第180話 疑心暗鬼

 急に自分の本当の名前を呼ばれ、鶫は呆然と朝倉を見つめた。


 人違いだと言おうかとも思ったが、こちらも色々とボロを出してしまっている以上、下手な誤魔化しは利かないだろう。


 それに、今はそんなことに構っていられる余裕はない。

――黎明の星の本拠地にいる以上、どう考えてもこの男は黒である。いつこちらに牙を剥いてくるか分からないからだ。


 鶫が警戒しつつ軽く大広間の観察をすると、奥にある儀式の祭壇のみが綺麗に再現されていた。壁の殆どは黒く焼け焦げたままなので、かなりアンバランスな印象を受ける。

 そして何故か鶫の正面——朝倉の後ろ部分の壁だけがペンキをぶちまけたかのように雑に白く染まっていた。……良く分からないが、何か意味があるのかもしれない。


 鶫は軽く息を整え、静かに話し出した。


「こんな場所に平気な顔をして居られるという事はつまり、そういうこと・・・・・・でいいんですよね、朝倉先生」


「さて、どうかな。私はあまり察しが良くなくてね。はっきり言ってもらわないと分からないんだ」


 そんな鶫の問いに、朝倉は病院にいた時と同じようにそう飄々と答えた。……相変わらず面倒な人だ。


「じゃあ率直に聞きますけど、あなたは黎明の星に所属していたんですか? この様子だと、かなり高い位置にいたと思うんですけど」


 そう聞いたものの、目の前の男が黎明の星に関係あることは確実だった。この汚染された場所で平気な顔をしていられるのが何よりの証拠だ。


 鶫が警戒しながらそう問いかけると、朝倉は軽い様子で口を開いた。


「いかにも。まあそこそこ偉い立場だったんだが、沙昏君とは最後の最後で意見が合わなくてね。神降ろしの儀式には立ち会えなかったのさ」


 朝倉はそう答えると、さも残念だと言いたげに話を続けた。


「……ふむ、実は幼い頃の君にも会ったことがあるのだが、その様子だとどうやら覚えてはないようだね。――ああでも、近くで見ると本当によく似ているね。まるであの頃に戻ったようだ」


 朝倉はそう呟くように告げると、鶫を見て懐かしそうに目を細めた。いや、正確には鶫――葉隠桜を通して沙昏のことを思い出しているのだろう。


……正直なところ、朝倉に聞きたいことは山ほどある。黎明の星のこと。儀式の真相。沙昏が考えていたこと。全部、鶫が知りたかったことばかりだ。


――だが、今それら全てを聞き出そうとするのは悪手だ。

 朝倉が本当のことを言うかどうかも分からないし、彼の目的が分からない以上自分の都合を優先するわけにはいかない。


 そう心の中で思いつつ、鶫は言葉を続けた。


「あいにく、過去のことはあまり覚えていないので。――質問の続きですけど、ここ最近起こっている連続傷害事件について身に覚えはありますか? 私は、此処が犯人の潜伏先だと思っていたのですが」


 すると朝倉は驚いたように目を見張り、不満そうに口を開いた。


「ふうん、教団の話よりもそっちの方が重要なんだね、キミは。私としては、ここぞとばかりに疑問を投げかけられるとばかり思っていたんだが……。どうやら君はすっかり政府の狗になってしまったようだ。沙昏君もきっと草葉の陰で泣いているだろうね」


 朝倉はガッカリしたようにそう告げると、そこで言葉を区切り大仰に両手を開いて言った。


「だが君のその問いに関しては、YesでありNoでもある。――あくまでも私は、あの子・・・の協力者に過ぎないからさ。いやあ、罪のない女性たちを傷つけてしまったのはすまないと思っているがね。大事の前の小事というやつさ」


「……ふざけたことを」


 そう憤りながら答えつつも、鶫は冷静に朝倉を観察していた。こんな軽い挑発に乗るほど、鶫は馬鹿ではないつもりだ。

 情報を精査すると、少なくとも目の前の人物が黎明の星と関わっていたことは間違いない。

 そして連続傷害事件の件だが、朝倉は被害者のことを女性・・と言っていた。事件の概要はおろか、被害者の性別も世間には公表されていないにも関わらずだ。

 それはつまり事件に関わっているか、政府側の情報を入手できる人間かのどちらかということだ。

……まあ、政府指定の病院の副院長である朝倉ならそれくらいは知っていてもおかしくはないのだが、わざわざ鶫の前に顔を出して関与を肯定した以上、無関係ということはあり得ないだろう。


 だから――きっとこの辺りが潮時だ。これ以上朝倉の話に付き合う必要もない。

……そもそも目の前の人物が、本当に鶫の知っている朝倉なのかどうかも断定はできない。だが正直それを疑いだしたらキリが無いので、裏取りは遠野に丸投げすることにする。


――朝倉の話に付き合うのはこれくらいにして、自分は早々に撤退することにしよう。

 そう判断した鶫は朝倉から目を離さず、すっと引く様に一歩足を下げた。

 鶫の今の役割が斥候だとして考えれば十分に情報は引き出せたし、これ以上危険を犯してまで黎明の星かこの話を聞きたいとは思わない。

 相手がどんな力を有しているのか分からない以上、深入りは禁物だ。優先するべきものは今であり、過去ではないのだから。


 そうして鶫が黙ったまま転移を発動しようとしたその瞬間――朝倉がスッと右手を軽く上げ、朝倉の背後の壁に何かが映し出された。


――そこだけ不自然に白く塗られた壁に映し出される、一つの人影。

 荒れ果てたコンクリートの床に手足を縛られて転がされているその人は、鶫が良く知る人物だった。


「ち、千鳥ッ……!?」


 鶫は動揺を隠せずに、千鳥の名前を叫んだ。


 一瞬見間違いかとも思ったが、映し出された女性が着ている服も今日の朝に千鳥が身に着けていた物と同じな上に、何よりも鶫が千鳥の顔を間違えるはずがなかった。


 鶫が睨みつけるように朝倉を見ると、朝倉はやれやれと言いたげに肩をすくめた。


「残念だが、まだ君を帰すわけにはいかなくてね。あの子のことが大事なら、抵抗せずに大人しくしていてくれないかい? 私としても友人の孫を傷つける趣味は無いんだが、場合によっては致し方ないからね。――賢明な判断を期待するよ」


 平然とした顔でそう告げる朝倉に、鶫は心の中で舌打ちをした。

――逃げようとしているのを悟られた。いや、この場合は鶫がそういう行動を取るのを予想していたのだろう。


 だが映像は千鳥そのものとはいえ、それ自体がフェイクという可能性もある。実際の姿を見ていない以上、映像が本物だとは断定できない。


 この瞬間、鶫の頭の中に浮かんだ選択肢は三つあった。

 一つ目は朝倉に言われた通りこの場に留まり、千鳥の安全を保障してもらうこと。

 二つ目は当初の予定通りこの場から離脱し、政府に助けを要請すること。

 三つ目は逆にこの場で朝倉を拘束し、千鳥を開放するように脅しをかけることだ。


 まず一つ目は出来る限り避けたい。

 はっきり言って鶫が大人しく捕まったところで、千鳥が無事である保証は何も無いのだ。それに映像自体がブラフである可能性がある以上、相手の主張をそのまま信じるわけにはいかない。


 そして二つ目は行動としては最も正しいが、本当に千鳥が拘束されていた場合、朝倉とその仲間たちに何をされるか分からない。再度鶫を呼び出すために、千鳥が脅かされる可能性もある。

 その場合は恐らく命までは取られはしないだろうが、彼らがどこまでやるのか分からない以上、安易な判断はできない。


 三つ目は一番乱暴な行為だが、正直これが一番手っ取り早い。

 朝倉自体が捨て石の可能性は否めないが、どんな形であれ鶫がこの場に留まる以上交渉の余地はある。失敗したとしても一つ目の選択肢に移行するだけなので、そこまで悪い手ではないかもしれない。


――鶫がそういった考えに辿り着くまでおよそ五秒。

 普通であれば一呼吸する程度の時間だが――その一瞬が命取り・・・となった。


 鶫が朝倉の背後に転移して不意を打とうと場所を見定めた瞬間、後頭部に強い衝撃が走った。くらり、と視界が歪む。

 思わず鶫が頭に手をやると、ぬるりとした赤い液体が手に付いた。


 ぐらりと揺れる視界の中、鶫は背後から更なる追撃を受け、倒れ込むように膝を突いた。そしてカシャン、と何かが服から落ちる音がしたが、それに構っていられる余裕はなかった。


 鶫が襲撃されたことを悟り急いで転移を行おうとするも、何らかの力に邪魔されて上手く力が使えない。朦朧とする頭であたりを見渡すと、黒い影の様なモノが体に巻き付いていることに気付いた。


――拘束されている。そう気づいた瞬間、鶫は一切の身動きが取れなくなった。


「まったく、これだから転移持ちは厄介なんですよ。すぐ逃げようとするんですから」


 動けない鶫の背後から、そんな台詞が聞こえてきた。

 女の声だ。どこか聞き覚えがあるような気もするが、意識が朦朧としていて頭が働かない。


 流れた血で見えにくくなった視界で女を見やる。その顔を見て、鶫は今までの疑問が腑に落ちたような気がした。


――吾妻蘇芳・・・・がそこに居たのだ。

 十華に選ばれるほどの実力者であり、この呪われた地で起こった大火災の数少ない生き残りだ。

……被害者側の人間だからと敢えて意識から外していたが、彼女は鶫が知る中では最もこの地に縁深い魔法少女だ。千鳥の映像を見せられ精彩を欠いた鶫の背後を取ることくらい、彼女ならば容易だっただろう。


 何故彼女がここに居るのかは分からないが、碌なことじゃないのは確かだ。


「散々転移を悪用している君が言えた義理じゃないと思うがね。――で、儀式・・の用意は整ったのかい?」


 そんな朝倉の問いかけに、吾妻は明るく答えた。


「もちろん。その為に何年も準備を重ねてきたんだから!」


 そう言って吾妻は拘束されている鶫の前に回り込むと、グイッと鶫の頭を掴み無理やり上を向かせた。


「生きてます? でもあれくらいじゃ死なないですよね? まあ、仮にも魔法少女なんだからこれくらいの怪我は問題ないか」


 吾妻はそう言うと、鶫を放り投げるように床に打ち付けた。

 再度の衝撃に意識が飛びかけ、ゴロゴロと無様に床に転がる。床に落ちている物にぶつかり、咄嗟のことで吐き気が込み上げたが、無理やりそれを飲み込んだ。


 そうして鶫の意識が闇へと消える瞬間、吾妻の囁くような声が耳に届いた。


「本当に良かったですね。――漸くお役目が果たせますよ、生贄・・さん」

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