第178話 噓つきは誰

――十一月の下旬に差し掛かった週末、鶫は一人で政府へと出向いていた。禁足地に行く前の、最終確認の為である。


 常連となった遠野の執務室に出向き、禁足地で回る予定のルートなど一通り説明したあと、鶫はポケットからそっと棒のような物をテーブルの上に出した。


「これがベル様から借りたアーティファクトなんだけど、本当に使用しても大丈夫だと思います? ベル様は知り合いの神様から適当にレプリカを借りてきたって言ってたんだけど、なんかこれ持ってるだけで圧がすごいんですよね……」


 そう言って鶫は苦笑いを浮かべた。

 視線の先にあるそれは、真っすぐな木の棒に銀色の二重螺旋の小枝が巻き付いている小さな杖で、大きさはだいたいボールペンくらいだ。ポケットに入れて持ち歩けるのは便利である。

 

 効果としてはダウジング――進むべき道を指し示してくれるらしい。

 その他にも、護身用として敵に突き付ければ相手を眠らせる効果があるらしいが、威力がかなり強力とのことで、人間相手だと永眠する可能性があるので人間には使わないようにと言われた。

·····そもそも相手にする前提の存在が人間以上なのが怖すぎる。いったいこの杖は何なのだろうか。


「うーん、何となく元になった物の予想はつくけど、本体ほどの効果はなさそうだから心配しなくてもいいんじゃないかしら。ここに来るまで誰にも止められなかったということは、一応八咫烏あのこのチェックは通っているはずよ」


 そう言って遠野は興味深そうに杖を指先でつついた。


「それにしても、意外ね。この杖の大元――恐らくカドゥケウスの杖だろうけど、持ち主の神様と貴方の契約している神様とじゃ、接点なんて何も無さそうなのに。いくら簡略化された劣化品とはいえ、貸し出してくれるなんてずいぶん仲が良いのね」


 さらりとそんなことを言う遠野に対し、鶫は驚いて声を上げた。


「……わぁ、俺が思ってたよりも大分ヤバい物じゃないですか。よく八咫烏様も使用の許可を出しましたね」


 カドゥケウスの杖と言えばギリシャ神話のヘルメスが有名だが、どう考えてもあの・・ベルと仲が良いとは思えない。むしろ水と油なのではないだろうか。


 もしくは別の持ち主として話題に上がる医神のアスクレピオスやヘラの伝令イリスの可能性もあるが、どの神様だとしてもしっくりこない。

……自分が知らないだけで、意外とベルは交友関係が広いのだろうか。詳しく聞いてみたいが、聞いても教えてくれない気がする。


 それはともかく、杖の事である。

 あのカドゥケウスの杖のレプリカならば、旅人の守り神であるヘルメスの加護があると考えてもいいだろう。探索にはピッタリの代物だ。この杖を持ってきたベルの本気度が伺える。

 自惚れかもしれないが、もしかしたら自分はベルにかなり大事にされているのかもしれない。


「あの子も貴方の神様と喧嘩したくなかったのかもね。ほら、少し怒りっぽい方みたいだから。――はい、こっちは私からの支給品。好きに使ってね」


 遠野はそう言うと、長い紐の付いた小さめの巾着袋を鶫に手渡してきた。

 鶫が不思議に思いながらも開いて中を覗くと、そこには黄色い乾燥した物が入っていた。ほのかに甘い香りがする。


「これは、えーと、干し芋ですか?」


「……桃のドライフルーツよ。もし耐性を超えて汚染の影響が出てきたら、その場で口に入れて頂戴。お清めも済ませてあるから、多少は浄化の効果があるはずよ」


 遠野はそう告げると、ニッコリとほほ笑んだ。


「ありがとうございます。大切に使いますね」


 鶫は桃が入った巾着袋の紐を首に掛け、そっと優しく触った。

 桃は古来より邪気払いの効果があるとされている。神力によって汚染された土地に出向くなら、かなり役に立つはずだ。

……いくら危険な事には変わりないとはいえ、周りがここまでしてくれるのならば頑張ろうか、という気持ちが湧いてくる。


「どういたしまして。良い報告を期待……というのもアレだけど、怪我がないことを祈っているわ」


「はい。色々見て回るつもりではいますけど、成果が無かった時はすみません」


「大丈夫よ。その時は時間をおいてまた行ってもらうことになると思うわ」


 鶫が軽く謝罪を口にすると、遠野はさらりとそう言った。

 赤口町は色々と思う所がある土地なので、鶫にとってもあまり何度も出入りしたい場所じゃない。……これは何でもいいから何者かの痕跡を見つける必要がありそうだ。


 鶫は小さく肩をすくめ、壁に掛かっている時計を見た。

 時刻は十一時――ここに来たのが十時前くらいだったので、随分と話し込んでしまっていたようだ。


「もうこんな時間か……。そろそろ行かないと」


 そう言って鶫は立ち上がった。

――そう言えば、千鳥と夜鶴の待ち合わせも確か十時くらいからだったはずだ。そろそろ二人の話も終わっている頃かもしれない。

 特に問題は無いだろうとは思うが、結果を聞くまでは不安である。

 まあ、それよりも目の前の課題の方を優先しないといけないが。


――今回の案件は、実は重大な問題点がもう一つある。


 本来であればそろそろ昼に何を食べるかを考え始める時間帯だが、今日は流石にそういう訳にもいかない。禁足地の中で何の影響が出るか分からないので、今日は昼食を取らないことにしているのだ。

――果たして自分は夜まで無飲食を貫けるのだろうか。正直あまり自信がない。

……流石に何ともないのに浄化用の桃を食べたら怒られると思うので、それは最終手段にしておこう。


「じゃあ、そろそろ出ますね。何かあったら連絡します」


「行ってらっしゃい。気を付けてね」


 そうして遠野に見送られながら、鶫は禁足地がある赤口町跡地へと移動を開始した。




◆ ◆ ◆




「……はあ、本当にこれで良かったのかしら」


 鶫を見送った後、遠野はそう言いながら立ち上がって、棚の上に置いてあったノートパソコンを取り出した。

 そしてそれを徐に開きパスワードを入力すると、その画面上に地図と何者かの位置情報の表示が浮かび上がった。


 その表示――月のマークが描かれた点は、ピカピカと弱々しくある場所の上で点滅していた。


 遠野はそれを見て目を細めながら、感嘆したように口を開いた。


「ふうん? 耐性がある子が持っていると、ちゃんとあの中でもGPSは動くのね」


 遠野はそう呟くと、ジッと画面を見つめた。

 よくある地図の中に、まるで円を描く様に黒く染まった地域がある。その黒い円の中心に、月のマークの点はあった。


――赤口町・・・のど真ん中。それがGPSの指し示す場所である。


「本当にあの方・・・の言った通りになったわね。……もう、これで桜さんに嫌われちゃったら、八咫烏あのこ達のこと絶対に許さないんだから」


 遠野は怒ったようにそう言うと、静かに手持ちの端末を手に取った。

 そうして手慣れたように番号を打ち込むと、そのまま端末を耳に当て話し出した。


「もしもし? 例の件なんだけど、準備を進めてもらってもいい? そうね、まずは――」





◆ ◆ ◆





――時刻は遡って、鶫が政府から出る一時間前。午前十時のことだ。

 千鳥は夜鶴に会うために、夜鶴の泊っているホテルのロビーへと訪れていた。


「予定は十時の筈なんだけれど、夜鶴お爺様がどこにも見当たらない……。電話もつながらないし、どうしよう……」


 千鳥はそう言いながら、広いロビーを見渡した。だがそれらしき人物が座っている席は無く、夜鶴は一向に姿を現さなかった。

 それならばと夜鶴に電話を掛けてみるものの、電源を切っているのか一向に繋がる気配がない。


 千鳥が途方に暮れそうになっていたその時、ホテルの入り口から慌ただしい様子で駆け込んでくる人物を発見した。

 その人物はキョロキョロとロビーの方を見渡し、千鳥の方を見ると、ゼェゼェと息を切らしながら近づいてきた。


 千鳥は思わず怯えて後退りしそうになったが、近づいてきた人物の顔に見覚えがあったので、何とかそれを堪えた。流石に失礼かと思ったからである。

 その人物は千鳥の前で立ち止まると、息も絶え絶な様子で口を開いた。


「ち、千鳥くん……。久しぶりだね……。私のことは覚えているかい?」


「あ、ええと、病院の朝倉先生ですよね? あの時はお世話になりました」


 千鳥の記憶が確かなら、この老人は鶫が入院した時と、遊園地の事件の後にお世話になった夜鶴の知人の医師である。

 芽吹からの口利きもあり、色々と朝倉にはお世話になったことを千鳥はしっかりと覚えていた。


 千鳥がそう答えると、声を掛けてきた人物――朝倉はホッとしたように破顔した。


「良かった、覚えていてくれたんだね。なら話が早い」


 すると朝倉は、千鳥の肩に手を置いて真剣な顔で話し始めた。


「急に話しかけて驚かせてしまってすまないね。前に夜鶴と会った時に、今日の朝にここで君と会うと言っていた事を思い出して、急いでここまで来たんだ。――いいかい、よく聞いてくれ。ここに来るはずだった夜鶴の事なんだが、彼は昨日の夜倒れて病院に緊急搬送されたんだ」


「えっ、お爺様が……?!」


「……君たちには言わないように言われていたが、彼は昔から心臓を患っていてね。今回もその発作が起こったみたいだ。今はまだ意識こそ戻ってはいないが、病状は落ち着いているからそこまで心配はしなくていい。それを伝えに来たんだ」


 急な朝倉の言葉に、千鳥は驚いて口を手で覆った。

 今まで夜鶴の体が悪いという話は聞いたことがなかったので、全くの寝耳に水である。


 千鳥が呆然としていると、朝倉は懇願するような声音で話を続けた。


「もし君が良ければなんだが、一緒に病院まで来てくれるかい? 目が覚めた時、君がいればきっと彼も安心するだろう。夜鶴はいつもあんな調子だが、君たちのことを大切に思っているからね。どうかな? 駄目かい?」


「は、はい。私で良ければ」


 千鳥は混乱したままそう答えると、朝倉に促されるままホテルの外へ出て、朝倉の車に乗り込んだ。

 そして千鳥が車の後部座席に座りシートベルトを付けていると、運転席にいる朝倉がポツリと呟くように言った。


「――本当にすまない。君たち母娘・・には、私はいつも迷惑を掛けてばかりだ」


「え?」


 千鳥が何の話かと聞き返そうとした時、不意に視界の端に黒い影が過った。


「ん、んんっ!?」


 その刹那、瞬く間に黒い影が千鳥の体に巻き付き、動きを拘束した。

 目や口にも黒い影が纏わりつき身動きが取れない。口を塞がれ、息も出来ずに意識が朦朧としていく。


「しばらくの間、眠っているといい。起きた頃には、全てが終わっているはずだからね」


 朝倉のその言葉を最後に、千鳥は暗闇の中へと落ちていった。

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