第164話 友の定義

「……随分と浮かれているな」


 遠野が政府にある執務室の中で鼻歌を歌いながら手元の書類を見ていると、ふいに八咫烏からそんな言葉を掛けられた。


 ――浮かれている。確かにそうかもしれない。

 イギリスから帰ってきてからというもの、遠野は空いた時間に他愛もないメッセージを鶫に送り、その反応を楽しんでいた。最初は恐る恐るといった風に返ってきていた返事も、一週間もすれば肩の力が抜けた気やすいものになり、まるで本当の友達みたいなやり取りに変わっていった。

 話の内容自体は今日食べたものや見た夢の話、そんな毒にも薬にもならないものだったが、そういったモノに憧れていた遠野が浮かれてしまうのは仕方がない事だった。


 そんなことを考えながら、遠野は八咫烏を見やった。表所が読めない三本足の烏は、やや不満げに遠野を見つめている。

 まるで保護や気取りだな、と思いながら遠野は心の中でため息をついた。


 ――八咫烏と遠野は魔法少女の契約こそ結んでいるものの、その仲は冷え切ったものだった。……それはあくまでも、遠野の主観ではだが。

 八咫烏自身は、哀れなひな鳥を保護しているつもりなのかもしれない。けれど遠野は、それをいつも冷めた目で見ていた。


 八咫烏が遠野を魔法少女として表に出すように進言しなければ、きっと遠野は今も神祇省の奥に天照の器としてしまわれたままだった。そう考えると、八咫烏は恩人だと言ってもいいだろう。けれど遠野は、八咫烏に対し恩も義理も感じていなかった。


 ただ与えられるがままに政府や神祇省の情報や知識を学んできた遠野は、裏の事情にも精通していた。自分が生まれてきた理由も、母親の末路も、何もかも知っている。だからこそ、遠野に対する八咫烏の行いが、ただの代償行為だと理解してしまったのだ。


 遠野の遺伝子上の母親が天照の器となったのは、器になる予定だった女が逃げたからである。そう――朔良紅音・・・・八咫烏・・・が逃がした所為で、母娘の運命は捻じ曲がった。そのことを、八咫烏はずっと気に病んでいる。


 別に遠野は、母親の件に関してはどうとも思っていない。たとえ母親が天照の器にならずに普通に生きていたとしても、今の遠野とまったく同じ人間が生まれるとは考えられなかったし、何よりそんな『もしも』を考えるのはナンセンスだとすら思っていた。

 ――結局のところ、人は現実から逃げることは出来ない。今を必死に生きることしか、矮小な人間にはできないのだから。


 遠野の母親の件について、八咫烏が心境を語ったことはない。けれど、八咫烏がどこか後ろめたい気持ちを遠野に抱いていることは傍から見ても明らかだった。

 だがいくら八咫烏がそんな風に思ったところで、遠野が次の器になることは変えられない。だからせめて、それまでの間は自由に過ごさせてやろう――きっとそんなことを考えて八咫烏は遠野と契約を交わしたのだろう。なんとも神様らしい独りよがりな考え方である。


 己の贔屓の結果犠牲になったははおやと遠野を重ね、自由に生きろと口では言いながらも、結局は都合のいい人形として振舞うことを望んでいる。……善意を気取ったエゴイストほど、見るに堪えないものはない。


 そんな嫌悪を笑顔の奥に隠しながら、遠野は皮肉気に口を開いた。


「あら、お人形が楽しそうにしていると何か不都合でもあるのかしら?」


「そうは言ってない。ただ、お前が何故そこまであの人間に入れ込むのか理解できないだけだ」


 そう言って、八咫烏は机に目を向けた。そこには秘密裏に集められた七瀬鶫の情報が所狭しと並べられている。いっそ狂気的な有様だった。


 そんな八咫烏の困惑をものともせずに、遠野は平然とした様子で答えた。


「折角お友達になったんだもの。ある程度の情報は頭に入れておかないと失礼だと思うの」


「それは少し気負い過ぎだと思うが……」


「もう、別にいいじゃない。誰にも迷惑はかけてないもの。それに大事なお友達なんだから、別に気に掛けるくらいは許されてもいいでしょう?」


「友達、か。吾は別にお前が友を作ることに反対はしない。だが、あえてアレを選ぶ必要はなかっただろうに。――アレは、そう遠くない内に限界を迎える。その時に辛い思いするのはお前の方だ」


「……そうね。それは私だってよく分かっているわ」


 そんなことは、遠野だって良く分かっていた。

 今回の遠征で葉隠桜の身に起こった出来事は、遠野の耳にも入っている。


 ――七瀬鶫に残された時間は、もう残り少ない。

 本人が意図していない能力の発動に加え、天照の敷いた契約ルールを無視した力の行使。どちらも普通であればありえないことだ。それはつまり、埒外の力が働いているということを示している。


 偶然その現場を見ていた他の魔法少女の契約神――月読は尤もらしく「聖遺物の影響によるものだ」と嘯いていたらしいが、あの・・月読の言うことはいまいち信用しきれないというのが政府の神々の意見だった。


 ――こういう時、嫌な予想というものは決して外れることがない。

 内側を虫に喰われた大樹がある日突然倒れるように、七瀬鶫の身の内に潜むモノは、やがてその殻を食い破って表に出てくることになる。今回の一件は、その前哨戦に過ぎないだろう。


 そこまで予想がついているのに、未だに七瀬鶫が処分されていないのは、単に別の神と契約を交わしてしまっているからだ。

 いくら正当な理由があろうとも、他神の手付きに手をだせば他の神々からの批判は逃れられない。それもそのはず――遊戯に胴元が出張ってくることほど、萎える展開はないのだから。最悪の場合、魔法少女のシステムすら崩壊する危険性があるだろう。


 それに加え七瀬鶫/葉隠桜の契約神バアル――契約者からはベルと呼ばれている神は、荒ぶる神にしては珍しく契約者を溺愛している。

 故に下手に契約者に接触すれば、その怒りを買うことはすでに前回の謹慎の件で証明済みだった。


 前回の一件では不満ながらも渋々引き下がったようだが、もし七瀬鶫が政府の手によって亡き者にされた場合、ペナルティなどお構いなしに暴れ回る未来が簡単に予想できる。

 ……そうなる前に七瀬鶫の現状を契約神に知らせるという案も出たが、それは危険だと却下された。


 現状、七瀬鶫を救う手立ては政府には無い。つまり結局はどう転んでも七瀬鶫を死なせる羽目になるのだ。契約神側の執着の度合いによっては、それを知らせた時点で狂乱を起こしかねない。まさに八方ふさがりである。


 ――まあそれは政府の神々が悩むことであり、遠野にはあまり関係ない事なのだが。

 そこまで考えて、遠野は苦笑するように笑って言った。


「別にいいの。あまり時間が残されていないのは私だって同じだから。……そんな申し訳なさそうな顔をされても困るのだけど」


 そんな遠野の言葉に、肩を落としたような反応をする八咫烏に対し、思わず呆れのため息が出そうになる。


 ――助けてくれる訳でもない癖に。そう言葉を続けそうになったが、既の所で口をつぐむ。こんな嫌みを言ったところで、何かが変わるわけでもないのだから。


「ただの冗談なんだから、そんな過剰に反応しないでちょうだい。かえって迷惑だわ」


「だが……」


「ああでも、私のことを気遣ってくれているなら、どうしてもお願いしたいことが一つだけあるの。駄目かしら?」


 ふと思いついたような声音で、遠野がそう告げた。八咫烏が、ゆるゆると顔を上げる。


「言ってみると良い。何でもは叶えてやれないが、吾が出来る範囲のことはしてやろう」


「本当に?」


「ああ」


 そう答えた八咫烏に、遠野は小さく笑みを浮かべた。


「なら、遠慮はしないわ。――彼、七瀬鶫が害をなす化物に成り果てた時は、どうか私に戦わせて。……他の神や魔法少女には譲りたくないの」


 それは、遠野が日本に帰ってきてからずっと考えていたことだった。七瀬鶫が化物に変質すれば、すぐにでも討伐隊が組まれるだろう。そうなった際、遠野は真っ先に討伐に志願するつもりでいた。


 そんな遠野の真剣な顔を見て、八咫烏は深く考え込むような表情を浮かべながらも、小さく頷いた。


「……お前は本当にそれでいいのか? 七瀬鶫はお前にとっては友なのだろう?」


「ええ。友達だからこそ、私が止めてあげたいの」


遠野はそう穏やかに告げると、そっと両手を自分の胸の上に重ねた。


 ――葉隠桜/七瀬鶫は善良で優しい人間だ。だからこそ、もしいつか彼の存在が変質し、彼の意志も何もかもが消えて破壊の獣に堕ちるなら、潔く終わらせてあげるのが本当の優しさだと遠野は考えている。


 そして、鶫は遠野にとって初めてできた大事な友達だった。どうせ長くは一緒に居られないのだから――せめて最後くらいは自分の手で終わらせたい。他の誰かにそれを譲るなんて、絶対に嫌だった。それは全てを諦めるように生きてきた、遠野の唯一の我儘だった。


 何を言っても遠野が譲らないであろうことを悟ったのか、八咫烏は小さく肩をすくめて口を開いた。


「生まれ出でるモノの強さによっては許可できない。だが、出来る限りお前の希望に添えるように動こう。今はこれだけしか約束できない」


「……あなた達は私を死なせるわけにはいかないものね。でも、それだけで十分よ。ありがとう」


遠野とて、自分の果たすべき役割はちゃんと理解している。命を懸けて無理を通すつもりない。


 ――それでも、友達の最後を看取るくらいは許されていいはずだ。

 戦いを禁じられても、遠くから見る程度は許可してもらおう。安全なところに居れば、それくらいは許してもらえるはずだ。


「政府の従属神たちには、吾の方から伝えておこう。時が来るまでは下手に動かないことだ」


「ええ、分かっているわ」


 それだけ告げて八咫烏は部屋から去っていった。


 その後、一人になった遠野はそっと鶫の資料を拾い上げながら囁くような声で言った。


「きっとあの子も他の魔法少女の手に掛かるよりは、私と戦った方が幸せよね。仲良くなった時間は短いけれど、私以上にあの子の事情を理解している人間はいないもの。――ふふ、なんだかそれって、まるで親友みたいね」


 ――七瀬鶫本人すら知りえない情報を、遠野は知っている。ある意味、鶫本人以上に鶫のことを理解していると言ってもいい。それはつまり、もっとも親しき友と言っても過言ではないのではないだろうか。


 ……もしこの場に鶫が居たとしたら「それはちょっと違うのでは……?」と控えめに否定しただろうが、不幸なことにそれを訂正する人は誰もいなかった。




◆ ◆ ◆




 かくして『災禍の器』『天照の巫女』が出そろった。相対するは『邪悪なる悪徳』『黎明の叛逆者』『夜を統べる神』――そして『争闘の復讐者』。


 真実を知りし時『英雄の娘』は何を思うのか。選択の時は近い。







あとがき――――――☆☆☆



鶫の親友を自称する|男(あくま)

「人間のまま死ねるように、先に殺してあげる」

VS

すでに鶫の親友だと思ってる箱入り娘

「化物になったら、誰も傷つけないように|終わらせて(ころして)あげる」


※両方とも100%善意です


◆ ◆ ◆


これにて第六章が終了となります。次からの七章もよろしくお願い致します。



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