閑話 進路相談①
――波乱ばかりだった夏休みが終わり、ついに学校が始まった。
長い休みだったわりには全く体が休まった気がしないが、まあそれは自業自得である。
イギリス遠征から帰ってきた後も、十華の仕事、千鳥とのお出かけや鈴城たちとのカラオケ、クラスメイトからの遊びの誘いや行貴の呼び出し、虎杖の見舞いなどで後半は殆ど家に居記憶がなかった。
……全部好きでやっている事なので文句を言うつもりはさらさらないが、疲れるものは疲れる。
そうしているうちに九月の半ばも過ぎ、まだまだ蒸し暑さが残る中、鶫は千鳥と一緒に学校への道のりを歩いていた。
「あっつ……。こんなことならバスに乗ればよかったな……」
鶫が愚痴るようにそう呟くと、千鳥が呆れたように笑って言った。
「もう、駅から学校まで一キロも無いんだからこれくらい歩かないと。あとちょっとなんだから頑張って」
「はいはい、分かってるよ」
鶫が肩をすくめながらそう答えると、千鳥は不満そうにむくれながらバシンと鶫の背中を軽く叩いた。どうやら適当な返答がお気に召さなかったらしい。
「鶫はもう少し運動をした方がいいと思うけど。今までもずっと帰宅部だったし、大学でも特に運動部に入る予定はないんでしょう?」
「俺はあんまり部活とかそういうのには興味ないから。まあ、太らない程度に体は動かしてるから心配はしなくていいよ」
「本当に? 腕も腰もこんなに細いのに……」
「……俺はほら、かなり着痩せするタイプだから。少なくとも腹筋は割れてるし」
鶫はそう言って不審そうにこちらを見てくる千鳥からそっと目を逸らした。
少なくとも、魔法少女として活動している間は体が戦闘向きに最適化されるため、運動不足になる心配はない。……懸念事項としては、男の状態だと筋肉が付きにくく貧弱に見えてしまうのだが、それくらいのデメリットは仕方ないだろう。
鶫はコホンと咳ばらいをし、話題を変えるように話し始めた。
「大学といえば、千鳥は文系に進むんだったよな。やっぱり帝都大を受けるのか?」
千鳥はここ最近、かねてからの夢だった語学系の進路に進むことに決めたらしく、受験勉強に加え今まで以上に多言語の勉強をしているようだった。
この前イギリスに行って直接別の言語に触れたことで、決意が固まったのかもしれない。
鶫がそう問いかけると、千鳥は困ったように笑いながら口を開いた。
「うーん、実は少し迷ってるの。帝都大はなんとか合格圏内に入るけど、あそこは研究系の方が主流だから。他の国立なら
「ふうん。まあ千鳥ならどこへ行ってもやっていけるよ。俺と違って頭もいいし」
帝都大も千鳥が言った御鏡大もかなりの難関だが、千鳥なら突破できるだろう。まあ鶫はどちらの大学も点数が足りないので受ける予定も無いのだが。
「そういう鶫は行きたい大学は決まってるの? そろそろ決めておかないと後で困ると思うけど」
「俺は特にこれといってやりたいことも無いし、別に合格できて家から近ければどこでも……。あ、できればレポートとか少ない所がいいな」
鶫が適当にそう答えると、千鳥は大きなため息をついた後、「家に帰った後でしっかりと話し合いましょうね」と告げた。どうやら呆れられてしまったらしい。
だが正直鶫はそこまで学問に興味が無いし、何よりも魔法少女としての活動の方が大事なので、あまり受験勉強に時間は取れない。
けれど就職という選択肢はそもそもないので、ランクを落として単位取得が緩そうな大学を選ぶのがベターだろう。……まあ千鳥には怒られるかもしれないが、こればかりは仕方がない。
「……はあ、それにしても進路かぁ」
溜め息をつき、小さな声でそう呟く。
将来の夢、やりたい事、未来への展望――その何もかもが鶫にはさっぱり浮かんでこない。ベルと出会って多少の生き甲斐や義務は生まれたが、明確な目標が無いことだけは変わらなかった。
当初の目的だったさくらお姉ちゃん――梔尸沙昏の件は取り合えずだが解決し、燃え尽き症候群のようになってしまっているのかもしれない。
……魔法少女になってからは、少しは真っ当な人間になれたと自分では思っていたが、どうやらまだまだモラトリアムからは抜け出せないらしい。
その後は千鳥と他愛のない話をしつつ廊下で別れ、いつも通りのクラスメイト達に絡まれながら一日を過ごした。
どうやらこのクラスは受験のプレッシャーとは無縁らしく、他のクラスと違って緩やかな空気が流れている。……このクラスにいると、どうにも感覚がマヒしてくる気がした。
だが別に進路のことを考えていない訳ではないらしく、休み時間などにこっそりクラスメイト達に話を聞くと、殆どの人がもう進路を決めている様だった。
中にはスポーツのプロチームや、開発関係の会社に声を掛けられている者もいて、このクラスの多様性が垣間見えた。そしてまだ進路が決まっていない者も、行く大学を選びきれていないだけで、鶫のようにまったくのノープランな者は一人もいなかった。
……この時点で、流石の鶫も「もしかしてそろそろ焦った方がいいのでは?」と思い始めた。いや、むしろ遅いのかもしれない。
そう考えた鶫はまだ進路の話を聞いていない人物――帰り支度をしていた行貴に話しかけた。
「俺もそろそろ進路を決めようと思うんだけどさ、行貴はなんかおススメの大学とか知ってるか? 近場でいい所があったら教えてほしいんだけど」
鶫がそう軽く問いかけると、行貴は心底不思議そうな顔をして口を開いた。
「えっ、鶫ちゃん大学に行くつもりだったの?」
「いや、普通に行くつもりだったけど……」
「そうなの? 僕としては、鶫ちゃんは大学には
「――流石にそれはひどくないか!?」
てへ、とわざとらしく舌を出した行貴に、鶫は思わず叫んだ。あんまりな言い草である。
確かに鶫は行貴に比べれば成績は良い方ではないが、それでも学年の平均よりは高い点数を取っているし、真面目に授業も出ているのに。普通にショックだった。
いきなりの台詞に鶫が凹んでいると、行貴が笑いながら鶫の肩を叩いて言った。
「もー冗談だよ、冗談。そんな本気にしないでよ。――でもさぁ、今まで進路の話なんて一度もしたことなかったじゃん? 急にどうしたのさ」
「いや……、そろそろ現実を見ようかと思って。まあ別に行きたい大学があるわけじゃないけど、養い親に学費を出してもらってる身で浪人とかはしたくないし」
養父――七瀬夜鶴は、鶫と千鳥の大学卒業までの学費や生活費は全額負担すると以前から言ってくれていた。それ以降はどうするのかまだ話し合えていないが、恐らくは就職して自立することを望まれているのだと思う。
鶫としては、千鳥と違って夜鶴にはあまり好かれていないので、必要以上に迷惑をかけるような事態は避けたい。
……別に貯蓄自体はかなりあるので、金銭的には浪人しても特に問題ないのだが、あくまでも気持ちの問題だ。
それに周りが進学している中で一人だけ浪人するのは精神的にも辛い。
鶫がそう告げると、行貴は薄く笑って言った。
「ああ、例の偏屈な爺さんね。別にそんなの気にしないで貰えるものは貰っておけばいいのに。どうせ一人で寂しく暮らしてて、他に金の使い道なんかないんだからさ」
「あのなぁ、そういう訳にもいかないだろ。……ていうか、行貴の方はどうなんだよ。俺だってお前から進学先の話とか聞いた覚えがないぞ」
鶫が不満げにそう聞くと、行貴は軽く首を傾げながら口を開いた。
「僕? 正直あんまり真面目に考えてなかったっていうか、別に大学なんて何処だって一緒でしょ? 試験なんて適当にやればどうとでもなるし」
「別に間違っちゃいないんだろうけど、なんか普通に腹立つな……」
行貴はさらりとそう言い切った。さも当然のような顔をしているのが余計に苛立ちを煽る。
何より腹立たしいのは、その言葉に一切の誇張が無いからだ。行貴の学力であれば、どんな大学に行くことだって可能だろう。
……こいつはもう全国の受験生たちに土下座するべきだと思う。
鶫が苦い顔をしていると、行貴はへらりとした笑みを浮かべてこう言った。
「まあ、そんな訳だから鶫ちゃんは好きな所を選べばいいよ。僕も一緒の所を受けるから。おススメは地方の大学かな。うざったい連中はみんな此処に置いていこう。あ、いっそのことルームシェアとかしようよ。その方がきっと楽しいって!」
そう何でもない風に言葉を続ける行貴に、鶫は静止の声を掛けた。
「ちょ、ちょっと待って。それ本気で言ってるのか?」
「うん? 別に冗談なんて言ってないけど。何か僕へんなこと言った?」
「お前ならもっと上の大学にいけるだろう? わざわざ俺に合わせる必要なんてないじゃないか……」
最終的に鶫が選ぶのは恐らく中堅程度の大学だろうし、行貴のレベルにはきっとそぐわないだろう。
将来に関わってくる進学先を、食後のデザートを選ぶかのように軽い気持ちで決めようとする行貴に、鶫は困惑した顔をしてそう言った。
すると行貴は、目を細めて穏やかに告げた。
「分かってないな、鶫ちゃんは。僕が
静かにそう告げた行貴を、鶫はしっかりと見つめた。いつものふざけた様な表情ではなく、ほほ笑む様な笑みを浮かべて佇んでいる行貴は、確かに冗談を言っている様には見えなかった。
――何かを言わなくては。そう思うも、上手く言葉が出てこない。
行貴の為を想うのならば、実力に合わせてもっと良い大学を選ぶように説得すべきだろう。けれど、行貴の言葉を嬉しいと思ってしまったのもまた事実だった。
千鳥やクラスの親しい面々は、鶫よりも遥かに上の大学に行くことは最初から分かっていたし、行貴だってどうせ別の大学に通うとばかり思っていた。それが分かっていたからこそ、今まで進路の話題を出すのを何となく避けていたのかもしれない。
……結局のところ、自分は友達と離れるのが寂しかったのだろう。まるで子供みたいだな、と心の中で呟く。
鶫は苦笑するようにクスリと笑い、行貴の肩を小突いて言った。
「あーあ、大学に行ってもまたお前に振り回されるのかぁ」
「振り回すだなんて失礼な! それに僕としては、僕の方がいつも鶫ちゃんに振り回されてる方だと思うんだけどな」
「どの口が言ってるんだよ。この間、お前のせいで刃物を持った女性に追いかけられたのを忘れたのか?」
「えー? そんなことあったっけ? あっそうだ、もし受験勉強するなら僕も多少は付き合うよ。どうせ鶫ちゃんは塾とか行くタイプじゃないし」
「いや、お前絶対覚えてるだろ。……まあ、勉強を教えてくれるのは助かるけど」
二人でケラケラと笑いながら軽口を交わす。
結局のところ、進路の悩みは何も解決しなかったけれど、気が楽になったのは確かだった。
――後日。斜め上の方向から鶫の進路問題は解決することになるのだが、それはまた別の話である。
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