第179話 煤色の町
鶫は赤口町の近くまで転移し、人気のない場所で町を覆っている壁を見上げた。壁の高さは十メートル程あり、一番上には何本もの鋭い有刺鉄線が張られている。
かなり厳重だが、それも無理はない。普通の人間がこの中に入れば、命を落とす危険性が高いのだから。
……だがしかし、今から自分がこの中に入るのだと思うとやはり気が重い。だってこの中には、紛れもない鶫と姉の罪の証が広がっているのだから。
あの大火災のせいで、何人の罪なき人々が命を落としたのだろうか。それを数字で言うのは簡単だが、その重さだけは文字では測れない。
――生き残った被害者や遺族たちは、今でもあの大火災のことを何らかの事故か魔獣の仕業だと思っている。世間に与える影響の大きさを考え、政府の上層部は大火災の真相を隠匿したからだ。
――不可思議な新興宗教。人の手による神降ろし。邪神の祟り。空の割れ目への支配。天照への敵対行為。贄となるはずだった戸籍の無い子供。朔良紅音の生存と死亡。それら全てが、政府にとっては扱いきれない特大の地雷だったからだ。
それ故に、これから先も事件の真相が公表されることはない。
もし鶫が公の場で事件のことを口にしようものなら、即座に凶悪な政治犯として隔離されるに違いない。
……こうして裁かれることもなく、苦しみながら永遠に口を噤む事こそが、鶫に与えられた罰なのかもしれない。
それを辛くないと言えば嘘になるが、この程度の裁きで済んでいるだけまだ軽い方だろう。
さて、と気を取り直しつつ壁を見やる。
中に入る許可は出ているので、そのまま伸ばした糸を壁の上の方に繋ぎ、グイッと引っ張って上へと飛ぶ。そのままひらりと壁を飛び越え、鶫はいとも簡単に禁足地の中へと降り立った。
「……これは、やっぱり酷いな」
目の前に広がる光景に、鶫は呆然とした。
見渡す限りに広がる、黒と灰の入り混じった風景。全てが燃やし尽くされ、十年以上経った今でさえ草木の一本も生えていないその光景は、まさに死んだ土地と言っても過言ではない。
……頭では分かっていたつもりだったが、これはあまりにも酷い光景だ。
神の力というのは、ここまで恐ろしいものなのか。こんなモノを使役しようとしていたなんて、やはり馬鹿げている。
場の空気に中てられたのか何となく胸が苦しい気もするが、恐らくは精神的なものだろう。きっとすぐに収まるはずだ。
遠野が言うには、普通の人間であれば壁の中に入った瞬間から怖気を感じる様な圧が掛かり、まず最初に手足の痺れが出てくるらしいが、今のところそういった症状はない。
鶫はそんなことを考えつつ、警戒しながら探索用の糸を出した。
……ほんの少しだけ、糸の感覚がいつもより鈍い気がする。いくら耐性があるとしても、やはり弱体化の影響は受けるようだ。
いつもであればニ十メートル弱くらいなら糸で様子を探れるのだが、この中だと十五メートルくらいまで感度が下がっている。おそらく中心部ではもっと精度が下がるかもしれない。行動範囲には気を付けるべきだろう。
そうして鶫はフードを深くかぶり、周囲に糸を張り巡らせながら、足音を立てないように静かに走り始めた。回るルートとしては、内側に向かって円を描く様に移動する予定だ。
捜索範囲が広すぎるので町の五分の一くらいしか回ることが出来ないが、一人の力ではそれが限界だろう。
それでも数時間もすれば中心部――大火災の発生源に辿り着くが、その後のことは到着してから考えよう。
「……さて、気は進まないけど行くとするか」
――そうして数時間、鶫は足を止めずに走り続けた。
どこを回っても、目に入るのは煤に汚れた廃墟と乗り捨てられた壊れた車だけ。生き物の気配は全く感じられない。
散々走り回ったが、特にこれといって侵入者の痕跡は見つけられなかった。後に残るのは、中心部の探索だけだ。
今のところ成果はないが、何も見つからないならそれはそれで良かったのかもしれない。
この場所に痕跡が無いということは、つまり黎明の星が関わっている可能性が多少下がるからだ。
鶫自身は黎明の星――沙昏の周りに居た人たちのことを決して嫌ってはいなかった。
鶫の立場上、信者たちからは少し遠巻きにされていたが、基本的には鶫のことを優しく気遣ってくれる人たちばかりだったので、そこまで悪いイメージが無いのだ。
彼らがやってしまったことはともかく、根は善良な人たちだったと鶫は思っている。そんな人たちが、自らの意思で魔花や人を傷つける事件に関わっているとは考えたくなかったのだ。
ふう、と小さく息を吐きながら立ち止まって上を見上げる。
――気が付けば鶫は、中心部にある大きな建物の前にたどり着いていた。
特に見覚えは無いが、何となく馴染みのある建物だ。
……それも当然だろう。この建物――黎明の星の跡地は、鶫が生まれ育った場所なのだから。
こうして外からまじまじとこの建物を見るのは初めてだったが、鶫が思っていたよりもずっと大きな建物だ。その事実だけで、黎明の星がかなりの資金を持っていたことが伺える。
「建物の中に入って見てこいとは言われてないけど、一応確認した方がいいのかな……」
鶫はそうポツリと呟くように言った。
火災の発生源であり、汚染の中心部であるこの場所は、耐性のある者以外は近づくことが出来ないらしい。
鶫としては体が少し重たい気もするが、それが汚染のせいなのか散々走り続けた疲れのせいなのか判断がつかない。
……自身の安全を考えるならば、ここで引き返すのがベストだ。無理にリスクが高い方を選ぶ必要はない。
けれどもし侵入者がいるとすれば、ここに潜伏している可能性が一番高いだろう。ここならば他の魔法少女と神様が来る可能性も低いので、身を隠すにはもってこいだ。これから出る被害者を減らすためには、今ここで確認をしに行くのが正しい行いなのかもしれない。
そんな風に相反する気持ちとは別に、鶫は純粋にこの中に入ってみたいと思い始めていた。
――記憶の片隅に残る、あの祭壇。
本来であれば鶫が捧げられるはずだったあの祭壇は、きっとこの中にまだ存在しているはずだ。
あの場所で何が起こったのか、鶫はまだ何も思い出せないままでいる。
記憶に残っているのは、血塗れの姉が鶫にしがみ付いている最後の光景だけ。
もしかしたら、鶫とは思う。もう一度あの場所へ行けば、
……別にそれを知ったところで死んだ人が蘇る訳でもないし、ましてや大火災が起こってしまった事実は変わらない。結局はただの自己満足だ。
けれど沙昏が何を思い、何を考えあんな事件を引き起こしてしまったのか。血の繋がった家族である鶫だけは、それを把握したいと思ったのだ。
そうして鶫は少しだけ思案すると、またベル様に怒られるかなと苦笑して、一歩足を前へと進めた。
――何もかも燃え尽き、灰色の廃墟となったかつての家へと。
◆ ◆ ◆
壁が煤で黒く染まり、所々の壁や床が抜け落ちた建物の中をひとり歩く。
中に入れば見覚えのある物でも出てくるかと思っていたのだが、よくよく考えてみれば幼い頃はずっと奥の部屋に閉じ込められていたので、中の様子を覚えているはずもなかった。
そんな鶫が今目指しているのは最上階――通称『祭壇の間』と呼ばれていた場所だ。
ワンフロア分の壁を取り除いた広い作りとなっており、中央部にその名の通り祭壇が座し、機械仕掛けで天井が開く仕組みとなっている。
鶫の最後の記憶では、その部屋は戦闘によってボロボロになり、天井は開きかけたまま穴が開いて崩壊しそうになっていた気がする。十年経った今となっては、原形を留めているかどうかも怪しいだろう。
そんなことを考えながら、鶫はぼんやりと遠野と交わした会話を思い出していた。
――赤口町に取り残された人々の遺体は、有志の神によって一つの場所へ集められ、遺族のへと返された。
だがその中に、梔尸沙昏の亡骸は無かったそうだ。炎によって原形も残らず燃え尽きてしまったのか、それとも回収される前に誰かが持ち去ったのか。
あの大怪我で生きている……という事はまずありえないだろうが、鶫のように神様と契約したならば逃げ延びていてもおかしくはない。
だが、それは恐らく無いだろうと鶫は確信していた。
大火災から逃げ出す前の、最後の記憶。
白い服を染め上げた赤黒い血と、光を失った目。いつも優しげに微笑んでいた姉の顔は、半分以上が炎に焼かれて爛れていた。そして命を失った体があんなにも重いことを知ったのは、あの時が初めてだった。……あの全てが偽造だったとは、どうしても思えない。
そんなことを考えつつ、鶫はおぼろげな記憶を頼りに建物を回り階段を上っていった。
――ー歩一歩足を進めるごとに、沙昏との断片的な記憶がよみがえってくる。
熱を出した時に、オロオロとしながらも一晩中手を握って付き添ってくれたこと。
一緒に夜更かしをして、満天に広がる流星群を見たこと。
普段料理なんて全然しない癖に、鶫の為に時々不格好なお菓子を作ってくれたこと。
鶫が描いた拙い絵を、宝物のように部屋に飾ってくれていたこと。
……思い出すのは、そんな幸せだった頃の記憶だけだ。
沙昏がやった事を知れば、世界中の人達が彼女のことを悪だと言うだろう。けれど鶫は、真実を知った今でもそうは思えなかった。
――だってあの人は、いつだって本当に優しかったから。誰がなんと言おうと、あの頃の鶫にとっては、たったひとりの
あの人が望むなら――自分は生贄になって死んでも構わなかったのに。
「……そんなこと今更思っても、もうどうしようもないけどさ」
そう言って鶫は苦笑した。
全ては終わってしまった話だ。今更何を言ったとしても過去は変わらない。
そうして鶫は、何かに導かれるように行き止まりの階へとたどり着いた。
……ここが祭壇の部屋である可能性が高いが、黎明の星の建物はいくつかの建造物が繋がっている複雑な構造をしているので、中を見てみない限り正解かどうかは分からない。
――取り合えず忍ばせた糸の感覚では中に人がいる気配はしないので、このまま中に入って確認だけしてしまおう。もしここがハズレなら、どうせ鶫が嫌がったとしてもまた探索を命じられるだろうから、その時にまた来ればいいだろう。
そんなことを思いつつ鶫は小さく息を吐くと、大きな扉に手を掛けようとした。
――その刹那、手を触れる前に扉がゆっくりと内向きに開いていった。
まるで、ここに
事前の糸での捜索では、中に動くものの気配はなかった。特にミスは犯していないはずだ。
ならば、最初から糸に対する対策を取られていたという事になる。
「――ッ、まさか最初から侵入がバレて、……え?」
驚き警戒を強めた鶫の目に飛び込んできたのは、予想外の光景だった。
「……あ、
自分が葉隠桜の姿をしていることも忘れて、鶫はそう呆然と呟いた。
だが朝倉は、そんな鶫の様子を気に留めずにいつものように飄々と笑って言った。
「いらっしゃい鶫くん。――ずっと、君のことを待っていたんだ」
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