第171話 無辜の献身
泣く泣く休憩を切り上げ、店で会計を済ませた鶫は急いで魔獣対策室へと向かった。
「――失礼します。葉隠桜、ただいま到着しました。あ、こちら良かったら皆さんでどうぞ」
対策室のある棟まで転移した鶫は、扉を開けて大きな紙袋を差し出しながらそう言った。
紙袋の中には、急いで詰めてもらったアフタヌーンティーの軽食などが入っている。会計の為に店員を呼んだ時、落ち込んでいる鶫があまりにも哀れだったのか、店の人が総出で箱に詰めてくれたのだ。そのおかげで呼び出しの電話からそんなに時間をかけずに対策室まで来ることが出来た。
だが今から魔獣退治に行くのに現場でお菓子を食べるわけにはいかないので、そのまま対策室の面々に差入れとして提供した。ついでにショーケースに並んでいたサンドイッチも買ってきたので、大体の人には行き渡るだろう。
ちなみに評価に厳しい日向がべた褒めしていたお店の品なので、味は保証できる。
そうして鶫が紙袋を近くにいる職員に手渡すと、手の空いた人から先にモソモソと軽食を食べ始めた。中にはやつれた顔で涙を流しながら食べている人などもいるので、カウンセリングを呼んだ方がいいんじゃないかと心配になってくる。
「いつも色々頂いてしまってすみません、葉隠さん。今日は少し立て込んでいて、食堂に行けなかった人たちも居たので助かります」
駆け寄ってきた因幡が、苦笑しながらそう言って頭を下げた。……相変わらず対策室は忙しい様だ。
前に因幡と話したのだが、政府の食堂は対策室とは別の棟にあるため、忙しい時は食事を取りに行くのも難しいそうだ。
衛生管理の問題から食堂から職員が食べ物を持ち出すのは禁止されているため、手の空いた一人がみんなの食事を持ってくるということもできない。
食堂スタッフに依頼して食事を棟まで持ってきてもらうことも可能だが、魔獣対策室はその業務の重要性から、対策室のある棟は有事以外は棟の職員とB級以上の魔法少女しか立ち入りが許されておらず、食事を運んでもらうのも毎回手続きが必要で大変らしい。
そういった事情もあり、自然と食事を抜く事態が横行しているそうだ。……あまりにも過酷すぎる。
「食堂から食事を運んでもらう時に、要件を簡略化してもらえるように上に要望を出しておきましょうか? 機密管理が問題なら、運んでもらう食堂スタッフを限定してその人だけ出入りを自由にしてもらうとか、色々方法はあると思うので。一応上の方にも、遠野さんを通じて話を通しておきますし」
鶫も政府に出入りするようになりそこそこ横の繋がりも出来てきたので、それくらいの要望だったら十華の権力で何とかなるかもしれない。
鶫がそう提案すると、因幡は申し訳なさそうに頷いて言った。
「うう、そうして頂けると本当に助かります……」
「いえいえ、お腹が空くのは誰だって辛いですから。――それで、今回は何があったんですか?」
鶫が本題について問いかけると、因幡は弱りきった表情で口を開いた。
「それがですね――」
……因幡が言うには、今から二時間前にB級の出現が観測され、現地にはすでにC級とA級の魔法少女が到着していたそうだ。
だが戦う予定だったC級の魔法少女――昇級をかけて挑む予定だったらしい――が直前になって恐慌状態に陥り、自殺未遂を起こした。現在は病院に搬送中とのことだが、まだ生死は分からないらしい。
そしてもう一人残っていたA級の魔法少女なのだが、運の悪いことに自殺未遂をしたC級の子とかなり親しい間柄だったらしく、そのシーンを直で見てしまった結果、現在は戦えるような精神状態ではないらしい。
つまり、現場に戦える者がいなくなってしまったという訳だ。
そして魔獣出現まであまり時間が無いとの理由で、すぐに現場に向かえる葉隠桜に白羽の矢が立ったそうだ。
……なんというか、言葉が出ないくらい悲惨な状況だった。
「事情は分かりました。座標を教えて頂ければすぐにでも向かいます。……その、なんというか、大変でしたね」
鶫が言葉を選びながらそう告げると、因幡は小さく首を横に振って言った。
「いいえ。これは彼女たちをそこまで追い詰めてしまった大人の責任です。我々には、それを大変だと言う資格はありません。――葉隠さんには今回ご迷惑を掛けてしまいますが、どうかよろしくお願い致します」
因幡はそう言うと、深々と葉隠桜に向かって頭を下げた。
――
まあ以前の日向のように大人を小馬鹿にした態度を取るなら話は別だが、今回のように明らかに魔法少女側に問題があった場合でも、彼らは
……口さがない人達は、此処の人たちのことを安全圏で命令しているだけの臆病者と揶揄するけれど、鶫はこの人たち以上に勇気のある大人を知らない。
鶫はそっと因幡の肩を抱き顔を上げさせると、慈愛に満ちた声で告げた。
「私、因幡さん達のそういう所をとても尊敬しているんです」
彼らは怪我をした一般人に責められ、殉職した魔法少女の遺族からも責められ、上層部の人間からは始末書の多さを責められ、いつも怒られてばかりいる。
他に割のいい仕事なんていくらでもあるのに、それでもこの過酷な仕事を辞めずに必死で働いているのは、自分たちが何よりも重要な仕事をしているという意地があるからだろう。実際、彼らの献身がなければこの国はとっくに魔獣に蹂躙されているはずだ。
――だからこそ鶫は、彼らのその高潔さをとても尊敬している。
「貴女方がこうして魔法少女を支えてくれているおかげで、今の平和があるのだと思います。――こんなに尊敬できる人達は、他に居ません」
成り行きで魔法少女になった鶫とは、そもそも覚悟の重さが違うのだ。尊敬しない理由がない。
……まあ時々情緒不安定になったり、異常行動をしたりする部分はあまり褒められないが、彼らの激務を考えればそれくらいは仕方がないだろう。
鶫が本心からそう告げると、因幡は両手で顔を覆ってずるずるとその場にしゃがみ込んでしまった。下から微かに、ううぅ、と唸るような声が聞こえて来る。
鶫がもしかしたら余計なことを言ってしまったのかもしれないと焦っていると、近くにいた職員がぬっと横から顔を出し、ケラケラと笑いながら言った。
「あーあ、推しの濃厚なファンサを目の前で受けてしまったせいでこんなことに。――はい、これ現場の座標と資料ね。室長が動けなくなったから俺が代わりに渡しておくわ」
「あ、はい。ありがとうございます。……その、因幡さんは大丈夫ですか?」
「たぶん駄目だけど心配しなくていいよ。そのうち再起動するから」
職員はそう言って笑うと、鶫の背を軽く押して「あと三十分しか時間がないからもう行った方がいいよ。あ、現場の空気は死んでるかもだけどがんばってね。愚痴りたくなったらいつでも聞くからさ」と不穏なことを告げた。
……まあ現場で自殺未遂が起こったのだから、空気が沈んでいてもおかしくはないだろう。
そして鶫は未だに蹲っている因幡を気にしつつも、時間が迫っているので小さく頭を下げて対策室を後にした。目指すは
京都――鞍馬山である。
◆ ◆ ◆
一方、鶫が去った対策室の中はしんと静まり返っていた。
いや、あえて言うなら鼻を啜る音や軽い嗚咽が響いているが、それをカウントしてしまうのは些か酷だろう。
そして葉隠桜に座標を手渡した職員――副室長の伏見はその光景を見てやれやれとため息を吐き、大きく手を叩いて言った。
「はいはい、みんな余韻に浸ってないで手を動かそっか。仕事は待ってくれないからねー。ほら、室長もさっさと立って。関係各所への連絡とかがまだ残ってるんだから」
伏見はそう言うと、しゃがみ込む因幡の脇を持って引っ張り上げた。まるで駄々をこねる子供にする対応である。
因幡はもう涙こそ出ていないものの、赤く充血した目を擦り、呻く様に言った。
「ゆ、油断しました。まさかあんなことを言われるとは。危うく心臓が止まるところでしたよ」
「素直に嬉しかったって言えばいいのに。ま、あんな風に思ってくれる奴がいるなら俺らも多少は報われるわな。クソ忙しい部署にいる甲斐があるってもんよ」
そう言って緩く笑う伏見に、因幡は胡乱気な目を向けた。
「その割には、伏見君は平気な顔をしてますけど。他の子はあんな状態なのに」
そう言って因幡は他の職員たちを見渡した。部署の風評のせいで普段から努力を顧みられないからこそ、因幡と同じように葉隠桜の言葉が心の柔らかい所に突き刺さったのか、言葉に出来ない衝動を持て余している者たちが殆どだった。
――言ってしまえば、彼女の言葉で全てが
今までの苦労も、悲しみも、理不尽も、全部あの一言だけで吹き飛んでしまった。自分たちのやってきた事は正しかったのだと、強く思うことが出来たのだ。情緒がぐちゃぐちゃになっても仕方がないと思う。
因幡がそう告げると伏見は、言いにくそうに小首を傾げながら周りに聞こえないように呟くような声で言った。
「俺はむしろ、あの子のことが少し
「……まあ、伏見君の言いたいことは大体分かりますけど」
そう言って因幡は苦い顔で頷いた。もう現時点で対策室の人達は葉隠桜を神聖視している節があるので、その光景は容易に想像できる。
絶対に無いと言い切れるが、もし彼女が「こんなお仕事なんか辞めて遊びに行きましょう」と言い出したら、ふらっと着いていきそうな職員が何人もいる。そんなことになれば、あっという間に此処の対魔獣戦線は崩壊するだろう。
……そう考えると少しだけ恐ろしいものがある。伏見の言う事も一理あった。
因幡は心を落ち着けるように長く息を吐くと、静かに伏見を見据えて言った。
「本来魔法少女に対して平等であるべきこの部署が、葉隠さんという個人に傾倒しているのはあまり良い事だとは言えません。ですが今までの彼女の貢献を考えると、感謝の気持ちを抱かない方が難しいのも事実。……悩ましいですね。手の打ちようがありません」
「でしょ? だから一人くらいは一歩引いたところで見てないと。俺はあの子のこと信用しているけど、万が一何かあったら大変だからさ。ここはある意味、魔法少女の心臓部なんだから気を付けないと」
伏見はへらりと笑いながらそう言うと、小さく肩をすくめた。
――この俯瞰能力の高さこそが、彼が対策室の副室長に選ばれた理由でもある。
その分ひどく合理的なのでたまに因幡とは相容れない時があるが、非人道的な決断を迫られることがあるこの部署には間違いなく必要な人材だった。
「ほら、室長もさっさと仕事に戻って。今日も明日も明後日も、ずっとここは忙しいままなんだから。目の前の仕事から減らさないと」
「分かっていますよ。――尊敬できる大人のままでいられるよう、我々も頑張らないといけないですからね」
そう言って、因幡はそっと右手を自分の胸に置いた。
きっと明日になればまた新しい問題が出てるのだろうが、決してこの心は折れることは無いだろう。たった一人でも、この背を頑張れと押してくれる人がいる限り。
――魔獣対策室の過酷な戦いは、そうして今日も続いていく。
◆ おまけ ◆
・七瀬鶫
その人/神が望んでいる言葉を本能的に
生まれる時代が違えば、現人神として祭り上げられていた可能性もある。
・魔獣対策室
残業が多くブラック企業よりもブラック。
基本的に優秀かつ国の為にありとあらゆるものを犠牲に出来る精神がある人材が振り分けられる。だがその職務の性質ゆえか、世間からはあまり良い目では見られていない。
ただ此処に入ってくる人間は皆頭が良いせいか、この部署が潰れたら国が終わることを理解しているため、みんな必死になって働いている。
本格的に体を壊す前に休職の措置が取られ、復帰後希望者は別の部署に移動できるが、ほぼ皆対策室に戻ってくる。他部署からは畏怖と尊敬の目で見られる超人の集まり。
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