第163話 時がふたりを別つまで

「ベル様戻ってきてたんだ!言ってくれれば迎えに行ったのに」


「ふん、どうせ連絡したところで海外に居た貴様は来れなかっただろうに。――まったく、我が不在の間に我の契約者をこれほどまでにこき使うとは。政府の無能どもには困ったものだな」


 政府から解放されたベルを見て笑顔を浮かべた鶫に対し、ベルはいつもの様にふてぶてしくそう言った。……どうやら政府嫌いがさらに加速しているらしい。


「ベル様が呼んだなら無理を押してでも帰ってきてたよ。でも、謹慎が解けて本当に良かった……。元々は遠野さんの契約神のせいなのに、ホント横暴だよな」


 鶫はしみじみとした様子でそう言った。

 ベルの政府での謹慎期間は約一か月。ベルが政府の地下から出ることは禁止されていたが、鶫からは自由に会いに行けたので、連絡自体は頻繁に取っていた。

 だがこうしてベルが鶫の部屋に居るのを見るのは、本当に久しぶりだ。そう考えると、少しだけ感慨深いものがある。


「ふん。政府に閉じ込められたからと言って、我は別に負けたわけではない。極東の従属神程度、我にはどうとでも出来たが今回は見逃してやったのだ」


 そう不機嫌そうに言うベルに対し、鶫は変わらないなと苦笑した。


「まあ、うん。ベル様は主神クラスだもんね。制限さえなければ大抵の神よりは強いと思うけど……。遠野さんにも色々と話を聞いてみたんだけど、今後はあんまり変な干渉をしないように契約神の方に言ってくれるみたいだから、もう気にしないようにした方がいいって。こっちばっかり怒ってるとなんか損をした気になるしさ」


 鶫が怒りを宥めるようにそう言うと、ベルはふん、と鼻を鳴らして言った。


「貴様はそうやって適当に済まそうとするから駄目なのだ。理不尽に対しては怒らねばならん。甘えた対応を繰り返すと嘗められるからな」


「……確かにそうかもしれない。イギリス遠征でも思ったけど、下手に下に見られても何の良いこともないしね」


 鶫には細かいことまでは分からないが、ああいった場では特に面子が重要視されるらしい。そう考えると、少し自分を大きく見せることは何だかんだで必要なのかもしれない。


「ふん、やはりあの簒奪者を崇める国は碌でもないな。これに懲りたら奴らには手を貸さないことだ」


 そんなベルの言葉を聞きながら、最終的には自分が遠征の許可を出したのになぁ、と鶫は苦笑を浮かべた。他者の理不尽は許さないくせに、自分の言動はまったく理不尽だとは思わないらしい。そういう所も、自由な神様らしくて鶫は嫌いではないのだが。


 ふふ、と小さく笑みが零れる。気軽なやり取りに、ここ最近色々あって疲弊していた心が軽くなった気がした。


「……おい、なんだその顔は。海外での生活がそんなに辛かったのか?」


「え? 別に辛くなんて……あれ、どうして涙が出るんだろう」


 自分の意志とは関係なく、ぽろりと数滴の涙が流れ落ちていく。まるで涙腺が不具合を起こしたかのようだ。

 幸いなことに涙はすぐに止まったが、泣いたという事実までは消えない。


 不思議に思いつつも、頬に付いた涙を乱雑に手で拭い、顔を上げてベルを見た時――鶫はようやく自分の感情を理解した。


 見慣れた自分のベッドに我が物顔で腰かける、黒い猫の姿をした神様。ベルが謹慎を受けるひと月ほど前までは、当たり前だったその光景。


 ――なんだそうか。俺、ベル様がいなくて寂しかったのか。

 そんな事実が、胸にすとんと落ちて来る。どうやら自分で思っていた以上に、ベルの不在は心に堪えたらしい。


 まるで幼い子供みたいだな、と思いながら鶫は口を開いた。


「……あのさ、ベル様」


「なんだ?」


「お願いだから、もう謹慎になるようなことはやらないでほしい。ベル様が俺の為に怒ってくれたのは分かってるけど、それでも俺は……ベル様が側にいないとやっぱり寂しいよ」


 魔花と遭遇した時も、女神と対峙した時も、緋衣に正体がバレた時も、ベルは隣に居なかった。……今にして思えば、本当はずっと心細かったのかもしれない。


 謹慎を言い渡される前までは、どんな敵と戦う時でもベルが後ろで見守っていてくれた。その時は別に何とも思っていなかったけれど、いなくなって初めてベルの存在がどれだけ心の支えになっていたのかを今さら思い知った。


 そしてそれは戦闘時だけではなく、普段の生活にも影響していた。

 鶫は今まで、誰かに頼るという行為に軽い抵抗を抱いていた。恐らくは、他人に迷惑を掛けてはいけないという意識が強かったのだろう。……もしかしたら、自身の存在が異端なのだと無意識のうちに悟っていたのかもしれない。


 ――七瀬鶫は、嘘を塗り重ねて今を生きている。いくら綺麗ごとを言ったとしても、その事実は変わらない。


 そんな中で、ベルは鶫の薄暗い過去や事情を知っても一貫して態度を変えたりはしなかった。逆に鶫が戸惑うくらい、何を話してもいつも通りだったのである。


 ……言葉に出して言われたことはないが、恐らくベルは鶫の過去なんてあまり興味が無いのかもしれない。

 そもそもベルが鶫に求めていたのは、魔法少女としての適性と戦う意志だけだ。おもちゃに付属している過去なんて、それこそ厄介事にならない限りはきっとどうでもいいのだろう。それは良い意味で心が広く、悪い意味で神様らしい考え方である。

 けれど鶫にとっては、そのベルの無関心さが何よりも尊いものに思えた。


 ――いくら仕方がない事とは言え、千鳥かぞくに対して嘘をつき続ける罪悪感は決して消えてくれない。

 友達にはこんな重い事情なんて話せるはずもないし、多少鶫の事情を知っている緋衣や遠野だって、鶫が何の過去もない平々凡々な人間だったなら関わることも無かったはずだ。世間が見ている葉隠桜じぶんだって、言ってしまえばただの虚像に過ぎない。


 でも、ベルだけは違う。

 鶫の神様――ベルの前でだけは、偽っていない自分でいられる。ただの『七瀬鶫』のままで許されるのだ。そんな何があっても変わらないベルだけが、鶫にとって救いに見えたのだ。


 ……だがこんな浅ましい気持ちを正直に吐露したとしても、ベルからしてみれば鬱陶しいだけだろう。

 本当は、寂しいと口にすることすら少し躊躇ったのだ。ベルに迷惑をかけるのは、鶫としても本意ではない。


 そうして鶫が余計なことを言ってしまったかと落ち込んでいると、しおらしい鶫を見て不審に思ったのか、ベルが怪訝そうに口を開いた。


「暫く離れている間に随分と甘えたことを抜かすようになったのだな。何かあったのか?」


「――強いて言うなら、留守番中のペットの気持ちを理解したくらいかな。一度拾ったんだから、飼い主はちゃんと責任をもって世話してくれないと困るよ」


 そう茶化すように告げた鶫に、ベルは深刻そうな顔をして言った。


「……ふむ、悪しき侵略者どもの国で悪い物でも食ったのか。あれほど拾い食いはするなと言ったはずなのだが」


 あんまりな言い草だった。しかもベルは冗談ではなく本気でそう思っているのか「何か薬を用意するべきか……。ちょうど伝手も出来たしな」と小さな声で呟いている。……もしかしてベルは、鶫の事を幼い子供か何かと勘違いしているのではないだろうか。


「いや、拾い食いなんて今まで一度もしたことないんだけど」


「どうだかな。――それに責任もなにも、そもそも貴様は我の所有物だろうに。心配せずとも、貴様が死ぬまでこき使ってやる。くだらないことをいちいち口にするな」


 ハッと嘲るようにそう笑ったベルに、鶫はホッとした顔をして笑った。


「――うん、それを聞いて安心した。それでこそベル様だよね」


言い方こそは悪いが、ベルの言ったことを要約すると、それはつまり『鶫が死ぬまで手放すつもりはない』ということだろう。それは、一番初めに交わした契約からも明らかだ。


 鶫が死の淵から救い上げられた時に交わした、自身を対価にする契約。ベルに絶対服従を強いられる鶫から見ればかなり偏った契約な気もするが、命を懸けた契約であるが故にその拘束力は極めて強い。

 これは一般の在野の魔法少女契約のような神側が一方的に破棄できる物とは違い、互い・・の同意がない限り契約を破棄することはできないのだ。


 ……出会った当初は厄介な契約だとばかり思っていたけれど、今となってはその方が都合がいい。

 普通に考えれば、鶫のような下位者が契約破棄を望まないケースなど殆どないので、契約の是非は上位者に委ねられる。だが、何事にも例外は存在する。

 ――そう、たとえ上位者である神様ベルが契約破棄を望んだとしても、鶫の同意がない限り契約を破棄することはできないのだ。


 今さら差し伸べられたこの手を放すなんて、鶫には考えられない。そんな臆病な鶫に出来るのは、この慈悲深い神様に要らないと言われないように努力するくらいだ。


「俺、がんばるからさ。暫くの間はベル様も俺で我慢しておいてよ」


 鶫が笑ってそう言うと、ベルは呆れたように言った。


「貴様の代替品になれる者などそうそういないと思うがな。まあ、その決意は受け取ってやらんでもない」


 ベルの返答は素っ気ない言葉だったが、それでも鶫に対する確かな信頼があるように思えた。少なくとも、鶫にとっては十分な答えだった。


「あはは、そう言ってもらえると助かるよ」


 そう言って、鶫は何かを決意するかのように右手を胸の上に置いた。

 ――努力をしよう。少しでもベルが誇れる『七瀬鶫』になるために。そうすればきっと、捨てられることなんてないはずだから。


 たとえいつか色々な事情で魔法少女を辞める時が来たとしても、別の形で側にいられればいいと思う。――そう願わずにはいられなかった。



あとがき――――――☆☆☆


ベル

ベルから見て鶫はきっと|神生(じんせい)で一番可愛がっている愛玩動物。多少生意気で手のかかるところも嫌いじゃない(ツンデレ)。

もし鶫が戦いを嫌がったり権力に溺れたりするタイプの人間だったら、早々に契約を切る方向で動いていた。楽しそうに戦っている鶫の姿が特にお気に入り。

性格ベースがわりと傲慢な神様なので、人間の背負ってる事情にはあんまり興味が無い。つまり自分が見たままでしか評価をしないので、ある意味公平だと言ってもいい。

基本的に人間は自分を敬うべきと思っているので、どんな理不尽を言っても自分は絶対に契約者(鶫)には嫌われないと思っている。(だが多少は鶫の負担を気遣って我儘は控えめにしている)

契約者が鶫じゃなかったら早々に破綻していたので、ある意味で一番運が良かった神様。



鶫から見ると、ベルは何だかんだで優しい飼い主。崇める神であり、絶対的な主であり、ある意味で父親代わりでもある。鶫の周りにいる人たちは何だかんだで鶫に甘いので、色々叱ってくれるベルの存在がかなり新鮮。どう転んでも懐かない訳がなかった。

ベルに対しては、一度拾ったならちゃんと最後まで面倒をみろ、と強く思っている。でももし本当に捨てられそうになったとしたら、ベルの気持ちを考慮して黙って引き下がる。どう足掻いてもヤンデレにはなれないタイプ。

ベルの理不尽に近い言動に関しては、行貴との付き合いで慣れているのであまり気にしていない。無理なことはきちんと無理だと言えるタイプだが、押しに弱いため渋々実行することが多々ある。



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