第181話 ルール違反

 バシャリ、と冷たい水を掛けられ、鶫は重たい目蓋を開けた。


 鶫の目の前には水の滴るバケツを持った吾妻が立っており、嗜虐的な笑みを浮かべていた。随分と手荒い起こし方である。

……吾妻には以前からほんのりと嫌われているような気がしていたが、やはり予想は正しかったらしい。


「随分と遅いお目覚めなんだね。仮にも魔法少女の癖に、ちょっと危機感が足りないんじゃないの?」


「……はぁ、そうかもしれないですね」


 そんな吾妻に鶫は適当な返事を返し、ゆっくりと自分の状況を確認した。


 場所は意識を失う前と一緒で、建物から特に移動した様子はない。そして壊れた天井から見える空は夕日によって赤く染まっていて、気を失ってからそこまでの時間は経っていない様だった。おそらくは、一時間程度しか経過していないだろう。


 そして自分の体を見下ろしてみると、鶫が元々着ていた服は全て脱がされ、白い病院の手術着のようなものが着せられていた。

……妙に濡れた布が肌に張り付くことを考えると、どうやら下着も全部脱がされているらしい。

 こちらが何を隠し持っているか分からない以上、そんなこともあるかもしれないとは思っていたが、実際に脱がされると複雑な気分である。まあ、全裸じゃなかっただけまだマシな方だろう。


 両手足はチクチクする縄のような物で縛られており、ほぼ身動きが取れない。それに加え何らかの妨害処置をされているのか、スキルを使おうとしても思うように発動できなかった。

 どこでこんなアイテムを用意したのだろうか。気にはなるが、きっと聞いても答えてはくれないだろう。


 さて、と思いながらズキズキと痛む頭を上げる。

 現段階で殺されていない以上、こちらに何かしら要求、もしくは行わせたい事があるのだろう。それが政府に対してか鶫に対してかは分からないが、恐らくその条件が満たされるまでは鶫の命が奪われることは無いはずだ。


 つまり、今ここで鶫がどんな態度を取ろうが、吾妻はすぐに鶫を殺せない。付けこむ隙があるとすれはその辺りだろう。


――とりあえず、情報を得るためにまずは軽く揺さぶってみるか。

 鶫はそう冷静に考えると、静かに言葉を吐き出した。


「貴方たちの目的は分かりませんが、こんな行き当たりばったりの犯行が本当に成功するとでも? 政府は決して無能じゃない。探索に向かった【葉隠桜】が帰ってこないと分かれば、すぐにでも行動を起こすはずです」


 少なくとも、日付が変わっても連絡が無かった場合、きっと遠野が動いてくれるはずだ。むしろ、こちらに無理を言って送り出した側なのだからちゃんと動いてくれないと困る。


 すると吾妻は、フンと鼻を鳴らして言った。


「そんな心配されなくても、こっちは全部織り込み済みで動いてるの。政府が対策を練っている間に全部終わらせる予定だから。アンタは黙ってそこに座ってればいいの」


 そう告げた吾妻に、鶫は不思議そうに小首を傾げて言った。


「……黙って、ですか?どうして私が貴女の指示を聞かなければならないのですか?」


「は? 自分の置かれてる状況がまだ分かってないの? アンタの大事な姉がどうなってもいいわけ?」


 吾妻は奇妙なモノを見る目で鶫を見ると、脅しのようにそんな言葉を口にした。

 まあそんな返答は予想していた。恐らく吾妻には、この期に及んで減らず口を叩く鶫の心理が理解できないのだろう。


――だが本当に脅しをかけたいならば、鶫の隣に千鳥を転がしてナイフをチラつかせるのが一番効果的なのだ。

 憶測ではあるが、そういった分かりやすい方法をとっていない以上、今すぐ千鳥が害される可能性は低いと鶫は判断した。


――それ故に、付け入る隙はある。


「千鳥のことを巻き込んだのは悪手でしたね。本当に彼女を捕らえているにせよ、ブラフにせよ、彼女の身の安全が保障されない限りこちらが言う事を聞いてやる義理はありません」


「へえ? じゃああの子の指の一本でも持ってきたら、黙って言うことを聞いてくれるわけ?」


「命が惜しくないのであれば、どうぞお好きに。彼女の契約神はそれはもう強くて恐ろしい御方ですから。魔獣との戦いでもないのに千鳥が理不尽に害されたと知れば、ルールなんて関係なく怒り狂うでしょうね。そうなれば、あなた方の計画とやらもご破算になるでしょうけど」


 鶫は淡々とそう告げると、ニコリと綺麗な笑みを浮かべた。

――まあ実際に正直そうなった場合、シロがどう動くのかはさっぱり分からないのだが。

 少なくともこう言っておけば、千鳥に手を出そうとしても相手に躊躇いが生まれるだろう。時間稼ぎのネタは多ければ多いほどいい。


……けれどシロと出会って半年以上が経つが、鶫は未だにシロのことは理解しきれないでいた。

 千鳥や鶫のことを家族と言うわりにはあまり執着している様には見えず、あえて例えるならごっこ遊びをしているようにしか見えない。

 それでもシロなりにこちらを大切には思っているのだろうが、あまりにも感性が神様然としすぎていて意図がいまいち読み取れない時の方が多いのだ。ベルの方がよっぽど分かりやすいくらいだ。


……正直シロが助けに来るかどうかも自信がないが、以前の映画館での千鳥誘拐事件の後、シロは事件の間ずっと所在不明だったせいで方々からお叱りを受けていたので、今回は何かあればすぐに動いてくれると信じたい。


――それにシロは、本人は名言こそしていないが天照の敷くルールから少し外れた存在だと鶫は思っている。そうでなければ、普通は何のペナルティも無しに鶫――他の神と契約した人間と直截触れ合えるはずがないからだ。


 ルールを気にしなければ救出方法はいくらでもあるだろうし、シロさえ動いてくれれば千鳥の身の安全は確実だろう。千鳥の安全さえ確保できれば、こちらは最悪どうとでもなる。


……吾妻に気絶させられる前にシロの事が頭に浮かべば良かったのだが、混乱した頭では到底思いつかなかった。その辺りは少し反省である。


「軽口を叩く余裕があるようで何より。――だけど、いい加減ウザイんだよお前」


 吾妻は苛立ったようにそう呟くと、スッと鶫に近づき鶫の無防備な腹を蹴った。

 殺意こそ感じなかったが、そこそこの威力がある鋭い蹴りである。

 鶫は急な衝撃にゴホゴホと咳込みながら丸くなり、胃の不快感を飲み込んだ。……吾妻は、思っていたよりも堪え性がない。


「女装癖の変態がごちゃごちゃとうるさいんだけど。そもそも正体がバレてるくせに、なに、その話し方。魔法少女のロールプレイでもしてるわけ? 前から思ってたけど、アンタほんと気色悪いよね」


「ゲホッ、ゴホッ、……はは、それでも国賊よりはずっとマシだと思いますけど」


 息も絶え絶えに鶫がそう皮肉を返すと、吾妻はつまらなそうに鼻で笑った。


「未曽有の大火災を引き起こした分際で、よくそんなことが言えるよね。鏡を見たほうがいいんじゃない? ――ま、死にぞこないにこんな事言っても無駄か」


 吾妻はそう吐き捨てるように言うと、徐に鶫の前にしゃがみ込んで一枚の写真を差し出した。

 そこには吾妻に似た幼い少女と、優しそうな二人の男女が映っている。

……もしかして、吾妻の両親だろうか?


「この二人のことは覚えている? 一応、黎明の星の信者だったんだけど」


「……いいえ、記憶にありません」


 鶫は特に偽ることはせず、軽く首を横に振ってそう答えた。

 断片的には記憶があるとはいえ、子供の頃の事を全てを思い出している訳ではない。

 特にあの頃出会った大人の顔に関しては、数人くらいしか思い出せていなかった。その記憶の中に、この男女は居なかったように思う。


「ふうん。この人たちは事あるごとに教祖サマとアンタの話をしてたんだけど、随分とまあ薄情なことで。あーあ、かわいそ」


 吾妻はそう言って写真をしまうと、世間話をするかのように話し出した。


「朝倉先生が言うには、この人達――私の両親はかなり熱心な信者で、あの神降ろしの日にもこの建物の中に居たんだって。つまり、この人たちはあの大火災の日に教祖サマや他の信者たちと一緒に燃えて死んじゃったってわけ」


 吾妻はふっと小さく笑うと、静かに言葉を続けた。


「私は中心部から離れた自宅で留守番をしていたから何とか逃げられたけど、二人は服の切れ端すら戻ってこなかった。政府に訴え出ても何も答えてくれなくて、とても悔しい思いをしたのを今でも覚えてる。……もし儀式が成功さえしていれば、あんな思いはせずに済んだのかもね」


「……それは」


 鶫は何も答えることが出来ず、目を伏せた。


――あの儀式の日にこの施設の近くに居た人達は、神力による汚染のため遺体が残っていたとしても遺族に返還はされなかったと聞いている。きっと吾妻の両親の御遺体も、政府の手によってひっそりと処理されたのだろう。

 その事実を吾妻が知っているかどうかは分からないが、生き残ってしまった鶫や、遺族の訴えを黙殺した政府を恨むには十分な理由だろう。


 やはり、目的は復讐なのだろうか。そう考えると、やり切れないものを感じる。


……黎明の星が掲げた目標は、決して『悪』ではなかった。

 降ろした神の力によって裂け目から降りてくる魔獣を制御し、一般人や魔法少女の被害をゼロにする。言葉だけ見ればまさに理想的なシステムだろう。

 最終的には失敗に終わったものの、あの儀式が成功していれば世間は掌を返したように彼らを英雄扱いしていたはずだ。


――だがそれは、成功していればの話だ。

 人の身に神を降ろして意のままに操るなんて、そもそも成功するはずがなかった。

 それは正式な贄――鶫が器になっていたとしても結末は変わらなかったはずだ。それこそ奇跡でもない限り、成功する可能性はゼロに等しかったことだろう。

 まあフレイヤの様な天照の支配から逃れた強力な神が手を貸すなら話は別だが、あんな存在がその辺にゴロゴロいるわけがないし、考えるだけ無意味だろう。


 だが鶫のそんな考えが透けて見えたのか、吾妻は不快そうに鶫を見つめて言った。


「どうせ成功なんてするはずがなかった。そう言いたげな顔してるよね。まるで他人事みたい。――でも本当に? 本当に失敗するって最初から決まってたの? 途中で計画の変更さえしなければ、上手くいっていたんじゃないの? どうして無駄だと決めつけるの? 両親のやってきたことは、全部意味のないことだったとでも言いたいわけ? ――たとえそうだったとしても、お前にだけは・・・・・・言われる筋合いはない」


 吾妻はそう吐き捨てると、謎の文様が描かれた床を強く踏みつけた。


「私は絶対に証明してみせる。お父さんとお母さんのしていたことは、絶対に間違えていなかったってことを。――そのためには、気に食わないけどアンタの存在が必要なの。正当・・な生贄としての、ね」


――儀式の証明。正当な生贄。その言葉から連想できる推測に、鶫は言葉を取り繕うことも忘れ、思わず声を荒らげて叫んだ。


「まさか、あの日の儀式を再現するつもりなのか!! 本気で言っているのか!?失敗したらどれだけの被害が出ると思っているんだ!!」


 もし本当にそうならば、あまりにも馬鹿げている。まだ復讐が目的だった方がマシなくらいだ。


――この地には未だに穢れた神の力が蔓延している。それだけでも危ういのに、もしまた儀式が失敗すれば今度はどれだけ被害が拡大するか分からない。普通に考えれば、それが予想できないはずが無いのに。


「あは、やっとすかした態度をやめる気になったの? そっちの方がいいよ。人間っぽくてさ」


 そう言ってケラケラと笑いだした吾妻に、鶫は苛立ちを覚えた。

 魔花の事件に関わっているであろうことからまともな人間性は期待していなかったが、あまりにも無辜の人命を度外視しすぎている。


「茶化すな。質問に答えろ」


「はあ、つまんないの。――そうだよ。私と朝倉先生は、あの日従えるつもりだったくなどノ神をこの地に降ろして《黎明の星》の正しさを証明するの。いいよね、別に。どうせアンタは十年も前に死ぬ予定だったんだし」


 そうして吾妻は、うっそりとした笑みを浮かべた。


――岐ノ神。初めて聞く言葉だが、今はそれを追及している暇はない。


「……絶対に上手くいくわけがない。そんなのお前たちだって分かっているはずだ。こんなずさんな計画が本当に成功すると思っているのか?」


「思ってるよ? アンタは知らないだろうけど、準備自体はずっと前に終わってるの。大変だったけど、儀式を行うために必要な供物も集め終わったしね。――だから私たちは、餌を撒いて最後のピースが揃うのを待っていた。どうせこの禁足地に入れるのは耐性があるアンタくらいしかいないからね。情報さえ先に手に入れれば後は簡単だったよ」


「供物? ……いや、答えないでいい。そうか、そんなもの・・・・・の為にあんな事件を引き起こしたのか、お前たちは」


 被害を受けた夢路や涼音のことを思い出し怒りに震えながらも、鶫は吾妻の態度を疑問に思った。


――どうして吾妻は、儀式が成功すると信じて疑わないのだろうか。


 当時の黎明の星がどういった理論を持って神を降ろそうとしたのかまでは分からないが、巫女である遠野や、研究者である緋衣、そして神であるベルから見ても、神降ろしがまともに成功する可能性は低かったと言っていた。

 だというのに、なぜ吾妻はこうも自信満々なのだろうか。それは、あまりにも妄信的に思える。


……一つ疑問に思えば、他にも疑問が出てくる。

 吾妻の言った儀式に必要な供物とやらは、間違いなく魔花や連続襲撃事件の時に採取したエネルギーや部位のことだろうが、彼らは何故そんなものが儀式に必要になると判断したのだろうか?

 過去の儀式の前に類似した事件があったとは聞いていないので、それらの供物は過去の儀式では使用していないはずだ。


 それらがもし黎明の星由来のやり方じゃないとすれば、その情報は果してどこから仕入れてきたのだろうか。恐らく他にも儀式関係に詳しい協力者が――


 そこまで思考を巡らせた瞬間、鶫は思い当たった一つの推測に愕然とした。


――きっと、最初から前提・・が間違っていたのだ。

………どうして思いつかなかったのだろう。吾妻がこうして此処にいること自体が、そもそも異常・・なことだったのに。


 パズルのピースが組み上がるように、最悪の絵が出来上がっていく。鶫はどうか外れていてくれと願いながら、静かな声で吾妻に問いかけた。


「一つだけ、聞かせて欲しい」


「なに? 気が向いたら答えてあげてもいいけど」


「――お前の契約神は、天照の契約・・・・・をどうやってすり抜けたんだ?」


 今まで吾妻――そして他の魔法少女が捜査線上に上がらなかったのは、魔法少女が悪事を行わないように契約神が天照の契約ルールによって縛られているからだ。そのルールが適応されないという事はつまり、吾妻の契約している神はフレイヤのように天照の手から離れた強力な存在……しかも明確な政府の敵という事になる。

 そんな存在が政府に紛れ込んでいたなんて考えもしなかった。こちらの情報が筒抜けなのも当然だろう。


 すると吾妻は、何でもないような顔をして言った。


「さあ? でもきっと私が今まで罰を受けなかったのは、私の願いが正しかった・・・・・からだと思うよ」


「……正しい? 何を言って――」


「私の願いを、義憤を、苦しみを、神さまは理解してくれた。想いを美しいものだと言ってくれた。私の復讐を、肯定してくれた」


――バサリ、と耳の奥で鳥の羽ばたきが聞こえる。

――吾妻の背後に、大きな鳥の様な影が見えた気がした。


 吾妻はスッと両手を空に挙げ、謡うように言った。


「私の契約神はネメシス。その名は義憤を意味する者なり。――さあ神罰の時は来たれり、ってね」









********


吾妻蘇芳のモチーフ、ハナズオウの花言葉は「疑惑」「裏切り」「高貴」「喜び」「目覚め」「豊かな生涯」らしい。どれがメインなのだろうか。


もし良ければ下部から「葉隠桜は嘆かない」に対して評価が行えますので、是非ともよろしくお願いします。


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