第183話 選択の時

 クスクスと笑いながら、吾妻は楽しそうに目を細めた。人の心を甚振って何が楽しいのかは分からないが、きっとそれだけ鶫のことが憎いのだろう。


……吾妻は復讐ではなく大義の為だと語っていたが、どう贔屓目に見ても個人の感情を優先している様に思える。

――本当に、この有様がネメシスの肯定する正義なのだろうか。鶫には、とてもそうは思えなかった。


 そうしている内に吾妻は千鳥の方へと目を向けると、ふと思いついたかのように口を開いた。


「――それにしても、お姉さんの人生も波乱万丈だよねぇ。実の母親はあの朔良紅音で、そのせいで教祖サマに目を付けられて生贄として攫われて、結果的に母親は死亡。そして誘拐犯の弟は何食わぬ顔をして自分と一緒に暮らしてて、家族ごっこを強要してくるとかさぁ。……うわ、言葉に出してみたら想像以上に地獄みたいな状況だね。お姉さんメンタル大丈夫?」


 うわぁ、と吾妻は哀れなモノを見る目で千鳥を見て、そっと鳥肌を擦るような仕草をした。言葉では心配しているようにも聞こえるが、どう考えても小馬鹿にしている。

 一方の千鳥は、吾妻に何を言われても俯いたまま黙り込んでいて、何を考えているのか全く読み取ることが出来ない。


 そんな千鳥の状態を見かねたのか、朝倉が諌めるように口を出した。


「あんまりこの子を虐めないでやってくれ。この子自体は何も悪いことはしていないんだから、そんな風に言ったら可哀想だろう?」


「えー、でも朔良紅音が邪魔をしに来なかったら儀式は成功してたかもしれなんだよ? ならその原因を作った彼女にだって、少しは責任があると思うけど。文句くらい言ってもいいんじゃない?」


「……君の気持は痛いほど分かるが。だが、だからといって傷ついている子を責める様な真似はよくないよ」


 そうして朝倉が吾妻を宥めていると、不意に大広間全体にビリリと電気が走るような衝撃が起こった。

 鶫はハッとして辺りを見渡したが、特に攻撃を受けたような気配はない。

 不思議に思い吾妻の方を窺うと、吾妻は不満そうな顔をして朝倉に向かって話しかけた。


「……どうやら招かれざる客が街の中に入ってきたみたい。想定よりも早かったね」


「数は?」


「恐らく単騎。この移動速度だと、多分高ランクの魔法少女だと思う」


――招かれざる客。つまり、政府からの助けが来たのかもしれない。

 そんな期待を抱くが、一抹の不安が残る。

 この地が汚染されている限り、普通の魔法少女は長時間は行動できない。流石に何らかの対策は取っていると思うが、戦いになれば不利になる可能性が高いだろう。


「ふむ、任せても大丈夫かい?」


 思案気に髭を撫でた朝倉が吾妻にそう問いかける。


「問題ないよ。いくら魔法少女であろうとも――いや、魔法少女・・・・だからこそ此処ではまともに動くことは出来なくなるからね」


 吾妻はそう言うと、鶫の方を向いて口を開いた。


「この街は、もう既にかの神の腹の中。儀式の前とはいえ、十分に神の力は浸透しているからね。岐の神の適性がない人間には、この街そのものがに変わる。他の魔法少女の結界の中に入った事のあるアンタなら、何となくその感覚が分かるんじゃない?」


「……まさか、あの遊園地の時と同じ状態に?」


 そう言って鶫は目を見開いた。

――契約していない神の結界の中に入った場合、魔法少女には重いデバフが課せられる。

 今のこの街が、その状態だとでもいうのか。

 鶫の場合は体の中がぐちゃぐちゃになりそうな程の不快感だったが、どんな効果が当たったとしてもまともに戦えるとは思えない。

……最悪の場合、政府からの助けは期待できないかもしれない。


「どんな魔法少女がこの場に来たとしても、そんな酷い状態で万全の私に勝てると思う?――ふふっ、残念でした。誰もアンタを助けてなんてくれないよ」


 吾妻はそう鶫に告げると、くるりと扉の方を向いて言った。


「じゃ、私は足止めしてくるから。後は先生が進めておいてね」


「ああ。――どうか気を付けて」


 そう朝倉が声を掛けると、吾妻は足元の影にするりと滑り込み、その場から消え去った。恐らくは転移で侵入者の元へと移動したのだろう。


……この街へ入ってきた人の安否は気に掛かるが、まずは目の前の問題を解決しなければならない。

 考え様によっては、むしろ非戦闘員である朝倉一人しかいない今は好機と言っていい。吾妻が残っていれば間違いなく制圧されていただろうが、朝倉だけならこの拘束さえ外すことが出来れば無手でも勝機はある。


 不安があるとすれば――千鳥・・がどう動くつもりなのかだった。


 もし千鳥が朝倉から儀式の説明を受けているならば、それに潜む危険性だって千鳥ならば理解できるはずだ。たとえ鶫に思う所があったとしても、吾妻達の味方になることは無いと言い切れる。

 こちらの指示に従ってくれるかどうかは未知数だが、被害を減らすためと言えば納得してもらえるだろう。


 そこまで考え、鶫は小さくため息をついた。

……本当はそんな建前を並べたいわけじゃない。ただ自分は、千鳥と話をする際に他人行儀に対応されたり、敵意を向けられたりするのが怖いだけだ。

嫌われる覚悟はできていたけれど、やはり千鳥の言葉に傷つく心まではどうしようもない。


 それでもこのまま目を逸らし続けるわけにもいかないので、どうにかして千鳥と接触を取らなければいけない。


 そう鶫が考えこんでいると、朝倉が千鳥に近づいて話だした。


「まだ時間もあることだし、彼と好きなだけ話をするといい。これが最後・・になるのだから、後悔の無いようにしないとね」


 朝倉はそう言って、千鳥の背を鶫の方に軽く押した。


……どうやら朝倉も吾妻と同様に、鶫を贄にすることを何とも思っていないらしい。

病院で話をした際はそこまで非友好的な感じではなかったのだが、それだけ擬態が得意だったということだろうか。人間不信になりそうだ。


 背を押された千鳥は一度狼狽えるように鶫を見ると、何かを決意したかのようにキュッと唇を結びながらゆっくりと鶫の方に歩き始めた。

 そうして転がされている鶫の前にスッと膝をつくと、千鳥は後ろを振り向いて朝倉に告げた。


「……ごめんなさい。話す場を作ってくれたことには感謝しますけど、話の内容は人に聞かれたくないんです。朝倉さんは少し離れていてもらえますか?」


 すると朝倉は少し悩む様な仕草を見せたが、やがて小さく肩をすくめ、頷いて言った。


「まあ、別に構わないよ。時間になったら引き離すが、それでもいいかい?」


「はい、大丈夫です」


 そう千鳥が返事をすると、朝倉は台座から離れた壁際へと歩いて行った。どうやら本当に邪魔をする気はないらしい。


 一方の鶫は、千鳥の足元を見つめながら小さく身構えていた。

……千鳥とは長い付き合いなので、彼女がどんな激情に駆られていたとしても即暴力に訴えることはないと確信していたが、やはり反応が読めないというのは怖い。


 断罪される前の悪人はこんな気持ちなのかな、と心の中で現実逃避をしながら、鶫は千鳥が話し出すのを静かに待った。


――だが、千鳥の口から出たのは鶫にとって予想外の言葉だった。


「――私はね、鶫のことを恨んでないよ。それだけは覚えておいて」


「……え?」


 鶫が聞き返そうとしたその瞬間、千鳥は鶫の口にそっと指を翳し、静かに首を横に振った。


「少しだけ、私の話を聞いて欲しいの」


 千鳥はそう言って、しっかりと鶫の目を見つめた。





◆ ◆ ◆





 素直に千鳥の言葉に従い黙って話を聞く体制になった鶫に対し、千鳥はホッと息をはいて微笑んだ。

……今の姿が姿なので違和感があったのだが、やはりどんな姿をしていても鶫は鶫のままだ。それに少しだけ安心した。


「朝倉先生から色々な話を聞いて、私も少しだけ過去のことを想いだしたの。……もう十年以上前のことだから、曖昧な所も多いんだけどね」


 千鳥はそう言って、困ったように眉を下げた。


――朝倉から話を聞いた後、何かの鍵が外れたかのように過去の記憶と感情が次々と蘇ってきた。だがそれも断片的なものがほとんどで、理解できない部分も多かった。

 特に大火災の日は記憶の抜けが多く、母がこの大広間の天井に穴をあけて助けに来てくれたことまでは覚えているが、その際に何があったのかまでは詳しく覚えていない。ただ、何もかもが恐ろしかったことくらいしか思い出せなかった。


――けれどそんな断片的な記憶でも、一度に思い出すには量があまりにも多すぎた。

 母のこと。祖父のこと。幼い頃に亡くなった父のこと。そして十一年前の真実を知った動揺と、鶫が何も教えてくれなかったことへの悲しみ。その全てがごちゃ混ぜになって、千鳥は意識を失わないようにするだけで精一杯だった。


 そんな有様だったので、千鳥は碌な抵抗もせず朝倉に言われるがままこの廃墟の中へと連れて来られたのだ。

 その間に儀式の危険性や、吾妻たちとの因縁も色々と説明はされたが、上手く頭の中には入ってこなかった。

 自分の血筋のことも、沙昏お姉ちゃんがした事も、十一年前に起こった事件も、鶫が葉隠桜だったことも、どれもが重大すぎて何から考えればいいのか千鳥には分からなかったのだ。


 そうして呆然としたまま葉隠桜の姿をした鶫と引き合わされて、千鳥はようやくこれが現実であると理解した。


 その時の衝撃を思い出し、千鳥は苦笑して言った。


「不思議だよね。今まではあんなに沙昏お姉ちゃんに似ていると思っていたのに、しっかりとよく見たら表情の作り方が鶫そっくりなんだもの。……ちゃんと見ていたつもりでも、本当は何にも見えてなかったんだね」


 今にして思えば、葉隠桜の名が知れ渡ったのはあの日――千鳥が箱根の魔獣出現に巻き込まれそうになった時からだ。

 世間の人々はあの日のことを高潔な行いだと讃えていたけれど、葉隠桜が何のために勝ち目のない戦いに挑んだのかなんて、自惚れでなければ千鳥わたしが逃げる時間を稼ぐためだったとしか考えられない。

 その無償の献身を、愛と呼ばずになんと呼べばいいのだろう。


――昔から鶫は、いつも千鳥のことを助けてくれていた。

 きっと鶫自身にはそんなつもりはないだろうけど、何か問題が起こりそうな時は、そっと手を貸してくれていたことに千鳥はちゃんと気付いていた。


――それに対し、今の自分が本当に大切にすべきモノは何なのだろうか。


 自分を守って死んでしまった母親か。もしくは義理ではなく実の祖父だった夜鶴か。それともずっと千鳥に嘘をついてきたおとうとか。

 混乱でぐちゃぐちゃになった頭の中を少しずつ整理していって、それでも最後に残ったのは――やはり家族つぐみに対する愛だけだった。


 するりと指で鶫の頬を撫で、千鳥は囁く様に言う。


「もしかしたら鶫とは血が繋がってないのかも、とは昔から少しだけ思ってた。――でも、本当にそれって重要なのかな。血が繋がってなければ、本当の家族ではいられないの? ……私は、そうは思わない」


 大人が想像しているよりも、子供の十一年という時間はあまりにも大きい。


 千鳥は現在十八歳――つまり七歳の頃から鶫と一緒に生きてきた。それは全ての認識を書き換えるには十分な時間だ。

……自分でも薄情だと思うが、いくら鶫が実の母が死ぬことになった遠因だったとしても、人生の半分以上を共に過ごしてきた家族を嫌いになれるはずがなかった。


 あの日々が全部嘘だったとは千鳥には思えないし、思うつもりもない。

きっと鶫だって、同じように思っていたから真実に口を噤んで千鳥の側にいてくれたんだと思う。


――七瀬千鳥は、七瀬鶫を誰よりも大切に思っている。

 それだけはきっと何があっても揺らがない。


 そんな大事な鶫を、こんな訳の分からない儀式なんかで失う訳にはいかなかった。たとえ、誰を敵に回したとしても。


 そして今、あの日の焼き直しのように儀式の舞台は整えられ、鶫の命が脅かされそうになっている。……根拠はないが、過去の儀式の時よりも嫌な気配が増している様に見えた。たとえこれが日本を救うための壮大な計画だったとしても、鶫が犠牲になる時点で千鳥には何の価値もない所業だ。


……本当に、朝倉は何故千鳥をこの場に連れてきたのだろうか。

 純粋に善意で、家族として過ごしてきた鶫とのお別れを千鳥にさせてあげたかったのか、事実を突きつけ、儀式を台無しにした母の娘である千鳥の心を傷つけたかったのか。そのどちらだとしても、朝倉の価値観が歪んでいることは確かだった。


 恐らくだが、朝倉と吾妻は千鳥が鶫のことを責め立てるのを期待していたのだと思う。そんなこと、世界がひっくり返ったとしてもありえないのに。本当におかしな人たちだ。


――彼らの思惑がどうあれ、こうして鶫と二人だけで話す機会を得られたのは運が良かったのかもしれない。ここから逃げ出すために、話し合うことができるのだから。


 鶫は両手足を縛られていて能力も使えないようだし、千鳥自身も首と手に枷を付けられ能力と神様への連絡を封じられている。

 それでも、これからやるべき事ははっきりしていた。


「聞きたいことはたくさんあるし、話したいことだって山のようにある。鶫だって、私に話さなきゃいけないことがたくさんあるでしょう?」


 そう千鳥が問いかけると、鶫は遠慮がちに小さく頷いた。その姿がまるで悪戯をして叱られた子供のようで、可愛く思えた。


 千鳥はそっと両の手で鶫の頬に触れ、しっかりと目を合わせた。


「これから、とっても大事なことを言います」


 千鳥の想いが伝わるように、心を込めて口にする。

――どうかこの気持ちがちゃんと鶫に伝わりますように、と願いながら。


「一緒に生きて家に帰ろうよ、つぐみ。私は過去に何があったとしても、鶫のことを大事な家族だと思ってる。私は全部許すから。だから鶫も、これ以上自分を責めないで」


 千鳥がゆっくりとそう告げると、鶫はハッと目を見開き、泣くのを堪えるかのようにキュッと口を閉じると、やがて震える声で小さく「ありがとう」と言った。



◆ ◆ ◆



――過去の事実を知ってから、鶫がどんなに悩んできたのかを千鳥は知らない。


 そして今回の言葉がどれだけ鶫にとって救いになったのかも、千鳥は一生知ることはないだろう。


 知らなくていいと、鶫は思う。こんな重たい感情なんて、きっと千鳥には似合わないから。


――本当は、千鳥一人だけでもなんとか逃がせればと考えていた。けれど、きっと千鳥はそれを許さないだろう。せっかく許しを得たのに、そんなことになってしまったら本末転倒だ。


 そして鶫は、千鳥の言葉を信じ、一つの決断をした。




◆ ◆ ◆




 鶫は嗚咽を堪えるように無理やり息を整えると、小さな声で千鳥に言った。


「ここから逃げるための、作戦が一つだけある。少し大変かもしれないけど、千鳥も協力してくれるか?」


――そんな風に聞かれなくても、千鳥の答えは最初から決まっていた。


 戦いの才能がない千鳥には出来ることが少ないかもしれないが、この場を切り抜けるためなら、やれと言われたら何でもやる心積もりだった。そうして千鳥は晴れやかに笑い、答えを告げた。


「うん、もちろん!」





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