第173話 鞍馬の天狗

 ある程度ランクの高い魔獣と戦う際に、一番気を付けなくてはならない事は何か。

――それは結界が展開されたその瞬間である。

 互いがまだ状況を把握できていない時にこそ、油断が生まれるのだ。魔獣も高ランクになってくると思考が悪辣になってくるので、こちらがさあ戦うぞ、と思った時にはすでに首が落ちていたり、毒に侵されていたという事例も多々ある。


 鶫の場合は油断さえしなければ初撃は転移で避けられるし、毒などは特殊なものでなければ極細の糸で編みこまれたフィルターなどで対応できる。最初は外れ枠かと思っていた【糸】だが、こうしてみると意外と応用がきいて使いやすい。


 そうして今回も一通り対策を取って様子を窺っていると、空から舞い降りてくる影が見えた。その影は少し開けた山道に降り立つと、ゆったりとした動作で鶫の方を向いた。


――珍しいな、人型か?


 現れたのは、B級にしては珍しい人型に近い魔獣だった。

 基本的に高ランクの魔獣は大型のモノが多いが、この魔獣の大きさは鶫とそう変わらず、遠くから見れば少年のようにも見える。だが、よく観察すると人間とは違う部分がいくつも見て取れた。


 顔の上半分が隠れた、長い鼻のついた赤い面。山伏のような装いに、首に大きな琥珀色の数珠を掛け、背中にカラスのような黒い翼を背負っている。足だけは獣のような造形をしているが、その出で立ちはまるで天狗・・のような――。

 そこまで考え、鶫はハッと息を呑んだ。


――これは、あまり良くない状況だ。

 魔獣は空の割れ目から与えられたエネルギーを使い、人々の畏れを具現化させている。政府はそのエネルギーの大きさで等級を判断しているが、その等級にもごく稀に例外が存在する。

 魔獣がその土地に深く根付くモノ・・・・・・・の形をとった場合、等級以上の力を発揮するケースがあるのだ。


 例えば、那須の殺生石付近に出た狐の魔獣。葛城山に出た大蜘蛛。松山の化け狸など、そのどれもが本来の等級以上の力を発揮していた。

 まあそのケースも年に一件程度、しかも殆どが低級での顕現だったので、そこまで重要視されていなかった。


 だが、鞍馬山・・・天狗・・は些かまずい。

 今回の鞍馬山のように歴史が古い土地に魔獣が出る時は、予め対策室から気を付けるべき形状のリスト一覧が渡されるのだが、その書類にも天狗のことが書いてあった。それも、リストの一番上に。


 元々この山には鞍馬寺という寺院があり、そこでは毘沙門天、千手観音、護法魔王尊を祀っている。その内の一つの魔王尊は天狗の姿を模しているのだ。

 また別の逸話では、かの源義経が教えを乞うた天狗が住んでいるのも、この鞍馬山だとも言われている。


 要するにこの地では、天狗という存在は特別な意味を持っているとも言える。

 それ故にこの地に現れた魔獣テングにはとんでもない畏れバフが掛かってしまうのだ。分かりやすく言うと、イギリスで戦ったドラゴンの状態に近い。


――つまりこの天狗は、B級だが決して侮れる相手じゃないということである。

 少なくともその身に宿した畏れはA級クラス。相性によっては命を落とす可能性もある。


「はぁ、どうして自分だけいつもこんな目に……」


 かつて戦ったイレギュラーしかり、際物の魔獣とばかり戦う羽目になっている気がする。もしかして、自分は不幸の星の下に生まれてきているのだろうか。

……いや、元々の生まれから考えるとその説は捨てきれないので、あまり深く考えないようにしよう。


 鶫は小さくため息をつくと、ジッと天狗を観察した。

 顔に付けた面の後ろから見える黒く長い髪は首元で結い上げられ、腰には長さの違う二本の刀を佩いている。

 よく一般的に絵巻物で記される筋骨隆々の天狗とは違い、犬の様な足を除けば、見た目はまるですらりとした少年のようだ。魔獣のくせに義経とでも気取っているのだろうか。

――まあどんな造形をしていたところで、相手が魔獣である以上結局殺すのは確定しているのだが。


「悪いけど、今日はあまり時間が掛けられないんだ。――さっさと終わらせよう」


 そして鶫は先手必勝とばかりに天狗の周りに糸を張り巡らせ、その体を引き裂こうとした。

 しかしその瞬間、天狗は目にも留まらぬ速さで刀を抜き、鶫の糸を両断した。目に見える糸とは別に透明化した糸も混ぜていたのだが、どうやらこの天狗は勘もいいらしい。

……だが確実に糸が触れていたはずの服すら切れていないところを見るに、斬撃に対する耐性を持っているのかもしれない。

 そして天狗はそのまま勢いを付け、獣の足で地面を蹴り鶫に向かって跳躍した。


――速い。

 瞬く間に鶫に迫った野太刀は、鶫の胴を切り裂こうとした。が、そこでやられるほど鶫は弱くはない。

 するりと強化した糸で刀の軌道を受け流し、体勢を崩した隙を狙い天狗の腹を軽く蹴り飛ばす。普通の打撃なのでそこまでの威力は無いが、数メートルの距離を弾き飛ばすくらいはわけない。


 そして木々の隙間をゴロゴロと転がった天狗は接近戦は不利だと悟ったのか、翼を使ってその場から離れようとした。

――だが、それを許すほど鶫は甘くない。


「窶補?輔↑繧薙□縺ィ??シ」


 地面から飛び立とうとした天狗が、翼を上手く動かせずに藻掻きながら聞き取れない声を上げる。

 それもそのはず、この山には初めからが仕掛けてあったのだから。


――まず最初に魔獣の姿を見た瞬間、鶫は飛んで逃げられると厄介だと考えた。

 この山には木が多く、まだ葉が落ちていない時期なので、天狗に飛ばれたら何処にいるのか分からなくなってしまう。場所を特定するために力任せに結界内の全部の木をなぎ倒してもいいが、それはそれで隠れる場所が増えるだけだ。

 なので鶫は、魔獣の足止めを最優先に考えた。


 鶫が最初に攻撃を仕掛けた瞬間、同時に知覚できないほど細い糸を結界の広範囲に伸ばし、上下左右に拡散させた。

 後はそれを絡まりやすいように調整すれば、それだけで糸の狩場が完成する。さながら――蜘蛛の巣のように。鶫はそれをあの一瞬の攻防の間にやってのけたのだ。

……まあ、そう格好つけたところで控えめに言って地味だし、やり口もかなり悪党ヴィランよりだが、別に正々堂々戦うような相手でもないので問題は無いだろう。


「さて、これで終われば楽なんだけど……」


 そう呟きながら、天狗に絡まった糸を徐々に太くし、全身を締め上げていく。下手に切り裂くよりも、圧死の方が確実だろう。

……だが、仮にB級として考えたとしても、これで終わるのはあまりにもあっけない。


 恐らくまだ何か隠し玉があるのだろうと警戒しながら締め上げる力を強めていくと、バキッっと何かが割れる音が聞こえた。

 骨が折れる音ではない。これはどちらかというと、石が割れるような音だ。

 そうして鶫が訝しがりながら天狗を見ると、天狗の首に掛かっている琥珀色の数珠がひび割れていることに気が付いた。


――その刹那、ゾッとするような悪寒が走った。


 何か・・が起こる。そう鶫が身構えた瞬間、琥珀が砕け散ると共に――太陽・・消えた・・・のだ。

 光源が消え、視界が暗闇に包まれる。夜よりも遥かに暗い、見渡す限り漆黒の世界だ。


 手元すら視認できない状況に鶫は思わず息を呑んだが、すぐに別の違和感に気が付いた。


「……糸の感触が無い? ――しまったッ!?」


 焦りが滲んだ叫びと共に、転移で場所を移動する。

 すると本来鶫が居たであろう場所で、ブオンと刀が振られる音が聞こえた。……襲撃を受けたのだ。


――天狗の拘束が解けている。

 いや、違う。糸が解かれる気配なかった。これはただ単純に、能力を解除・・させられたのだ。


 鶫は暗闇の中でくいっと指を動かしたが、繋がっていたはずの糸が全て消えてしまっている。結界中に張り巡らせていた糸は、影も形もない。


「視界を奪う暗闇と、それに伴う強制的な能力のリセット。なるほど、随分と厄介な手を使ってくるな……」


 そんなことを考えていると、周囲に巡らせていた糸から天狗がこちらに迫ってきているのを察知した。


「……ッ!!」


 糸の感覚によって視界を補いながら、硬質化した糸で天狗の刀を弾き飛ばす。

 そうして再度転移で距離を取った瞬間、ようやく視界に光が戻った。


 急に明るくなったせいでチカチカする目を休めながら、遠くにいる天狗の様子を窺う。

 その姿を見て、鶫は一つの仮説を組み立てた。


「数珠が元に戻って・・・いる。あれが能力発動のトリガーか」


――現在確認できる天狗の能力は三つ。

 空を飛ぶ翼と、光を消して視界を奪う能力。そして最後に、今まで使っていた能力を強制的に解除する能力だ。

 つまり必然的にこの天狗と戦う魔法少女は、暗闇の中で碌な対策もとれない内に剣劇に襲われることになる。


……自分はまだ糸の感覚を目の代わりに出来るが、能力の相性によってはA級の魔法少女でもこの天狗の相手は梃子ずるだろう。そう考えると、例のC級の子は戦わなくて正解だったのかもしれない。


「体が妙に頑強なのも気になるし、何より能力発動の条件が読めない」


 だが天狗本体はそこまで強くはない――高く見積もってもC級の中の上くらいが精々だが、暗闇と能力解除のギミックがえげつないので、それらが相対的にランクを引き上げている。

 こう言うのもなんだが、とても面倒くさい相手だ。


「……まあ、頑張るしかないか。……ごめんなさい、星見さん。早めに終わらせるって約束したけど、少し長引きそうです」


 そう言って鶫は苦笑した。

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