第166話 見えない敵

――涼音から奇妙な夢の相談を受けた次の日、涼音は学校に来なかった。


 登校して鶫がそれを知った時は、「休みを取って早速相談に行ったのかな?」くらいにしか思っていなかった。

 だがHRの後から急に教師たちが慌ただしく動き出し、あっという間に休校が決定した時、鶫は何かただならぬことが起こっていると悟った。


 訝しがりながらも帰り支度をするクラスメイト達を尻目に、もしかしたら涼音の件が関わっているのかもしれないと考えた鶫は、確認のため携帯電話を手に取った。


 その瞬間、タイミングよく誰かから着信が入った。


「……緋衣さん? 急にどうしたのかな」


 携帯の画面を確認し、鶫はそう呟いた。

 緋衣からは普段からよく電話が掛かってくるが、こうして学校にいる間に連絡が来ることは珍しい。そう不思議に思いながら、鶫は電話を取った。


「はい、七瀬です。何か御用でしょうか」


「七瀬か? 今すぐ指定の病院まで来てほしい。だが転移は使うな。電車かタクシーを使ってくれ。詳しいことは着いたら話す」


「は? 急にどうしたんですか?」


 いきなりそんなことを言い出した緋衣に対し、鶫が思わずそう聞き返すと、緋衣は感情を押し殺したような低い声で告げた。


「――渚が何者かに襲われて怪我を負った。彼女が最後に会っていたと思われる君から話を聞きたいんだ」






◆ ◆ ◆ 






 指示通り急いで病院に来た鶫は、入り口で待ち構えていた緋衣に捕まり、玄関ロビーの奥にある人気のないテーブルまで連れていかれた。

 そしてそのまま席に着くと、緋衣は潜むような声音で話し始めた。


「悪かったな、急に呼び出して。――一応断っておくが、僕は別に君を疑っている訳じゃない。ただ話を聞きたいだけなんだ」


「いえ、それは全然気にしてないんですけど、涼音先生は大丈夫なんですか? 襲われて怪我を負ったって、どうしてそんなことに……」


 鶫が不安気にそう問いかけると、緋衣はぐっと眉間を押さえて話し出した。


「渚は昨日の夕方――七瀬と別れたとされる時間帯以降連絡が取れず、深夜に学校近くの廃神社の前で血を流して倒れている所を発見された。まだ目覚めてはいないが、幸いなことに命に別状はない」


「血を流して……!? 涼音先生の怪我はそんなに酷いんですか?」


「いや、状況にもよるだろうが怪我自体は一週間もすれば退院できる程度だ。ただ、」


 そう言って緋衣は少し口籠るように視線を迷わせ、やがて吐き出すように言った。


「――何者かによって右の眼球・・・・を抉りだされ、持ち去られていた。本人に話を聞けていない以上何とも言えないが、心の傷は計り知れないだろう」


「そんな……」


 声が震えるのを押さえるように、手で口を覆う。涼音が怪我を負ったと聞いた時点でただ事ではないと思っていたが、事態は予想以上に深刻らしい。


「犯人は犯行の痕跡を一切残さず、ご丁寧にも周りの神経や筋繊維に無駄な傷一つ付けずに渚の眼を抜き取った。これがどういう意味だか分かるか?」


「……間違いなく、神か魔獣が絡んでいるかと」


 鶫は静かにそう答えた。状況の不自然さから考えて、普通の人間の犯行とは考えにくい。

 それに対し、緋衣は肯定するかのように頷いた。


「僕が真っ先に病院に呼ばれたのも、渚の親戚だからというよりそちらの意味合いの方が大きいんだ。――政府が秘密裏に動いているため世間には知られていないが、このひと月の間、何人もの女性が血や爪などを奪われる事件が起きている。詳しい検査結果が出ないと分からないが、渚の件も同一犯の可能性が高い。……これ以上の被害は抑えたいが、あまりにも情報が足りなすぎる」


 ギリッ、と緋衣が怒りを滲ませながら両手を握りしめた。どうやら、あまり捜査は順調ではないらしい。


 一方鶫は、初めて聞いた事件の内容に驚きを隠せなかった。

 無差別に女性を狙う事件――内容こそは違うものの、八月の魔花の事件を彷彿とさせる字面だ。あの事件以降、イレギュラーへの対策が取れなかった政府に対する批判が増えている。政府が秘匿捜査しているのも、世論からの批判を避けるためなのかもしれない。


「やっぱり、世間に公表はしないんですか?」


「公表しても別に対策が取れるわけじゃ無いからな。今までの被害者たちは、誰も犯人の姿を覚えていなかった。いつの間にか意識を失い、気が付いたら血を流した状態で知らない場所にいたらしい。こんなことが出来るのは超常の存在だけだ。周知したところで防げるものでもない」


「それは、そうかもしれないですけど。……ちなみに緋衣さんは、神と魔獣のどちらが犯人だと思いますか」


「8:2で管理ルールをすり抜けた災害カミだな。イレギュラーの魔獣にしては随分と気配を隠すのが上手すぎる。どちらにせよ厄介なことには変わりないが」


 そう言って緋衣は深いため息を吐いた。


――天照の敷いたルールに縛られている神は、一般人を害することは決してできない。だが、それでもフレイヤのような例外は少なからず存在する。

 そんな風に何らかの手段によって天照の管理から逃れた存在が、女性を襲った。……何となく違和感はあるが、生贄を求める神が存在することを考えると、そんな神がいてもおかしくはないのかもしれない。


 だが、何千万人もいる人間の中で、その神はどうして涼音に目を付けたのだろうか。無差別の犯行にしては、他の被害者と比べて随分と狙いがはっきりしすぎている。


 そこまで考えて、鶫は一つの事実に気が付いた。


「どうかしたのか?」


 急に顔色を悪くした鶫に、緋衣が問いかけた。


「――予兆はあったんだ。あの夢のことを、もっと俺が真剣に考えてあげていれば……!!」


 鶫はそう声を上げて、頭を抱えた。


――まさに、涼音に相談された夢こそが予兆そのものだったのだ。

 悠長に専門家に話をしてみたら、だなんて言っている場合ではなかったのに。今更それに気づいても、もうどうすることも出来ない。


 そして鶫は、懺悔する様に涼音の見ていた夢のことを緋衣に話した。荘厳な祭壇に霞のような人型、黄金の杯、そして涼音が不安を口にしていたことを。

……恐らく鶫にこの話をした時点で、涼音は何者かに目を付けられていたのだ。いっそ、手遅れな程に。


「すみません。俺が昨日先生に相談された時、もっと親身になってあげていたら……」


 鶫がそう謝ると、緋衣は小さく首を横に振って言った。


「いや、君は悪くない。渚に相談された時点で、こんなことが起こるなんて誰も思わないだろう。それに僕が同じ相談をされたとしても、似たような判断を下したはずだ」


「でも……」


「これ以上は埒があかないな。この話はここで終わりだ。そんなに謝りたいなら後で渚本人に謝ってくれ。――何にせよ、渚に最後に会ったのは恐らく君だ。この後、警察と政府の役人からの聞き取り調査があるから、君も話せることはちゃんと話すように。分かっているとは思うが魔法少女関連の話は口に出すなよ。問題がややこしくなるからな」


 そう言って、緋衣は肩をすくめた。……病院に向かう際、わざわざ移動手段を指定したのはこの為だったのかもしれない。

 無いとは思うが、転移を使っていた場合、学校から病院までの到着時間を調べられたら面倒なことになっていただろう。痛くもない腹を探られるのは困る。


「分かりました。気を付けるようにします。……あの、聞き取りの後で構わないんですけど、涼音先生にお会いすることは可能ですか?」


「見舞客の面会はまだ許可されていないが、まあ親戚の僕が言えば大丈夫だろう。後で医者には伝えておくから、聞き取りが終わったら向かうといい」


「ありがとうございます」


 鶫はそう言って頭を下げた。自己満足と言われればそれまでだが、どうしても無事を自分の目で確認したかったのだ。


 鶫が気落ちしているのが見て分かったのか、緋衣は鶫の肩を軽く叩きながら優しい声で言った。


「何度も言うが、君に非はない。渚だってきっと同じことを言うだろうさ。……まあ、病室に付き添ってる祈更の奴からは嫌みの一つや二つは言われるかもしれないが。悪いがその時は許してやってくれ。学校から消えて倒れていた渚を見つけたのはあいつなんだ。たとえ八つ当たりだと頭では理解していても、誰かを責めずにはいられないんだろう」


「……大丈夫です。祈更先生の気持ちも理解できますから」


 そう言って鶫は苦笑した。家族のように大切にしている幼馴染が怪我を負わされたのだから、多少気が荒くなるのは仕方がない。鶫だって千鳥が同じような目に遭えば、似たようなことをするかもしれないのだから。


 その後鶫は、緋衣と共に警察と政府の役人からの事情聴取を受けた。


 事件時のアリバイなども聞かれたが、警察も涼音の事件は人外の仕業だと思っているのか、そこまで深くは聞かれなかった。


 一時間ほどで事情聴取は終わり、緋衣とはその場で別れた。どうやらこの後もやることが山積みらしい。そんな状況で、事情聴取に付き合ってもらえただけでも僥倖だろう。


「……さて、それじゃあ病室に向かおうか」


 医者にはすでに緋衣から話を通しており、面会の許可は貰っている。医者が言うにはまだ涼音は目覚めていないらしいが、今日は様子を見れるだけで十分だ。


 そうして鶫は、緋衣から教えられた涼音の病室に向かって歩き出した。



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