第172話 友の格差
「こんにちは。東京本部から来た葉隠です。B級の現場はこちらで宜しかったでしょうか?」
対策室の職員から渡された座標に転移した鶫は、少し離れた位置にいる一団の所へ向かい、そう声を掛けた。
「……ああ、すまない。よく来てくれたね。あと三十分弱で予定時刻だから、そこにある椅子に座って待っていてほしい」
鶫が声を掛けると、少し憔悴したように見える責任者らしき男性が、離れた位置にあるパラソルと椅子を指さしてそう言った。
椅子が他のテントから離れていることを考えると、もしかしたら鶫が来る前に新しく設置してくれたのかもしれない。
鶫としてもわざわざ空気が重いテントには向かいたくなかったので、その気遣いはありがたかった。
鶫はそこまででもないが、魔法少女の中には戦闘前に気が荒くなったりネガティブになったり周りに影響されやすい子も多いので、厄介事から隔離するのはある意味正しい選択だ。職員としても、追加で来た魔法少女に調子を崩されるのは何としてでも避けたいのだろう。
そうして一人でのんびりと椅子に座って資料を眺めていた鶫は、ふと横に見知った気配があることに気が付いた。
「……あの、ベル様? 近くまで来たなら声を掛けて下さいよ。びっくりするじゃないですか」
「何処にいようと我の勝手だ。気配に気付かん方が悪い」
急にやって来たベルは悪びれずにそう言うと、鶫の前に置いてある小さなテーブルの端に座った。
「何やら面倒なことに巻き込まれたようだな」
「この現場のこと? まあ、こっちは代理で戦うだけだからそこまで迷惑は被ってないんだけど、やっぱり神様の間でも問題になったの?」
鶫がそう問いかけると、ベルはつまらなそうに頷いた。
「まあな。戦いで死ぬならまだしも、契約中に自ら死のうとするのは想定外だ。契約神はどんな管理をしているのだと他の神の笑いの種になっていたな。体面があるから契約神は意地でも契約者を生かすだろうが、それでも暫くは小馬鹿にされるだろう」
「うーん、神様の中ではそれも娯楽になるのか……。怖い世界だなぁ」
「貴様ら人間とて、しつけがなっていない犬の飼い主を見たら笑うだろう。それと同じだ」
「それはしいて言うなら笑うというより失笑なんだけど、まあそれはいいや」
これ以上は藪蛇になりそうなので、ここで反論はやめておくことにする。神様のブラックトークは、人間の鶫にはまだ早いのだ。
それからベルと穏やかに今日行ったカフェの話などをしていると、何やらテントの方が騒がしくなった。そしてテントの中から止めようとする大人を振り払うようにして、一人の少女が出てきた。
すると少女は真っすぐに鶫の方へ歩いてくると、赤く充血した目を鶫に向け、こんな言葉を投げかけてきた。
「――いいよね、貴女は。一年足らずで十華に選ばれた上に、皆に好かれてるし、相手にする等級を気にしなくていいくらい強い。何年も必死になって足掻いてる
「……
「――ねえ、私たちは何がいけなかったんだと思う?」
そう言ってこの現場に派遣されていた魔法少女の片割れ――星見は、泣きそうになりながら蹲り、鶫の服を縋るように掴んだ。
「同じ頃に魔法少女になって、いつか一緒に六華になろうって約束して、今度は自分が頑張る番だってあの子言ってたのに、どうしてあんなことを……」
そう言って星見は項垂れるように地面を見つめた。
――その瞬間、鶫は「ああ、彼女は恨み言を言いに来たわけじゃなかったんだな」と漠然と悟った。そうでなければ、こんな風に懺悔するような言葉を自分に向けてくるはずがない。
ただ彼女は、同じ魔法少女である鶫に、どうしようもない気持ちを吐き出したかっただけなのだろう。
――思えば、彼女も辛い立場なのかもしれない。
誰かが残る必要があるせいで病院に運ばれた友人にも付き添えず、いざという時は後詰をしなければいけないため、葉隠桜が戦い終わるまではこの忌まわしい場所から離れることも出来ない。そんな彼女の心境は、いかほどのものか。……想像するのも心苦しい。
もし鶫に出来ることがあるとすれば、その心をほんの少しだけ軽くしてやることだけだ。
鶫はそっと手に持っていた書類をテーブルに置くと、静かに口を開いた。
「貴女たちは、どうして魔法少女になったんですか?」
「……え?」
「六華……いまは十華ですけど、そうなりたいと願う前に、魔法少女を志した理由があったのではないですか? それは――本当に六華じゃないと叶えられないものだったのでしょうか」
鶫はそう言うと、そっと星見の手を取った。
魔法少女になりたいと思う少女の大半はいわゆるアイドル志望――輝かしい未来を夢見て神様と契約するが、そこに待っているのは命がけの戦いと地道な鍛錬が殆どだ。上手くいかず、夢破れて去っていく人数の方が遥かに多い。
毎年三割の人数の魔法少女が入れ替わり、その中で何年もずっとこの世界に残ってるのは本当に強い魔法少女か、
C級の子と、やっとA級に上がったばかりの星見。
少なくとも星見にはA級に上がるだけの才能があり、C級の子にはそれが無かった。
二人の間にどんな絆があったのかは分からないが、その差がC級の子の心に影を作ったのも事実だろう。恐らくその焦りが、今日という日の悲劇を招いた。
「魔法少女は強ければ強いほどいい。けれど無理をして戦い、死んでしまっては何の意味も無いのです。病院に運ばれた彼女は、その狭間で迷いを抱えていたのではないでしょうか」
「……それは」
「上を目指すのは素晴らしいことだと私も思います。けれど、手段と目的を見失ってはいませんか? 貴女は、友人が不安を抱えて無理をして命を懸けてでも――自分に追いついて欲しかったのですか?」
「――違う!! そんなことあるわけない!!」
鶫の淡々とした言葉に、星見は叫んだ。
ふうふうと息を切らし、過呼吸になりそうなほどに自身の胸を左手で押さえつけながら、鶫を睨みつける。その目には、先ほどとは違う光が宿っていた。
鶫は冷静に星見を見つめながら、言い聞かせるように言った。
「貴女たちは、もっと話をするべきだった。今でも本当に十華になりたいのか。かつて目指していたものは何か。自分の能力に限界を感じていないか。本当に守るべきだったものは何か。強い魔獣と戦うことをどう思っているか。そしてこれから、二人で何をしたいのかを。それは今からでも決して遅くはないと思います」
「でも、だって、あの子は、あんなに血を流して……」
「大丈夫。何年も魔法少女を続けた子の体は、最適化されてかなり強くなっているから、多少の怪我くらいならそう簡単に死んだりしません」
実際の所、ベルが言うには契約神が死なせないように手を回しているそうなので、命に別状はないはずだ。
だが、神様は心の問題まではきっと解決できないだろう。それこそ近しい者――友人である星見以外には。
「だから、この戦いが終わったらすぐに病院に駆けつけてあげて下さい」
そこまで言って鶫は星見の肩を軽く叩き、静かに立ち上がった。
そうしてゆっくりと星見の掴んでいる手を解き、遠すぎない位置でハラハラとこちらを見守っている現場職員たちに微笑んだ。きっと、彼らも心配だったのだろう。
……まあ一歩間違えば第二の修羅場になったかもしれないので近寄れなかったのは分かるが、そこは思い切って声を掛けて欲しかった。
すると彼らはホッとしたように息を吐き、手に持っていた連絡用のスケッチブックに「葉隠さん、そろそろ時間です。準備をお願いします!」と書き込んで掲げて見せた。どうやら、もうそんな時間らしい。
鶫はやれやれと小さく肩を落とすと、了承したと見えるように職員たちに大きく手を振った。そして星見に向き直ると、安心させるように笑ってみせた。
「心配しないでください星見さん。星見さんがすぐに病院に向かえるように、急いで終わらせてきますから」
鶫はそう言って、魔獣の出現予測が出ている場所へと歩き始めた。
「ま、待って!!」
そうして歩き出した鶫の背に向かって、星見が声を掛ける。振り向いて見た星見の顔には、もう陰りは見えなかった。
「――ありがとう。……でも、無理しないでね。どうか気を付けて」
――その言葉が言えるなら、きっともう彼女は大丈夫だ。きちんと話し合いさえできれば、もう拗れることはないだろう。
鶫はそう思い、返事はせずに笑顔で返した。
すると星見とのやり取りを黙って見ていたベルが、つまらなそうに鶫に声を掛けた。
「喧嘩を売ってきた相手に対して、随分とお優しいことだな。同情でもしたのか?」
「他の人達がどう思ってるのかは分からないけど、魔法少女は敵じゃなくて仲間なんだから争う必要が無いよ。それに、落ち込んでいる人に冷たくするのは心が痛むし……」
そう言って鶫は苦笑した。あれくらいの言葉は暴言とは言えないし、落ち込んでいる星見をこれ以上追い詰めるつもりもなかった。ならば、あの対応が最善だろう。
「ふん、そんな有様だといつか損をするぞ」
「いつも心配してくれてありがとう、ベル様。大丈夫、引き際は弁えてるつもりだから」
結局のところ鶫は星見の背中を押しただけで、これから拗れてしまった関係を回復するのは星見自身の仕事だ。鶫としても、これ以上は無理に関わるつもりはない。
そうして所定の位置にまでたどり着いた鶫は、職員に向かって合図をした。空の割れ目を確認し、結界を張る。
空間が歪むぐにゃりとした感覚が、鶫の世界を包み込んだ。
――元より相手はB級。負けるつもりはさらさらない。もちろん油断は禁物だが、気を引き締めるに越したことはないだろう。
――ただ今の時刻は午後三時三十分。満を持して鶫は、魔獣との戦いに身を投じた。
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