第176話 禁足地の怪
涼音が襲われた事件から早二ヶ月弱。秋が終わり、冬の季節が始まろうとしていた。
何者かによって目を奪われた涼音は、今はもうすっかり回復し学校に復帰している。むしろ怪我をする前よりもいきいきとしているので、本人としては結果的に良かったのかもしれない。
――だが問題なのは、まだ事件の犯人が捕まっていないことだ。政府が捜査の規模を拡大したことで新しい被害者の数は減ったが、捜査班は未だに犯人の影さえ掴めていない。
……果たして、犯人の目的は何なのだろうか。気にはなるが、それすらも分からないのが現状だ。
そんな日々が続いたとある日。遠野に呼び出された鶫は、遠野の仕事部屋に来ていた。仕事部屋は政府の中にあるので、元の姿ではなく葉隠桜の姿で向かった。
どうやら十華での階級が高くなると、希望次第で部屋を用意してくれるらしい。まあ鶫の場合は遠野のように書類仕事があるわけじゃないので、部屋を申請する必要は無いのだが。
静かに席に着いた鶫の前に、お茶が差し出された。そうして自分の分のお茶を出し、鶫の対面に座った遠野がゆっくりと口を開いた。
「実はね、桜さんにお願いしたい仕事があるの」
「……また厄介事ですか?」
「もう、疑り深いんだから。その言い方だと、いつも私が変な頼みごとをしているみたいじゃない」
そう言って遠野は不満そうに眉を寄せたが、実際に遠野が頼んでくることは厄介なことが殆どである。……もしかして本人には自覚がないのだろうか。
「受けるか受けないかは別として、話はお聞きします。場合によっては神様にも話を通さないといけないので」
鶫がそう答えると、遠野は困ったような顔をして言った。
「この件に関しては、出来れば貴方に受けて貰わないと困るんだけど……。まあいいわ、取り合えず説明するわね」
そう言って、遠野は静かに話し始めた。
「赤口町は知っている? 貴方が七歳まで生まれ育った町のことなんだけど」
「いや、知ってますけど……え、この時点で厄介事じゃない可能性って残ってるんですか?」
――赤口町。神降ろしに失敗し火の海に包まれた、今もなお人が立ち入れない汚染された土地の名前である。……この時点で嫌な予感しかしない。
「え? 私は別に今回の件が厄介事じゃないとは言わなかったけど」
きょとんとした顔でそう言った遠野に、鶫は軽く頭痛を覚えた。
――勘違いしてはいけないのだが、遠野のこの言動に悪気は一切無い。緋衣曰く、遠野は今までの経験からこういった風に話を進めた方が意見を通しやすいと無意識に思っているのだろう、と言っていた。
ある意味、物心ついてからずっと神祇省の交渉役として動いてきたことによる弊害なのかもしれない。そう考えると、あまり怒る気にもなれなかった。
「それは確かにそうなんですけど……。はあ、それで赤口町がどうしたんですか?」
「あそこは禁足地になっているんだけど、そこに誰かが出入りしているみたいなの。不思議よね、あの場所は普通の人間は近づいただけで吐いてしまうくらい高濃度の神力に汚染されているのに」
「……あそこに、人が?」
――あの場所は政府が作った防壁で囲まれており、二十四時間監視システムで見張られ、人が近づくと警備の者が飛んでくるようになっているはずだ。
以前緋衣から貰った資料によると、あそこは人間が足を踏み入れると例外なく身体に異常をきたすと書かれていた。どう考えても普通の人間がいける場所ではない。
それに加え謎の磁場が発生しているので、中心部は機械の類もまともに動かないらしい。まさに死んだ土地とも言える。
「――魔法少女なら入れるわ。転移や飛行能力がある子なら可能でしょう? あの場に満ちる神力に耐性がないと長くは滞在できないけれど、それでも出入りくらいだったら出来るのよ。まあ中心部にもなると、能力を使って中を覗こうとしただけで神力汚染が始まるから、生身だと浅い部分しか出入りは出来ないでしょうけど」
「でも、何のために? あそこにはもう、燃えた建物とガラクタしか残っていないのに」
もし被害者の遺体が残っているなら、遺族が無理やり立ち入ろうとするのは理解できる。
だが有志の神々の手助けにより、赤口町で亡くなった人々はもうとっくの昔に安全な場所へと回収されている。命を懸けてまで、あの汚染された場所へと出向く理由はないはずだ。
鶫がそう言うと、遠野は平然とした顔で告げた。
「それを貴方に調べてきて欲しいの。――あの呪われた炎の中を駆けて火傷一つ負わないほどの耐性がある貴方なら、きっとあの祟り場でも問題なく行動できるわ」
「……言いたいことはたくさんあるんですけど、その情報は初耳ですよ?」
「あら? そうだったかしら。言ったことがある気がしていたのだけれど」
――確かに、あの大火災から逃げた時は煤に塗れはしたけれど、火傷は負わなかった。まるで、火の方がこちらを避けるかのように。
普通に考えれば、自分は神の器として育てられたのだから、降ろす予定の神の耐性を植え付けられていても変ではない。
そして同じように火傷を負わなかった千鳥も、恐らく鶫と同じ処置を受けていたのだろう。
「あと、まだ噂に過ぎないのだけれど、あの場所付近で例の
遠野は言いにくそうに告げると、困ったように目を伏せた。
……過去のことはある程度割り切ったつもりだが、それでもこういった話題は息苦しさを感じる。
確かに遠野の言うことは理にかなっている。
――『黎明の星』は結果的に町を一つ滅ぼしたが、きっと彼らに悪意はなかった。本人たちにとっては、崇高な目的をもって神降ろしを行ったに過ぎないのだろう。
だからあの大火災は、彼らにとっても不本意な事件だったはずだ。
けれど彼らが『ヤドリギ』に関わっているとなれば話が変わってくる。女性や子供を狙い撃ちするような真似は、彼らの信じていた教義すら踏みにじる蛮行だ。いくら取り繕ったところで、そこに正義など存在しない。
……だが、そうだとしても一つ疑問が残る。
黎明の星の信者は鶫が記憶している限りでは、殆どが成人した大人ばかりだった。つまり今の段階で、魔法少女になれる年齢の信者は存在しないのだ。
そうなると彼らと何らかの繋がりがある魔法少女が協力していると考えるのが普通だが、正直それも信じがたい。
――魔法少女は、得た力を使って悪事を働くことが出来ない。
契約している神様が天照の管理下にいる時点で、そういった使い方を出来ないように制限がかけられているからだ。
もしくはフレイヤのような天照の管理から外れた神が直接手を貸している可能性もあるが、その可能性はあまり考えたくない。そうなってしまうと、一介の魔法少女では打つ手がないからだ。
「あの、別に行くことを渋っているわけじゃないんですけど、政府所属の神様たちが見に行くことは出来ないんですか? その方が色々と安全だと思いますけど」
「……それはそうなんだけど、出来ない事情があるの。政府の神様は日本の神々が殆どなんだけど、禁足地に降ろされた神はちょっと特殊で、日本の神様とは相性が悪いのよね。だからみんな行くのを嫌がっているみたい。でもそんな噂がある以上、誰かが見に行かない訳にはいかないでしょう? だから耐性がある桜さんが見に行ってくれると本当に助かるんだけど。仮に禁足地に誰かがいたとしても、捕まえたりしないですぐに戻れば危険もそこまでないだろうし……駄目かしら?」
遠野の話を一通り聞いた鶫は、考え込むように口に手を当てた。
自分に耐性があると仮定すれば、そこまで禁足地に入る事自体に危険は無いように思える。
――だがもし禁足地にいるのが逃れ者の神だった場合、遭遇したら自分は無事に逃げることが出来るだろうか?
そう考えると、少し不安でもある。
「……念のため確認なんですけど、これは断ってもいい案件なんですか?」
「それは『はい』でもあり『いいえ』でもあるわ。もし桜さんに断られたら、私はもう一人の
そんな遠野の言葉に、鶫は思わず立ち上がって言った。
「――まさか
「いざという時の転移能力があり、尚且つ神力への耐性もある。条件はさほど貴方と変わらないわ。……悪く思わないでね。これは八咫烏からの指示で、私も本意ではないの」
そう言って、遠野は申し訳なさそうに俯いた。
……鶫だって、遠野が人を無理やり危険な場所へ放り込むような人間じゃないことは理解している。だが、これはあまりにも酷い。選択肢なんてあってないようなものだ。
事情を知っている八咫烏からすれば、鶫の身内がやらかしたせいで
……そう考えると、やはりこの仕事は鶫が受けるほかないような気にもなってくる。
それはそれとして、脅しをかけてくるのは論外だと思うが。
「……分かりました、今回は引き受けます。一応言っておきますけど、俺はあまりこういったやり方は好きじゃないです。八咫烏様には、きついクレームを入れておいて下さい。ああそれと、禁足地に行く日にちは追って連絡しますね。今日明日は予定があって出かけられないので」
「ちゃんと伝えておくわ。私だって、大事なお友達を危険に晒したいわけじゃないもの。はあ、本当に神様って身勝手よね」
そう言って遠野は物憂げにため息を吐いた。
……遠野と深く関わる前であれば、その姿が白々しく見えただろうが、今となってはその言葉が紛れもない本心だということが理解できる。
けれど遠野は、八咫烏の指示を不満に思ったとしても決してそれに
生まれながらの巫女としては正しい姿なのだと思う。けれど、その姿を可哀そうだと思ってしまうのは傲慢なのだろうか。
「……余計なお世話だったら申し訳ないんですけど、嫌なことは嫌だってちゃんと言った方がいいですよ。たとえ、それが神様だとしても」
鶫が不満気な顔でそう告げると、遠野は不思議そうな顔をして首を傾げた。
「言ったとしても何も変わらないのに? そんなの無駄でしょう?」
「意思表示することが重要なんですよ。俺もベル様や友人に無茶を言われた時はよく文句を言ってますし。そうしたら十回に一回くらいは向こうが折れてくれるようになりましたよ」
何でもかんでも言われるままに引き受けてしまうと、頼む側もこちらが許容できるラインが分からなくなり、だんだんと要求が増えていってしまう。そうならない為にも、しっかりとした意思表示が大切なのだ。どうにも遠野は、その辺りの事を諦めてしまっているような節がある。
「きっと立場もあるんでしょうけど、すみれさんは人形じゃなくて生きている人間なんだから、言いたい事くらい言ってもいいんですよ。それでもし意見が通らなかったとしてもいいじゃないですか。言わないよりは言った方がスッキリしますし」
相手との関係性もあるだろうが、言いたいことを言えずに後悔するよりはその方がずっといい。
鶫がそう告げると、遠野はいまいち腑に落ちないような顔をしながら「そういうものかしら……?」と呟くように言った。
「ちなみに俺は今回の件で八咫烏様がかなり嫌いになったので、これを機にすみれさんにたくさん我儘を言われて困ればいいなって思ってます。まあ、多分向こうも俺の事なんか嫌いでしょうけど」
そう言って鶫は肩をすくめた。
八咫烏が鶫を疎む理由は山ほどある。契約者だった朔良紅音の死の遠因であり、今は契約者である遠野に纏わりつく害虫くらいに思われているに違いない。
鶫としても、勝手に記憶を弄り、被害者である千鳥がどう思うかなんて考えずに嘘の記憶を植え付けた八咫烏のことはあまり好きではない。今回の脅しのせいでさらに嫌いになった。
鶫に無理難題を押し付けるのはまだいいが、そこで大切なかつての契約者の娘である千鳥の存在を使って脅そうとするなんて、一番やってはいけない行為なのに。
「あら、仮にも天照様の腹心に向かってそんなことを言ってもいいの?」
「偉大なる神様として尊敬はしてますけど、それと個人的な好悪は別でしょう。俺にだって、許せないことの一つや二つはありますから」
「ふうん、そういうものなのね」
遠野はそう言って頷くと、クスッと子供のように無邪気に笑った。
「あのね、私この後は神祇省に戻って会食に参加するように言われているんだけど、休んでもいいと思う?」
「大事な集まりなんですか?」
「いいえ? 暇な人たちが集まっただけの近況報告会よ。各地の神社関係の人達だから無下には出来ないけれど、毎回呼ばれるのは面倒なのよね。どうせお酌くらいしかやることも無いし」
そう言って遠野は、鶫をジッと見つめて答えを待った。まるで我儘を言えと言い出した鶫を試しているかのようだ。
――まあ悪ガキとしての年季はこちらの方が上なので、遠野が何を言ってほしいのかは何となく分かる。鶫はニヤッと笑いながら、内緒話をするように口を開いた。
「別に神事とかでもないなら休んでもいいと思いますけど。もし気が引けるようだったら、集まりが終わるまで別の場所で時間を潰しますか? ちょうど俺も、この後は緋衣さんの所に行ってご飯を食べる予定があったんですよ。たこ焼きとか作るんですけど、よければ一緒に行きませんか?」
昨日の段階で緋衣から連絡があり、今日はどうしても作り立てのたこ焼きとお好み焼きが食べたいとオーダーが入った。鶫もご相伴に預かるという条件でOKを出したのだが、別に知らない仲でもないし一人くらい増えても問題は無いだろう。
材料の仕込みは午前中に終わらせてきたので、後は材料とプレート等を持って行って焼くだけである。緋衣は食べるだけで戦力にはならないだろうし、人手は多い方がいい。
鶫がそう告げると、遠野は耐えきれなくなったように噴き出して笑いだした。
「ぷっ、あはは!! た、たこ焼き! そんな誘い文句生まれて初めて……!」
「関西の方だとたこ焼きパーティーとか頻繁にあるらしいですよ。それで、どうします? 一緒に行きます?」
鶫が悪戯っ子のようにそう問いかけると、遠野は笑い過ぎて目尻に涙を溜めながら言った。
「貴方と一緒に行くわ。だって、高級ホテルのケータリングよりも、そっちの方が楽しそうだもの」
そう言って、遠野は楽し気に笑った。
――そんな遠野の姿を見て、鶫は遠野が上から怒られる時は一緒に叱られようと心に決めた。かつて行貴と共に問題を起こして周りから大目玉をくらった時のように、一緒に叱られるのも
そうしてその後、遠野と鶫は材料を持ってこっそりと緋衣の研究室にお邪魔し、緋衣に呆れられながらも束の間の休息を楽しんだ。
遠野がたこ焼きを上手く焼けずに焦がしたり、緋衣がそれを食べて火傷しそうになるなど、振り返ってみればいい思い出である。
――意外だったのは、その一件の後、神祇省側から何のアクションもなかったことだ。もしかしたら、神祇省側にも遠野の扱いについて思う所がある人がいたのかもしれない。
疑問には思ったが、怒られるよりはマシなので、鶫はその名も知らぬ人物にひっそりと心の中でお礼を言った。
◆ ◆ ◆
「さて、どうしたものか……」
そう言いながら八咫烏は、すうすうと寝息を立てている契約者――すみれを見つめた。
神祇省の都合で催された会食を無断で休み、夜になってようやく帰ってきたと思えば、特に弁明もなくさっさっと風呂に入って寝てしまったのだ。すみれが自分にこんな態度を取ることなんて、今まで一度もなかったというのに。
……もしや反抗期なのだろうか。
もしそうだとすれば、それは良い傾向だと八咫烏は思う。抑圧されて生きてきたこの少女は、もう少し外の世界を知るべきだ。
――例えいつかは全てを奪われ消える運命だとしても、生きている間くらいは笑っていてほしい。それはある意味誰よりも残酷な考え方だが、八咫烏は本気でそう思っていた。
「神祇省の奴らには、あまりこいつをくだらないことで連れまわすなと言っておくか」
八咫烏はそう言って、神祇省に通達をした。こういった無茶を言えるのも、天照の腹心としての特権である。
――つまり、これが神祇省からお叱りが無かった理由である。
親の心子知らず。そして子供の気持ちも親はきちんと理解できていない。これはそんなすれ違いが生んだ悲劇/喜劇である。
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