第168話 真夜中の邂逅

 その後、急遽呼ばれた専門家たちが義眼を調べた結果、涼音の右目に嵌っているのは吸収の効果を持つ魔具アーティファクトだという事が分かった。

 

 それは本来であれば生気を吸い取って相手を弱らせるのに用いるタイプの呪具なのだが、涼音のそれは赤い糸を見る力=異能を吸収することに特化しており、これを装着している間は糸が見えなくなる効果があるらしい。ある意味、涼音にしか使えない魔具だった。


 使用時は特に副作用などはないが、問題があるとすれば吸い上げた異能の力が器いっぱいになると魔具が機能しなくなるので、定期的に力を抜く作業が必要になるとのことだ。

 まあ定期的と言ってもそれは十年程の単位なので、それまでに魔具の力の抜き方を研究していくらしい。

 その研究は魔具研究のニューホープである芽吹が快く名乗り出てくれたので、ひとまずは安心である。


――だが、これで「良かったね」と言って終わらせられるほど事態は甘くない。


 涼音に義眼が嵌め込まれたのは、祈更が廊下に出て鶫と話していたほんの僅かの間であり、犯人は誰にも気付かれずに涼音の病室に侵入して去っていったのだ。

 勘の鋭い祈更と、仮にも魔法少女である鶫が病室の前に居たにも関わらず、何も気づけなかった。この時点で、犯人の技量があまりにも高いことが伺える。


 涼音は事件のことは何も覚えていなかったが、病室で相手と何か目に関することを取引したという記憶だけは残っていた。

 専門家曰く、異能の力が染みついた右目を差し出すのと引き換えに義眼を貰ったとも考えられるが、それにしては代償が軽すぎるらしい。等価が釣り合っていないのだ。


 今日に至るまで、不本意ながら何柱もの神と約束を交わしてきた鶫にとって、その危険性は痛いほどに分かる。果たして釣り合わなかった分の対価を、が保証することになったのだろうか。そう考えると、少し恐ろしいものがある。


……とりあえず専門家の見立てでは、今のところ命に係わる契約などは交わしていない様なので、暫くは要経過観察となるそうだ。不安ではあるが、涼音にこれ以上厄災が降りかからないことを祈るばかりである。


 諸々の検査を含め、涼音は事件から一ヶ月の間病院に拘束される結果となったが、涼音は目を一つ失ったとは思えないほどに元気だった。

 まあ今まで苦しんできた悩みが解消されたのだ。気持ちは分からなくもない。



――そして涼音がゆっくりと入院している間、鶫は緋衣からスライドされた仕事を必死でこなしていた。


 放課後や休日の時間だけでは足りないため、出席日数に響かない程度に学校を休むことになったのだが、後半は緋衣の元へ手伝い、もといインターンという魔法の言葉で無理やり学校を休んだ。緋衣のネームバリューでゴリ押したと言ってもいい。

……この時点で進学先がほぼ緋衣の元に決定してしまったのだが、なんだか少し嵌められたような気がしなくもない。


 一方、鶫に魔法少女――雪野としての仕事を押し付けた緋衣は、普段の研究に加えて涼音の事件の解明に追われていた。

 だが、探査などに長けた魔法少女と協力して原因究明にあたっているものの、結果は芳しくないらしい。このひと月の間にも、週に一、二人の被害者が出ているそうだ。


 鶫としても協力したい気持ちはあるが、専門の魔法少女や神様の協力があっても捕らえられない存在を、鶫がどうにかできるとは思えない。手の打ちようがないのが現状だった。


 アプローチ方法を変え、八月に政府の手に渡ったイギリスの透明マントの原理を解析して、相手の姿隠しの術から無効化しようという動きも出ているが、それはそれで時間が掛かりそうである。


……正直犯人が捕まるよりも先に緋衣が倒れると思うのだが、本当に大丈夫なのだろうか。



――とりあえず緋衣のことは置いておいて、鶫の現状を詳しく話そう。


「こちらは今日も今日とて魔獣退治。……そろそろ纏まった休みが欲しいな」


 操った糸でD級の魔獣をキュッと絞めながら、鶫はそう呟いた。


 緋衣――雪野の分のシフトを代わった結果、増えたのは上級との戦いではなく、D級やE級などの出現時間が短いもの――つまり魔獣の出現までに魔法少女の移動が間に合わない場所への派遣だった。


 そもそも今期の上級魔法少女は粒ぞろいの為、魔獣との相性さえ事故らなければ早々に殉職する危険もない。なので上級の魔獣と戦うシフトから一人外れても、そこまで問題はないのだ。

 それ故に、場所・回数・時間の縛りがほぼない転移能力持ちの葉隠桜は、出現時間が短い魔獣退治に回されることが多かった。


 鶫としても、無理をしてまで上級の魔獣と戦いたいとは思っていなかったので、時間と体力が許す限りはその案件を受けていたのだが、何故か魔獣対策室の面々に新手の宗教か?と言いたくなるくらい感謝されるようになった。

 彼ら曰く、どうしても対応できない事例に葉隠桜が出ることで、始末書案件――つまり逃げ遅れた人が怪我を負うなどの事故が減ったらしい。


 そして千鳥が所属する転移管理部からも、時間と場所関係なく派遣できる葉隠桜がシフトに入ることで対策室からの無茶ぶりが減ったと喜ばれた。

 ちなみに葉隠桜が出ると移動コストがゼロなので、コスパが良く政府のお財布に優しいと評判である。……まあ結局政府の活動資金は税金だから、出来るだけ節約できた方がいいのは分かるけども。


 ただ一つ大変だったことは、雑魚狩りばかりではつまらないと言うベルの為に、下級相手でも出来るだけ芸術点の高そうな倒し方を考えなくてはならないことだろうか。

 手首の角度やスカートの揺れ方にこだわってみたり、魔獣を切り裂く時に骨の断面の配置を計算してみたり、はたまた魔獣を利用して反射神経や力比べのトレーニングをしてみたりなど、思いつくことは全部やった。そろそろ本当にネタ切れになってくるので、どうにかしたいところだ。


 後は戦いが増えたせいで、獣の口の食事回数がかなり増えたのだが、今のところ胃もたれする気分になるだけで特に体に影響はない。

 つまり忙しいことを除けば、びっくりするくらい平穏なひと月だった。


……あえて不満を言うとすれば、やはり最近の忙しさについてだろうか。

 とくにこの頃は帰りが夕飯の時間も合わないことが多く、あまり千鳥とも話が出来ていなかった。千鳥は、以前のように何か思い詰めている雰囲気はなくなったものの、どこか調子が悪そうにも見えるので、その内ゆっくりと話す機会を設けた方がいいのかもしれない。


 そして他の友人たち――行貴などは学校に行った際に会えるが、鈴城や壬生とは電話やチャットくらいでしか話す機会がなかった。

 元々彼女たちも自分の仕事で忙しい上に、何人もの魔法少女が秘密裏に例の事件の捜査に出ているので、他の魔法少女達にしわ寄せが来ているのだ。

 お互いに落ち着いたらまた出かけようと約束しているが、この調子だとまだ予定は先になりそうだ。


 なお遠野は現在、鶫の休憩時間を狙って外に連れ出す事に嵌っているらしい。

 最近だとカラオケやボーリング、時には魔導バイクでのツーリングに連れていかれた。……たしかにあのバイクの駆動は、鈴城が言うように戦いとは別のベクトルで命の危機を感じた。まあ結果的には、全部息抜きになっているので文句はないのだが。



 そんな日々を送りつつ、その日最後の仕事を終えた鶫は、帰りに帝都大の研究室によって緋衣の様子を見に行った。

 インターンに出ているという設定の為、シフトがある日は毎回帰りに研究室に寄っているのだが、いつ行っても緋衣は死んだ目で作業をしている。……あまりにも可哀想なので掃除と食事の用意を毎回してあげているのだが、日に日に痩せていっているので心配である。


 そうやって緋衣の世話を焼いている内に日付が変わり、鶫は深夜になって人通りのない道をふらふらと歩きながら帰路についていた。


 そんな鶫を見ながら、ベルは呆れたように言った。


「お前も、よく他人にあそこまで尽くせるものだな。放っておけばいいものを」


「いや、放っておいたら死んじゃうよあの人。流石にそれは寝覚めが悪いし……」


 緋衣の契約神である医神のナーサティヤがいる限り、放っておいても死ぬ一歩手前ぐらいで踏みとどまれるのかもしれないが、知人が謎のお茶エナジードリンクによって薬漬けになっているのを見て心が痛まない人間はいないだろう。

 ナーサティヤは緋衣の健康に気を使っているように思えるが、馬車馬のように働く緋衣を見て楽しんでいる節があるので、正直あまり信用はできない。つくづく自分の契約神がベルで良かったと思う。


「例の事件が解決さえすればもう少し落ち着くんだろうけど、ベル様の方には犯人の情報とか入ってこないのか?」


 鶫がそう問いかけると、ベルは憮然とした様子で答えた。


「一部の神が怒り狂ったように下手人を探っているが、一向に見つかる気配はないな。十中八九逃れ者の仕業だろうが、上手く隠れたものだ」


「へえ、人間が被害者の事件に対して怒ってくれるなんて、優しい神様もいるんだね」


 鶫がそう言うと、ベルは哀れなものを見る目をしながら口を開いた。


「相変わらずおめでたい頭だな。怒っている者は、自分の遊び場を汚されたことへの怒りが三割。自分の魔法少女にしわ寄せが来ている事への憤りが二割。自分は我慢しているのに天照の管理を外れて好き勝手している奴への嫉妬が五割だぞ」


「うーん、ゲームの違反者チーターに対する感情みたいなものかぁ。分かるような、分からないような……」


 神様たちのエゴイスト加減に苦笑いしながら、鶫は肩をすくめた。ここまで来るといっそ清々しいのかもしれない。


 そんなことを話ながらベルと歩いていると、真っ暗な道の先に小さな人影があることに気が付いた。

 その身知った・・・・姿に、思わず眉を顰める。


 鶫はその人影に近づくと、諭すような声音で言った。


「――その子にあまり無理はさせないで欲しいと言ったはずですよ、フレイヤ・・・・様」


 すると人影――夢路撫子の体を借りたフレイヤは、愛らしいパジャマ姿のままニコリとほほ笑んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る