の残滓が人に害をなしている祟り場である。
暫定だが魔法少女を相手にする以上、拒絶反応を克服している壬生が選ばれるのは当然の結果といえる。
ただ問題があるとすれば、いくら拒絶反応を打ち消しているとはいえ飲んでいるのはあくまでも毒なので、体にはそれなりの負荷が掛かるという点だろうか。
効果にも多少のブレがあるので、まともに戦える時間は六十分くらいが限界だろう。
――だが、それくらいの時間があれば十分だ。
遠野からの
主犯格である人間に関しては、命さえ残っていれば多少の怪我は大目に見てくれるそうだし、この様子であればまず負けることは無いだろう。
――なら、少しくらい気を抜いてもいいのかもしれない。
うっかりザックリいったとしても、まあきっと罪には問われないだろう。
ストッパーである契約神が不在なことも相まって、壬生の悪癖がちらりと顔を出した。
「一つだけ吾妻さんに聞きたいことがあるんだけど、いいか?」
「なに? 帰り道でも知りたくなった?」
壬生の唐突な問いに、吾妻が怪訝そうに聞き返すと、壬生は子供のように笑って言った。
「魔法少女は、長く活動を続けていると生身のままでもそれなりに頑強になるらしいんだ。――吾妻さんは、どれくらいだったら刺しても大丈夫なのかな?」
ニコニコと無邪気に笑ってそう告げた壬生を見て、吾妻は引き攣った笑みを浮かべた。
「……貴女、頭がおかしいんじゃないの?」
「はは、そんなに褒めないでくれ。照れる」
壬生はそう言って本当に照れたように笑うと、スッと手元のナイフの背を愛おしげに撫でた。まるで、これから先の楽しみを予見するかのように。
あとがき
おかしいな、どっちが悪役だったっけ?
それはともかく、壬生の派遣は現時点での最適解。対人で戦うことにも一切躊躇が無いし、持ち前の勘のおかげである程度の初見殺しは防げるので。
一方の吾妻は、万全な状態だとしても結界の外ではそんなに強くはない。魔獣との戦いで輝くタイプ。人生って上手くいかないもんだね。
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